【4624号】主の召しに応えて 伝道のともしび

ただ主の恵みの選びによって

久我山教会牧師 尾崎 風伍

主の召命を受けたのは
主が私を伝道者となるよう呼び出されたのは、一九八二年春のことでした。いわゆるCコースで受験することを志しましたが、一九八四年春になって、廣田登牧師が海老名教会に着任されるに及んで推薦が得られ、以後三回の試験を経て、一九八六年五月、神奈川教区総会で准允を受け、また、同年七月、海老名教会から招聘されて開拓伝道専任の伝道師に就任しました。同年八月三一日、定年まで四年を残してちょうど三〇年勤務した日本航空を退職しました。
海老名教会は中渋谷教会の開拓教会です。私ども夫婦はその信徒でした。一九六五年、自宅で始めた子供会(土曜学校)が発端で、一九七七年海老名伝道所の開設、一九八一年海老名教会が第二種教会として設立されました。主は私と妻マリ子をそこから呼び出されました。マリ子は一九八四年春、東京神学大学の学部三年に編入学、私は同年秋から教団の教師検定試験を受け始めました。
ふりかえると
母喜巳(きみ)(旧姓・笹沢)はフェリス女学校の卒業。在学中、指路教会で受洗し、子供たちを静岡英和付属幼稚園に入れ、また駿府教会の日曜学校に通わせました。
太平洋戦争も終わり近く、私は海軍兵学校予科を受験し合格しました。同じ日曜学校に育ち、海兵予科に行く林康雄君と受洗希望を出し、針谷松太郎牧師は熟慮のご様子でしたが結局許されて、一九四五年三月初旬、十五歳で洗礼を受けて海軍兵学校に赴きました。
戦後、しばらく後に、針谷牧師から「牧師になる気はないか」と問われたときに「それはありません」と答えました。その後にも、伝道者となる方向をそっと示されたことはありましたが、私は牧師にはならない。信徒として教会に仕えるのが私の使命だという考えを変えませんでした。しかし海老名教会が大変悲しい状態であった頃「教会がこんな状態のとき、まだお前はわたしから逃げる気か」という主の御声を聞いたように思いました。いわば私は、追いつめられて神に召されました。
その後のこと
私が海老名教会の開拓伝道専任の伝道師に就任して間もなく、同教会の承認のもと、阿佐谷集会と称するグループ(阿佐谷東教会を離れ独自の礼拝を守っていた人々)と共に歩むことになりました。
その後、井草教会熊澤義宣牧師の決断と、同教会の一年にわたる討議と準備を経て、一九八八年春、阿佐谷集会のメンバー全員十四名が阿佐谷東教会から井草教会に転入、尾崎両名が開拓伝道専任の伝道師として招聘されました。
開拓伝道委員会が直ちに組織されて活動を開始したのが六月五日、そして一月もたたぬうちに久我山に開拓伝道の拠点が与えられ、そこで八月四日に祈祷会を行ったのが久我山での最初の集会。これが今の久我山教会の源流です。
現在と今後のこと
あれから来年で二〇年。この間、神は私どもの思いや願いに先立って、次から次へと、必要なものをすべて与えてくださったので、皆で息もつげずに走ってきました。
この四月に次の時代の久我山教会を担任される稲垣裕一牧師を迎えます。尾崎両名は引継ぎのため一年留任の後辞任することも教会総会で承認されました。またこの五月十五日には新会堂が完成して引渡しを受けます。久我山教会が新しい出発をする時がきています。
これらすべてのことを思い起こし、神が私を母の胎から生まれぬ先に選び召してくださったことを、今は確信して感謝いたします。

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