伝道の言葉、宣教の言葉
髙柳 竜二
以前この教区コラムに「神奈川教区創立四〇周年記念事業として説教集を発行することになった」ことを書いたが、ようやく今年六月の教区総会において配布できる準備ができた。
この四〇年間の歩みは教団の成立の問題、教団信仰告白戦争責任告白、万博キリスト教館出展問題、東京神学大学機動隊導入問題、教師検定・教師養成・教師制度問題などと向き合ってきた。教区内にさまざまな立場があることを率直に認めながらの歩みであったし、今後もそのような歩みが続けられていくことを願う。
何事をするにしても、様々な考
えがあるのだということは、教区内の活動を見れば明らかであり、全員参加で進んでいくものなどない。この説教集も同じである。原稿依頼に応えてくれた教職の数も少ない。しかし、これも教区の現実であるし、別に体裁を取り繕おうとは思わない。伝道か宣教か、数か質かという議論は久しくなされているがどんな考えを持つにせよ、今日の教会がどんな道を伝えようとしているのか、どんな教えを宣べようとしているのかに対し私たちは責任を負っているのだ。
現代に生きる人々に対して諸教会がどんな言葉を語っているのか共に分かち合うきっかけを創ることになれば、記念事業として企画された説教集はそれなりの役割を果たしたことになるだろう。超高齢化・超少子化社会の中にあって活路を見出していけるなら幸いである。
(神奈川教区総会議長)