【4658号】宣教師からの声 日本での宣教所感

李 孟哲
(台湾基督長老教会からの派遣宣教師)

あきらおじさんは初めて息子に会いにアメリカに行きました。
二日目。近くの公園に行って、ジョギングをしていました。途中で同じ年ぐらいのアメリカ人に会い、「Good Morning!」と挨拶されました。あきらおじさんは英語がわからないため、何を言われたのか、さっぱりわかりませんでした。心の中で、きっと私の名前をきいているに違いない、とそう思い、「あきらです」と、とっさに答えました。
家に戻って、あきらおじさんは息子の嫁に聞きました。「Good Morning」ってどういう意味?「おはようって朝の挨拶のことばですよ」と息子の嫁が答えました。「そうか。なるほど」あきらおじさんはようやく意味がわかりました。
次の日。あきらおじさんはまた公園にジョギングをしに行きました。途中で昨日挨拶してくれたアメリカ人にまた会いました。今回あきらおじさんの反応はさすがに早かった。「Good Morning!」と先に挨拶をしました。何とそのアメリカ人は「あきらです」と逆にことばを返してきました。
これはあきらおじさんが台湾からアメリカに行ったときの文化の違いのお話です。また、これは自分が異文化の東京に宣教にきたお話と通じるところがあります。
およそ一〇年前に、台湾から全く見知らぬ東京にやってきました。日本での在日台湾人への宣教人生を展開しました。
「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」(ガラテヤ3・27)という箇所はみなさんの認めているところですが、実際自分の体験がなければ、なかなかその真髄が理解できません。男と女との違い、奴隷と自由な身分との違いは、それぞれの社会環境の中で比較的に経験しやすい。しかし、いわゆる「ユダヤ人と異邦人の違い」は異なる種族、異なる人種の違いを指しています。実際海外に行って、その場にいなければ、なかなかその感じが分かりません。異なる種族の主な問題は、みなそれぞれ異なる立場に立っているから「あべこべ」の局面が生じると深く感じています。ちょうど先ほどのあきらおじさんのお話のように、アメリカ人の言っている「挨拶」が、あきらおじさんでは「名前」と勘違いしています。相当調整をしないと、「挨拶」と「名前」は永遠にかみ合いません。
日本で牧会していて、宣教の対象はほとんどが台湾人です。しかし、台湾人も長年日本に住んでいると、多かれ少なかれ、日本人のような性格になってきます。簡単に言えば、表面的には台湾人ですが、中身はどちらかというと日本人に近いのです。だから、異なる民族間の文化の違いを突破しない限り、宣教の効果は出ません。
パウロはかつて自分がユダヤの律法教師よりも優れていると思っていましたが、主を信じた後、過去の考え方と態度を一掃しました。逆に「他人に近づく」ことで、宣教の手段としました(参考Ⅰコリント9・20)。なるべく相手の立場に立って、福音を受け入れる可能性と障害を考えれば、パウロと同じように、福音の収穫時には、喜びをもって刈り取ることができます。
宣教の道において、まだ多くの予測できないことや困難がありますが、「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(ローマ8・28)ことを深く信じています。

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