「うわー、うそみたいにきれい!」
「やべぇ、これみんな本物かよ!」
沖縄・渡嘉敷島の美しい自然を目の前にして、東北の子どもたちは興奮気味に声を上げました。
8月7日~11日の5日間、沖縄キリスト教学院大学の招待を受けて被災地の小中学生16名が沖縄本島と渡嘉敷島で過ごしました。引率として日本基督教団の幹事、牧師、被災者支援センターの元スタッフの3名が同行し、現地で学生有志、牧師、神学生9名が加わり総勢28名での旅でした。
世界有数の美しさを誇るビーチは日中も夕暮れも私たちを魅了し、さらに海中で目の前を悠々と泳ぐ熱帯魚やウミガメの姿、地元青年団とのエイサー交流、美味しいソーキソバ、書ききれないすべてが夢のような日々でした。
参加した生徒16名は、津波で完全に自宅と故郷を失った子どもたち、福島第一原子力発電所すぐそばの自宅から関東の各地に避難している家庭の子どもたち、またあえて地元に留まっている家庭の子どもたちなど様々です。しかし特別な配慮を覚悟していた大人たちの心配もよそに、子どもたちは沖縄の学生たちに温かく見守られる中、互いに打ち解けてゆったりと5日間を満喫できました。
沖縄はその自然環境、文化・風土、人の温かさなど、普段から東北の人間にとってあこがれの土地です。ただし今回の企画が目指した地は単なる「観光地・沖縄」ではなく、より深い、三重の意味を持っています。
一つには「放射能汚染地域・未だ不安定な福島第一原発から最も遠い県」であること。これは送り出す家族の切実な願いでもあります。今回の企画のメインは海辺で過ごすことでしたが、津波と原発事故以降、海で楽しむことなど思いもよらなかった生徒にとってこのビーチでの思い出は最高のプレゼントとなりました。
第二に沖縄は「命(ぬち)どぅ宝(=命こそ宝)」の心が生きている地であること。雄大な大自然に包まれて過ごした私たちですが、実は渡嘉敷島を含む慶良間諸島は太平洋戦争末期に最初の集団自決が行われた地域です。島に渡って初日、私たちは3百余名が犠牲となった集団自決の現場で島のガイドの方から命の証言を伺う、貴重な機会を与えられました。
第三に沖縄は故郷を奪われる痛みを長期にわたって背負い続けている地域です。状況はやや異なるものの、津波、そして放射能汚染によって故郷を失っている東北の出来事は、いかに遠くの沖縄でも他人事ではないのです。
このように命の重さ、土地喪失の痛みを最も深く受け止める教区の方々からお招きを受けたことに多大なる意義を感じつつ、紙面をお借りして感謝申し上げます。
期間中、私たちは毎日全員で礼拝を守りました。聖書・讃美歌に初めて触れる生徒たちもいます。しかし沖縄の大自然と歴史という文脈の中で、十字架の意味について、私たちに与えられた命の使い方について、生きた礼拝を捧げることができたのは恵みでした。
沖縄からの帰途、福島第一原発の上空を飛行機で通過しつつ、先の見えないこの社会の中で子どもたちが希望と慰めの使者となってくれることを切に祈りました。
(荒井偉作報/名取教会)