「仮面の下のあなたを」
宗教主事 岩住 賢
皆さんは誰かの前では違う自分になってるなぁと思うことありますか?ある人の前では、普段の自分の表情ではなくて作っている表情で接するとか、普段しないリアクションをとったりとか、何かと自分を偽っていきるということはないでしょうか。
聖書で今日出てきた、偽善者というのは、元の言葉の意味では仮面をかぶるものという意味があります。他の人からよく見られたいという気持ちで、色々な施しをしたり、祈りをしたり、人たちは、みんな仮面を被っていたと聖書はいっているんですね。
偽善だけど、「結果、いい事してるんだったらいいじゃん」と思うかもしれないですが、どうですかね。確かに第三者の目から見れば、その人の動機や気持ちなんて関係ないので、いい事をしているのであればそれで良いと思いますよね。でもどうでしょう。その偽って生きている人、本人の心とか気持ちとかどのようなものだと思いますか?
仮面は、わたしたちが本当の自分を隠すために使うものです。家で、職場で、学校で、友達、家族の前ではみんなから好かれるように強がって笑顔を見せたり、わざとふざけてみたり、極端なことしてみたり、きついこといってみたり、そんなことしている時、心の中では本当に疲れていたり、寂しかったりすることはないですか?
東奥義塾の宗教主事室によく来る子が、「自分は誰の前でもヘコヘコしています。」ということを私に話してくれました。その子は、私の前では全然ヘコヘコしないで、堂々としていて、時にはタメ口で話すことすらあります。私は、「舐められてるな」なんてことは感じないで、「あぁ。この子は宗教主事室では、素の自分でいい、またわたしの前では素の自分でいいんだと感じてるんだな」と嬉しく思いました。
イエス様は、「私の前では、あなたのその仮面をとって大丈夫だよ」ってわたしたちに言ってくれています。「良い子じゃないといけないとか、面白くなくちゃいけないとかそういうことはない」「その仮面の下にあるあなたを愛しているよ」「素のあなたの顔が、素のあなたが大好きだ」といってくれて受け入れてくれます。どうか、みなさんも、どの場所でも素の自分でいることができるように、教会でも、仮面を捨てて生きることができるように、今日は祈りたいと思います。