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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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ダニエル書6・16〜29

2021年7月24日
役人たちは王のもとに来て言った。「王様、ご存じのとおり、メディアとペルシアの法律によれば、王による勅令や禁令は一切変更してはならないことになっております。」それで王は命令を下し、ダニエルは獅子の洞窟に投げ込まれることになって引き出された。王は彼に言った。「お前がいつも拝んでいる神がお前を救ってくださるように。」
一つの石が洞窟の入り口に置かれ、王は自分の印と貴族たちの印で封をし、ダニエルに対する処置に変更がないようにした。王は宮殿に帰ったが、その夜は食を断ち、側女も近寄らせず、眠れずに過ごし、夜が明けるやいなや、急いで獅子の洞窟へ行った。洞窟に近づくと、王は不安に満ちた声をあげて、ダニエルに呼びかけた。「ダニエル、ダニエル、生ける神の僕よ、お前がいつも拝んでいる神は、獅子からお前を救い出す力があったか。」ダニエルは王に答えた。「王様がとこしえまでも生き永らえられますように。神様が天使を送って獅子の口を閉ざしてくださいましたので、わたしはなんの危害も受けませんでした。神様に対するわたしの無実が認められたのです。そして王様、あなたさまに対しても、背いたことはございません。」王はたいそう喜んで、ダニエルを洞窟から引き出すように命じた。ダニエルは引き出されたが、その身に何の害も受けていなかった。神を信頼していたからである。王は命令を下して、ダニエルを陥れようとした者たちを引き出させ、妻子もろとも獅子の洞窟に投げ込ませた。穴の底にも達しないうちに、獅子は彼らに飛びかかり、骨までもかみ砕いた。ダレイオス王は、全地に住む諸国、諸族、諸言語の人々に、次のように書き送った。「いっそうの繁栄を願って挨拶を送る。わたしは以下のとおりに定める。この王国全域において、すべての民はダニエルの神を恐れかしこまなければならない。この神は生ける神、世々にいまし/その主権は滅びることなく、その支配は永遠。この神は救い主、助け主。天にも地にも、不思議な御業を行い/ダニエルを獅子の力から救われた。」こうしてダニエルは、ダレイオスとペルシアのキュロスの治世を通して活躍した。
2021年7月23日
さて、王国を継いだのは、メディア人ダレイオスであった。彼は既に六十二歳であった。ダレイオスは、王国に百二十人の総督を置いて全国を治めさせることにし、また、王に損失がないようにするため、これらの総督から報告を受ける大臣を三人、その上に置いた。ダニエルはそのひとりであった。ダニエルには優れた霊が宿っていたので、他の大臣や総督のすべてに傑出していた。王は彼に王国全体を治めさせようとした。大臣や総督は、政務に関してダニエルを陥れようと口実を探した。しかし、ダニエルは政務に忠実で、何の汚点も怠慢もなく、彼らは訴え出る口実を見つけることができなかった。それで彼らは、「ダニエルを陥れるには、その信じている神の法に関してなんらかの言いがかりをつけるほかはあるまい」と話し合い、王のもとに集まってこう言った。「ダレイオス王様がとこしえまでも生き永らえられますように。王国の大臣、執政官、総督、地方長官、側近ら一同相談いたしまして、王様に次のような、勅令による禁止事項をお定めいただこうということになりました。すなわち、向こう三十日間、王様を差し置いて他の人間や神に願い事をする者は、だれであれ獅子の洞窟に投げ込まれる、と。王様、どうぞこの禁令を出し、その書面に御署名ください。そうすれば、これはメディアとペルシアの法律として変更不可能なものとなり、廃止することはできなくなります。」ダレイオス王は、その書面に署名して禁令を発布した。ダニエルは王が禁令に署名したことを知っていたが、家に帰るといつものとおり二階の部屋に上がり、エルサレムに向かって開かれた窓際にひざまずき、日に三度の祈りと賛美を自分の神にささげた。役人たちはやって来て、ダニエルがその神に祈り求めているのを見届け、王の前に進み出、禁令を引き合いに出してこう言った。「王様、向こう三十日間、王様を差し置いて他の人間や神に願い事をする者があれば、獅子の洞窟に投げ込まれるという勅令に署名をなさったのではございませんか。」王は答えた。「そのとおりだ。メディアとペルシアの法律は廃棄されることはない。」彼らは王に言った。「王様、ユダヤからの捕囚の一人ダニエルは、あなたさまをも、署名なさったその禁令をも無視して、日に三度祈りをささげています。」王はこれを聞いてたいそう悩み、なんとかダニエルを助ける方法はないものかと心を砕き、救おうとして日の暮れるまで努力した。
2021年7月22日
そこで、ダニエルが王の前に召し出された。王は彼に言った。「父王がユダから捕らえ帰ったユダヤ人の捕囚の一人、ダニエルというのはお前か。聞くところによると、お前は神々の霊を宿していて、すばらしい才能と特別な知恵を持っているそうだ。賢者や祈祷師を連れて来させてこの文字を読ませ、解釈させようとしたのだが、彼らにはそれができなかった。お前はいろいろと解釈をしたり難問を解いたりする力を持つと聞いた。もしこの文字を読み、その意味を説明してくれたなら、お前に紫の衣を着せ、金の鎖を首にかけて、王国を治める者のうち第三の位を与えよう。」ダニエルは王に答えた。「贈り物など不要でございます。報酬はだれか他の者にお与えください。しかし、王様のためにその文字を読み、解釈をいたしましょう。王様、いと高き神は、あなたの父ネブカドネツァル王に王国と権勢と威光をお与えになりました。その権勢を見て、諸国、諸族、諸言語の人々はすべて、恐れおののいたのです。父王様は思うままに殺し、思うままに生かし、思うままに栄誉を与え、思うままに没落させました。しかし、父王様は傲慢になり、頑に尊大にふるまったので、王位を追われ、栄光は奪われました。父王様は人間の社会から追放され、心は野の獣のようになり、野生のろばと共に住み、牛のように草を食らい、天から降る露にその身をぬらし、ついに悟ったのは、いと高き神こそが人間の王国を支配し、その御旨のままに王を立てられるのだということでした。
さて、ベルシャツァル王よ、あなたはその王子で、これらのことをよくご存じでありながら、なお、へりくだろうとはなさらなかった。天の主に逆らって、その神殿の祭具を持ち出させ、あなた御自身も、貴族も、後宮の女たちも皆、それで飲みながら、金や銀、青銅、鉄、木や石で造った神々、見ることも聞くこともできず、何も知らないその神々を、ほめたたえておられます。だが、あなたの命と行動の一切を手中に握っておられる神を畏れ敬おうとはなさらない。そのために神は、あの手を遣わして文字を書かせたのです。さて、書かれた文字はこうです。メネ、メネ、テケル、そして、パルシン。意味はこうです。メネは数えるということで、すなわち、神はあなたの治世を数えて、それを終わらせられたのです。テケルは量を計ることで、すなわち、あなたは秤にかけられ、不足と見られました。パルシンは分けるということで、すなわち、あなたの王国は二分されて、メディアとペルシアに与えられるのです。」これを聞いたベルシャツァルは、ダニエルに紫の衣を着せ、金の鎖をその首にかけるように命じ、王国を治める者のうち第三の位を彼に与えるという布告を出した。その同じ夜、カルデア人の王ベルシャツァルは殺された。
2021年7月21日
ベルシャツァル王は千人の貴族を招いて大宴会を開き、みんなで酒を飲んでいた。宴も進んだころ、ベルシャツァルは、その父ネブカドネツァルがエルサレムの神殿から奪って来た金銀の祭具を持って来るように命じた。王や貴族、後宮の女たちがそれで酒を飲もうというのである。そこで、エルサレムの神殿から奪って来た金銀の祭具が運び込まれ、王や貴族、後宮の女たちがそれで酒を飲み始めた。こうして酒を飲みながら、彼らは金や銀、青銅、鉄、木や石などで造った神々をほめたたえた。その時、人の手の指が現れて、ともし火に照らされている王宮の白い壁に文字を書き始めた。王は書き進むその手先を見た。王は恐怖にかられて顔色が変わり、腰が抜け、膝が震えた。王は大声をあげ、祈祷師、賢者、星占い師などを連れて来させ、これらバビロンの知者にこう言った。「この字を読み、解釈をしてくれる者には、紫の衣を着せ、金の鎖を首にかけて、王国を治める者のうちの第三の位を与えよう。」宮廷の知者たちは皆、集まって来たが、だれもその字を読むことができず、解釈もできなかった。ベルシャツァル王はいよいよ恐怖にかられて顔色が変わり、貴族も皆途方に暮れた。王や貴族が話しているのを聞いた王妃は、宴会場に来てこう言った。「王様がとこしえまでも生き永らえられますように。そんなに心配したり顔色を変えたりなさらないでくださいませ。お国には、聖なる神の霊を宿している人が一人おります。父王様の代に、その人はすばらしい才能、神々のような知恵を示したものでございます。お父上のネブカドネツァル王様は、この人を占い師、祈祷師、賢者、星占い師などの長にしておられました。この人には特別な霊の力があって、知識と才能に富み、夢の解釈、謎解き、難問の説明などがよくできるのでございます。ダニエルという者で、父王様はベルテシャツァルと呼んでいらっしゃいました。このダニエルをお召しになれば、その字の解釈をしてくれることでございましょう。」
2021年7月20日

「さあ、共に生きよう」との思いを抱いて

奥羽教区書記、下ノ橋教会牧師 松浦 裕介

東日本大震災、メルトダウン・爆発事故を引き起こした東京電力福島第一原子力発電所事故から10年の時が経ちました。

奥羽教区において毎年守られてきた東日本大震災を覚えての礼拝は、コロナ禍の中でオンライン配信の形となり、10年の時を覚えて一同が会することは叶いませんでしたが、各教会・伝道所において、またそれぞれの方々の生活の場において映像を通して祈りが合わせられました。

震災発生後間もない3月14日に開催された常置委員会において、奥羽教区の基本姿勢の一つとして「被災教会への支援は、教会の判断を尊重する。救援物資、ボランティアの受け入れは教会の要請に応えて教区として募集する」との確認をしました。この背景には奥羽教区の歴史の中で度々起きてきた地震・津波被害への教区としての対応の積み重ねがあります。また、同じ岩手県内でも沿岸の被災地から約100キロ離れた盛岡に教区事務所がある地理的状況も関係していると言えます。各被災教区それぞれの状況の違いがある中で、奥羽教区においても三陸沿岸の津波被害、内陸の地震被害への支援活動が進められました。

支援活動を続ける中で、力や思いの至らなさを痛感もしましたが、それ以上に多くの方々が覚え、祈り、支えてくださっていることを強く感じました。すべての方々のお名前は書き記せませんが、在日大韓基督教会関東地方会、大韓イエス教長老会、東京教区北支区をはじめとする国内外の諸教会・伝道所の方々、チャイルド・ファンド・ジャパンをはじめとする諸団体の方々、そして教区内の諸教会・伝道所の方々、お一人お一人がそれぞれの形で多様な被災の現実にある人々に連帯し、共に生き、共に歩もうとしてくださいました。車に支援物資を積み込んで各被災教会へ向けて出発される方々を毎日見送った時の光景を忘れることが出来ません。また、奥羽教区として、北日本三教区による親子短期保養プログラムの実施に連なることができました。

奥羽教区では10年ごとの長期宣教基本方針が策定されます。2003年から始まった第五期の主題は「さあ、共に生きよう」でありましたが、この10年は三陸南地震(2003年)、岩手宮城内陸地震(2008年)と、数年ごとに大きな災害に見舞われ、最終年が近づいた2011年に東日本大震災を経験することとなりました。規模的には決して大きくない教会が繰り返し傷つき苦しみを負っていく現実の中で、「さあ、共に生きよう」との言葉を実質化しようとする営みが奥羽教区で続けてこられたことを、今、想い起こしています。

「共に生きる」という言葉は多くの場面で用いられるものですが、その言葉の背後に様々な課題や難しさを感じるものでもあります。しかし、共に生きようとする思いを抱いて歩む時、困難の中にあっても喜びや希望を分かち合うことが出来ることを知らされます。「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」(一コリント12・26)との言葉が改めて心に響くものです。

大震災から10年。あの出来事を経験した中から、隣人と共に生きることの意味を思い、共に生き続けていく志を新たにしながら、20年に向けた歩みを進めていきます。


共に苦しみ、共に喜ぶ、助け合える教区として

関東教区副議長、大宮教会牧師 熊江 秀一

東日本大震災から10年の2021年3月11日、教区四役の福島純雄議長、小池正造書記、飯塚拓也宣教部委員長と私で、伊勢崎教会、宇都宮上町教会、宇都宮教会を問安しました。この3教会は東日本大震災で被災し、会堂再建を終えた後、今も教団借入金を返済し続けている教会です。震災直後に訪問した時の会堂や教職・教会員の姿を思い起こしつつ、この10年の歩みを思いました。そして再建された会堂で、力強く宣教が行われている姿を、迎えてくださった教職・教会員から伺い、感謝であふれました。

また宇都宮教会で行われた、関東教区「東日本大震災から10年を覚える礼拝」では、同時配信で参加した教区の諸教会・伝道所と共に、御言葉を聞き、賛美をささげ、午後2時46分に合わせて祈りをささげました。

震災では震度6強を経験した栃木地区、茨城地区、群馬地区。震度6弱を経験した埼玉地区、新潟地区(翌日の新潟・長野県境地震において)と関東教区のすべての地区が大きな揺れを経験し、31の教会・伝道所、11の教会付属幼稚園・保育園が重大な被害を受けました。しかし全国の教会、さらには世界各地の教会からの祈りと支えにより再建を果たすことができました。一つ一つの被災した教会が深い戸惑いと困難の中から、再建するまでに、どれほどの祈りと支えがあったことでしょう。「涙とともに種を蒔く人は、喜びの声とともに刈り入れる」(詩編125・5)、「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」(一コリント12・26)を経験する時でした。

被害が大きく、会堂や施設を取り壊して新会堂建築に取り組んだ教会は、伊勢崎教会(2014年3月23日献堂)、下館教会(2014年5月11日献堂)、宇都宮教会(2014年6月15日献堂)、宇都宮上町教会(2015年7月19日献堂)の順に再建し、水戸中央教会の2016年7月17日の献堂式をもって終了しました。また付属施設も2020年4月の宇都宮上町教会・みふみ認定こども園新園舎完成によって終了しました。また7教会が教団の支援を受けて補修し、9教会・伝道所、4施設が教団の支援を受けずに自己補修をしました(お見舞いを差し上げました)。その間、教区東日本大震災支援委員会を45回開催し、再建・補修の支援、ボランティア派遣、被災地・被災教会で祈りを合わせる旅等を行いました。加えて41教会・施設への簡易診断派遣を行いました。その働きは2017年度より教区災害支援委員会として引き継がれています。

栃木地区のアジア学院への支援協力も大切な取り組みでした。世界に広がる支援もあり、コイノニア棟、オイコス・チャペルを建築しました。また地域のセンターとして一帯の土壌と農作物の放射能値の検出に取り組み、見事に再建されたことは教区の喜びでした。また教区として脱原発の声明や学習会にも取り組んできました。

震災後も教区内で「関東・東北豪雨」被災、また日本中で災害が起こっています。中越地震・中越沖地震、そして東日本大震災によって結ばれた主にある連帯を大切にし、キリストのからだとして、宣教協力と今後予想される災害の時にも備え、助け合える教区として歩んで行きたいと思いを新たにしています。

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