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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
coronavirus

【4952号】社会での奉仕者の声に聞く-社会委員会が支援した活動の中から
新型コロナウイルス 感染拡大の渦中で

2021年6月26日

他人事が我が事に

京都の夜回り 《京都府》

京都の夜回りは週に2回、夜10時頃から京都駅周辺や市内の繁華街周辺を回ります。お茶と紙コップ、毛布、カイロ、下着や防寒具、時にはおにぎりや非常食を持って野宿している人に会いに行きます。新型コロナウイルス感染防止のため、マスクなしでは立ち入れない場所もあり、必要な方にはマスクも配布しています。

そこで野宿している人の生活の様子や体の具合を聞くのですが、聞くためにはそれなりの覚悟が必要で、例えば具合が悪いと聞けば「ではどうするのか」が問われます。相手が話してくれたことに応えようとする時に、他人事が我が事になるのだと思います。

体の具合を聞いて、場合によっては救急車を呼ぶこともありますが、私たちはひとり一人の要望に応じて病院に付き添ったり、施設の入所や生活保護の申請のために福祉事務所に行ったりします。入院すればお見舞いに、施設に入所したと聞けば面会に行き、アパート生活を始めた人の自宅を訪問することもあります。もちろん相手の了解を得た上でですが、可能な限りそばにいることに努めます。できない場合はよく分かっているメンバーに頼むようにしています。

私たちは自分が苦しくて辛い時、寂しい時に誰かがそばにいてくれることで安心でき、慰められ、それが生きていく支えになることがあります。しかも技術や知識を持っていれば誰でもいいというのではなく、人格をもって関わってくれる人を必要とします。私たちも「夜回りの人」ではなく、名前を持った信頼できる人として相手に認められ、受け入れられているかを自問しながら活動に取り組んでいます。

私たちの生きる社会は、野宿している人を「自立」できない人と見なして認めようとしません。一般的に自立とは他力に頼ることなく生きていくことを意味し、私たちもそうでなければ社会では通用しないと思いがちです。けれども、自立を強要する社会は人を能力主義へと駆り立て、過重な自己責任を迫る社会となっていくのではないでしょうか。むしろ、私たち自身が多くの人の支えによって生きていることを自覚し、支え合う交わりを築いていきたいと思います。(桜井 希報/同志社中学校・高等学校聖書科)


地域に開かれた教会として

子ども食堂・三本松 《千葉県》

子ども食堂・三本松は、市川三本松教会(千葉県市川市)を会場に子ども食堂(以下食堂)をしたいという有志で2018年12月から準備を始めました。

当初の動機は、子どもの貧困に対して、キリスト者として何ができるかということでした。一方超高齢化の教会に子ども、若い人を招きたいという思いもありました。従来の礼拝、教会学校、オルガンコンサート、バザーなど以外に、地域に開かれた教会となる手立ての一つとして食堂を考えました。その上で、教会に属さない地域の方々が来やすいように、無宗教の団体としました。

実施のために、他の食堂、保健所、社会福祉協議会などから、資金調達、食中毒対策、行事保険、募集方法、学習支援などの情報を集めました。見学先の食堂では、親子以外に孤食の高齢者などの成人が来る例もあり、その受け入れでトラブルも想定、回避策も考えました。

2020年春の教会総会で承認を得る前に、新型コロナウイルス感染拡大で、教会活動を自粛(2月末〜)することとなりました。

既存の食堂の中には、食材や弁当の配布をしている所がありました。そこで、食堂の開始時期が読めないまま、当面は食材配布を行うという新たな目標を立てました。予約制で感染対策をして外で配る計画です。

5月の公開礼拝開始後、説明会を経て、8月の臨時総会で承認を受け、9月から月1回の食材配布を実施しています。チラシを作りメール、電話、ラインで予約を受け付けます。市内の先輩食堂、民生委員のサポートもあり、第1回目は10世帯に配布し、その後の緊急事態宣言発令中も毎月十数世帯に配布を続けています。食材は、教会関係者、地域の方、先輩食堂、フードバンクから頂き、購入もします。3団体からの助成も受けています。

今年4月、フードバンクでお米の需要が増え、提供を受けられませんでした。5月からは目処が付きましたが、長期のコロナ禍で、困窮世帯が増えていると痛感しました。

明るい見通しもなく始めた食材配布ですが、資金や食材調達のことで心配事があっても、いつも助けが与えられていることに感謝しています。(古澤とき子報/市川三本松教会員)


手を差し伸べる隣人となる

入国管理局での面会 《東京都》

イエスは、困っている人が近くにいたら憐みの心をもって手を差し伸べることが隣人を自分のように愛することだと言われました。自分のことで精一杯と思うこともありますが、神に愛され赦され憐れみ頂いているわたしたちは身近で困難の中にいる人に手を差し伸べたいと思うのです。

わたしは2009年から入管に収容されている人たちとの面会を始め今に至っています。そこに収容されている人たちは無期限収容と劣悪な医療、何よりも「犯罪人」のように扱われて傷つき、多くの自由を奪われ心身的なストレスに苦しんでいます。入管収容所から一時的に解放される「仮放免」という制度があり、条件が整えば申請し許可されてようやく外に出ることができます。

しかし、2018年頃から仮放免許可がほとんど出なくなり、収容期間が以前よりも長期化するようになりました。1〜2年以上もの間、一歩も外に出られずに閉じ込められるのです。そこで許可が出ないことへの抗議として収容中の多くの人がハンガーストライキを2018年頃から始め、ナイジェリア人男性がハンストで餓死する事件が起きました。また、今年の3月には33歳のスリランカ人女性が入管で亡くなるという痛ましい事件も起きました。

前者の事故をきっかけとして始められた国の専門部会が2020年6月に入管法改正案として提言し、今年5月には国会で入管法改正案が審議されました。長期収容を解消するために打ち出されたこの改正案にはいくつもの問題があります。これまでは難民として認められるまでに何度も申請でき、また申請中は強制送還されることはありませんでしたが、この改正案では3回目の申請以降、強制送還することが可能となるのです。これは明らかに難民条約違反ですし、何よりも難民申請者の生死にかかわる問題を引き起こしかねません。

幸い5月18日に改正案は取り下げとなりました。しかし、未だ入管には人を人と扱わないような問題が山積しています。コロナ禍によって経済的貧富の差がますます広がり、特に国に帰ることができない外国籍の人たちにとって今まで以上に厳しい状況となっています。苦しむ人の隣人になりなさいとのイエスの声がより強く響いてきています。

(宮島牧人報/原町田教会牧師)


人を良くする食事を続ける

こども食堂天使のミールgo-on 《大阪府》

私自身は阿倍野教会の隣にある保育園から引き続き、生野区の保育園に関わり、退任後こども食堂天使のミールgo-onに関わるようになりました。

子ども食堂の運営は大阪市社会福祉協議会地域子ども支援ネットワーク事業登録団体で、名称は、こども食堂天使のミールgo-onです。ゴーンとは続くという意味を持ち、日本語では御恩(ごおん)です。協力団体は女性のいろいろな発信を行っている特定非営利活動法人ゆるんです。

子ども食堂のポリシー

⑴子育て支援が大きな目的です。母子家庭(一人親家庭)でなくても、お母ちゃんと子どもが保育園の帰りに夕食として食べて帰れる。またお弁当をテイクアウトとして持ち帰り、家ですぐに食べられる。スタッフは仕事を持ちながら子育てをしてきたメンバーたち、「そんな大変な時期にこんな子ども食堂があったら、どんなにか助かったやろう」という思いから始まりました。

⑵小麦粉及び小麦粉加工品不使用のグルテンフリーの体に優しい献立で、20品目の食材を使っており、野菜中心の献立です。

⑶「食」という字は人を良くすると書きます。食べることは生きていくことの基本であり、人生の土台です。食を通して人間は心の豊かさや落ち着きが持て、人との交わりができます。生きていく意欲はまさに食を通して与えられるものです。特に子どもには、安全な食べ物を口にしてもらいたい、そして食材の本来持っているおいしさを知り、食べることの楽しさを知って育って欲しいと願っています。現代はコンビニ、スーパーでいくらでも簡単に出来合いのものが食べられます。でも味覚は子どもの時代に作られるものです。そして食べ方は生き方にも通じます。

⑷5月からコロナ対策として、特に居場所が狭められてきている子どもたちの居場所確保のため、土、日曜日だけだった子ども食堂を月〜日曜日の一週間開いています。食事代「大人500円、高校生400円、中学生300円、小学生200円、未就学児100円」だった代金を小学生以下を無料としました。そして生活環境のしんどい方は無料です。地域柄、年配の方で夜間中学校、通信高校に通っておられる方も学生ということで割引です。現実は多少の助成金はありますが、「台所は火の車」といったところですが、子ども食堂を支えてくださる多くの方々からの食材などの支援にも助けられています。

⑸小さなイベント「お楽しみ会」を毎月行っていますが、コロナ対策ということで6月からはしばらくお休みしようかと検討中です。小さなイベントは、もちろん子どもにとっても楽しみの一つですが、年配の人、若い人を問わず誰でも「こんなことをしているがそれを紹介する場、披露する場が欲しい」という方を支えていく、応援していく場でもあります。(木村妙子報/教団教師)

 我々の捕囚の第十二年十月五日に、エルサレムから逃れた者がわたしのもとに来て言った。「都は陥落した」と。その逃れた者が来る前の晩、主の手がわたしの上に置かれ、翌朝、彼がわたしのもとに来る前に、主はわたしの口を開かれた。口が開かれて、わたしはもはや黙していなかった。主の言葉がわたしに臨んで言った。「人の子よ、イスラエルの土地のこれらの廃虚に住む者は言っている。『アブラハムはただひとりのとき、この土地を所有していた。我々の数は多い。我々にこの土地は所有として与えられている』と。それゆえ、彼らに言いなさい。主なる神はこう言われる。お前たちは血のついたまま肉を食べ、偶像に向かって目を上げ、人の血を流している。それでも、お前たちはこの土地を所有できるのか。お前たちは剣を頼みとし、忌まわしいことを行い、おのおの隣人の妻を犯している。それでも、お前たちはこの土地を所有できるのか。
 それゆえ、彼らにこう言いなさい。主なる神はこう言われる。わたしは生きている。廃虚にいる者たちは必ず剣に倒れる。野にいる者はすべて、獣に餌食として与え、砦と洞穴にいる者たちは疫病によって死ぬ。わたしはこの土地を荒れ地とし、荒廃した土地とする。この土地が誇った力はうせ、イスラエルの山々は荒れ果て、そこを通る者はなくなる。彼らが行ったすべての忌まわしいことのゆえに、わたしがこの土地を荒れ地とし、荒廃した地にするとき、彼らはわたしが主であることを知るようになる。
 人の子よ、あなたの同胞は城壁の傍らや家の戸口に立ってあなたのことを語り、互いに語り合っている。『さあ、行って、どんな言葉が主から出るのか、聞こうではないか』と。そして、彼らはあなたのもとに来る。民は来て、あなたの前に座り、あなたの言葉を聞きはするが、それを行いはしない。彼らは口では好意を示すが、心は利益に向かっている。見よ、あなたは彼らにとって、楽器にあわせて美しい声でうたうみだらな歌の歌い手のようだ。彼らはあなたの語ることを聞くが、それを行いはしない。しかし、そのことが起こるとき――見よ、それは近づいている――彼らは自分たちの中に預言者がいたことを知るようになる。」

幼稚園の土地拡張、増改築、新築のため、幼稚園融資金2021年度分を次の要領で募集します。

◎金額 50万円〜300万円

◎返済期限 5年以内

◎利子 期限内 年1%

期限後 年2%

2021年度は総額600万円を2〜3の教会幼稚園に貸し出します。希望幼稚園は、教区事務所を通して教団教育委員会まで申し込んでください。

締切は、8月31日(締め切りました)。

融資規定、申請書は、教育委員会まで。

コロナ禍における教団総会の開催について(櫻井圀郎見解要約)

教団総会の開催について、教団から櫻井圀郎氏(宗教法および宗教経営研究所所長教授)に意見を求め、文書による回答を得た。

⑴書面決裁(書面決議)について

書面決裁とは、「書面における議決権の行使または書面による提案とそれに対する同意によって決議に替える『決議の省略』である」が原則となる。教団総会は、これまで議員が物理的に一堂に会することを前提としてきており、書面決裁の前例はない。

株式会社その他一般の法人の場合、会社法(310条1項)や一般法人法(50条1項)において、「委任状(代理権を証明する書面)の提出または電磁的方法(電子委任状)による提出」によって会議が成立し、議決することが可能となっている。法律上は「決議の省略」という。

教団総会に右記の定めを類推適用するのは、教規に定めていない限り不可である。しかし、“非常事態”におけるやむを得ない方法としては可能性があると考える。

書面決裁では、教規に規定された事項を議事とすることを何ら妨げないが、動議や修正は出来ないので、資料は出来る限り整えて準備する必要がある。選挙は郵便投票による外はない。前例(議長選挙から行う)にとらわれず、一度に投票することを推奨する。すべての選挙に当選した者は、開票結果後、一つのみ残して辞任すればよい。

⑵オンライン会議について

法務省民事局の株式会社取締役会に対する通達(1996年)「相手の音声と画像が即時に参加者に伝わり、適時的確な意見表明が出来る仕組みであれば『テレビ会議システム』は有効」が合法性の根拠とされている。対面式に近い環境を整えることが条件となる。

したがって、総会議員400名による教団総会の場合、オンライン会議の導入は実質的には不可能であろう。オンライン会議開催の問題点としては、①機器設備や通信環境(ネット環境)の問題、②会議進行させる通信室の空間の問題、③オンライン操作や通信技術の問題、④システムの習熟度の差や好みの問題、などを指摘しておく。

結論としては、対面式との併用を考慮しても、議員全員の反対を招くことがないように最善の対応を講じることが必要で、合意がない限り、オンライン会議は困難と考える。(道家紀一報)

2021年6月25日
 人の子よ、イスラエルの家に言いなさい。お前たちはこう言っている。『我々の背きと過ちは我々の上にあり、我々はやせ衰える。どうして生きることができようか』と。彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主なる神は言われる。わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。
 人の子よ、あなたの同胞に言いなさい。正しい人の正しさも、彼が背くときには、自分を救うことができない。また、悪人の悪も、彼がその悪から立ち帰るときには、自分をつまずかせることはない。正しい人でも、過ちを犯すときには、その正しさによって生きることはできない。正しい人に向かって、わたしが、『お前は必ず生きる』と言ったとしても、もし彼が自分自身の正しさに頼って不正を行うなら、彼のすべての正しさは思い起こされることがなく、彼の行う不正のゆえに彼は死ぬ。また、悪人に向かって、わたしが、『お前は必ず死ぬ』と言ったとしても、もし彼がその過ちから立ち帰って正義と恵みの業を行うなら、すなわち、その悪人が質物を返し、奪ったものを償い、命の掟に従って歩き、不正を行わないなら、彼は必ず生きる。死ぬことはない。彼の犯したすべての過ちは思い起こされず、正義と恵みの業を行った者は必ず生きる。それなのに、あなたの同胞は言っている。『主の道は正しくない』と。しかし正しくないのは彼らの道である。正しい人でも、正しさから離れて不正を行うなら、その不正のゆえに彼は死ぬ。また、悪人でも、悪から離れて正義と恵みの業を行うなら、それゆえに彼は生きる。それなのに、お前たちは言っている。『主の道は正しくない』と。イスラエルの家よ、わたしは人をそれぞれの道に従って裁く。」
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