ある月曜の午後
西中国教区議長 小畑 太作
ある月曜の午後、宇部市内のある病院に電話をした。
前日、主日礼拝に来た90歳を超えるある女性から、春から入院している二人暮らしだった夫に面会して欲しいとの依頼があった。感染予防で面会謝絶の中、こうした在り方についてもずっと気になっていたこともあり、病院に面会を申し入れてみることと、同行する日程を約束した。
病院の対応は、案の定、頑なにわたしの面会を拒絶した。曰く面会可能なのは「支援者」と「家族」のみなのだと。しかし聞けば、「支援」の枠組みも「家族」の中身も曖昧でしかない。心や魂への配慮も考慮すべきではと、果ては信教の自由の補償義務や牧会権の話までして、再考を求めたが、折り返しの電話でも結果は変わらずであった。
次の手立てを講じる前に、ここまでの経過を依頼者に電話で報告した。依頼者は、わたしの面会は諦めると言う。わたしは、この度だけの問題ではないことや、手立ては他にもあることを告げたが、逆に依頼者からはここで留めて欲しいと懇願された。
もとより、二人共が教会員とは言え、わたしに当人に選択を押し付ける道理はない。女性一人だとバスで行くことになる病院までの送迎だけを引き受けて電話を終えた。
とは言え、実はこれで留めることに対して、わたしの中にはかなり葛藤があった。三日前、山口県護国神社に、同神社が自衛隊と結託して勝手に合祀している中谷孝文さんの合祀取下げの要請に行ったことや、度重ねての停止要請を無視して同神社に知事等が公務参拝していることなどが思い起こされたからだ。神社も知事も無関心な世論を盾にのらりくらりを続けている。
ただ女性が電話口で、自分は意気地が無いのですと言われたことが慰めであった。
ウィズコロナの宣教
大友 宣 《老蘇会・静明館診療医/日本聖公会・札幌聖ミカエル教会員》
その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。(ヨハネによる福音書20章19節)
今こそ、わたしたちは教会から平和を携えてでかけていく時期です。新型コロナウイルス感染症の影響が社会の至るところに出ています。病院や施設では家族と会うことは出来ません。社会では仕事がなく、補償もなく戸惑っている人たちがいます。家庭内暴力、孤独、貧困の問題が大きくなります。分断と格差の拡大があります。イエスはこのような時代にこそ生きています。それなのに、教会は今、機能を十分発揮することができていません。
弟子たちはユダヤ人が怖くて部屋に鍵をかけてじっと家に閉じこもっていました。現在のわたしたちも似ています。そこにイエスが現れ、弟子たちに平和のメッセージを送ります。恐怖の限界の中にある弟子たちにとって、平和なのは部屋に閉じこもったままでいることでした。その時に主の平和がもたらされたのはなぜか。それは、復活のイエスに出会ったからです。イエスが一方的に私たちに与える平和以外には本物の平和はありません。
イエスは続けます。「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」。弟子たちは扉を開け、外に行き、宣教の業を始めます。それはユダヤ人が居なくなったからでも、迫害の恐れがなくなったからでもありません。新型コロナウイルス感染症はなくなってしまうこともなく、怖さをひしひしと感じます。どのようにわたしたちは遣わされるのでしょうか。
第一に、わたしたちは何らかの対策を考えた上で教会生活をできるように工夫することができます。「教会における新型コロナウイルス感染症対策ガイド」を作りました。教会でクラスターが起きないようにしながら教会生活をすることは大事なことです。
次に、新しい教会の日常を創り出すことが必要です。今までの教会の仕組みでは高齢者がなかなか出席しにくい。施設や病院への病者訪問はしにくい。教会の主催で集会や交わりの場を持つことが難しい状況です。
そして、イエスが命じたように主の平和と共にわたしたちは遣わされます。平和を携えてでかけます。教会を含めた社会では、新型コロナウイルス感染症の流行の中で限界を感じている人々が今たくさん居ます。教会自体もそのような限界にありますし、社会の至るところに裂け目が出来ています。主が与えてくださった平和をもって生きることが、イエスの弟子としての私たちの使命なのではないかと思います。
【日本キリスト者医科連盟全国委員、「教会における新型コロナウイルス感染症対策ガイド」を編集】
変わらない恵みが伝わることを願って
藤井 明子 《さくらキッズくりにっく院長/聖ヶ丘教会員》
私は小児科医として都内クリニックで働いています。おもに小児神経・発達外来を行い、年間に2500名を超えるお子さんを診させていただいています。
原稿を書いている今は2020年11月中旬です。日々コロナの感染者数は変化し、その度に対応・対策が変化しています。
振りかえると、2月下旬に突然、休校措置が決まり、わが家の子どもたちも長い自宅での生活を余儀なくされました。毎日曜日の教会堂での礼拝参加も出来なくなりました。
私の勤めるクリニックでは、急な環境変化についていくのが難しい子どもたちの相談が増えています。中学校に入学したものの学校に登校できず、長い自宅での生活になり、オンライン授業を始めとする生活に慣れ、オンライン以外での社会的な繋がりが持てなくなった子どもたち、学校に行けなくなったり、不安が強くなったり、眠れなくなるとか、外に出るのが怖くなったなど様々な相談があります。
小児科病棟では、親御さんの付き添いができなくなり、面会時間も従来よりも短時間に制限されています。
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私たちを取り巻いている悩みや問題は大きく、時には子どもたちや親御さんと一緒に悩むこともあります。一人の小児科医として、また、子どもたちよりも少しだけ人生の先輩として何を伝えることが出来るのだろうかと、いつも問い続けています。
今回のような想定外の事態に置かれたとき、私たちには、生きるための土台、存在全体を照らす光が大切であるということを強く想わされます。それは、「いのち」と「存在」の肯定です。
クリニックでは、教会に誘ったり、神様のお話をすることはありません。しかし「神様がわたしたちと共におられる」ということに、私自身が支えられ、信仰に踏みとどまって毎日を歩ませていただいています。そして、すべての命が神様の愛と御手の中にあるということを心に刻みながら、親御さんや子どもたちと接しています。
私たちを取り巻く闇は深く、先行きが不透明に思えることもありますが、おぼろげであっても光を感じ、少しずつでも光に向かって進めるようにと願い、お話ししています。
親御さんや子どもたちが「先生とお話しすると気持ちが落ち着きます」とか、「先生となら話せるし、ホッとする」と言ってくださることもあり、神様の御業を日々感じながら過ごしています。
コロナ禍にあっても、アフターコロナになっても、「神様がわたしたちと共におられる」という恵みは変わりません。何があっても大丈夫、神様が一緒だから、というメッセージが、私の小さな働きと存在を通して伝わることを願っています。そして子どもたちのため、親御さんのために祈る者でありたいと思います。
明日へのヒント
石丸 昌彦 《精神科医・放送大学教授/柿ノ木坂教会員》
「コロナ鬱」について尋ねられることが多くなっている。国中が酸素欠乏に陥ったような昨今の状況下で、メンタルヘルスの不調がさぞ増えているのではあるまいかと、もっともな懸念である。
ただ、不調のありようは一様ではない。コロナ肺炎の感染者やその家族、医療や福祉の従事者など直接の被害者・関係者の辛苦は察するに余りある。飲食店の経営者や従業員のように、コロナ禍とコロナ対策の煽りを受けて経済的に窮迫する人々の苦悩も深刻であろう。
一方、より間接的で目に見えにくい悪影響の蔓延も見逃せない。卑近な例では、互いにほどほどの距離を保って安定していた夫婦や家族が、外出自粛で四六時中顔をあわせるようになった途端、些細な口論や諍いが絶えなくなったといったことである。感染者や経済的困窮者の苦労に比べれば「その程度のこと」でしかないが、「その程度のこと」が長期にわたるにつれ、ボディブローのように心の体力を奪っていく。
「コロナ鬱」という言葉から筆者が連想するのは、主としてこのようなものである。そして多くの教会が直面しているのもこれに似て、じわじわと体力を奪っていく慢性的な機能不全ではないだろうか。
この種の問題に対応するのは容易ではないが、一つ考えてみたいのは、その多くが実は「今に始まったことではない」ということである。
社会を見渡せば、職場の過剰労働とハラスメント体質、社会格差と家庭の貧困、地域ネットワークの不在と生活者の孤立など、いずれも前々から指摘されてきたことが、コロナ禍をきっかけに抑えがたく顕在化している。潜在的な弱点がストレス負荷によって顕在化するのは、普遍的な構図である。真の原因は、たまたま襲ってきたCOVID−19ではなく、もともと存在した構造的な矛盾のほうではあるまいか。
それならここは一番、これまで先送りにしてきた問題にあらためて正面から取り組んでみたらどうだろう。諸々の活動を停止・縮小した分、時間だけは十分にある。それぞれの教会でテーマを選び、この機にどう変わりたいか、皆でじっくり考えてみるのである。
皮肉なことに精神医療の現場では、コロナ禍をきっかけに長年の苦労から解放された人々も少数ながら存在する。パニック障害に伴う乗り物恐怖を抱えていた人々はその一例で、通勤電車の殺人的な混雑がテレワーク推進で緩和されたおかげで、生活が劇的に楽になった。長年飲み続けてきた向精神薬が不要になった例すらある。
どんな災難にも、必ず明日へのヒントが隠れている。コロナ禍自体は決して歓迎できないが、これを神が与え給うた自問と成長の機会とすることは十分できるはずだ。それは世々の教会が現にたどってきた道でもある。【キリスト教メンタル・ケア・センター副理事長】
大いなる計画の中で
森藤文郎さん
初めて教会の礼拝に出席したのは13年前。無理が重なり休職していた頃。自分で自分をどうにもできない日々。以前から、次女が通っていた教会付属の幼稚園を通し教会の話を妻から聞いていたのを思い出して通うように。礼拝を守りながらカウンセリング感覚で牧師との面談を重ねた。ある時「洗礼を考えてほしい」と言われ「断る理由がない」と決心。約1年半の受洗準備を経て2008年のクリスマス、妻と共に茨木教会で田邊由紀夫牧師より受洗した。
受洗準備会で牧師が話していた「大いなる計画」、「すべてが備えられている」との言葉に驚いた。思い返せば生まれ育った町も、結婚して最初に住んだ町も、転勤先もキリシタンゆかりの土地だった。偶然とは思えなかった。それに次女を茨木教会の幼稚園に通わせたのも、前の勤務地で「近い」という理由で長女を教会幼稚園に通わせ、キリスト教保育に好感を持っていたから。神様の大きな計画の中ですべて備えられていたのだと思わずにいられない。
この春から東京に単身赴任となり大阪と東京を行き来する生活に。茨木教会の礼拝に毎週は出席できなくなり、9年間仕えてきた長老職も現任より退いた。「自分の世代がもっと教会を支えるべきなのに申し訳ない」と話す一方、これも神様の大いなる計画とも受け止める。東京ではいくつかの教会で礼拝を守っているが「他の教会を見て学ぶ機会が神様から与えられた」と。
会社でマーケティングの仕事をしている森藤さん。その立場から教会の伝道を見た時いかに福音を聞く耳を呼び起こすかが大切、そのために教会幼稚園は大きな役割を果たすと考える。付属幼稚園から教会につながり、かつ現役世代だからこその視点だ。伝道の幻を抱きつつ、再び教会に仕えるその時に備えている。
毎月第3主日「日本伝道の推進を祈る日」のために、祈祷課題が『信徒の友』に19年12月号から掲載され、14教区と東京教区5支区の協力を得て20年8月号で1巡目を終えました。
21年3月号より2巡目が始まります。2巡目は『信徒の友』編集室の全面的な協力によりレイアウトを新しくし、モノクロ2頁となります。
「⑴祈祷運動−共に祈ろう、⑵信徒運動−共に伝えよう、⑶献金運動−共に献げよう」のスローガンを掲げて運動を展開しています。1巡目は、共に祈ることから始めました。第3主日の礼拝でこの運動を覚えて祈った教会がありました。信徒の声が『信徒の友』編集室には寄せられました。また全国伝道推進献金には、260万円が献げられました。ご協力に感謝いたします。しかし、まだまだこの運動は、全国の教会・伝道所に広まっていません。
2巡目は、⑴教区の伝道の働きについて、⑵教会・伝道所の働きについて、⑶第3主日に祈りに覚えてほしい課題、⑷2教会(伝道所)のために、以上から各教区が選び、編集室から寄稿を依頼します。また記事が教団のホームページに掲載できるよう準備しています。
「全国伝道推進献金」について1巡目は、⑴教会・伝道所指定、⑵教区指定、⑶教団伝道推進のために、⑷信徒運動のために、と4つの項目に分けて協力をお願いしました。4つに分けられていることが分かりにくいとの指摘がありました。2巡目からは一本化します。各教会・伝道所、教区への指定献金も可能です。改めて献金の運用指針については検討します。
コロナ禍拡大の中で、教団の祈りのネットワークに繋がり、支え合いましょう。(岸 俊彦報)
逝去
上田啓悟(無任所教師)
20年8月9日逝去、66歳。兵庫県生まれ。91年准允、95年受按。91年より御影、甲東、尼崎、兵庫松本通教会を牧会。遺族は娘・坂根歩さん。
長谷川淳子(隠退教師)
20年10月22日逝去、89歳。愛媛県生まれ。57年農村伝道神学校卒業。同年より前原、渋川、東根、熊取教会を牧会し、09年隠退。遺族は娘・長谷川恵子さん。
延原時行(無任所教師)
20年10月23日逝去、83歳。岡山県生まれ。62年同志社大学大学院卒業。同年より伊丹、加茂兄弟団教会を牧会し、敬和学園大学に務めた。遺族は義妹・佐々木順子さん。
須加㟢泰宏(無任所教師)
20年11月2日逝去、91歳。長崎県生まれ。58年東京神学大学大学院卒業。同年より御殿場、沼津教会を牧会。遺族は娘・竹田恵さん。
中村次郎(無任所教師)
20年11月9日逝去、90歳。福岡県生まれ。59年同志社大学大学院卒業。同年より長崎住吉教会を牧会し活水学院に務め、福岡警固教会を71年まで牧会。遺族は妻・中村順子さん。
正教師登録
合田やす子(2020・11・13受按)
佐藤 繁、新藤 豪(2020・11・23受按)
宮本裕子(2020・11・24受按)
齋藤 正(2020・11・26受按)
金子 智、平向倫明、山野 心、大久保一秋、渡邊典子、森永憲治(2020・11・28受按)
教師異動
聖ヶ丘 辞(担)長手陽介
石岡 辞(主)荻野英夫
〃 就(代)福島純雄
春日部辞(主)白石多美出
〃 就(代)石橋秀雄
〃 就(担)白石多美出
〃 辞(担)白石多美出
左内坂 就(担)宮島星子
諫早 辞(主)長谷川渉
〃 就(代)竹内款一
津屋崎 辞(代)大島一利
〃 就(主)長谷川渉
小野田 就(代)小畑太作
与勝 辞(代)芳澤 信
〃 就(主)林 利行
宮古島辞(主)尾毛佳靖子
〃 辞(担)坂口聖子
〃 就(主)坂口聖子
立川 辞(担)細川芙美江
調布柴崎就(代)願念 望
越谷 辞(担)鈴木惠子
平良川辞(代)玉那覇正信
〃 就(代)林 利行
教師隠退
高橋初生、白石多美出、
山形孝夫、尾毛佳靖子、
鈴木惠子
教師休職
福山隆一
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