『アレテイア』休刊のお知らせ
『説教黙想 アレテイア』は111号をもって一時休刊とさせていただきます。
特別増刊号は刊行を続ける予定です。引き続きよろしくお願い申し上げます。
2020年12月 日本キリスト教団出版局
平和を歌うクリスマス
ルカによる福音書2章8〜20節
竹澤知代志(玉川平安教会牧師)
新しい王の誕生
世界で最初のクリスマスに招かれ、礼拝を捧げた人々には、幾つかの共通点があります。深夜に寒い場所で、孤独な思いをしていたこと、貧しいこと、それでも誇り高いことなどが挙げられます。羊飼いたちこそ、これに当て嵌まります。
ユダヤ人のご先祖は、羊や山羊などの小さい家畜を飼うことを生業としていました。日本人にとっての農業と同様に、一種の聖職です。本来は、誇り高い仕事です。しかし、これも日本と同様に、経済的には報われず、なかなかなり手のない、人気薄の職業になっていました。この地方の、夜には急激に冷え込む気候の下で、時に寝ずの番をして獣や盗賊から家畜を守らなければなりません。
羊飼いが、救世主の誕生をいち早く知らされたのには、もう一つ、決定的な理由があったと考えます。
キリストの誕生とは、つまり、新しい王の誕生です。しかも、この王はエルサレムの都に誕生したのではなく、王族貴族の血筋でもありません。大金持ちでも、祭司でもありません。
そんな新しい王が誕生し、即位したら、何よりも必要になるのは、政権を支える強力な軍隊です。その点、羊飼いたちは、有力な兵士候補です。彼らは、獣や盗賊と戦う必要から、杖や鞭を使いこなすことが出来ます。彼らなら、直ぐに弓や槍を自分のものに出来るでしょう。既に使っていたかも知れません。
多分、馬やロバのような動物を乗り物として扱うことが出来ました。何より、日頃から、集団行動に長けています。これらは、兵隊にとって重要な資質です。羊飼いは兵士として即戦力です。
ここに登場する羊飼いたちは、おそらくは雇われ人でしょう。羊も山羊も彼らの財産ではありません。夜通し働いても、大した収入にはなりません。その貧しさから這い出すチャンスもありません。こうした人々にとって、戦争こそ、金儲け、立身出世の機会です。新しい王の誕生は、世に報われない者にとって、千載一遇のチャンスです。
王が誕生した地、ベツレヘム向かう彼らを援護するように、天の大軍が現れました。
いろいろな戦記に描かれるように、都に近づくに連れ新たに人が加わって来るようなら、間違いなく勝ち戦です。まして、天の軍勢が味方するならば、勝利は間違いありません。錦の御旗を掲げたも同然です。
不遇だった羊飼いたちは、天の軍勢と共に、都に駆け上り、古い王を退け、新しい王を立て、仰ぎ、仕えることでしょう。先駆けとなった羊飼いは、一番槍の手柄で、褒美を受けることでしょう。
乳飲み子を見た羊飼い
しかし、何と、天の軍勢は弓矢を取るのではなく、神を讃美する歌を歌いました。その歌は勇ましい軍歌ではなく、平和を歌うものでした。
彼らが都に攻め上ることはありません。羊飼いたちの希望は、たちまちに潰えました。
しかし、彼らはそれでも何故か、天使に告げられた御子に会うために、急ぎ出掛け、「飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当て」ました。「乳飲み子」です。
「乳飲み子」です。新しい王たり得るでしょうか。まして、軍勢を率いて戦が出来る筈はありません。
もし、彼らが貧しさ、虐げられている境遇からの脱出を夢見たとしたら、彼らの望みは全く絶たれました。最早一縷の望みもありません。
しかし、「羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った」と記されています。
乳飲み子を見ただけなのに、彼らは慰められました。彼らは満足しました。乳飲み子を見ただけなのに、彼らの希望は満たされたのです。
彼らが戻って行ったのは、元の荒野です。寂しい、寒い、貧しさだけが待っている場所です。しかし、彼らは慰められました。彼らは満足しました。彼らの希望は満たされたのです。
新しい王を見たからです。その前に跪き礼拝することが出来たからです。
羊飼いは、天使のお告げを受ける前と、その境遇は何一つ変わっていません。しかし、彼らは、決定的に変えられました。
最早、貧しく憐れな羊飼いではありません。救い主に出会った羊飼いなのです。
羊飼いの出来事の後には、不思議な預言者シメオンが登場します。
幼子を胸に抱いた彼は言います。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです」。
「主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた」彼が、幼子に会ったことで、死ぬことになりました。
彼の境遇の変化はそれだけです。ローマの軍隊が追い出され、エルサレムの都が解放されるわけでも、都に暮らす人々の生活が豊かになるのでもありません。
しかし、彼は全く変えられました。「この目であなたの救いを見たからです」。
闇の彼方の光を見詰めて
「現代を言い表す言葉は、不安と焦燥だ」と言ったのは誰だったでしょうか、その現代とは、いつだったのでしょうか。誰にでも、いつにでも当て嵌まるように思います。
現代もまた、不安が支配する時代です。焦燥が私たちを駆り立てます。
私たちは、何かしらの安心材料を求めます。エレミヤ書に現れる偽預言者のように、安心を説く学説に魅了され、これにしがみつきたくなります。その直後に、今度は、一層不安を煽り立てるニュースに、心騒がせ、真実に目を背けてはならないと考え直します。
このような時代にも、クリスマスはやって来ました。東から来た博士のように、何度も見失いそうになった星が、また輝きました。
3・11の年のクリスマス、祭壇の燭火は、特別の意味を持ちました。蝋燭は、世界の闇と、心の暗闇とを、際立たせました。闇をどこまでも見詰め、一筋の光を願い求めました。今年のクリスマスも、闇を凝視し、闇の壁を貫いて、壁の彼方の光を見詰めましょう。
コロナ禍の中で迎える今年のクリスマス。キャンドル・サーヴィスもページェントも、愛餐会も取りやめ。この時こそ、肉をとられた神の御子を喜び迎えるクリスマスの意義を考える時となるでしょう。
1年前にローマ教皇フランシスコが日本を訪れた時、各地で大きな集会が開かれました。“We protect all life,with power of love”(「わたしたちはすべての命を守ります。愛の力を持って」)の大合唱と共に教皇が幼子を祝福しながら入場した光景を思い出します。あの時は、長崎や広島から核の使用の非道徳性を指摘して、すべての命を守る責任があることを世界に訴えていましたが、期せずして「すべての命を守る」責任はコロナウイルスの危機に怯える世界にあって新たな課題をわたしたちキリスト者に突きつけることになりました。
最近、世界教会協議会と教皇庁諸宗教対話評議会との連名で「諸宗教の連帯による傷ついた世界への奉仕−コロナ危機とその後における省察と行動を求めるキリスト教の呼びかけ」が出されました。キリスト教諸派だけでなく諸宗教が連帯して、「弱い立場におかれた人を支え、苦しむ人を慰め、痛みと苦しみを和らげ、全ての人の尊厳を確保するよう努めましょう」と勧めるものです。この時に当たって、「わたしの隣人は誰か?」の問いに立たせられます。
(教団総幹事 秋山 徹)
神に栄光、地に平和
(福)牧ノ原やまばと学園理事長 長沢 道子
私どもの活動は、重度知的障碍児のための入所施設「やまばと学園」を、1970年4月に開設したことから始まります。
榛原教会(長沢巌牧師)関係者が中心になって開設しましたが、国の認可を受けるには、教会ではなく社会福祉法人でなければならないので、法的には、「(福)聖隷保養園(現在の聖隷福祉事業団)」の一つの施設として開始。実質的な責任は「やまばと学園運営委員会」が担いました。9年後に「(福)牧ノ原やまばと学園」として独立。本年は、創業50周年に当たります。
最初の施設建設の定礎式(着工に当って聖書を礎として地中に埋める式)において、長沢巌は、神を賛美し、その導きに感謝し、工事従事者の安全と、み旨に適う建物の完成を祈ると同時に、こうも祈っています。
「やまばと学園が建つことによりまして、子どもの親たちばかりでなく、この地域全体が、また協力して下さる方たち全てが深い恵みを受けることができますように」と。
この祈りは、今なお続いている私たちの祈りでもありますが、50年を振り返ると、神様からの応答がそこかしこに見えます。
50年前、「悪いことをすると、やまばと学園へ入れるぞ」と脅かされて育った地域の子どもたちも、今では、当法人の職員や施設長になり、共生社会形成のため喜んで働いています。
近隣の婦人は、職員が身振り手振りで重度障碍児に挨拶を教える様子に感動し、そのエピソードを幾度も息子に言い聞かせたそうです。十数年後、民生委員になった息子さんは「やまばと」支援者の一人にもなり、そのつながりの中で、地域の人々が大勢、餅つき等の奉仕に来てくれるようになりました。
1983年、最前線で働いていた長沢巌が、髄膜種摘出手術の結果、全く予期しなかった最重度の心身障碍者に。この想定外の深刻な事態に、「やまばとはつぶれる」と案じた人もいましたが、不思議なことに、事業の規模からだけ言うと、創立期よりも幾倍も大きくなっています。
入所施設で始まった当法人の働きですが、今では通所施設や、訪問介護、相談支援等、地域で暮らす障碍者や高齢者を支える活動が増え、事業所の数は、30、職員数は470名です。
しかし福祉は、規模の大きさではなく、その中身が重要なので、その意味では今も道半ば、未熟な点が多々残っています。
「わたしたちはここで事業をしているのではなく、最も弱い人たちを中心とした共同体を形成しようとしている」という創設者のビジョンは神から与えられた志だと私たちは受けとめています。今後もやまばとの道しるべであり続けるでしょう。
農村伝道のため尽くされた前任者のM・マクラクラン宣教師に感謝しながら、わたしたちも、この地に、福音に生かされ、神と隣人に主体的に仕える人々が起こされるよう祈っています。
最後に、全国の教会関係者の皆様に、長年にわたるご支援を心から感謝し、主の恵みがありますようお祈り申し上げます。
「兵庫県南部大地震記念の日」追悼礼拝
◎日時 2021年1月17日(日)午後6時
◎オンライン映像配信による開催
アクセス先 https://hyogokyouku.web.fc2.com/
◎「今の不安の中で阪神淡路大震災からの26年を想う」 市川哲牧師(芦屋岩園教会)
◎主催・問合せ 日本基督教団兵庫教区
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18-31
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