「外国人ヘイト」による人権侵害に抗議する声明
新型コロナウイルスの感染リスクに社会が脅かされる中で、外国人に対するヘイトスピーチなどの人権侵害がもたらされています。
先日、外国人とかかわりのある特定の事業所に対し、「日本キリスト教団」の名を不当に用いて「早く日本から出ていけ!」などと記した文書が送られたことが判明しました。理不尽な憎悪をあらわにした文書によってどれほど深い痛みと傷がもたらされたかを思うと心が痛みます。被害に遭われた方々に慰めと癒しを切に祈ります。
このような醜悪な文書に「日本キリスト教団」の名が利用されたことに深い憤りを覚えます。今後、必要な対応措置を行っていくと共に、もし他にも日本基督教団にかかわる類似の事例があればお知らせいただけますよう呼びかけるものです。
日本基督教団は、すべての人の命を贖うキリストへの信仰に基づき、「すべての人と平和に暮らしなさい」(ローマの信徒への手紙12章18節)との御言葉に従って、差別のない社会が実現することを願い祈り、そのための愛による働きにあずかることを志しています。緊張と不安に満ちた今日の状況の中でこそ、社会の中で弱い立場に置かれた人々が守られ、支えられなければなりません。社会の動揺に乗じたいっさいの差別に反対し、この社会に生きるすべての人々の人権が守られるべきことを改めて表明します。
2020年5月29日
日本基督教団
総会議長 石橋秀雄
総幹事 秋山 徹
新型コロナウイルス感染拡大に伴う『緊急事態宣言』の解除にあたって(第四信)
2020年5月29日
日本基督教団 総会議長 石橋秀雄
総幹事 秋山 徹
ペンテコステ(聖霊降臨)の喜びのときを迎えようとしているこのとき、「緊急事態宣言」の解除が出されました。未だ油断することは出来ませんが、新型コロナウイルスによる感染拡大が一時的に収まりつつあることに感謝をささげます。
この2ヶ月近くの間、諸教会・伝道所、関係団体・学校の教師と信徒および教職員の方々におかれては、本当に厳しい日々を送られたことと思います。
わたしたちプロテスタント教会の命である『礼拝』を守るために、この期間、祈りと力と知恵を尽くし続けました。ある教会は「苦渋の決断の中で、礼拝を休止しました。」ある人は「神の愛の業として、感染者にならないために、礼拝へ出席することを控えました。」
一つひとつの教会・伝道所が、学校・団体が、そして、そこに生きる一人ひとりが、神への信仰の決断の下、様々な選択をされたことと思います。そのすべてにおいて、主の豊かなる顧みがありますようにと祈ります。
教団としては、4月10日付で『新型コロナウイルス感染拡大防止に関する声明』を公表し、『極力、教会に集わない方法で礼拝をささげることを講じてください』など4項目について強くお願いをいたしました。多くの教会・伝道所あるいは関係団体においで、お願いを受け止めてくださったことを感謝いたします。現段階で、感染拡大への警戒をなお解くことはできませんが、上記の「お願い」については所期の目的を一応達したものといたします。
今後、それぞれの教会・伝道所のご判断で、徐々に、あるいは段階的に、通常の活動の回復をはかっていかれることと思いますが、なお、以下の諸点についてご配慮ください。
1. 第一信にてお伝えしましたように、三密(密閉 密集 密接)を避ける方法で、礼拝やその他の集会を行ってください。また、換気と消毒にはくれぐれも留意をお願いいたします。
2. 主日礼拝や大きな集会は、時間差で、数回に分散して行うことも一つの方法です。
3. これまでのデータから分かりますように、高齢の方、基礎疾患のある方は、感染によって重症化する確率が高いことが分かっています。体調の変化などがみられた場合は、礼拝などに出席はされず、自宅で過ごされることをお勧めください。
4. 今回の感染拡大によって、教会の内外で、傷つき、痛みを負った大勢の方々がおられます。その方々へ愛の配慮をいたしましょう。
聖霊降臨は、愚かな一致を図ろうとした人間の罪によって散らされた“民”が、聖霊によって再びまことの一致に導かれた出来事です。イエス・キリストの霊によって、一人ひとりが豊かに結ばれています。主が与えられている恵みと賜物に感謝して、なお、一層、諸教会・伝道所と関係団体・学校とが、そして、一人ひとりが、なすべき務めに仕えて、連帯して行きましょう。
8:18 現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。
8:19 被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。
8:20 被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。
8:21 つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。
8:22 被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。
8:23 被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。
8:24 わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。
8:25 わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。
8:26 同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。
8:27 人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。
8:28 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。
8:29 神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。
8:30 神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。
8:1 従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。
8:2 キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。
8:3 肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。
8:4 それは、肉ではなく霊に従って歩むわたしたちの内に、律法の要求が満たされるためでした。
8:5 肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。
8:6 肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。
8:7 なぜなら、肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです。従いえないのです。
8:8 肉の支配下にある者は、神に喜ばれるはずがありません。
8:9 神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。
8:10 キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、“霊”は義によって命となっています。
8:11 もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。
8:12 それで、兄弟たち、わたしたちには一つの義務がありますが、それは、肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。
8:13 肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。
8:14 神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。
8:15 あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。
8:16 この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。
8:17 もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。
7:13 それでは、善いものがわたしにとって死をもたらすものとなったのだろうか。決してそうではない。実は、罪がその正体を現すために、善いものを通してわたしに死をもたらしたのです。このようにして、罪は限りなく邪悪なものであることが、掟を通して示されたのでした。
7:14 わたしたちは、律法が霊的なものであると知っています。しかし、わたしは肉の人であり、罪に売り渡されています。
7:15 わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。
7:16 もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。
7:17 そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。
7:18 わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。
7:19 わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。
7:20 もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。
7:21 それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。
7:22 「内なる人」としては神の律法を喜んでいますが、
7:23 わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。
7:24 わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。
7:25 わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。
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