2:1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、
2:2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。
2:3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。
2:4 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
2:5 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、
2:6 この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。
2:7 人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。
2:8 どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。
2:9 わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、
2:10 フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、
2:11 ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」
0点、不合格
礼拝が終わって礼拝堂の扉の外に立って礼拝者に挨拶をしていると、わたしの説教や態度に点数をつける信徒がいる。「今日は50点、不合格」、まれに「70点、合格」と判定されることがある。彼女は元放送局のアナウンサー。「言葉がハッキリしない」、「早口」、「口が大きく開いていない」と厳しい目が向けられる。合格点をもらえるように発声練習をしてきた。コロナウイルスの影響で、自宅礼拝となった。第一礼拝をビデオで撮影し、ただちにホームページにアップ。自宅礼拝者はビデオを見ながら主礼拝の時間に一緒に礼拝をささげている。すぐ反応がある。「ビデオで石橋牧師の顔を見て涙が出た。しかし、相変わらず落ち着きがないねー」。最初の礼拝のビデオを見た。確かに落ち着きがない。5分と自分の姿を見る勇気がでなかった。次の礼拝、指をなめて讃美歌をめくった。すかさず、「指をなめて讃美歌をめくった」、この声は多かった。理由がある。3月、幼稚園の除菌をやりすぎて、指紋がとけてしまった。指をなめなければ讃美歌をめくれなかった。説教の途中で牧師が突然消えた。ビデオ撮影担当役員、「石橋牧師の行動は理解不能でついていけない」。礼拝中に隣のホールから大きな笑い声が聞こえたのでドアを閉めに行った。この歳でいまだに信徒に鍛えられている。
まだまだ成長するぞー。(教団総会議長 石橋秀雄)
行く先々に主がおられた
岡田 光廣さん、岡田美保子さん
「若い時に兄を亡くし、虚無感に捕らわれている時に、ラジオから福音が流れてきて、教会に通い、受洗しました」と美保子さんはキリスト者となったきっかけを話す。光廣さんは美保子さんと知り合い、結婚する中で教会に通うようになり、後には受洗もした。しかし、国家公務員としての仕事は忙しく、「不真面目な教会員でした。洗礼も妻の信仰に従って、家庭平和のために受けたようなものでした」と光廣さんは語る。
そんな光廣さんを変えたのは次男が大学卒業後に心と体の調子を崩したことであった。ちょうど広島に転勤し、生活をしている時であった。「頑張っていた子なんです。なんでこんなことになるんだろうと思いました。見ていて苦しかったです。でも次第にわかったのは、この子にとって大事なことを神さまが病をとおして教えてくれているということでした。そして神さまは生きておられるのだということが、わかりました」と光廣さんは言う。それ以来、礼拝出席を真面目にするようになった。次男は回復し、現在は日本基督教団の教師として三宅島で伝道牧会をしている。
光廣さんの国家公務員としの生活は転勤の連続であった。四国の各地と広島で生活した。最初は単身赴任であったが、途中からは美保子さんも共に任地に赴いた。今は仕事を終えてご夫妻で故郷で暮らし、地域で最も近い伊予長浜教会で教会生活をしている。「苦しいことも、辛いこともたくさんありました。でも行った先々の近くには必ず教会があって、主が支えてくださいました。そして今も、最初に聞いた十字架と復活の福音が伊予長浜教会で語られています。安心して教会生活を送っています」と美保子さんは言う。今もご夫妻での礼拝出席を欠かすことはない。
逝去
麻生統一氏(隠退教師)
19年5月20日逝去、87歳。大阪府生まれ。97年関西学院大学卒業。01年より西伯法勝寺教会を牧会し14年隠退。遺族は妻・麻生妙子さん。
宇都宮佳果氏(隠退教師)
20年3月29日逝去、86歳。兵庫県生まれ。58年関西学院大学大学院卒業。同年より豊中、神戸東部教会を牧会し06年隠退。遺族は妻・宇都宮生子さん。
山田 稔氏(隠退教師)
20年4月2日逝去、91歳。石川県生まれ。60年日本聖書神学校卒業。同年より桜台、ひばりヶ丘教会を牧会し99年隠退。遺族は娘・山田道子さん。
濱邊達男氏(隠退教師)
20年4月15日逝去、87歳。神奈川県生まれ。57年青山学院大学大学院卒業。同年より荒尾、前原教会を牧会し、青山学院大学、弘前学院大学、東洋英和女学院大学に務め、茅ヶ崎堤教会を経て14年隠退。遺族は妻・濱邊敬子さん。
川原田玲子氏(無任所教師)
20年4月23日逝去、51歳。大阪府生まれ。93年関西学院大学大学院卒業。96年より三石、小牧、鈴蘭台教会を牧会し、夙川学院に務める。遺族は夫・大仁田拓朗さん。
寺田 利氏(隠退教師)
20年5月5日逝去、89歳。北海道生まれ。62年同志社大学大学院卒業。同年より大阪、河内松原、摂津三田、豊澤教会、ニューフレンド伝道所を牧会し02年隠退。遺族は妻・寺田紀代子さん
教師異動
岩沼 就(代)瀬谷 寛
本宮 辞(主)安井 潤
新潟愛泉辞(主)加藤久孝
所沢みくに
辞(主)最上光宏
三鷹 辞(代)禿 準一
農村伝道神学校
辞(神)高柳富夫
天満 辞(主)春名康範
南三鷹 辞(担)佐野 治
勿来 辞(主)武 公子
〃 就(主)佐野 治
西那須野
辞(兼担)大下正人
戸山 辞(担)佐野真也
代々木 辞(代)古旗 誠
〃 就(主)佐野真也
中渋谷 辞(主)本城仰太
〃 就(兼主)本城仰太
福岡中部辞(担)竹井真斉
東京神学大学
就(神)本城仰太
本多記念辞(担)森下 滋
千葉本町就(担)森下 滋
千葉台湾就(代)岸 憲秀
女子聖学院中高
辞(教)木戸健一
小金井 辞(主)小林 恵
〃 就(主)木戸健一
白鷺 辞(主)岩本聖史
〃 就(代)古屋治雄
信州中野辞(代)横井伸夫
〃 就(主)岩本聖史
羊之舎 辞(担)竹内 拓
蒲原 辞(代)高橋 爾
〃 就(主)竹内 拓
西宮 辞(担)石田 求
シカモア組合教会日語部 辞(外)吉岡恵生
〃 就(外)石田 求
高槻日吉台 辞(代)横野朝彦
〃 就(主)吉岡恵生
吹田 辞(主)田中郷史
〃 就(代)藤原寛人
小牧 辞(主)橋口 望
〃 就(主)田中郷史
マラナ・タ 辞(主)久下倫生
〃 就(主)橋口 望
千里聖愛 辞(担)川江亜希子
南大阪就(担)川江亜希子
蕃山町 辞(担)岩住啓太
都城城南辞(主)山口元気
〃 就(主)岩住啓太
山田 辞(主)渡部和使
〃 辞(担)渡部信子
〃 就(主)山口元気
富山新庄辞(主)坪内克浩
〃 就(主)渡部和使
〃 就(担)渡部信子
愛知守山辞(主)鎌田在弥
〃 就(代)山田詩郎
別府不老町 辞(主)齋藤真行
甲府 辞(代)宍戸俊介
〃 就(主)齋藤真行
菖蒲 辞(担)佐藤 繁
恵泉 辞(主)上原芳子
〃 就(主)佐藤 繁
田原吉胡 辞(代)平井克也
〃 就(代)高岡 清
碧南 辞(主)池田春善
〃 就(代)大住共平
白石 辞(主)井上末司
〃 就(主)池田春善
茨木 辞(担)森本玄洋
長野県町 辞(主)小出 望
〃 辞(担)森本裕子
〃 就(主)森本裕子
〃 就(担)森本玄洋
隈府 辞(代)川島直道
〃 就(代)大田七千夫
九州キリスト教社会福祉事業団いずみの園 辞(教)堤 健生
唐津 辞(主)中山契生
〃 就(主)堤 健生
相知 辞(兼主)中山契生
〃 就(兼主)堤 健生
富士吉田 辞(主)今村あづさ
〃 就(主)中山契生
西千葉 辞(担)佐藤 愛
〃 辞(担)金ヨセフ
新松戸幸谷 辞(代)村上恵理也
〃 就(主)金ヨセフ
〃 就(担)佐藤 愛
高田馬場台湾 辞(主)曹 鈴姫
〃 就(主)鍾 昌宏
赤羽 辞(担)武石晃正
宇都宮上町 就(担)武石晃正
昭島 辞(主)石川献之助
〃 辞(担)関口 康
〃 就(主)関口 康
〃 就(担)石川献之助
奥沢 辞(主)八木浩史
〃 就(代)田中かおる
調布 辞(主)田村 博
〃 辞(兼担)大村 豊
〃 就(主)八木浩史
西大井 辞(主)高 萬松
〃 就(主)鮎川健一
千葉南 辞(主)末留英夫
〃 就(主)高 萬松
鷹巣 辞(主)瀧山喜与実
〃 就(代)中西絵津子
秋田高陽 辞(主)赤田直樹
〃 就(代)雲然俊美
聖学院 辞(代)東野尚志
〃 辞(担)東野ひかり
〃 就(主)赤田直樹
滝野川 就(担)東野ひかり
板橋大山 辞(主)上垣 勝
〃 就(主)竹花和成
代々木上原 辞(代)廣石 望
〃 就(主)中村吉基
我孫子 辞(主)近藤国親
〃 就(主)金 南救
富士見町辞(担)新佐依子
〃 就(担)加藤英徳
丸亀 辞(主)岡田真希
〃 就(主)新佐依子
三宅島辞(代)国府田祐人
〃 就(主)岡田真希
伊豆長岡辞(主)福本英明
〃 就(主)細川 修
赤間 辞(主)渡邊宣博
〃 就(代)奥園 淳
弘前 辞(主)村岡博史
〃 就(主)渡邊宣博
大鰐 辞(代)村岡博史
〃 就(代)渡邊宣博
塚口 辞(主)柳本和良
〃 就(主)村岡博史
鈴蘭台 辞(代)東島勇人
〃 就(主)柳本和良
光 辞(主)橋本直行
姫路 辞(主)山口義人
〃 辞(担)東島美穂
〃 就(主)橋本直行
生野 辞(兼主)東島美穂
〃 辞(兼担)山口義人
〃 就(兼主)橋本直行
大阪城北辞(主)林 邦夫
〃 辞(担)林 陽子
〃 就(主)山口義人
〃 就(担)東島美穂
松山城南高校 辞(教)相澤弘典
頌栄保育学院 就(教)相澤弘典
明石愛老園 辞(代)鈴木 眞
〃 就(代)兼松千佳子
甲子園 辞(担)森美由紀
蒲田 辞(主)林 巌雄
まぶね辞(主)石井智恵美
〃 就(主)林 巌雄
三鷹 就(主)石井智恵美
六ッ川 辞(主)岩﨑 隆
〃 就(主)桐藤 薫
教師隠退
三上 章、武 公子、井上末司、安井 潤、加藤久孝、最上光宏、
上垣 勝、禿 準一、高柳富夫、横手征彦、上原芳子、鎌田在弥、
春名康範、横野朝彦、林 邦夫、林 陽子、久下倫生、岩橋常久
二度と経験しないことが
西東京教区議長 願念望
主の平安とお支えをお祈りします。これを書いているときは、緊急事態宣言の真っ只中です。教区総会も5月開催を6月に延期して書面開催となりました。各教区も、書面開催が多く、厳しい状況下でさまざまに取り組んでおられることを思い、共に主の助けをお祈りいたします。
1995年1月17日、東中国教区の鳥取の教会で阪神淡路大震災を経験し、教区での炊き出しに行かせていただきながら、このようなことは二度と経験しないだろうと思いました。
青森の教会で、2011年3月11日の午後、舟のように礼拝堂が揺れる中、まもなく停電になりファンヒーターが動かず寒さに凍えました。いっぱい着込んで子どもたちと布団に潜り込んだ夜中に、携帯が鳴りました。教団総務幹事の藤盛勇紀先生からです。伺うと、奥羽教区のだれとも連絡がつかず、初めて繋がったと。あとで分かったのですが教会の転送電話が生きていたようです。電話の向こうで、よくぞご無事で、と涙ぐんでおられる声に、事態の深刻さを実感しました。停電が開けてさらにその思いは重なり続けました。さらに西東京教区への異動が決まっており、3月下旬に仲間をおいてくるような痛みを感じたのを思い起こします。
礼拝堂に集まらないことを決断して、録画の向こうでささげている教会員を思いながらの礼拝をささげています。全く初めての経験です。
しかし考えてみると、初代教会は迫害の嵐の中、自由に集まれないで主の言葉を語り継いだ中、私どもはその重なりの恵みの言葉を受け継いでいるのではないでしょうか。いかなるときにも主の御言葉が伝わることを信じて、あらゆる方に主の平安とお支えがあるようお祈りいたします。
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