日本キリスト教団全国教会婦人会連合は、6月7〜8日に50周年全国集会を開催。主題「愛と真理に生きるとは−ヨハネによる福音書に聴く」。会場の幕張メッセ国際会議場には、北海道から沖縄まで、そしてエキュメニカルゲストを加えて900人を越える参加者が一堂に会した。今回の集会は、「世代をこえてつながろう」と呼びかけ、若い子育て世代や有職女性も参加しやすいよう二日目は土曜日に設定した。
開会礼拝の後は、50周年セレモニー。チェロ演奏に聞き入りながら、会場の大スクリーンに映し出された「婦人会連合の50年の歩み」を見て、改めて歴史をふり返る時となった。
その後、婦人会連合の活動を担う小委員会が企画した5つの分科会「聖書から聴く平和」、「教会・伝道」、「環境・子ども」、「世界との連帯」、「老いと祝福」の中で、希望した分科会に参加。夜には連合アワーとなり、各教区よりの報告を受けた。それぞれの活動に思いをはせると共に、課題を共有した。最後に独唱と会場一体となった賛美で一日目は終了。
二日目は、朝祷の後、篠浦千史牧師(四国・さや教会)による主題講演。ヨハネによる福音書だけに登場する女性を取り上げ、メッセージが語られた。アンケートには、「わかりやすく、力強い講演で心に響いた」、「自分に語られた言葉として受け止め励まされた」、「神さまが私を愛し、一人一人賜物が与えられている」等多くの言葉が寄せられた。
心和んだ参加者の子どもたちによるキッズ賛美・ゴスペル(あなたをたたえ等)の後、「主題を深める」、「若い世代のための講演」、「自由に交流を」の3グループに分かれ、交わりの時をもった。今回、子どものためのプログラム「しってる?うまれたときの おはなし」も実施、幅広い参加者を意識していろいろな形で関われるように準備を重ねた。
最後に閉会礼拝・聖餐式、全員であずかる聖餐は、主につながる恵みを実感する格別の時となった。
全日程を通して、婦人会連合の歩みを導いてくださった神への感謝・賛美を表す集会になったことを願う。そして教団の宣教にかかわる教会婦人の連帯する組織として、教団内自主活動団体の立ち位置を覚えつつ、今後も希望をもって歩んでいきたい。
この集会で体感した全国の教会に連なる教会婦人の連帯を心にとどめつつ、参加者それぞれが御言葉に聴き従い、遣わされたところで活き活きと主のために働く。そのような力が与えられた全国集会であった。私たちの思いを越える主の恵みに感謝!
(渡辺多恵子報/50周年全国集会準備委員長)
年度末が近づいた日曜日、礼拝で説教が始まった途端、礼子さんの目から涙が落ち始めた。明確な理由はないが、そこで「ああ、長老の務めを終わる時が来た」と、なぜかストンと実感できたそうである。
大曲教会の牧師であった(1925年〜1980年)荒井源三郎は義父。その次男である荒井嗣さんと、夫婦そろって長年にわたり大曲教会を支えてきた。近年は礼子さんが会計をはじめ、長老として仕えてきた。自分の年齢や体のこと、また家族の事情もあって、急に日曜日に礼拝に参列できないこともある。腰の具合などを含め、これ以上よくならないと医者に言われる体の部分も増えている。ただ他の役員に聞けば、やはり礼子さんが役員会にいて欲しいという声も上がる。
例年牧師が、教会総会で選出される役員に、召命を問いかけている。選挙で選ばれて世に現れ出たこの結果を、御心として受け止めるか、と。
義父の関係で、家に奥羽各地から牧師が集まることも度々あった。そして色々な話が時にとりとめもなく交わされるが、何かを決めるときや何かを行うときに「召命だから」という理由が、どうしてもよく分からなかった。確かにそうなのかもしれないが、どこで、どうやって神さまの声を聞いたの?という疑問が拭い切れなかった。
召命に関し、召される声を聞くことは決定的だが、召され続けていることを確信することも、そして、召しが終わった時をきちんと把握することも大切だと牧師は語る。今はそれにアーメンと言える。これまでの長年にわたる働きを、献身として神さまにささげ、長老としての召しは一旦終わったかもしれないが、教会員、一礼拝者としての召しに変わらずに仕えていきたいと信じる。
大曲教会員。夫・嗣(よつぎ)氏と娘とで荒井医院を営んでいる。
今、教会付属幼稚園の庭に真っ赤なカンナの花が咲いている。越谷幼稚園はカンナリレーに参加した。カンナリレーについて、「広島原爆投下から一か月、爆心地820mに咲いた真っ赤なカンナ。子どもたちとリレーしてお互いがお互いを想う心で平和をつないでいます」と記されている。
広島の原爆資料館に行くと、原爆が投下されて焼け野原となった地に、カンナの花が咲く写真が展示されている。75年間草木は生えないと言われた爆心地に一か月後咲いた真っ赤なカンナ、まさに奇跡の花だ。広島の30校が球根を育て、子どもたちが「未来をつなぐカンナリレー」を担い全国167校、世界14カ国にバトンがつながっている。
この球根を幼稚園の年長組が植えて、2回目の花が今咲いている。今年の11月に、年長組の子どもたちが掘り出して、球根の半分を「カンナプロジェクト球根保管先」に送る。
今年の年長組の年間主題聖句は「平和を実現する人々は、幸いである」(マタイ5・9)で、カンナリレーに記されている「お互いがお互いを想う心で平和を」である。
この心を、真っ赤なカンナを見つめながら、「お互いを想う心」とはどういうことか、年長組の子どもたちと考える生活をしている。
(教団総会議長 石橋秀雄)
18:24 さて、アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロという雄弁家が、エフェソに来た。
18:25 彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった。
18:26 このアポロが会堂で大胆に教え始めた。これを聞いたプリスキラとアキラは、彼を招いて、もっと正確に神の道を説明した。
18:27 それから、アポロがアカイア州に渡ることを望んでいたので、兄弟たちはアポロを励まし、かの地の弟子たちに彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。アポロはそこへ着くと、既に恵みによって信じていた人々を大いに助けた。
18:28 彼が聖書に基づいて、メシアはイエスであると公然と立証し、激しい語調でユダヤ人たちを説き伏せたからである。
19:1 アポロがコリントにいたときのことである。パウロは、内陸の地方を通ってエフェソに下って来て、何人かの弟子に出会い、
19:2 彼らに、「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」と言うと、彼らは、「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」と言った。
19:3 パウロが、「それなら、どんな洗礼を受けたのですか」と言うと、「ヨハネの洗礼です」と言った。
19:4 そこで、パウロは言った。「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです。」
19:5 人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受けた。
19:6 パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が降り、その人たちは異言を話したり、預言をしたりした。
19:7 この人たちは、皆で十二人ほどであった。
19:8 パウロは会堂に入って、三か月間、神の国のことについて大胆に論じ、人々を説得しようとした。
19:9 しかしある者たちが、かたくなで信じようとはせず、会衆の前でこの道を非難したので、パウロは彼らから離れ、弟子たちをも退かせ、ティラノという人の講堂で毎日論じていた。
19:10 このようなことが二年も続いたので、アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリシア人であれ、だれもが主の言葉を聞くことになった。
18:1 その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。
18:2 ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、
18:3 職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。
18:4 パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。
18:5 シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。
18:6 しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」
18:7 パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。
18:8 会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた。
18:9 ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。
18:10 わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」
18:11 パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。
18:12 ガリオンがアカイア州の地方総督であったときのことである。ユダヤ人たちが一団となってパウロを襲い、法廷に引き立てて行って、
18:13 「この男は、律法に違反するようなしかたで神をあがめるようにと、人々を唆しております」と言った。
18:14 パウロが話し始めようとしたとき、ガリオンはユダヤ人に向かって言った。「ユダヤ人諸君、これが不正な行為とか悪質な犯罪とかであるならば、当然諸君の訴えを受理するが、
18:15 問題が教えとか名称とか諸君の律法に関するものならば、自分たちで解決するがよい。わたしは、そんなことの審判者になるつもりはない。」
18:16 そして、彼らを法廷から追い出した。
18:17 すると、群衆は会堂長のソステネを捕まえて、法廷の前で殴りつけた。しかし、ガリオンはそれに全く心を留めなかった。
18:18 パウロは、なおしばらくの間ここに滞在したが、やがて兄弟たちに別れを告げて、船でシリア州へ旅立った。プリスキラとアキラも同行した。パウロは誓願を立てていたので、ケンクレアイで髪を切った。
18:19 一行がエフェソに到着したとき、パウロは二人をそこに残して自分だけ会堂に入り、ユダヤ人と論じ合った。
18:20 人々はもうしばらく滞在するように願ったが、パウロはそれを断り、
18:21 「神の御心ならば、また戻って来ます」と言って別れを告げ、エフェソから船出した。
18:22 カイサリアに到着して、教会に挨拶をするためにエルサレムへ上り、アンティオキアに下った。
18:23 パウロはしばらくここで過ごした後、また旅に出て、ガラテヤやフリギアの地方を次々に巡回し、すべての弟子たちを力づけた。
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