東北学院中学校に進学し、初めてキリスト教と接した門脇さん。中高6年間、授業の課題で教会へ行くことがあった。しかし、クラシック音楽が好きな門脇さんにとって、教会はオルガンの音色を聴くために行く場所であり、聖書の言葉は何も耳に入ってこなかったと振り返る。
大学では教会へ行く課題が無くなったことで、教会と無縁の生活になると思っていた。しかし、1年次の夏、同じ学科の友人が出席していた名取教会の礼拝に誘われる。初めて訪れた時から、アットホームで居心地の良さを感じたことや、ピアノの演奏ができる賜物を認めてもらえることに喜びを覚え、毎週通うようになった。当時オルガニストが不足しており、一ヶ月後には奏楽奉仕の機会が与えられた。また、同じく友人に誘われて行った猪苗代教会でのワークキャンプをきっかけに、東北教区の青年活動にも関わるようになり、その交わりから仲間が与えられ、学生生活がより充実していくのを感じられるようになった。
その頃から、自らを見つめなおす機会が増えたと語る。大学入学以後、自己と他者の違いから溝を感じ、日常を楽しめず、世界が白黒のように感じられた。しかし、交わりや聖書の言葉を通して、自らに無い物を求めている自分に気が付いた。「人間的な支配から脱出し、向こう岸へと渡っていくんだ」。殻を突き破られ、柵から解き放たれた思いを抱いた門脇さんは、受洗の意を伝え、宗教改革500周年を記念した一昨年10月29日の主日礼拝に洗礼を受けた。
信徒になって1年半が経った。キリスト教と出会って与えられた「自由の奴隷として生きる」視点が、自分たらしめる原動力となっていると語る門脇さん。今後も好奇心を持ち、変革を求めて生きていきたいと強く語った。
1997年、宮城県生まれ。東北学院大学生。趣味はバロック音楽、チェンバロ演奏。名取教会員。
昨年、我が秋田県は大いに盛り上がった。年のはじめには、秋田犬(あきたいぬ)が話題になり、年末には、なまはげがユネスコの無形文化遺産に登録されて話題になった(なまはげは、怠け者を懲らしめる神であるが、「泣く子はいねがー」と叫びながら家に入って来るのを見るたびに、「アンタが泣かせてんでしょ!」と突っ込みたくなる)。そして、夏は甲子園での金足農業高校の活躍があった。県立で、農業高校で、野球部員は全員、地元の高校生ということで大きな励ましを与えられた。
ただ、その活躍を伝えるテレビなどで、何度も「平成最後の甲子園!」と言われていたことには、そんなに繰り返して言わなくても…との思いをもった。もちろん今もいろいろなイベントや出来事を伝える時に「平成最後の〇〇」と言われているが、その度に私としては何となく、日本は天皇の御代で時代を区切り、時を刻んでいる国であることを教えられている気がするのである。
もっとも、教会関係ではそのような言い方はされていなかったと思う(「平成最後のクリスマス」!?)。キリスト者と教会は神の時を生きているからである。そのようなわけで、昨年のクリスマスには、主イエス・キリストが皇帝アウグストゥスおよびヘロデ王の時代にお生まれになったことの意味を、改めて深く思わされたことであった。 (教団書記 雲然俊美)
7:11ところで、もし、レビの系統の祭司制度によって、人が完全な状態に達することができたとすれば、――というのは、民はその祭司制度に基づいて律法を与えられているのですから――いったいどうして、アロンと同じような祭司ではなく、メルキゼデクと同じような別の祭司が立てられる必要があるでしょう。
7:12祭司制度に変更があれば、律法にも必ず変更があるはずです。
7:13このように言われている方は、だれも祭壇の奉仕に携わったことのない他の部族に属しておられます。
7:14というのは、わたしたちの主がユダ族出身であることは明らかですが、この部族についてはモーセは、祭司に関することを何一つ述べていないからです。
7:15このことは、メルキゼデクと同じような別の祭司が立てられたことによって、ますます明らかです。
7:16この祭司は、肉の掟の律法によらず、朽ちることのない命の力によって立てられたのです。
7:17なぜなら、/「あなたこそ永遠に、/メルキゼデクと同じような祭司である」と証しされているからです。
7:18その結果、一方では、以前の掟が、その弱く無益なために廃止されました。――
7:19律法が何一つ完全なものにしなかったからです――しかし、他方では、もっと優れた希望がもたらされました。わたしたちは、この希望によって神に近づくのです。
7:20また、これは誓いによらないで行われたのではありません。レビの系統の祭司たちは、誓いによらないで祭司になっているのですが、
7:21この方は、誓いによって祭司となられたのです。神はこの方に対してこう言われました。「主はこう誓われ、/その御心を変えられることはない。『あなたこそ、永遠に祭司である。』」
7:22このようにして、イエスはいっそう優れた契約の保証となられたのです。
7:23また、レビの系統の祭司たちの場合には、死というものがあるので、務めをいつまでも続けることができず、多くの人たちが祭司に任命されました。
7:24しかし、イエスは永遠に生きているので、変わることのない祭司職を持っておられるのです。
7:25それでまた、この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。
7:26このように聖であり、罪なく、汚れなく、罪人から離され、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとって必要な方なのです。
7:27この方は、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために毎日いけにえを献げる必要はありません。というのは、このいけにえはただ一度、御自身を献げることによって、成し遂げられたからです。
7:28律法は弱さを持った人間を大祭司に任命しますが、律法の後になされた誓いの御言葉は、永遠に完全な者とされておられる御子を大祭司としたのです。
7:1このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司でしたが、王たちを滅ぼして戻って来たアブラハムを出迎え、そして祝福しました。
7:2アブラハムは、メルキゼデクにすべてのものの十分の一を分け与えました。メルキゼデクという名の意味は、まず「義の王」、次に「サレムの王」、つまり「平和の王」です。
7:3彼には父もなく、母もなく、系図もなく、また、生涯の初めもなく、命の終わりもなく、神の子に似た者であって、永遠に祭司です。
7:4この人がどんなに偉大であったかを考えてみなさい。族長であるアブラハムさえ、最上の戦利品の中から十分の一を献げたのです。
7:5ところで、レビの子らの中で祭司の職を受ける者は、同じアブラハムの子孫であるにもかかわらず、彼らの兄弟である民から十分の一を取るように、律法によって命じられています。
7:6それなのに、レビ族の血統以外の者が、アブラハムから十分の一を受け取って、約束を受けている者を祝福したのです。
7:7さて、下の者が上の者から祝福を受けるのは、当然なことです。
7:8更に、一方では、死ぬはずの人間が十分の一を受けているのですが、他方では、生きている者と証しされている者が、それを受けているのです。
7:9そこで、言ってみれば、十分の一を受けるはずのレビですら、アブラハムを通して十分の一を納めたことになります。
7:10なぜなら、メルキゼデクがアブラハムを出迎えたとき、レビはまだこの父の腰の中にいたからです。
6:9しかし、愛する人たち、こんなふうに話してはいても、わたしたちはあなたがたについて、もっと良いこと、救いにかかわることがあると確信しています。
6:10神は不義な方ではないので、あなたがたの働きや、あなたがたが聖なる者たちに以前も今も仕えることによって、神の名のために示したあの愛をお忘れになるようなことはありません。
6:11わたしたちは、あなたがたおのおのが最後まで希望を持ち続けるために、同じ熱心さを示してもらいたいと思います。
6:12あなたがたが怠け者とならず、信仰と忍耐とによって、約束されたものを受け継ぐ人たちを見倣う者となってほしいのです。
6:13神は、アブラハムに約束をする際に、御自身より偉大な者にかけて誓えなかったので、御自身にかけて誓い、
6:14「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたの子孫を大いに増やす」と言われました。
6:15こうして、アブラハムは根気よく待って、約束のものを得たのです。
6:16そもそも人間は、自分より偉大な者にかけて誓うのであって、その誓いはあらゆる反対論にけりをつける保証となります。
6:17神は約束されたものを受け継ぐ人々に、御自分の計画が変わらないものであることを、いっそうはっきり示したいと考え、それを誓いによって保証なさったのです。
6:18それは、目指す希望を持ち続けようとして世を逃れて来たわたしたちが、二つの不変の事柄によって力強く励まされるためです。この事柄に関して、神が偽ることはありえません。
6:19わたしたちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものであり、また、至聖所の垂れ幕の内側に入って行くものなのです。
6:20イエスは、わたしたちのために先駆者としてそこへ入って行き、永遠にメルキゼデクと同じような大祭司となられたのです。
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