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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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クリスチャン・ゼブリー元宣教師企画によるワークショップ

2019年2月18日

クリスチャン・ゼブリー元宣教師企画によるワークショップ

主題: “宣教の霊的原動力”
日時: 2019年2月23日(土曜日) 10:00から16:30まで
場所: 東京都渋谷区南青山6-10-11 ウェスレーセンター

 主イエスは聖霊なる神と息を合わせての働きをどんな風に全うされたのか、聖霊なる神とはどんな方なのか、私たちは教会の働きでどのように聖霊なる神と協調することができるのか...学びのとき、祈りのとき、学んだことを他の受講者と一緒に実践してみるとき、これらの3要素で本ワークショップは構成されています。

 今回の学びは聖書に基礎を置くもので、改革長老教会国際部デュナミス・プロジェクトの一部分です。北米、アフリカ、そしてアジアの様々な地域で、神様は永年に亘って、本プログラムを用いて霊的な覚醒を起こして来られました。

講師: ジェイ・ノブロック宣教師 韓国・ソウル在住
2018年に本ワークショップの主催者である改革長老教会国際部(Presbyterian Reformed Ministries International米国NC州)より、アジア担当宣教師として韓国・ソウルに派遣されました。ジェイ宣教師は2011年から“デュナミス”プログラムの講師として米国と韓国で用いられてきました。受講者は教会・宣教団体のあらゆる世代です。ミシガン州のカルヴィン・カレッジでは学部生にも教えてきました。“耳を使って宣教する”をモットーに、受講者が三位一体の神との関係で成長し、聖霊の導きを正確に見分けられるようになることを喜びとしています。

場所: ウェスレーセンター 会議室204
・地下鉄 表参道駅から...徒歩10分
・JR渋谷駅から...都バス(01系) 最初のバス
停(青山学院中等部前)で下車、徒歩3分

主催:❶改革長老教会国際部   (Presbyterian Reformed Ministries International米国NC州)
❷クリスチャン・ゼブリー元宣教師...300年前に渡米した代々の牧師家庭に生まれる。1998年長老教会宣教師として来日、9年間青年伝道に専念。帰国後2014年再来日。現在は改革長老教会国際部宣教師、西東京ユニオン教会主任牧師。

参加費:無料、但し自由献金は歓迎(会場費に充当)
昼食: 持参(または会場の近所で購入)
「宣教の霊的原動力」 2019年2月23日(土)10:00-16:30
於:ウェスレーセンター 会議室204 (東京都渋谷区南青山6-10-11)

10:00-10:30 茶菓/交流会

午前の部
10:30-10:45 イントロ
10:45-11:30 学び(その1):「イエスと聖霊なる神」
11:30-12:00 討論会:この学びは世界観にどのように影響するか

12:00-12:40 昼食(各自)

午後の部
12:40-13:00 個々人での祈り・振り返り・明け渡し
13:00-13:45 学び(その2):「聖霊なる神とはどんな方か」
13:45-14:10 小グループの交わり...討論と祈り

14:10-14:15 5分休憩

14:45-15:00 学び(その3):「宣教において聖霊なる神と息を合わせる」
15:00-15:40 祈り会
15:40-16:00 証し・報告
16:00-16:30 日本の働き人と収穫のため導かれるままに祈るとき
16:30       お開き
――終了後、希望者を対象に個々人のための祈りのときを持ちます。
主催者・祈りチームが、霊的な強めを求める一人ひとりのために祈らせて頂きます。

14:1そのころ、領主ヘロデはイエスの評判を聞き、

14:2家来たちにこう言った。「あれは洗礼者ヨハネだ。死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」

14:3実はヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアのことでヨハネを捕らえて縛り、牢に入れていた。

14:4ヨハネが、「あの女と結婚することは律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。

14:5ヘロデはヨハネを殺そうと思っていたが、民衆を恐れた。人々がヨハネを預言者と思っていたからである。

14:6ところが、ヘロデの誕生日にヘロディアの娘が、皆の前で踊りをおどり、ヘロデを喜ばせた。

14:7それで彼は娘に、「願うものは何でもやろう」と誓って約束した。

14:8すると、娘は母親に唆されて、「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でください」と言った。

14:9王は心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、それを与えるように命じ、

14:10人を遣わして、牢の中でヨハネの首をはねさせた。

14:11その首は盆に載せて運ばれ、少女に渡り、少女はそれを母親に持って行った。

14:12それから、ヨハネの弟子たちが来て、遺体を引き取って葬り、イエスのところに行って報告した。

2019年2月17日

8:4大勢の群衆が集まり、方々の町から人々がそばに来たので、イエスはたとえを用いてお話しになった。

8:5「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。

8:6ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。

8:7ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。

8:8また、ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」イエスはこのように話して、「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われた。

8:9弟子たちは、このたとえはどんな意味かと尋ねた。

8:10イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ。それは、/『彼らが見ても見えず、/聞いても理解できない』/ようになるためである。」

8:11「このたとえの意味はこうである。種は神の言葉である。

8:12道端のものとは、御言葉を聞くが、信じて救われることのないように、後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たちである。

8:13石地のものとは、御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じても、試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである。

8:14そして、茨の中に落ちたのは、御言葉を聞くが、途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて、実が熟するまでに至らない人たちである。

8:15良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。」

2019年2月16日

さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。 そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」 《マタイによる福音書 28章16~20節》

すべての民

 「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」と命じられたとき、弟子たちは戸惑い、むしろ反発すら覚えたことでしょう。

 「すべての民」とは「すべての民族」という意味です。復活の主イエス・キリストは、「ユダヤ人だけでなく、他民族つまり異邦人たちのところに行って、彼らをあなたがたと同じ仲間としなさい」と言われたのです。

 ここにいる弟子たちは皆、ユダヤ人です。モーセ以来の神との契約に基づいて自分たちこそは神の民であると自覚し、そのしるしとして律法を重んじてきたユダヤ人は、その裏返しとしてユダヤ人以外の諸民族つまり「異邦人」は神から遠いものとしてきました。そこには、長い歴史の中でユダヤ人が次々に他民族の侵略を受け支配され圧迫されてきたつらく苦い記憶も重なっています。異邦人を隔て退ける感情を、弟子たちもまた心に携えていたでしょう。

 それだけではありません。マタイ福音書は、主イエスが「ユダヤ人の王」として生まれたことから書き起こし(2・2)、異邦人に対する主イエスのネガティブな言葉を記しています(5・47、6・32、10・5など)。こうした言葉を、弟子たちはむしろ深くうなずいて受け入れていたことでしょう。

 しかし、よみがえった主イエス・キリストは「すべての民族をわたしの弟子に」と命じました。「すべての民族」には、これまでユダヤ人と敵対し、苦しめてきた人々も含まれなければなりません。エジプト人、カルデア人、エドム人、アンモン人、ギリシア人、ローマ人…。こうした人々が、自分たちと等しい弟子になるのだと言われ、ユダヤ人である弟子たちが戸惑わなかったはずはありません。

 「行って、すべての民を弟子に」との主の命令は、つまり「あなたたちは、これまで仲間だなどとは思ってもいなかったあの連中と、等しい立場の仲間となるのだ」ということにほかなりません。「伝道」とは、今まで仲間だと思っていなかった人々といっしょになることなのです。

 

弟子たち

 このときまた弟子たちは「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」(20節)と命じられます。弟子たちは、主から言い渡されたすべてを、新しく仲間となる人々とも分かち合わなければなりません。

 モーセ以来の律法はユダヤ人だけに命じられた掟であり、それゆえにそれを守ることは他の民族とは立場の異なる「神の民」のしるしでした。けれどもこれからは、どの民族出身であってもキリストの弟子のしるしを等しく共有するのです。先に従ったユダヤ人だからといって特別な立場は与えられないのです。

 そもそも、このときの弟子たちにしても、そんなに確かな者たちではありませんでした。16節には彼らのことをわざわざ「十一人の弟子たち」と紹介しています。本来は「十二人の弟子たち」でした。しかし、そこに欠けが生じました。主イエスを裏切ったイスカリオテのユダです。暗く、恐ろしい、とりかえしのつかない欠けです。「十一人の弟子たち」とは、その欠けを露にする言い方です。

 ユダだけではありません。残った弟子たちは、よみがえった主イエス・キリストをひれ伏して拝み、神として礼拝しましたが、「疑う者もいた」(17節)のです。原文は、疑ったのは弟子の一部だけではなく、弟子たち皆が疑う者であった、と読むことができると言う人もいます。よみがえった主イエス・キリストに出会い、礼拝しているその中にさえ、なお疑いが含まれているのです。

 欠けと疑いを抱えた弟子たち、不完全で不確かな者たちが、それにもかかわらず伝道へと促されました。このような彼らを主は用い導いて、隔てられ、退け合い、敵対していた者たちがそれでもいっしょになっていく歩みへと導いたのです。

 

主のみわざ

 わたしたちは、今なお不完全で不確かな者たちにすぎません。それでも主は、わたしたちが隔てを乗り越えていっしょに歩み出すように命じています。いや、主はすでにわたしたちをそのように導いています。

 40年以上前から、北海教区は「宣教の総合化」を掲げてきました。これは北海教区の諸教会の厳しく困難な経験の中から生み出されてきた考え方で、精密な学問的定義がなされているわけではありません。わかりやすく言えば「さまざまな教会の営みを、それぞれがバラバラに行うのではなく、つなげていく」ということでしょうか。

 北海教区では、これまで「宣教の総合化」として、たとえば、わたしたちの生活のすべてを主の福音にかかわるものとして受け止めるとか、個々の教会の働きを教区の皆の課題として共に担うとか、「伝道」「社会問題」「礼拝」「牧会」などと分けてとらえられがちな具体的な宣教の課題をつながったものとして取り組むとか、いろいろな課題を携えた皆が一つ所に集まるとかいった、さまざまな実践が積み重ねられてきました。

 その前提には、「隔てられ、違っているように見える教会の営みも、主によってつながっている」、「それだけでは不完全で不充分な営みも、主はそれをつなげて用いてくださる」という、主の御業への信頼があります。わたしたちが携わることができるのは、部分的な営みにすぎません。しかし、主はそれらをいっしょにしてくださるのです。

 日本基督教団という弟子たちの群れもまた、そのような主の御手のうちに置かれていることを信じます。「すべての民を弟子に」と命じられた主キリストは、不完全で不確かなわたしたちをも用い導いて、隔てられていたものをいっしょにしていってくださいます。主は、そのような道をたどるわたしたちと、世の終わりまで共にいてくださるのです。 (教団総会副議長/ 札幌北部教会牧師)

《呉地区》冬を過ごすため
 18年7月の西日本豪雨災害により呉も大きな被害を受けた。5年前の広島の土砂災害で災害支援の働きをした広島宣教協力会広島災害対策室は、呉の諸教会と協力して超教派による「キリスト教会広島災害対策室呉ボランティアセンター」を立ち上げ、災害発生直後より災害支援のボランティア活動を行った。

 まず4週間に限り宿泊を伴うボランティア活動を行った。被災地の教会や牧師が支援活動で疲れ果て倒れることがないように予め期限を設けた。呉平安教会も宿泊場所の一つとなった。北海道から九州まで、更に海外からも教派を超えキリスト者・求道者が多数来てボランティアに参加した。被災した教会、教会員、教会員家族や知人、教会の建つ地域の順で要望に応えていくこととした。

 呉市内で被害が大きかった地域の一つ天応では、社会福祉協議会と協力しながら、ショベルカーやダンプカーなど重機も投入しての活動を行った。音戸、広両谷、川尻、安浦などでは、被災した教会員やその家族・知人、教会関係者からの要請に応え、泥出し・消毒などをし、呉平安教会員の家族も助けてもらった。毎朝こどもさんびか「どんなときでも」を歌い祈って出かけて行った。また被災した日本福音宣教団安芸津キリスト教会の再建プロジェクトも進めた。

 その後、関わりをもった案件については最後まで責任を持とうと、週2日のボランティアを継続、9月末まで泥出しや消毒などの活動を続けた。その後は生活支援や心のケアに関するボランティアへと移行している。仮設住宅の方からの要望を受け、毛布を贈った。そこから広がりができ、仮設住宅や被害が大きかった自治会の方々との関わりの中で、クリスマスにカードを添え、こたつセットや断熱シートを届けることができた。

 また、安芸津キリスト教会は工事を終え、12月24日に完成感謝会を行うことができ、主の御業を賛美した。 (小林克哉報)

 

《西平島地区》復興進捗の速さ
 広範囲に被害をもたらした「平成30年7月豪雨」。意外と知られていない被災地の一つが、「岡山県西平島地区」であるように思う。県内二番目の、浸水家屋2230棟の被害を受けた。

 被害発生直後から教団・世界宣教委員会を中心に各地の視察が繰り返され、より必要に合った具体的な働きが展開できる、西平島地区での活動が8月から始まった。  様々なボランティア活動に関わる中、そのたびに思わされるのは、結局最後は「人と人とのつながり」という点である。

 今回の西平島での働きも、7月6日から大雨が降り続き、砂川の堤防が決壊した直後、8日から現地入りし、一日も休むことなく活動を続けていた「NGOチームはるはる」の働きによる地域との信頼関係が構築されていたこと、そして、その働きにすでに和気教会の延藤好英牧師が繰り返し参加されていたことなしには、始まらなかった。

 経験豊富なボランティアたちの助けもあり、西平島地区は周辺被災地に比べ、復興進捗が速かったと言われている。泥出しや消毒、床下の乾燥などもすでに終えられ、8月には大工仕事が必要とされている段階にあった。そこに日本基督教団を通して、台湾長老基督教会の大工ボランティアが派遣された。

 8月27日~10月4日まで、39日間にわたり、5期延べ10名のボランティアと3名の視察により、大小の修繕合わせ、約20棟の家屋が直された。

 「泥がむき出しになった地面を毎日眺めていた時は何もやる気が起こらなかったけど、ようやく一歩が踏み出せそうです」、涙を浮かべ、台湾の大工さんと握手をする家族の姿が忘れられない。

 活動と同時期、台湾国内も自然災害が続き多くの被害があった。日本のために彼らを送り出してくれた、台湾の主にある家族に感謝したい。 (大澤 求報)

 

《真備地区》「まびくら」の活動を開始
 西日本に甚大な被害をもたらした豪雨から1週間後、岡山県内の福音派諸教会で構成されている「岡山県宣教の集い」の会議が行われた。私は東中国教区総会議長という立場で陪席を促され会議に出席した。県内のキリスト教会の豪雨被害への対応が協議され「岡山宣教の集い・岡山キリスト災害支援室」(略称・岡キ災)が設置された。その後、東中国教区も「岡キ災」と共に復興支援に関わっていくことを確認した。

 岡キ災の事務所は、日本聖約教団広江聖約キリスト教会に置かれた。ボランティアは、ここに午前7時30分に集合。礼拝後、被災地真備町へと向かった。小田川、高馬川の堤防決壊によって、2階まで水に浸かった住家には大量の水が入り込んでいた。岡キ災は、家の中に入り込んだ泥かき、家の清掃を行ってきた。ワークの合間には被災者の方々の声を聞く機会も与えられてきた。

 西日本豪雨は岡山市東区平島地区にも甚大な被害をもたらした。平島地区は、日本基督教団、台湾のボランティアチームが復興支援に携わってくれた。岡キ災、教団の作業は11月まで続けられ、新たな活動の局面を迎え、教区、教団、岡キ災、YMCAせとうちの協議により、活動拠点を真備に設置することが決議された。「まびにくらしのぬくもり」との祈りによって「まびくら」という活動拠点が与えられた。12月8日に開所式が行われ、2年間被災地で活動することを決定した。

 クリスマスには7月の後半からボランティアとして活動してくれていた仲間が受洗した。このことはわたしたちにとっても大きな喜びとなった。

 「まびくら」の活動は始まったばかりだ。被災者の声に耳を傾け、祈り、語り合いながら与えられる働きを担っていきたいと思う。働きを覚えて祈ってもらいたい。 (大塚 忍報)

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