雨天、曇天の多かった10月、珍しく晴天に恵まれた9日、「宗教改革500周年記念・福音伝道大会」が東京教区主催、東京信徒会共催によって青山学院大学ガウチャー記念礼拝堂で開催された。東京のみならず首都圏の諸教会にて宗教改革を改めて覚える行事として企画された。3部のプログラムで構成された半日の大会だった。
1部「記念礼拝」では、出版局理事長・山北宣久氏が「キリストもビックリ、みんなもびっくり—愛への立ち返り」との題で御言葉を取り次いだ。前もって開催案内で知らされた説教題だけでも既にアピールしたが、キリストと、中風の人、4人の友人の出会いに示される驚きと愛に立ち返ることが、宗教改革を過去のものとせず現在進行形のこととして捉えることの根源にあると知らされた。
2部「記念演奏会」は、バッハ・コレギウム・ジャパンによって行われ、鈴木優人氏がオルガン演奏によって、4名のメンバー声楽ソリストたちと共に、バッハの楽曲を披露した。鈴木氏が曲の合間に入れてくれる解説に導かれて宗教改革で誕生した教会の讃美をたどることができた。演奏会最後には「神はわがやぐら」によって出演者たちと会衆が共に力強い讃美を捧げた。
3部「交わりのとき」には、夏に行われた教団・日独、日台の両ユースミッション参加者の報告、また来春行われる教団・教会青年大会のアピールがあった。
出席者822名は東京教区としても大きな大会となり、その内に出席教会名が未記入の方々を126名迎えられたたことにも、参加者一同大いに励まされる伝道大会となった。 (新報編集部報)
善野碩之助氏(隠退教師)
17年9月23日逝去、101歳。栃木県生まれ。50年日本基督教神学専門学校卒業。同年より上原、佐世保、まぶね教会を牧会し、84年隠退。
遺族は妻・善野道子さん。
西田 晃氏(無任所教師)
17年10月1日逝去、87歳。香川県生まれ。54年日本基督教神学専門学校卒業。56年島之内、能勢口教会を牧会後、北星学園に務め、遠州教会を経て浜松衛生短期大学に務め、島之内、伊丹教会を経て99年に隠退。09年に復帰して12年まで高槻南平台教会を牧会。
遺族は息・西田真さん。
小林絢子氏(隠退教師)
17年10月10日逝去、83歳。大阪府生まれ。59年同志社大学大学院卒業。同年より札幌、新得、藤枝教会を牧会、98年に隠退。
遺族は息・太田哲也さん。
二宮忠弘氏(無任所教師)
17年10月27日逝去、76歳。宮崎県生まれ。80年受允、85年受按。81年より99年まで台湾に宣教師として派遣後、名古屋西、米子教会を牧会。
遺族は妻・安淑美さん。
山﨑祐博氏(隠退教師)
17年10月29日逝去、101歳。高知県生まれ。40年日本神学校卒業。同年より鳥取、香美教会を牧会し、87年隠退。
遺族は息・山﨑祐信さん。
坂内 誠氏(無任所教師)
17年8月27日逝去、64歳。東京都生まれ。82年東京神学大学大学院卒業。同年より大阪住吉、大阪東、須坂、高田、有田教会を牧会。
遺族は妹・坂内小百合さん。
私が仕えて4年近くなる弘前学院聖愛中学高等学校は、1886年にアメリカの婦人宣教師たちによって設立された。キリスト者の教員数は多くないが、毎朝礼拝がささげられ、聖書の授業がおこなわれ、教会暦にしたがって諸行事が祝われている。
朝の礼拝では、生徒たちは讃美歌を歌い、短いながら説教を聞き、共に祈りをささげる。この礼拝が、ほとんどの生徒たちが初めて礼拝や聖書に触れる機会となる。生徒のキリスト者も多くないが、学校が福音のメッセージを聞き、神さまがどのような方であるかを初めて知る機会を提供する場となっている。生徒たちの多くは卒業後も聖書を手放すことはなく、聖書は、キリスト教について肯定的な思いや、学校生活に懐かしさをつないでくれる大切なものとなっている。朝の礼拝にて、日々、福音の種がまかれ、将来いつの日にか、イエス様を救い主として受け入れる方がいることを祈る。
学校における私の職務の主なものは、英語科の教員として教壇に立つことで、英語の授業を担当することによって、生徒一人ひとりをよく知ることができ、良き関係を築くことができるようになる。教室で生徒たちに語りかけることによって、生徒たちの関心や信念として持っている考え方を知ることができる。これによって、私は、日本の文化をより深く知り、日本の方々とどうすれば共に福音に与れるかを知ることに役立っている。
多くの生徒たちにとって、私は直接話す経験を持つ初めての外国人キリスト者で、毎日、生徒たちと神さまの愛を分かち合う小さな方法を探そうと心がけている。宿題について肯定的な言葉を返したり、共に祈り合ったり、生徒たちが私に伝えたいことに耳を傾けることなどである。
私は、自分自身が多くの点で欠けの多い者であることに気づかされており、それにもかかわらず生徒たちとの日々の交わりの中で、神さまの愛が輝くのを見ることができている。私が語る言葉を神さまが用いて下さり、皆の心に触れて下さること、また神さまがどれほど私たちを愛しておられるかを示して下さるようにと祈ってやまない。
通常の授業の他に、私は、校内の宗教部の仕事を任せられている。様々な仕事を担当しており、主な責任は、月に一度英語礼拝を担当することで、英語礼拝では、共に英語で讃美歌を歌い、日本語訳付きだが英語で短く説教をし、学校と生徒たちのために祈りをささげる。毎月、神さまが私の人生にどのように働いて下さり、またイエス様が私たちのために十字架の上でなされたことを語っている。教職員も生徒たちも、私がとりつぐ英語礼拝のメッセージにより、聖書がより親しみやすく、わかるようになったという声も聞き、神さまに感謝している。
いま一つの喜びは、週に一度の女子生徒たちの聖書研究会での学びで、毎週、数名が私のところに集まり、お喋りをしたり、讃美歌を歌ったり、英語と日本語で聖書を読み合ったりしている。このように、生徒たちを知り、共に祈り、聖書をより深く学ぶ良き場とが与えられている。最近になって、聖書研究会の中の2人の生徒が、私と共に教会に集うようにさえなった。
異国の地で神さまに仕えることは容易なことではないと思われるようなこともあるが、私を弘前に導いて下さった神さまに感謝しており、また神さまの愛を分かち合い、日本の若者たちにイエス様のことを伝えることができることも感謝している。聖愛中学高等学校の教職員と生徒たちのことを皆さまの日々のお祈りのうちに加えて下されば幸いだ。それが困難になることがあるとしても、それでもなお、福音のメッセージは伝わることだろう。神さまのお力が、聖愛中学高等学校を通じて、生徒たちとそのご家族の皆様に伝えられるようお祈り下さい。 (Kyodan Newsletterより)
(ローラ・パーカー アメリカ改革派教会信徒宣教師・弘前学院聖愛中学高等学校)
9月26日、在日韓国朝鮮人連帯特設委員会は「川崎市ふれあい館」(神奈川)で委員会とフィールドワークを行った。
はじめに社会福祉法人「青丘社」の理事長であり、在日大韓基督教会川崎教会名誉長老である裵重度氏より、なぜ川崎市に多くの韓国朝鮮人が住むようになったか、また戦前から戦後そして現在に至るまで在日外国人の苦労と苦難の歴史を学んだ。
「日本人と韓国朝鮮人を主とする在日外国人が、市民として子どもからお年寄りまで相互にふれあいをすすめることを目的とした」ふれあい館を在日大韓基督教会川崎教会の故李仁夏牧師を中心にして誕生させた。ふれあい館自体は川崎市が建設し、社会福祉法人「青丘社」が運営を委託された。これは全国でも珍しい稀なケースであった。
建設に至るまで一部の地元住民の反対運動もあったが、地道な弛まぬ地元と行政への働きかけによって1988年に完成し、現在まで継続的に運営されている。今では在日への理解と差別撤廃に向けた地域住民との交流を促進すると共に、子どもたちの居場所づくり、子育て支援事業も行っている。最近ではニューカマーと言われる特に東南アジア出身の外国人の子どもや母親も多く利用している。
その後、川崎教会と青丘社が運営している桜本保育園、ほっとカフェ、お弁当工房も見学した。昨年から「桜本こども食堂」も開所している。
最後に、川崎市の中でも最も多くの在日韓国朝鮮人が住んでいる地区を訪れた。大変複雑に入り組んだ過去の歴史によってこの地は、土地と建物の所有者が異なっているなどの経緯を聞いた。
フィールドワークを通して、歴史の深い闇と現実の厳しさを知らされ、主イエスの圧倒的な愛と救いが全ての人にもたらされることを祈った。 (豊川昭夫報)
舞台に立った時、マイクを持つ手も声も僅かに震えていた。「熊本の地震で被災した方々のために、私たちにも何かできることがないか。そう思って開いたコンサートです」。一礼してピアノに向かった途端、力強く輝かしい音が会場一杯に響いた。熊本・大分地震の被災学生を支援するために、キリスト者の同級生とピアノ連弾デュオを結成し、今夏に3回のチャリティコンサートを開いた。曲間に証しを語り、聴衆と共に歌った。
四街道教会の一室にて「言葉で話すより弾く方が慣れていて、やっぱり音楽が自分の伝達手段だと思いました」と方波見さん。3歳からピアノを始め、大学での学びを通して教会音楽の素晴らしさを実感し、教会では奏楽奉仕を献げている。亡き曾祖父は牧師であり、祖母も母も奏楽者を務める。幼児洗礼を受けてCSで育ち、教会を自分の居場所と感じていた。しかし、信仰告白に至る道は平坦ではなかった。クリスチャン家庭育ちゆえに知った奉仕の重責にたじろいだのだ。その中、千葉支区の中高生修養会で様々な牧師や同年代の友と語り、クリスチャンホームに生まれ、教会で育てられた幸いを知るようになった。
自分が知らずとも主に愛され、教会に祈られていた恵みの大きさに気付いた時、躊躇は奉仕で恩返しをしたいとの願いに変わった。2年前に信仰を告白し、今は教会での奉仕の他に支区教育部委員として働き、中高生修養会のリーダーを務めている。
いつどこで演奏するとしても、教会で奏楽する時のような心でいたい。主と、音楽と共に生きてゆきたい。主に仕え、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣」(ロマ書12・15)いて人との関わりを大切にし、子どもたちへの音楽教育に携わりたい。方波見さんは来春、その希望を抱いて社会人となる。
クリスチャンホームに生まれる。洗足学園音楽大学ピアノコース4年在学中。四街道教会員。
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