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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4873・74号】CCAアジア宣教会議に参加して

2017年12月23日

 第4回アジア宣教会議が10月12~16日、ミャンマー・ヤンゴンで開催された。当初は400名の参加予定だったが600名に増えた。前回の開催は23年前ソウル。今回はミャンマーバプテスト連盟とミャンマー教会協議会の協力で開催された。テーマは「共に旅をする・アジアで真理と光の証をする」であった。

 開会のあいさつでアジアキリスト教協議会(CCA)総幹事マシューズ・ジョージ・チュナカラ博士は「目の前には課題と問題が山積みである。外的要因で教会の宣教活動が破壊され、信頼関係が弱くなることもあるかもしれない。いくつかの国は宣教の戦場となった。しかし、アジアのキリスト教会は使命にしっかりと立ち、宣教に身を委ね、全能の神を証していく必要がある」と語った。

 2日目の午後には「真理と光の証・他宗教からの視点」という主題でパネルディスカッションが行われた。ミャンマーは国民の88%が仏教徒だが、国際上座部仏教伝道大学からシン・パンナジョータ講師、ヒンドゥー教からはインドのサンシギリ寺院のサパスウィ院長(ケララ州サンシギリアシュラム責任者)、イスラム教からはインドネシアのイスラム学者理事会のシティ・ムリア教授がパネラーとして立てられ、多様な角度から真理と光についての討論が行われた。特にムリア教授からは、平和と正義のために異なる宗教が力を合わせる必要があることが力強く語られた。

 参加者は20のグループに分かれてバイブルスタディーのディスカッションの時間が毎日用意されていた。私が所属したグループでは気候温暖化などの環境汚染が最初に話し合われた。小さなことから始めよう、ということになり日々の暮らしの中で二酸化炭素を減らす努力をしようということでまとまった。日本に対しては核のゴミを減らすようにという助言があった。

 2日目のディスカッションでは、ミャンマーの牧師が、「かつてミャンマーは多くの外国の宣教師の働きによって人口の5%がクリスチャンになった。海外の宣教師が一斉に引き上げる事態が起こったが、現在は人口の8%がクリスチャンになった」と証しした。

 日曜日には、私はウナ・キーズドウバプテスト教会で説教する機会が与えられた。小学校の教室ほどの広さの礼拝堂に子ども大人合わせて70名ほど、熱気あふれる礼拝であった。

 午後3時からはミャンマーバプテスト教会の方々を中心に6000名を超える参加者と共にCCA設立60周年記念礼拝がささげられた。オラフ・トヴェイトWCC総幹事からも60周年に向けてのメッセージが語られた。日本からは東北ヘルプ事務局長川上直哉牧師が「福島」について発題した。閉会礼拝では在日大韓基督教会の許伯基牧師が聖餐式の司式をした。 (加藤 誠報)

猿谷恭平氏(無任所教師)
 17年11月22日逝去、67歳。東京都生まれ。00年日本聖書神学校卒業。同年より出町、白河教会を牧会。
 遺族は妻・猿谷節子さん。

 

村上 伸氏(隠退教師)
 17年11月23日逝去、87歳。福島県生まれ。55年東京神学大学大学院卒業。同年より安城中部、安城、岡崎教会を牧会し、ドイツ・シュツットガルト、南西ドイツ福音主義教会(現EMS/福音連帯宣教会)世界宣教部研究主事、東京女子大学に務め、みくに、代々木上原教会を経て10年隠退。
 遺族は妻・村上雅子さん。

 

木安 透氏(隠退教師)
 17年11月26日逝去、80歳。愛媛県生まれ。61年同志社大学大学院卒業。63年より須磨、琴似中央通、南大阪、児島、丹波(現丹波新生)、武蔵野緑、世光教会を牧会し、09年隠退。
 遺族は妻・木安茜さん。

 2017年9月3日、私共の教会は創立119周年の記念の礼拝を守った。ディサイプルス派の流れをくみ1898年マデン宣教師によって福音の種が蒔かれ、しばらく信徒宅で伝道がなされた。やがて今の福島市新町に1928年W・Mヴォーリズ氏の設計により会堂が建てられた。会堂は築89年を迎える。119年、伝道の業がとぎれることなく今日まで導かれていることは大きな恵みである。

 あの東日本大震災から6年9ヶ月が経った。特に震災から今日までの教会の歩みを振り返りつつ、いくつかの点にふれたいと思う。2011年3月11日、震度7弱、礼拝堂は四方八方漆喰壁が崩れ落ち、ひたすら片付けに追われ、やっと3月13日、主日礼拝を捧げた。はたして何名礼拝に出席されるだろうかと案じていたが、22名(いつもは26名前後)もの方が出席。皆さんが励んでいらしたのに驚いた。「よくぞ、困難な中、おいでになられた」と感謝で一杯だった。午前10時20分からの礼拝、その途中、余震が度々あった。礼拝堂の扉は開け放たれ、逃げ道を確保しながら。そのような状態で礼拝を守った。関東大震災の時作られた聖歌397「とおき国や」の歌を、震災後、何度も歌った。「慰めもてながために、慰めもてわがために、揺れ動く地に立ちて、なお十字架は輝けり」、あの日の礼拝の光景は一生忘れないだろう。

 その後、礼拝堂の存続についての問題である。甚大な被害を受けた会堂は、どうなるか不安であった。約1ヶ月半後に、ヴォーリズ設計事務所や教団より木下滋雄氏が建物診断に来て下さった。修復可能ということで一気に修復のため会議を重ね約1年1ヶ月という長期に亘って、会堂の大修復工事が行われた。ほとんど元のままの状態に修復された。2012年11月25日、会堂修復感謝礼拝を捧げた。約2000万円という大事業であったが、教団から850万円の支援金をいただき、借入金も後5年で返済完了の予定である。教団、教区、多くの教会の方々から献げていただき、感謝であった。

 2011年の年頭に与えられた聖句は「嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう」(詩84・7)であった。眠れないどん底の日々もあったが、この聖句を握りしめ、必ず主は修復して下さることを信じ祈った。また、先日の創立119周年記念礼拝で語った御言葉は「ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り 主を仰ぎ望んで喜びを得 その宮で朝を迎えることを」(詩27・4)であった。私たちも主日礼拝ごとに、この修復された礼拝堂で御言葉を聴く恵みをかみしめている。

 119周年記念礼拝で1人の姉妹がキリストを信じ洗礼を受けた。教会員一同大きな喜びに溢れた。震災後、福島の地は、原発事故後の問題をかかえているが、宣教の業がなされるよう喜びをもって仕えていきたい。(東北教区・福島新町教会牧師 瀧山勝子)

 今年も、彼女はキャンプの台所に立って麦茶沸かしに奮闘していた。

 九州教区福岡地区では、毎年夏に子どもたちを対象とした2泊3日の「ヤング・キャンプ」を開催している。

 以前は、キャンプの一環として参加者が自ら食事の用意をしていたが、現在では、参加者とは別に「キッチン・スタッフ」数名が教師、参加者の食事をすべて用意している。とても貴重な働きだ。そのスタッフの一人に、濱﨑カツヱさんがいる。

 濱﨑さんは長崎生まれの長崎育ち。子どもさんがキリスト教学校に進学したことでキリスト教と出会い、51歳の時に長崎古町教会にて受洗した。

 ずっと捉えていてくださる主を感じ、主日礼拝では、生きていくために必要な答え、魂の糧である御言葉をいただくことに感謝している。

 濱﨑さんの話す姿は笑顔で満ちている。それも屈託のない「子どものような」笑顔だ。しかし、その背後には大きな苦労があった。そして同時に、その中で共に歩いてくださっていた主に気付かされた。

 長崎古町教会時代から、教会のキャンプは大好きだったという。福岡に居を移し、2004年、福岡南教会に転会してからもキャンプは大好き。今では地区ヤング・キャンプの常連メンバーの一人であり、キッチン・スタッフの一人だ。

 キャンプの中で教師と子どもたちが共に遊ぶ姿に目を細める。キャンプの中で語られるお話に、台所から耳をそばだてる。「キャンプで語られる話は、説教とわたしのすき間をうめてくれます」と濱﨑さん。

 「用いられる限り参加したい」と語る濱﨑さんもまた、主の前では一人の「神の子ども」としてキャンプに参加している。

長崎生まれ。福岡南教会長老。

 11月23日、日本福音ルーテル教会と日本カトリック司教協議会共同開催の宗教改革500周年記念シンポジウムと礼拝に招かれてカトリック浦上教会に行ってきた。「長崎からの声—苦難の歴史を踏まえて」と題した橋本勲司教(カトリック中町教会主任司教)の話は興味深かった。浦上四番崩れを紹介しながら、原爆を五番崩れと指摘していく話に引き付けられた

 キリシタン集落の大量検挙事件は、1793年から3回の弾圧を一番から三番崩れ、1867年を四番崩れと言う。四番崩れは、檀家寺から離れて信仰を鮮明にしたことで他とは決定的に異なる。殉教するか、信仰を隠すか、棄教をするか、決断を迫られ多くの殉教者が出た。

 信仰が崩されるところで信仰が純化される。信仰の純化、福音化はカトリック教会の課題である。福音化とはイエス・キリストへの純化、復活体験に遡り、一切の人工添加物(免罪符等)を取り除き、そこから見直す作業であり、プロテスタントが「福音のみ」ならば、カトリックは「福音化だ」と語った。

 原爆は浦上に落とされた。異論があると思うが、原爆は極限の崩れとして五番崩れと呼びたい、とした。原爆が爆発した浦上にキリストの十字架と復活に示される愛が爆発し、崩れの極限から和解と平和、復活と希望が世界に発信されている、との言葉に心打たれた。
(教団総会議長 石橋秀雄)

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