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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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イザヤ書40・1~11

2017年12月26日

40:1 慰めよ、わたしの民を慰めよと/あなたたちの神は言われる。
40:2 エルサレムの心に語りかけ/彼女に呼びかけよ/苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを/主の御手から受けた、と。
40:3 呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。
40:4 谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。
40:5 主の栄光がこうして現れるのを/肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。
40:6 呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。
40:7 草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。
40:8 草は枯れ、花はしぼむが/わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。
40:9 高い山に登れ/良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ/良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるな/ユダの町々に告げよ。見よ、あなたたちの神
40:10 見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ/御腕をもって統治される。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い/主の働きの実りは御前を進む。
40:11 主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め/小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。

2017年12月25日

2:1 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。
2:2 これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
2:3 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。
2:4 ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
2:5 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
2:6 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、
2:7 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
2:8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
2:9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
2:10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
2:13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
2:14 「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」
2:15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。
2:16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
2:17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。
2:18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。
2:19 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。
2:20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

2017年12月24日

2:1 ハンナは祈って言った。「主にあってわたしの心は喜び/主にあってわたしは角を高く上げる。わたしは敵に対して口を大きく開き/御救いを喜び祝う。
2:2 聖なる方は主のみ。あなたと並ぶ者はだれもいない。岩と頼むのはわたしたちの神のみ。
2:3 驕り高ぶるな、高ぶって語るな。思い上がった言葉を口にしてはならない。主は何事も知っておられる神/人の行いが正されずに済むであろうか。
2:4 勇士の弓は折られるが/よろめく者は力を帯びる。
2:5 食べ飽きている者はパンのために雇われ/飢えている者は再び飢えることがない。子のない女は七人の子を産み/多くの子をもつ女は衰える。
2:6 主は命を絶ち、また命を与え/陰府に下し、また引き上げてくださる。
2:7 主は貧しくし、また富ませ/低くし、また高めてくださる。
2:8 弱い者を塵の中から立ち上がらせ/貧しい者を芥の中から高く上げ/高貴な者と共に座に着かせ/栄光の座を嗣業としてお与えになる。大地のもろもろの柱は主のもの/主は世界をそれらの上に据えられた。
2:9 主の慈しみに生きる者の足を主は守り/主に逆らう者を闇の沈黙に落とされる。人は力によって勝つのではない。
2:10 主は逆らう者を打ち砕き/天から彼らに雷鳴をとどろかされる。主は地の果てまで裁きを及ぼし/王に力を与え/油注がれた者の角を高く上げられる。」

2017年12月23日

つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。《コリントの信徒への手紙二 5章19節》

どうして一つになれないのか
 地球は北半球と南半球に分かれますが、それが単に地理的なことだけではないという現実をわたしたちは知っています。政治的な南北問題があります。先進国と途上国という分け方があります。東と西も資本主義と社会主義という分け方になります。右と左も保守かリベラルかという分け方になります。もちろん教会も例外ではありません。それは歴史を見れば明らかなことです。またわたしたちの身近な人間関係もそうです。派閥をつくり、あらゆるものが二極化していきます。自分の独りよがりな正義感を振りかざして対極を作り出すのです。そのように人類は絶えず分断し二極化していく歴史を繰り返して来ました。

 わたしたちはどうして一つになれないのでしょう。それは人類の永遠のテーマだと思いますが、聖書が明らかにしているのは、その根本にある罪の問題であります。創世記に天地創造の物語があります。神さまがこの世界をお造りになられ、最後に人を造られました。神さまは造られた全てのものをご覧になられて「極めて良かった」(創世記1・31)と言われました。そこには良い関係がありました。ところがその関係を人は壊してしまいます。神さまとの約束を破ってしまったのです。すると人は神さまの前から姿を隠しました。「その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、主なる神はアダムを呼ばれた。『どこにいるのか』」(創世記3・8~9)。ここに神さまと人との隔たりが生じています。この隔たりこそ、わたしたちが分断を繰り返し、二極化していく現実を作り出していると言えるでしょう。そして聖書はこの隔たりを、例えば天と地、生と死、光と闇、そういう二つの相反するものを用いて表現しています。神さまと人がそのように全く相容れないものになってしまった。遠く隔たってしまった。この罪がわたしたちのあらゆる隔たりの根底にあるのです。

 

キリストにおいて天と地が結ばれた
 クリスマスは、神さまが天と地、光と闇、この相容れない隔たりを越えて、その距離を限りなく近づけてくださった出来事です。ルカ福音書が伝えるあの羊飼いの物語を思い起こしてみましょう。羊飼いは夜通し羊の群れの番をしていました。彼らを支配する真夜中の闇、それは他でもないわたしたちの罪の闇を示しています。すると突然、その闇を引き裂くようにして、天からの光が射し込むのです。「主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた」(2・9)。ちょうど上からスポットライトを照らされたような光景でしょうか。その天の光に羊飼いたちは恐れました。無理もありません。神さまから離れ、罪の闇に慣れていたわたしたちにとって、天の光はあまりにも眩しく近づき難いものだったからです。

 しかし、その彼らのところに救い主誕生の知らせは届きました。神さま自ら救いの手を差し伸べてくださったのです。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」(2・11)。そしてそこに天使の歌声が響きました。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」(2・14)。この物語は「光と闇」「天と地」のコントラストを示すと共に、その隔たりが狭められていくことを感覚的にイメージさせています。夜の闇に光が射し込む。そして神さまの声が、天使の歌声が地上に達する。深い隔たりを越えて天が限りなく地上に近づいてくる。それがクリスマスのメッセージです。

 そしてクリスマスの物語の中心は言うまでもなく、神さまがまことの人として生まれてくださったイエス・キリストの受肉にあります。天と地の隔たりを越えて神さまがご自身を地上に現された。大きく分断され対極にあった天と地がキリストにおいて結ばれたのです。そしてこのキリストによって、神さまはわたしたちの罪を赦し、和解の道を開いてくださいました。

 しかしこの和解は、わたしたちの罪を水に流し、うやむやにすることでは決してありません。わたしたちの罪の責任は神の独り子が十字架で負われました。この尊い御子の命をもって、わたしたちは罪を赦され、神さまと和解させていただいたのです。わたしたちが自分で償ったのではありません。神さまの方が自ら歩み寄られ、この罪を贖ってくださったのです。そこに救いがあります。そしてこの恵みを知る時に、わたしたちも御前に罪を告白し、悔い改めて生きる真の和解への歩みが始められます。

 

和解の言葉がゆだねられている
 神さまはこの和解の福音を教会に委ねてくださいました。「神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです」(2コリント5・19)。この和解の言葉とはイエス・キリストご自身です。分断され、二極化していくこの世に神さまは和解の言葉としてイエス・キリストを与えてくださいました。この和解の言葉がわたしたちの中に受肉したのです。そして和解の言葉を宿したわたしたちもまた和解のために奉仕する者として新しく歩み出すのです。それは罪をうやむやにすることを意味していません。罪を深く自覚し、これを悔い改めて、そこから新しい関係を築いていくことを可能にします。

 クリスマスは平和の祭典です。天と地の隔たりを越えて神さまが来られたとき、その闇を裂いて光を届かせてくださったときです。そのような機会を神さまはこの争いの絶えない人類に与えてくださいました。だからこそ、わたしたちもまたこのクリスマスから新しく歩み出すのです。関係が悪くなっているならば、自分から歩み寄りましょう。自分から手を差し伸べてみましょう。疎遠になっている関係があるならばカードを出してみましょう。訪問してみましょう。クリスマスはそういう新しい行動を始める時なのです。それは自分のちっぽけな優しさや、寛大さによるものではありません。罪に対して妥協することでは決してないのです。痛いほどに罪を知り、これを嘆く中でキリストの和解の恵みに生かされた者たちは、皆そのように生きることができるのです。そこにわたしたちの希望があります。
(錦ヶ丘教会牧師)

 第2回伝道資金小委員会が10月12日教団会議室にて「伝道資金規則」(2014年10月、第39回教団総会議決)及び2018年度伝道資金運用指針に基づき、全教団的教区間互助の働きに仕えることを使命として開催された。

 伝道資金特別会計報告として、2015年度繰越金、2016年度繰越金、献金等の総額が土地取得貸付資金となる報告を受けた。

 各教区からの2016年度伝道資金報告書を通して、書式統一の必要等について協議した。現状では各教区の伝道資金の取扱方法が異なるため、書式の統一ではなく最低限の必要項目と2頁以内(添付資料は除く)の分量でまとめることをお願いすることとした。

 2017年度の伝道資金運用状況を確認し、6月に申請教区へ半額送金済であることと、12月に残りを送金予定であることを確認した。資金繰りのためにも教規通り負担金納付を願いたいとの意見があった。

 2018年度伝道資金申請は新たに大阪教区から申請を受け15教区となった。沖縄教区、九州教区は引き続き未申請であった。これまで各教区が運用指針に基づき全体を配慮しつつ申請を行い、ほぼ各教区の申請通りに実行されてきていたが、2018年度は申請額が負担金総額を超えたことで、申請額を調整した案を常議員会に提出することとした。

 2015年度から始まった伝道資金が3年目を迎え、これまでなされた議論を整理する必要から、来年1月に委員会を開催することとした。 (髙橋 潤報)

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