「息あるものはこぞって主を賛美せよ。」
(旧約聖書 詩編150編6節)
「産めよ、増えよ」
(旧約聖書 創世記1章22節)
すべて命あるものは神の祝福の中に生まれます。神の祝福の中で「命はつながりにおいて生きる」ことができます。命と命のつながりの中で人間は生きることができます。それ故「息あるものはこぞって主を賛美せよ」と歌われます。命が第一にされない社会は破綻します。命ではなく、経済が第一にされ、命が軽んぜられる世界は、このつながりを破壊し、人間の尊厳が冒され、憎しみと怒りが世界に広がります。今世界はその痛みの中にあります。
私たちは普段、点数や成績や能力、その成果の大小などによって人を評価することに慣れ切っています。そのような中でいつの間にか人の命の価値が見えなくなる危険性があります。誰が生きていていいのかと、誰が生きていてはいけないのかということについてまで、人は決めることはできません。
聖書は、人は皆、天地万物を創造された神の御心によって生きることを示します。もし私たちが、自分の能力を基準にされて神から見られるとしたら、誰も神の前に生きることはできないでありましょう。神の赦しと慈愛により私たちは生きています。世の全ての人が等しくその神の愛の下にあります。人は、自分自身を含めて、命の可否について判断を下すことはできないのです。
神は一人ひとりに固有な命を与えておられます。誰もがその固有な命の中で、時には喜び、時には悲しみ、時には苦しむのです。その一つひとつの命に、神は意味を与えておられると信じます。
2016年7月26日未明、神奈川県相模原市緑区千木良にある障がい者福祉施設「津久井やまゆり園」で、刃物による殺傷事件が発生いたしました。同日中に19人の死亡が確認され、26人が重軽傷を負いました。
今回の事件は経済優先社会の価値観に毒された社会の犠牲者であり、このような社会にしてしまった私たちの悔い改めが求められる痛ましい事件です。
突然にして愛するご家族を失い、大きな悲しみと嘆きの中にある方々に神の深い慰めを祈ると共に、けがを負われた方々の癒しを心よりお祈りいたします。
津久井やまゆり園に献花におとずれたある介護福祉士は、「明るい雰囲気の施設がこんなことになって残念です。私たちは障がい者ではなく人として接しているのに」と目に涙を浮かべて話しました。明るい雰囲気の施設が地獄図となり、多くの犠牲者を出した悲劇は、日本のみならず世界に衝撃を与えています。
癒しがたい衝撃の痛みの中にある犠牲者のご家族、津久井やまゆり園の職員関係者の方々のために祈りを合わせたい。
願わくは、全ての人々が主イエス・キリストの神を正しく知ることによって、神の愛の中に一人ひとりが置かれていることを知り、互いに愛し合い、祈り合い、励まし合いながら歩む共生社会を目指したいと願います。
日本基督教団の中に「全国教師会」があることをご存知ですか?
この会は、1949年に開催された最初の全国教師大会から教団の要職者が「教師の交わり」の必要を覚えて、1951年に発足しました。当時、結核を患いながらも卵一個が買えない教師、経済的理由で自分の葬儀が出せない教師がいて、教師同士が互いに助け合って行こうという志でした。
現在も当初の趣旨に沿って、教団教職の交わりと互助の推進を深め、隠退後も教師間の交流が保たれるように、年2回の会報『全国教師会報』を発行しています。喜びも悲しみも分かち合おうと、会員の会費(年額6千円、隠退後は3千円)や献金から、祝事・慰労・見舞・弔意を贈呈し、必要な場合は融資も行っています。また、毎年7月第1主日「教師の日」を知っていただくように努めています。
今日、伝道者の生活が配慮されてかつての困窮が無くなったかのようですが、一方で教師の減少や信徒の高齢化は否めず、将来には過去にも増して厳しさが予想されます。この機会に、教区・支区の教師会や出身神学校同窓の支え合いだけでなく、教団視野で「全国教師会」の意義をご理解いただければと思います。
今年3月、当会の前理事長佐野英二教師が隠退し、新理事長に梅津裕美教師が就任しました。信徒が「全国信徒会」や「隠退教師を支える運動」で教団を支えていることを思いますと、全国規模で教師同士の「互助」を目指すこの会を継承し活動を続けたいと願っています。
日本基督教団の現任教師は、ぜひ入会してください。入会後、隠退された場合も引き続き会員として互助の交わりが続きます。
連絡先 〒169-0051東京都新宿区西早稲田2-3-18-31 日本基督教団事務局内「全国教師会」
TEL 03-3202-0541、E-mail zenkoku.kyoshikai@gmail.com
「大切なものは奪われていない」、15年9月の「関東・東北豪雨」による水害からの復興に向けた歩みを振り返り、松本宏子さんは語る。
お宅は床上150センチが浸水し、一階にあったもののほとんどを廃棄することになった。所属する水海道教会、併設する二葉こども園も30~40センチ程浸水した。
高度経済成長期には、飛躍的に経済が発展し、持ち物も増え、それがもたらす便利さを享受して来た。今回の水害で、持っていた物の多くを失った。しかし、失ってみると、「生きて行く上で必要なものはそれほど多くない」ということが分かって来たという。
松本さんは、教会役員として奉仕するようになってから、月報「交わり」の編集、教会ホームページの管理、更新を担当するようになった。水害が起き、実家に避難する際に、ノートパソコンを携えて行ったため、教会の電話も開通しない中、ホームページで情報を流し、月報も発行することが出来た。普段、それ程多くないホームページの閲覧数が、水害の際に大きく上昇したそうだ。その情報を得て、地域の教会の牧師、信徒はもとより、全国の教会から多くの献金、支援が寄せられた。
家族や主にある兄弟姉妹が示してくれる温かい見舞いの言葉や差し伸べてくれる手助け、それらを通して証しされる神の存在を深く知らされたという。洪水でさえも奪うことが出来なかった、主にある交わり、主が与えてくださる繋がりこそ人を生かす大切なものであり、他のものは、多少、便利になるかどうかという相対的なものでしかないとの思いに至った。
教会の教勢低下を思わずにはいられない昨今、諸教会と共に、主にある交わりを形作るべく仕えて行きたいと語る。
水海道教会員
22:1 イエスは、また、たとえを用いて語られた。
22:2 「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。
22:3 王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。
22:4 そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』
22:5 しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、
22:6 また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。
22:7 そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。
22:8 そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。
22:9 だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』
22:10 そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。
22:11 王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。
22:12 王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、
22:13 王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』
22:14 招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」
越谷教会付属越谷幼稚園での礼拝は、日曜日は教会学校幼稚科として、水曜日は全園児の合同礼拝として献げられている。
今春、つばきちゃんは越谷幼稚園を卒業して小学校に行った。1年生になって、休み時間、校庭で遊んでいる時、つばきちゃんは、お腹を男の子に蹴飛ばされて泣いた。その男の子は「ごめんね」と言ってくれた。
クラスで大騒ぎとなった。次の授業は「道徳の時間」でこの問題が取り上げられた。
男の子は激しく叱られて机を持って廊下に出された。担任の教師はクラスの子どもたちに「A君をゆるせる人、手を上げて」と問うた。手を上げたのは、つばきちゃん一人だった。「何故ゆるせるのか」と教師がつばきちゃんに問うた。つばきちゃんは「ごめんねって言ってくれたから」と答えた。
教師の問いをつばきちゃんは叱られたと思って泣き出した。廊下の男の子もこれを聞いて泣き出した。
授業の終わりの時間が来て、「A君を連れてくるように」と担任が言った。つばきちゃんを始め、何人かが迎えに行った。
家で母親が「何故ゆるせたの」とつばきちゃんに聞いた。
つばきちゃんは「だってイエス様は十字架にかかって、みんなの事をゆるしてくれたから。みんな神様の子どもなんでしょう」と答えた。この話を聞いて涙が出るほど嬉しかった。
(教団総会議長 石橋秀雄)
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