パソコンを使って、日本語を操る外国人は増えたが、東京・杉並の学生友愛会(SCF)主事補として、英語と日本語で「聖書を読む会」を受け持つジュングさんほどの、外国人の日本語使いは、それほど多くない。出会った人の誰もが、まず、その日本語にびっくりする。
日本生まれでも、日本に留学した訳でもない。ジュングさんは、アフリカ・コンゴ民主共和国生まれのコンゴ人。8歳の時、父親が宣教師として米国に赴き、翌年、アフリカ・セネガル共和国の宣教兼務となったことから、ジュングさんも、米国とセネガルを行き来し、高3の時、米国に定住した。
ボストンの高校から、ノースカロライナ大学に入学。外国語は3年間学んだが、日本語は第2専攻だった。大学4年の時、短期間だったが、名古屋を訪れる機会に恵まれ、日本への関心が高まった。
ジュングさんは、建築設計の道を志して大学院に進んだが、「大学院に入ったら、学費が高くて続かず、1年で休学した」。
そんな折り、米合同メソジスト教会(UMC)が日本派遣青年1名を募集していることを知って応募し、採用となったのも、抜群の日本語力があったからに違いない。昨年12月、26歳で日本にやって来た。任期は、来年6月までの1年半なので、中間点に来たところだ。
SCFでは、聖書勉強会の他、日本語でのニューズ・レターの編集、コーヒーを飲みながら信仰を語り合う会などがあり、余暇に若手牧師らとサッカーを楽しむ。
主事補としての仕事では、夏の若者とのキャンプも主事補の主要な仕事で、今夏、3つのキャンプを終え、インタビューした折りも、「来週は奥羽キャンプ」と意気軒昂だった。
George Ndjungu、1989年生まれ。学生キリスト教友愛会(SCF)主事補。
27:27 十四日目の夜になったとき、わたしたちはアドリア海を漂流していた。真夜中ごろ船員たちは、どこかの陸地に近づいているように感じた。
27:28 そこで、水の深さを測ってみると、二十オルギィアあることが分かった。もう少し進んでまた測ってみると、十五オルギィアであった。
27:29 船が暗礁に乗り上げることを恐れて、船員たちは船尾から錨を四つ投げ込み、夜の明けるのを待ちわびた。
27:30 ところが、船員たちは船から逃げ出そうとし、船首から錨を降ろす振りをして小舟を海に降ろしたので、
27:31 パウロは百人隊長と兵士たちに、「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたは助からない」と言った。
27:32 そこで、兵士たちは綱を断ち切って、小舟を流れるにまかせた。
27:33 夜が明けかけたころ、パウロは一同に食事をするように勧めた。「今日で十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。
27:34 だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。」
27:35 こう言ってパウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。
27:36 そこで、一同も元気づいて食事をした。
27:37 船にいたわたしたちは、全部で二百七十六人であった。
27:38 十分に食べてから、穀物を海に投げ捨てて船を軽くした。
27:39 朝になって、どこの陸地であるか分からなかったが、砂浜のある入り江を見つけたので、できることなら、そこへ船を乗り入れようということになった。
27:40 そこで、錨を切り離して海に捨て、同時に舵の綱を解き、風に船首の帆を上げて、砂浜に向かって進んだ。
27:41 ところが、深みに挟まれた浅瀬にぶつかって船を乗り上げてしまい、船首がめり込んで動かなくなり、船尾は激しい波で壊れだした。
27:42 兵士たちは、囚人たちが泳いで逃げないように、殺そうと計ったが、
27:43 百人隊長はパウロを助けたいと思ったので、この計画を思いとどまらせた。そして、泳げる者がまず飛び込んで陸に上がり、
27:44 残りの者は板切れや船の乗組員につかまって泳いで行くように命令した。このようにして、全員が無事に上陸した。
私共の礼拝堂には聖餐時に用いる恵みの座がある。普段は目立たないが、聖餐式では専用の赤い絨毯が敷かれ、信仰者たちがそこに跪いて聖餐を受けるのである。膝を置く部分、手を置く部分の木には、恵みの座が作られた時からの丸みに加えて、年月が作り出した丸みがあることに気づかされる。様々なことでついた小さなきずもたくさんあるが、明らかに人々の膝や手が置かれることで作られた丸みがそこには加わっている。一体どれだけの人々がそこで聖餐の恵みにあずかったことか、信仰の力を得たことか、聖餐式を行うたびに深く思わされることである。礼拝に於いて、イエス・キリストの贖いの恵みを受け取る座として信徒一人一人に掛け替えのない大切な場である。
新会堂を建てる計画が今、進められているが、建築の基本的な理念の中に、恵みの座を用いる教会の伝統に従って聖礼典を執り行い、人々の霊性を豊かに育てる教会、ということが記されている。新会堂にも恵みの座が置かれ、信徒の聖餐にあずかる姿がそこに現されるのである。新会堂の恵みの座に人々の膝や手によってつけられる丸みが出来るには相当の年月が必要であろう。重ねられる恵みの中で教会そのものが成長して行き、更に主の栄光を表すことができるようにと祈っている。現会堂の建築に携わった先達の祈りをいま感謝しながら。
(教団総会副議長 佐々木美知夫)
27:13 ときに、南風が静かに吹いて来たので、人々は望みどおりに事が運ぶと考えて錨を上げ、クレタ島の岸に沿って進んだ。
27:14 しかし、間もなく「エウラキロン」と呼ばれる暴風が、島の方から吹き降ろして来た。
27:15 船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことができなかったので、わたしたちは流されるにまかせた。
27:16 やがて、カウダという小島の陰に来たので、やっとのことで小舟をしっかりと引き寄せることができた。
27:17 小舟を船に引き上げてから、船体には綱を巻きつけ、シルティスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて海錨を降ろし、流されるにまかせた。
27:18 しかし、ひどい暴風に悩まされたので、翌日には人々は積み荷を海に捨て始め、
27:19 三日目には自分たちの手で船具を投げ捨ててしまった。
27:20 幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた。
27:21 人々は長い間、食事をとっていなかった。そのとき、パウロは彼らの中に立って言った。「皆さん、わたしの言ったとおりに、クレタ島から船出していなければ、こんな危険や損失を避けられたにちがいありません。
27:22 しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。
27:23 わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、
27:24 こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』
27:25 ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。
27:26 わたしたちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです。」
27:1 わたしたちがイタリアへ向かって船出することに決まったとき、パウロと他の数名の囚人は、皇帝直属部隊の百人隊長ユリウスという者に引き渡された。
27:2 わたしたちは、アジア州沿岸の各地に寄港することになっている、アドラミティオン港の船に乗って出港した。テサロニケ出身のマケドニア人アリスタルコも一緒であった。
27:3 翌日シドンに着いたが、ユリウスはパウロを親切に扱い、友人たちのところへ行ってもてなしを受けることを許してくれた。
27:4 そこから船出したが、向かい風のためキプロス島の陰を航行し、
27:5 キリキア州とパンフィリア州の沖を過ぎて、リキア州のミラに着いた。
27:6 ここで百人隊長は、イタリアに行くアレクサンドリアの船を見つけて、わたしたちをそれに乗り込ませた。
27:7 幾日もの間、船足ははかどらず、ようやくクニドス港に近づいた。ところが、風に行く手を阻まれたので、サルモネ岬を回ってクレタ島の陰を航行し、
27:8 ようやく島の岸に沿って進み、ラサヤの町に近い「良い港」と呼ばれる所に着いた。
27:9 かなりの時がたって、既に断食日も過ぎていたので、航海はもう危険であった。それで、パウロは人々に忠告した。
27:10 「皆さん、わたしの見るところでは、この航海は積み荷や船体ばかりでなく、わたしたち自身にも危険と多大の損失をもたらすことになります。」
27:11 しかし、百人隊長は、パウロの言ったことよりも、船長や船主の方を信用した。
27:12 この港は冬を越すのに適していなかった。それで、大多数の者の意見により、ここから船出し、できるならばクレタ島で南西と北西に面しているフェニクス港に行き、そこで冬を過ごすことになった。
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