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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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使徒言行録1・15~26

2016年7月26日

1:15 そのころ、ペトロは兄弟たちの中に立って言った。百二十人ほどの人々が一つになっていた。
1:16 「兄弟たち、イエスを捕らえた者たちの手引きをしたあのユダについては、聖霊がダビデの口を通して預言しています。この聖書の言葉は、実現しなければならなかったのです。
1:17 ユダはわたしたちの仲間の一人であり、同じ任務を割り当てられていました。
1:18 ところで、このユダは不正を働いて得た報酬で土地を買ったのですが、その地面にまっさかさまに落ちて、体が真ん中から裂け、はらわたがみな出てしまいました。
1:19 このことはエルサレムに住むすべての人に知れ渡り、その土地は彼らの言葉で『アケルダマ』、つまり、『血の土地』と呼ばれるようになりました。
1:20 詩編にはこう書いてあります。『その住まいは荒れ果てよ、/そこに住む者はいなくなれ。』/また、/『その務めは、ほかの人が引き受けるがよい。』
1:21‐22 そこで、主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人になるべきです。」
1:23 そこで人々は、バルサバと呼ばれ、ユストともいうヨセフと、マティアの二人を立てて、
1:24 次のように祈った。「すべての人の心をご存じである主よ、この二人のうちのどちらをお選びになったかを、お示しください。
1:25 ユダが自分の行くべき所に行くために離れてしまった、使徒としてのこの任務を継がせるためです。」
1:26 二人のことでくじを引くと、マティアに当たったので、この人が十一人の使徒の仲間に加えられることになった。

2016年7月25日

1:1‐2 テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。
1:3 イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。
1:4 そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。
1:5 ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」
1:6 さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。
1:7 イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。
1:8 あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」
1:9 こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。
1:10 イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、
1:11 言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」
1:12 使徒たちは、「オリーブ畑」と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある。
1:13 彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。それは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダであった。
1:14 彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。

2016年7月24日

11:23 わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、
11:24 感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。
11:25 また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。
11:26 だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。
11:27 従って、ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。
11:28 だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。
11:29 主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。

2016年7月23日

北村氏「免職」撤回、議論の場設置要求を可決

神奈川教区

 第136回神奈川教区総会は、6月25日、清水ヶ丘教会で正議員233名中184名出席で開催。教団総会に提出する議案をまとめることが中心となった。

 一つは、北村慈郎氏関連の問題で、長崎哲夫問安使の挨拶への質疑においても、北村氏の問題への発言が相次いだ。長崎問安使は、これまでの経緯を踏まえつつ、「教憲・教規からの逸脱は、黙視するわけにいかない」、「教師として帰ることを待っている」と応じた。

 その後に上程された北村氏問題関連議案は、「免職」撤回を求め、教団内に聖餐のあり方について議論する場を教団総会に求めるものであった。質疑では、「未受洗者配餐は、教会の基盤破壊に他ならない」、「教団の手続きから考えると北村氏排除の動きがあったとしか思えない」、「教団への議案として提出するのであれば、少なくともそれまで教憲・教規を守ることを明らかにすべき」と、賛否が大きく分かれた。答弁を担当した平良愛香議長は、「在日の指紋押捺拒否の戦いは、法律に従わないことで物を言い続けた。まず規則に従ってからというのは、説得力があるように聞こえるが、そうするわけにもいかないという思いもある」と応え、本件は156名中112名の賛成で可決された。

 もう一つは、教団総会に辺野古基地建設への抗議声明、並びに沖縄教区に謝罪し、関係修復と合同のとらえなおしを提出する議案で、議場からは教会の問題と政治的な問題を同列に扱うことに質疑は集中した。「異なる次元のことが一つの議案で語られている。どの場所にあっても、教会はキリストへの信仰告白で一つになる」との意見の一方で、「教会のことと社会のことは、生の現実の上では、切り離すことができない」との意見があり、賛否両論ある中、154名中99名の賛成で可決。北村氏議案と共に教団総会に提出することとなった。

 また、パワー・ハラスメントに関する訴えに対しての常置委員会の対応が問題とされた議案は、再三の議事延長を重ね、議論したが、常置委員会付託となった。但し、平良議長は、事柄が常置委員会だけで対応できないため、グループを作り、対応することを付け加えた。

 その他、うるま市暴行殺害事件抗議声明を145名中108名の賛成で可決。

 また、2名の按手礼と2名の准允式が執行された。

 今総会は、5月常置委員会において副議長を一身上の都合で退いた古谷正仁牧師に代わり就任した孫裕久副議長での初の総会となった。

教団総会議員選挙結果
【教職】平良愛香(三・一)、孫裕久(川崎戸手)、藤掛順一(横浜指路)、小宮山剛(逗子)、秋間文子(茅ヶ崎南湖)、寺田信一(横須賀小川町)、星野健(三田)、井殿準(翠ヶ丘)、古谷正仁(蒔田)、山﨑正幸(横浜二ツ橋)、吉田慈(林間つきみ野)、三宅宣幸(元住吉)、宗野鏡子(田園江田)

【信徒】伊東永子(翠ヶ丘)、武田利邦(横浜二ツ橋)、中林克彦(鎌倉雪ノ下)、斉藤圭美(高座渋谷)、望月克仁(鎌倉雪ノ下)、塚本智子(横浜指路)、都筑正顕(横須賀小川町)、伊藤幾夫(紅葉坂)、坂井悠佳(橋本)、吉岡直人(六角橋)、末吉悦子(秦野西)、内田眞一郎(横浜明星)、吉澤暢紘(横浜本牧)
(佐藤 進報)

 

17教区総会を終えて-対話を求めて-

教団総会議長 石橋秀雄

 教区総会を問安し、17教区の問安を終えて、問安使たちが「按手礼、准允式が厳粛に行われて感動」と語りあった。教団の重要な使命は「教師をたてる」ことであるが、教区において厳粛な按手礼が行われていることに励まされた。

 同時に教憲第6条が損なわれている問題を痛みに感じざるを得ない。私は教団議長に選任されてから「教区問安は議長としての責務」として問安使拒否の教区にも積極的に行き続けて来た。

 「問安使拒否は、諸教会と教団との対話と情報を得る権利を教会から奪うことになる」との指摘がなされている。

 「信仰の一致と伝道協力」が教団の重要な課題と訴えてきたが、伝道資金の運用がなされ、教区の伝道課題を全体教会で担い合うことが、切実に求められている時、問安使拒否で教区との関係が断ち切られることは諸教会にとってあり得ないことだ。

 大変励まされたことは、ある教区で、伝道資金の運用をめぐって、「どのように伝道に取組むか」ということで活発な議論がなされていたことだ。

 それぞれの教会の地域で伝道ビジョンが立てられ伝道する業に伝道資金が用いられて行ったら、その影響は全体教会に及び、教団の活性化に繋がると確信させられた。

 熊本・大分大地震が発生し、震度7の地震の後、震度7.3の本震が発生しその後も今日までなお地震が続き、その恐怖から来る精神的ダメージはわたしたちの想像を越える。

 どの教区でも大災害の報告と祈りが捧げられた。

 被災地の教会の牧師は、自らの被災に痛みを抱えながら地域の被災者のために走り回っておられる。特に九州教区の梅崎浩二議長は、今までの被災教区の被災への取り組みを見つめ、冷静に確実に初動と対策を進めておられることに感銘を受けた。

 九州教区総会で、川島直道牧師(熊本地区長、錦ヶ丘)は被災報告をなされる中で、地震直後の礼拝について話された。「洗礼盤がヒックリかえり、パイプオルガンのパイプが飛び散り余震が続くなかで、共に讃美歌を歌い、御言葉を聞き、大地が揺れ動く中でここだけが平安、この体験は忘れられない」との言葉に心揺り動かされた。教団としては、九州教区の教会・牧師館の被害状況が明らかになった時点で九州教区の要請に基づき全教団的に取り組んで行きたいと願っている。

 沖縄教区では新三役が選出された。平良修新議長は「17教区中、他の教区にはない危機の中にある」と就任挨拶をされた。同教区総会議場で私は平良新議長に「個人的にでもお話をさせていただきたい」と挨拶をした。対話の道が開かれることを切実に願っている。

 説教が思わぬ聞かれ方をするのを経験する。果たしてそんなこと語っただろうか、と驚かされるような事後の印象や感想を聞くことがある。肯定的な内容においても、否定的なそれにおいても。▼説教が取扱説明書のように間違えなくキリスト者の生活を導き指導するマニュアルであるなら間違って聞かれてはならない。しかし、説教は1+1が2というようには合理的には聞かれていない。語るほうも、どこかで理屈が破綻していることを自覚している。しかし、その非合理、非効率な語りで励まされたり、戒められたり、教えられたりする。不思議な言葉の営みだ。▼確かに、語る意図として間違いなく聞いてほしいと願い語ることもある。説教にはそういった教育の要素が皆無ではない。そうではあっても聞き手の心を説教者が支配するようには教えることは決してできない。それが出来たら、また、していたら恐ろしいことである。▼本紙の編集、校正、発行作業で一語削り、一字加える。「が」を「は」に代える。それだけで読み方が全く違ってくることを経験する。読まれ間違いが無いよう細心の注意をしても、そう読まれたか、ということを経験する。

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