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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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ウェスレー財団からのお知らせ 「女性のエンパワメントフォーラム」

2016年4月12日

「女性のエンパワメントフォーラム」
CSW(国連女性の地位委員会)派遣者による提言~

 

世界では何が話されているのか?~

CSW(国連女性の地位委員会)・UMW(

 

合同メソジスト教会女性部)

 

並行セッションにウェスレー財団より派遣された草の根活動家たち

 

を講師に迎え「女性のエンパワメントフォーラム」

 

を2日間にわたり開催いたします。

内容
・国連女性の地位委員会(CSW)とは?
・女性に対する暴力
・農山漁村女性のエンパワメント
・持続可能な開発と女性

講師:
荒川朋子(アジア学院校長)
大野綾子(日本YWCA)
斎藤恵子(日本キリスト教婦人矯風会幹事)
高里鈴代(強姦救援センター・沖縄Reico代表)
福嶋美佐子(ChildFund Japan 副理事長)
宮本潤子(ECPAT/ストップ子ども買春の会共同代表)
山岡万里子(ノット・フォー・セール・ジャパン代表)

日時:4月29日 13:30~17:30
4月30日 10:00~12:10

場所:東京都港区南青山6−10−11
ウェスレーセンター205号室

入場は無料です。どなたでも自由にいらしてください。
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詳細は下記当財団のウェブサイトにてご確認いただけます。
http://wesley.or.jp/program/event/csw.html

1:9 わたしは、あなたがたの兄弟であり、共にイエスと結ばれて、その苦難、支配、忍耐にあずかっているヨハネである。わたしは、神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島にいた。
1:10 ある主の日のこと、わたしは“霊”に満たされていたが、後ろの方でラッパのように響く大声を聞いた。
1:11 その声はこう言った。「あなたの見ていることを巻物に書いて、エフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアの七つの教会に送れ。」
1:12 わたしは、語りかける声の主を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見え、
1:13 燭台の中央には、人の子のような方がおり、足まで届く衣を着て、胸には金の帯を締めておられた。
1:14 その頭、その髪の毛は、白い羊毛に似て、雪のように白く、目はまるで燃え盛る炎、
1:15 足は炉で精錬されたしんちゅうのように輝き、声は大水のとどろきのようであった。
1:16 右の手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出て、顔は強く照り輝く太陽のようであった。
1:17 わたしは、その方を見ると、その足もとに倒れて、死んだようになった。すると、その方は右手をわたしの上に置いて言われた。「恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、
1:18 また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている。
1:19 さあ、見たことを、今あることを、今後起ころうとしていることを書き留めよ。
1:20 あなたは、わたしの右の手に七つの星と、七つの金の燭台とを見たが、それらの秘められた意味はこうだ。七つの星は七つの教会の天使たち、七つの燭台は七つの教会である。

2016年4月11日

1:1 イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストにお与えになり、そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである。
1:2 ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分の見たすべてのことを証しした。
1:3 この預言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちとは幸いである。時が迫っているからである。
1:4‐5 ヨハネからアジア州にある七つの教会へ。今おられ、かつておられ、やがて来られる方から、また、玉座の前におられる七つの霊から、更に、証人、誠実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから恵みと平和があなたがたにあるように。わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方に、
1:6 わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。
1:7 見よ、その方が雲に乗って来られる。すべての人の目が彼を仰ぎ見る、/ことに、彼を突き刺した者どもは。地上の諸民族は皆、彼のために嘆き悲しむ。然り、アーメン。
1:8 神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」

2016年4月10日

21:1 その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。
21:2 シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。
21:3 シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。
21:4 既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。
21:5 イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。
21:6 イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。
21:7 イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。
21:8 ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。
21:9 さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。
21:10 イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。
21:11 シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。
21:12 イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。
21:13 イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。
21:14 イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。

2016年4月9日

はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。 《ヨハネによる福音書 12章24節》

ワークキャンプの思い出

 転任のために荷物を整理していたら、古いワーク・キャンプの資料が出て来ました。

 以前働かせていただいた教会で、特別伝道集会があって、T牧師に説教に来ていただきました。T牧師はある伝道所で主任教師として働いておられましたが、その伝道所は、いわゆる「しょうがい」をもつ人たちも「健常者」といわれる人たちも、共に生きる教会を目指して活動しておられました。

 聖書の言葉は、私たちに強くなれとは言っていない。私たちに弱くなるようにと言っている。弱い者たちが集まって輝くようにされているのだ。

 これから伝道所の庭を使って、シイタケを作りたいと思っている。「しょうがい」を持つ人もそうでない人も、一緒に働くことが出来る場所を作りたい。そして、誰もが輝いて、うれしい思いになる伝道所にしたい。

 そのように熱く語られたT牧師の話を聞いて、それまでの私が持っていなかった発想に心を動かされました。「ぜひ、うちの伝道所に来てください。そしてワーク・キャンプをしてください」。

 そう言われて、「ぜひとも、行かせてください」と言ったのですが、かなり離れたところでしたので、すぐに行くことは難しいことでした。それでも、教会の方たちの応援をいただいて、青年の方たちと共にその伝道所に出かけていくことが実現したのでした。

 私にとっては初めて行く土地でした。すぐに伝道所の信徒の方たち、近隣の教会の信徒、教師の方たちが集まってくださり、これまで地域の教会、伝道所が課題として取り組んでこられたこと、平和を実現するための取り組み、教会、伝道所が連帯して共に歩んでいこうとしておられる歩みを教えていただきました。

 それと共に、その伝道所が持っておられる夢について語っていただき、私は来ることが出来て良かったと思いました。

 作業の手順を教えていただきながら、伝道所の庭に、シイタケ栽培のためのビニールテントを建てます。シイタケの菌を植え付けた「ホダ木」を水につけるための水槽を作りました。

 慣れない作業に手こずりながらも、テントが建ち、水槽が出来上がりました。シイタケの菌を植え付けた「ホダ木」を水につけ、テントの中に並べて、私たちの作業は終わりです。あとはシイタケが芽を出すのを待つばかりでした。

 ほんの数日の作業でしたが、その間、伝道所の方たちにすっかりお世話になり、ジンギスカンもいただいて、楽しく、有意義な時間を過ごすことが出来ました。また、そのために近隣の教会の教師たちだけではなく、信徒の方たちも集まってこられるということは、私にとって新鮮なことであり、私たち一同は、感謝して過ごしました。

 そして「ワークキャンプ」というのは、出かけていって何かを「してあげる」ことではなく、手間を取らせて、たくさんお世話になって、一緒に働いて、うれしい気持ちをもらうことだと気付かされました。そのような貴重な体験をさせていただいたのでした。

 

ひとりの教師の逝去に際して

 けれども、その場にT牧師はおられなかったのです。T牧師は肺ガンを患われ、入院しておられたのでした。

 作業を終えて伝道所を離れてから、私はT牧師の見舞いに行きました。T牧師はベッドに横たわられ、肩で大きく息をしておられました。

 私は、「先生、来ましたよ」と声をかけました。何と言ったらいいのかわからないままに、「先生が帰られる頃には、伝道所の庭にシイタケがたくさん出来ていますよ」と言ったのでした。

 T牧師は、「ありがとう。ぼくは幸せだ」と言われました。

 翌朝、T牧師は天に召されました。T牧師の体が伝道所に帰ってきた時、伝道所の庭に初めてシイタケが出来たのでした。その「ホダ木」がT牧師の棺に納められました。

 地上の命には終わりがあります。尊い働きにも終わりの時があります。

 私たちが働いていた間、T牧師はそこにおられませんでしたが、一緒に働いていたのです。T牧師は、今は地上にはおられませんが、その語られた言葉は今も生きているのです。

 主によって立てられた教会、伝道所が掲げてきた幻、弱くされているものも、小さなものも、連帯して、共に働き、共に輝くということは、いつまでも続くと信じたいのです。

 

一粒の麦が地に落ちることで

 十字架の死を目前にされたイエスは、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ」と語られました。

 教会、伝道所は、この世の中で、弱く、小さなものかもしれません。その私たちが連帯し共に歩むことを目指す中で、主の復活の光を受け輝くものとされているのです。

 教会、伝道所は、この世に仕え、この世の中で共に働く時、立ち続けることが出来るのだと思います。

 一粒の麦が地に落ちて死んだなら多くの実を結ぶ。そのあり方を、主イエス・キリスト御自身が、十字架の死によって示されました。ご自身をささげられて、私たちに命を示されたのです。

 この主の業を指し示す働きに招かれた者は、自分の力や大きさを求めるものではありません。この世の力や速さにこだわるものでもありません。

 教会、伝道所も、そこに連なる私たちも、自分の大きさを誇るものではありません。一粒の麦として生き、また、死に、復活の命を示された主に従って、人の力を越えた命へと招かれて行く。その歩みが受け継がれていく。そのことを信じて歩みたいと願います。
(弓町本郷教会牧師)

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