多くの社会的課題・問題・宿題が山積中であります。 災害、基地、貧困、人権等…。関わるからにはそこには「責任」と「継続」が大切です。事柄への真摯な態度と同時に、後に続く者へのバトンタッチは関わり続ける我々の務めです。
しかし、最も忘れてならないことは、「神の民」として、 「主イエスの弟子として」種々の課題に取り組む姿勢です。それが即ち、「教会らしく」社会問題を取り扱う、ということでしょう。昨今、世界は、怒り・憎しみ・報復などの原理で動かされる傾向にあります。それに、「私利私欲」的に関わる国や個人も多くあります。教会人として問題を考える時、その原理で動いていい筈がない、と思わされます。中心は、「神がそれを喜ばれるのか」ということでしょう。それは、神の福音に生かされている教会人の為すべき生き方でしょう。ならば、聖書の中心メッセージは何かということが委員会を動かす原動力とも言えます。
言うまでもないことですが、我らが受け取った良き知らせは、主イエス・キリストの「十字架と復活」を中心にした、 神の赦しと憐みに生かされている者であるということです。この第39総会期に課題を担う我らは、社会人として関わる前に、まず一人の、神に赦され、和解させて頂いた罪人として、教会人として真摯に、焦らず、右往左往せずに、歩みを進めたいと思っています。そのためには、全国的支えと理解が不可欠です。全国の諸教会に新年の恵みが豊かにあるよう祈ります。(社会委員長)
12月1日、第17回日本基督教団と在日大韓基督教会との歴史共同研究委員会が教団会議室で開かれた。両教団の宣教協力の一環として年3回開催されている本委員会では、毎回発題者を決め、互いの教団の歴史や日韓・日朝関係史を学び合い、人権問題や歴史教育問題、ヘイトスピーチの問題などについても論じ合ってきた。今回は山田貞夫委員(西方町)による「高麗博物館のはたらき」というテーマでの発題と討議がおこなわれた。
新宿区大久保にあるNPO法人高麗博物館は、市民がつくる日本・コリア交流の歴史博物館として、2001年に開館した。博物館の目的は、①日本とコリア(韓国・朝鮮)の間の長い豊かな交流の歴史を、見える形で表し、相互の歴史・文化を学び、理解して、友好を深めること、②秀吉の2度の侵略と近代の植民地支配の罪責を反省し、歴史の事実に真向い、日本とコリアの和解を目指すこと、③在日韓国・朝鮮人の生活と権利の確立を願いながら、在日韓国・朝鮮人の固有の歴史と文化を伝え、民族差別のない共生社会の実現を目指すこと、の3つである。これらの目的を実現するため、古代から現代までの歴史常設展示と企画展示、チマチョゴリの試着体験や出前授業、音楽や舞踏の公演、講演会、ハングル講座、韓国旅行などを行っている。
年間来館者数は約3000人。財政は主に約800人の会員の会費と寄付で賄われ、活動は60~70人のボランティアで支えられている。厳しい財政状況と会員の増加が課題であるとのことだ。
発題後の討議では、キリスト教学校の校外授業や教会の人権学習などで高麗博物館がどのように活用されているのか、博物館の維持・発展のために今後どうしてゆくべきかなど、活発に意見交換がされた。
展示パネルの貸し出しも行っており、長野の篠ノ井教会では毎年講演会とパネル展示会を開催しているとのことである。和解と共生社会の実現のために、ぜひ教区や教会の研修などでも高麗博物館が活用されてゆくことを希望している。(佐藤飛文報)
教師転入・宣教師受け入れの課題を協議
日本基督教団と在日大韓基督教会(以下KCCJ)とは、宣教協約を結んでいる。毎年6月には湯河原にて、両教団の代表者による協議会を開催し有意義な交流の場となっている。
今年の協議会で話された事柄の一つとして、(KCCJからの)「転入審査」があげられた。それを受けて、教団とKCCJとの間で「教職者人事に関する協議会」を設けることが決定された。
構成メンバーとして、教団からは、雲然俊美(教団書記)、長崎哲夫(総幹事)、加藤誠(世界宣教担当幹事)、道家紀一(教師・教師検定担当幹事)、KCCJからは、金性済(KCCJ名古屋教会牧師・総会長)、李根秀(KCCJ大垣教会牧師・機構改革委員長)、鄭然元(KCCJ大阪教会牧師・宣教委員長)、金柄鎬(KCCJ総幹事)を選出した。
第1回目の協議会は、9月8日、2回目は12月8日に行われた。2回にわたって協議されている事柄は主に以下の二点に分かれる。①教団の教師に転入する際の問題、②教団の教師に宣教師として受け入れる際の問題。
現在、教団の教師に他の教派から転入するにあたっては審査基準を厳しくする方針が打ち出されている。これについて、KCCJより宣教協約を結んでいるということは「職制を認め合う」ということであるから、このことを考慮した審査を行ってほしいとの申し出がなされた。この件は教師検定委員会と相談しながら判断すると答えるに留まった。
教団の宣教師として受け入れるかどうかは、宣教師人事委員会が扱うが、転入審査のようなことはしていない現状が伝えられた。ただし、転入する教師にも言えるが、教団の教会に仕えるには日本語能力の取得が求められる。インターン制度(教育期間)などを設けるなど前向きの方向も協議されている。(道家紀一報)
柳谷 明氏(隠退教師)
15年11月15日逝去、80歳。青森県生まれ。61年東京神学大学大学院卒業。同年より山形六日町、大船渡、八戸柏崎、山形六日町教会を経て、11年に隠退。
遺族は妻・柳谷迪子さん。
ガートルート・サラ・ビゲローは、1860年5月17日、ニューヨーク州に生まれた。
1883年、ミス・ビゲローは、ハミルトン・レディース・セミナリーを卒業後、地元の学校に勤務していた。その頃、帰国した宣教師が日本伝道について話した後、「だれかこの中で東洋にキリスト教を伝えるために献身する方はいないでしょうか」と呼びかけた。この呼びかけに応えたのが若き日のミス・ビゲローである。日本に赴任するために1886年9月、ニューヨーク州の試験を受け、中等学校教師の免許状を取得。1887(明治20)年、来日。26歳であった。1888年、長老教会教育宣教師として新榮女学校に着任した。新榮女学校は、築地居留地六番地にB六番女学校、その後、居留地42番に移転し新榮女学校、その後、櫻井女学校と合併して女子学院として開校する。ミス・ビゲローは着任の1年後、新榮女学校長に昇任。1890年に辞任し、北陸女学校に転任した。北陸女学校の草創期に金沢で2年間勤務、その後、山口市の光城女学校に着任した。
光城女学院は、1891年、服部章蔵によって、山口市道場門前(当時は山口町)の善福寺に山口英和女学校として開校。1892年、山口市後河原に移転し、光城女学院と改称。ミス・ビゲローは、この時期に着任した。服部章蔵院長、外人教師1名、日本人教師3名、生徒20名ほどの学校であった。ミス・ビゲローは教諭として、英語、倫理、唱歌、体操を担当した。1893年7月~1894年に一時帰国。デトロイトで開かれた会議に出席した。
1897年には、妹フローレンス・ビゲローも光城女学院に着任した。1899年、39才で第2代院長に昇進した。
1899年4月に長府の町から山口まで蒸気船と馬車を乗り継いで12才の少女が入学。この少女こそ、ミス・ビゲローが薫陶し彼女の意志をついでキリスト教教育のために貢献した、後の女子学院院長〈1947年~1966年〉山本つち(旧姓弘中)であった。山本つちは、『パレアナ』(E.H.Porter著)の訳者としても知られる。彼女の回想によると、ミス・ビゲローは、和裁、洋裁、刺繍までも教え、ベビーオルガンを校庭に持ち出しての体操やダンベルを使用した体操も指導した。また、愛馬カイザー号を駆って乗馬も楽しんだ。快活な女性であったと思われる。1909年には、米国の長老派事務局発行の雑誌『The Assembly Herald』に「Japan’s Daughters and Missionary Teacher」を寄稿している。1904年に一時帰国。
その後、光城女学院は、長崎の梅香崎女学校との合同校として、1914(大正3)年に梅光女学院として下関に開校。院長には梅香崎女学校の廣津藤吉、ミス・ビゲローは聖書、英語を担当した。花壇を整え校内を美化することに心を配った。
1919年には教育功労賞を山口県から受け、1921年には勤続30年の祝賀が行われた。
1930(昭和5)年、日本在留45年間、光城・梅光38年間の長きにわたる奉仕を終え、帰米の途についた。この時71才。帰米する折、梅光女学院に200冊の書物と、校庭後ろの山上に祈祷黙想の場所として煉瓦造りの頑丈なあづまやを建築し寄贈した。「祈りの家」である。1941年11月1日、カリフォルニア州ロサンゼルスにて死去。81才であった。
ミス・ビゲローについて、忘れがたい逸話は「青い目の人形」である。1927年、アメリカから12,739体の「青い目の人形」が届いた。伝道のために日本に居たS.L.ギューリックの働きより、平和のために日本に贈られた人形である。ミス・ビゲローは、山口市の公会堂に小学生の代表を集めて人形を贈った。その中の1体は、夏物のドレスには胸に刺繍があり、冬のコートのポケットには、米国の少女の手紙が入っていた。現在、山口市の大殿小学校に、ローズ・メアリーという冬のコートにポケットがある「青い目の人形」が保管されている。平和の願いと祈りは、時代と国境を越えて生き続いている。
梅光学院は、2014年に下関開学100周年を迎えた。ミス・ビゲローの愛弟子・山本つちの夫、山本五郎は、戦時下において理事長を務め、困難な時代を支えた。これもミス・ビゲローの影響と云われる。彼女の精神である「平和への願いと祈り」は、今も梅光学院に引き継がれている。
記録出典:梅光女学院遠望(梅光女学院同窓会編1987年)ほか
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