インスタグラムアイコンツイッターアイコンyoutubeアイコンメールアイコン
日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
newaccount

【4818号】「核エネルギーから持続可能エネルギーへの転換-宗教グループに何ができるか」 国際会議 (2015年3月3日〜6日 ドイツ・アーノルズハイン)

2015年4月11日

 核エネルギーから持続可能エネルギーへの転換-宗教グループに何ができるか』を主題にした国際会議が3月3日~6日にドイツのフランクフルト近郊のアーノルズハインで行われた。昨年、仙台で行われた教団主催の国際会議を更に発展させたもので、教団より岡本知之牧師と私とが招かれ、参加した。

 この会議の主催はヘッセ・ナッサウ・プロテスタント教会エキュメニカルセンターによるもので、「教会と核戦争に反対する物理学者の国際会議」(IPPNW)を更に発展させて、エネルギー転換を目指す国際的なネットワークを築いていこうという趣旨で開かれたものである。

 この国際会議の特徴は、参加者の多彩さであった。ドイツの各州教会の環境問題の担当者だけでなく、日本と韓国のプロテスタント、カトリックの代表者、活動家、日本の仏教界の活動家、僧侶、成長の家、イスラム教の環境問題と取り組んでいる人、WCCの環境問題専門家、国際ジャーナリスト、それに、原発事故による放射能汚染で深刻な被害を受けている飯舘村の人、福岡で川内原発の再稼動の反対1万人集会を企画し、毎日座り込みをしている人など、日本でこれまで出会わなかった人たちと出会い、問題と取り組んでゆく、まさに超教派、超宗派のネットワークが築かれたのである。

 会議は、参加者それぞれが取り組んでいる核廃絶をめぐるさまざまな活動の報告でぎっしりと詰まった会議であった。原発の維持と事故の処理にどれほどの情報操作と不正義が行われているかなどの現状認識とともに、どの教派、どの宗教でも、神学的な検討をもとに、それぞれの教義の中に、核に依存して生きる生活に対する警告があることが確認された。核エネルギーの使用が自然環境と将来の世代の命を侵害するものであること、ただ反原発を叫ぶだけでなく、教会施設のエネルギー使用の方法やわれわれの生活のあり方を変えていく実際的な多くの知恵と働きも紹介された。

 信仰者としてこの問題の議論と実践を深めること、この会議で構築されたネットワークを用いて、更に若い世代にこの問題を取り組む人材育成と発言の機会を与えるなど、教団としての課題と機会が開かれた。(秋山 徹報)

 仙台ホサナ教会に私が赴任したのは、1996年4月のことです。最初の任地で大変緊張しておりましたが、教会の皆さんがとても温かく迎えてくださいました。

 当時の教会の祈りの課題の一つは、「教会学校の生徒が与えられますように」でした。私もその祈りの輪に加わり、教会学校の先生たちと9時からの礼拝をしていました。

 赴任して2年4ヶ月後の1998年8月のこと、一人の青年、T君が教会学校の礼拝に来ました。1回限りではないかと思っておりましたが、その後続けて来るようになりました。そこでT君を囲んでのクリスマス会や夏期学校をし、また毎週日曜日の礼拝後の分級もするようになり、私とT君と2人で、10分から20分くらいの聖書の学びをしました。

 ある日のことです。この時の学びの聖書はマタイによる福音書10章5節から15節、十二人の弟子たちを派遣する場面でした。その中の9節から10節に「帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない」との御言葉について、T君に「イエス様はどんなことを言っておられると思いますか」と質問をしました。

 すると彼は「一言で言えば、“弱いままでいなさい”ということだと思います」と答えたのです。私は“はっ”としました。御言葉を伝えるのに、私自身が強くあらねばならいのではないか、もっとこうしなければならない、ああしなければならない、なんてこの自分は…、という思いを抱えていた時であったからです。

 そのT君の言葉に、私は、“弱いままでいいのだ、そこに神様が働いてくださる、私は静かにして、落ち着いて、その神様の御業を見させていただければいいのだ”との思いが与えられ、今まで突っ張っていた肩の力が、すっと抜けていくような感じがしました。

 その後もT君は礼拝にあずかり続けています。この間に、教会の中の数組の夫婦の間に幼な子が産まれ、その子たちが礼拝に集うようになり、さらに教会の近くに住んでいる子どもが教会に来るようになりました。

 そしてクリスマスには、ページェントが出来るほどになりました。一昨年より、アドベントの第3日曜日は、合同礼拝として行い、その中で、ページェントを神様にお捧げしています。教会の皆さんは、子どもたちの成長に目を細め、そのようにしてくださった神様の御恵みに感謝をし、主の御名を讃美していました。

 その歩みは一人からでした。T君を神様が教会に与えてくださったことから始まっているのです。

 ある聖書の御言葉が思い浮かんでまいります。

 「落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい」(出エジプト記14章13節)。

 官庁街とマンションが立ち並んでいる一角に仙台ホサナ教会が建っています。ホサナ教会の皆さん、T君とともに、落ち着いて、心静かにして主の救いの御業を見、主の御名を讃美していきたいと思っております。

7:8 わたしの敵よ、わたしのことで喜ぶな。たとえ倒れても、わたしは起き上がる。たとえ闇の中に座っていても/主こそわが光。
7:9 わたしは主に罪を犯したので/主の怒りを負わねばならない/ついに、主がわたしの訴えを取り上げ/わたしの求めを実現されるまで。主はわたしを光に導かれ/わたしは主の恵みの御業を見る。
7:10 「お前の神、主はどこにいるのか」と/わたしに言っていた敵は/このことを見て恥に覆われる。わたしの目はこの様を見る。今や、敵は路上の泥のように踏みつけられる。
7:11 あなたの城壁を再建する日/それは、国境の広げられる日だ。
7:12 その日、人々はあなたのもとに来る/アッシリアからエジプトの町々まで/エジプトからユーフラテスまで/海から海、山から山まで。
7:13 しかし、大地は荒れ果てる/そこに住む者の行いの実によって。
7:14 あなたの杖をもって/御自分の民を牧してください/あなたの嗣業である羊の群れを。彼らが豊かな牧場の森に/ただひとり守られて住み/遠い昔のように、バシャンとギレアドで/草をはむことができるように。
7:15 お前がエジプトの地を出たときのように/彼らに驚くべき業をわたしは示す。
7:16 諸国の民は、どんな力を持っていても/それを見て、恥じる。彼らは口に手を当てて黙し/耳は聞く力を失う。
7:17 彼らは蛇のように/地を這うもののように塵をなめ/身を震わせながら砦を出て/我らの神、主の御前におののき/あなたを畏れ敬うであろう。
7:18 あなたのような神がほかにあろうか/咎を除き、罪を赦される神が。神は御自分の嗣業の民の残りの者に/いつまでも怒りを保たれることはない/神は慈しみを喜ばれるゆえに。
7:19 主は再び我らを憐れみ/我らの咎を抑え/すべての罪を海の深みに投げ込まれる。
7:20 どうか、ヤコブにまことを/アブラハムに慈しみを示してください/その昔、我らの父祖にお誓いになったように。

 人間に普遍にある魂を問うことに導くことこそ、キリスト教学校の使命」。そう語る磯貝曉成さんは、中学時代、人間が死によって愛する者から切り離されて行く存在であることに恐れを抱き、聖書に関心を持った。高校時代、受洗した京都教会で、キルケゴールの専門家でもあった牧師から「人はなぜ生きるのか」とのテーマを投げかけられる。愛読書「デミアン」に出て来る「神学生」に興味を抱き、同志社神学部に入学。在学中、船でロシアに渡り、北欧を経てドイツに旅する。途中、修道院で生活し、アメリカ経由で帰国。1年かけた世界一周の旅程は、神と自分に向き合う貴重な経験になったという。

 大学院卒業後、静岡英和女学院で聖書科の教師として31年務め、副校長まで担った。その頃、新設される関西学院初等部の初代校長に抜擢される。この召しを受けた背後には、中高で教える中で感じ取っていた変化があった。かつての生徒は、少なからず「自分は何者なのか」との悩みを持ち、共にその問いと向かい合った。しかし、いつしか生徒たちの関心が、他者との比較の中での自分しか見なくなっていく。高度経済成長によって豊かさを享受して行く反面、個が育たず、他者との関係性も壊され、生き悩む者が生まれることに危機感を持ち、魂が育つ幼少期の子どもに出会うことに使命があると思ったのだそうだ。

 校長として6年務め、キリスト教学校教育同盟の働きに移り3年が経った。人間の間で起こっていることは、学校という集団間においても当てはまる。今こそ、各学校が、建学の精神を取り戻し、個々の学校のネットワークと教会との連帯を生み出さなければならない。「事務局長連絡会」、「災害総合支援連絡会」、「看護教育連絡会」、「教師支援地域ネットワーク」等、6つのプロジェクトを立ち上げ、刷新の空気を吹き込んでいる。

 「魂と向かい合おうとしない時代背景の中、赦されて生きている者であることを伝え、魂と魂の結びつき、出会いを生み出して行くことに具体的に取り組んでいきたい」と熱く語る。

1948年、京都生まれ。キリスト教学校教育同盟事務局長。

2015年4月10日

14:1 人は女から生まれ、人生は短く/苦しみは絶えない。
14:2 花のように咲き出ては、しおれ/影のように移ろい、永らえることはない。
14:3 あなたが御目を開いて見ておられるのは/このような者なのです。このようなわたしをあなたに対して/裁きの座に引き出されるのですか。
14:4 汚れたものから清いものを/引き出すことができましょうか。だれひとりできないのです。
14:5 人生はあなたが定められたとおり/月日の数もあなた次第。あなたの決定されたことを人は侵せない。
14:6 御目をこのような人間からそらせてください。彼の命は絶え/傭兵のようにその日を喜ぶでしょう。
14:7 木には希望がある、というように/木は切られても、また新芽を吹き/若枝の絶えることはない。
14:8 地におろしたその根が老い/幹が朽ちて、塵に返ろうとも
14:9 水気にあえば、また芽を吹き/苗木のように枝を張る。
14:10 だが、人間は死んで横たわる。息絶えれば、人はどこに行ってしまうのか。
14:11 海の水が涸れ/川の流れが尽きて干上がることもあろう。
14:12 だが、倒れ伏した人間は/再び立ち上がることなく/天の続くかぎりは/その眠りから覚めることがない。
14:13 どうか、わたしを陰府に隠してください。あなたの怒りがやむときまで/わたしを覆い隠してください。しかし、時を定めてください/わたしを思い起こす時を。
14:14 人は死んでしまえば/もう生きなくてもよいのです。苦役のようなわたしの人生ですから/交替の時が来るのをわたしは待ち望んでいます。

PageTOP
日本基督教団 
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18-31
Copyright (c) 2007-2025
The United Church of Christ in Japan