藤木正三氏(隠退教師)
15年1月22日逝去、87歳。大阪府に生まれる。55年に関西学院大学院を卒業、同年より暁明(64年千鳥橋、80年西九条と改称)、京都御幸町教会を経て93年に隠退。
遺族は息・藤木大三さん。
柏木和宣氏(隠退教師)
15年2月23日逝去、81歳。群馬県に生まれる。58年に同志社大学大学院を卒業、同年より尼崎、摂津三田、琴浦、紫野、倉敷教会を経て03年に隠退。05年に復帰し、湖山、平安教会の代務を務め、09年に隠退。
遺族は妻・柏木耿子さん。
登美丘教会は大阪府堺市大美野に位置します。1933年(昭和8年)、旧日本基督教会河南教会(現在の河内長野教会)の牧師・信徒が大美野に青空日曜学校を始め、そこに集まった母親たちの聖書集会から教会が誕生しました。更に遡ると、大阪・奈良・和歌山の各地に福音の種を蒔いた「わらじ履きの宣教師」ヘール先生の働きを忘れるわけにはいきません。
一昨年、教会創立80周年記念事業として教会堂及び牧師館の全面改築を行い、新しい思いで歩み始めたところです。人間の思いを超える主の御業に驚き感謝すると共に、篤い祈りと献金によりご支援下さいました全国の諸教会・兄弟姉妹の皆様にこの場を借りまして心よりお礼を申し上げます。
主が与えて下さった器を、主の御業のために十分に用いさせて頂くことが私たちの祈りです。教会堂が地域にあって、礼拝・伝道・教育・牧会の諸機能を十分に発揮するために中長期的展望と具体的な計画が求められます。
現在の礼拝出席者は教会員と求道者含め約20名程ですが、主の日の礼拝毎に神の御言葉が大胆に、しかも慰め深く語られること。これは第一に説教者の課題ですが、長老会を中心に教会全体の祈りに支えられ、喜びと感謝に溢れた礼拝を献げていく中で、牧師も会衆も共に主に向かい、成長・成熟させて頂きたいと願っています。
伝道について考えるべき課題は数多くあります。昨年夏、念願の教会ホームページを立ち上げることができました。内容は簡素なものですが一歩前進です。地域へのチラシ配布もマンパワーの限界がありますので貴重なツールです。
一人の新来会者が礼拝に定着し、求道者となり、洗礼に導かれるまで、多くの祈りと時間と忍耐とを必要とします。牧師だけでできることではありません。長老も教会員も皆で祈り関わります。高齢者施設で生活する方、長期欠席の方への訪問や、電話や手紙による相互牧会も、主にお仕えする地道な愛の働きです。
教会で信仰を育てられ、信仰告白をした子がこの春、中学校に入学します。クラブや塾等の中で、長期的に教会につながって欲しいというのが切なる祈りです。その他、教会学校に地域の子どもが一人でも二人でも定着すること、乳幼児連れの家族が母子室(補助礼拝室兼分級室)を活用し礼拝に定着することを祈っています。
今秋より牧師が隣接教会と兼務となり、毎主日午後の礼拝のため、長老会・教師会等を週日に移しました。その分、教会員が朝の礼拝だけに集中することができるようになったことは、思いがけない恵みです。地域の2教会が、場所は違っても、一つの主の体・福音の拠点として、共に礼拝を守り続けて行けるよう祈り合っています。
最後に、「人が一人でいるのはよくない」と言われるように、各個教会・教師も孤立して立ち続けることは困難です。地域内の教会同士、教師同士の相互研鑽と励ましの場は大切です。私自身、教団検定試験Cコース出身ですが、牧会の現場に出てから現在に至るまで、諸先輩方や同労者から多くのことを教えられ、育てていただいていることを感謝しております。
結婚式を終えて家に帰るや否や、夫(木村栄寿牧師)は「座って下さい」と言い、「あなたの御言葉はわたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯」(詩編119・105)を読み、「あめなるよろこび」を歌った。このようにして結婚の日々は始まり、この御言葉と讃美は夫が召された今も自分の存在を貫いている。
水戸の偕楽園近くに生まれ、3歳の時に「子ども会にどうぞ」と招かれて、兄姉と一緒に行った先が教会学校だった。その体験があるので、戦後、社会も自分も揺れ動く中、教会に飛び込むことができた。水戸教会で受洗。結婚後には、教会に、また静岡英和女学院の教務教師として遣わされる夫と共に歩んだ。
どの教会においても、忘れがたい経験がある。教会の中での試練や争いも幾度も経験した。しかし、それらを超える不思議な主の導きをいつでも与えられてきた。語りつくせない思いの中で、佐渡教会の大雪の日のことは今も鮮やかに思い出す。礼拝の定時に、誰も来ることができない。夫である牧師と二人待ち続ける中、時計は12時を過ぎる。二人で祈り、礼拝をささげようと考えていた時、教会の扉が開き、5つの人影が立っているのが見えた。普段でも徒歩20分の距離を、御言葉を聴くことを胸にどれほどの時間をかけてやってきたのだろう。共に礼拝をすることがどれだけ喜びであったか。御言葉を受けるということの恵み深さと共に、主の御心にかなって礼拝はなされることを噛みしめた。
今、御言葉を聴き続け、多くの時を経て、年を重ねた心をもつからこそ見えることが増えてきた。だからこそ、今も隣人に寄り添う学びを欠かすことはできない。自らに与えられている信仰の友と少しでも深く主の喜びに生きるために。
「神様から見たら小さな器でしかないものなのに、神様は今でも用いてくださる。今までも幸せな歩みであったし、今はもっと幸せ」。
茨城県水戸市生まれ。静岡教会員。
13:1 主の言葉に従って神の人がユダからベテルに来たときも、ヤロブアムは祭壇の傍らに立って、香をたいていた。
13:2 その人は主の言葉に従って祭壇に向かって呼びかけた。「祭壇よ、祭壇よ、主はこう言われる。『見よ、ダビデの家に男の子が生まれる。その名はヨシヤという。彼は、お前の上で香をたく聖なる高台の祭司たちを、お前の上でいけにえとしてささげ、人の骨をお前の上で焼く。』」
13:3 その日、この人は更に一つのしるしを与えて言った。「これが主のお告げになったしるしである。『見よ、祭壇は裂け、その上の脂肪の灰は散る。』」
13:4 ヤロブアム王は、ベテルの祭壇に向かって呼びかける神の人の言葉を聞くと、祭壇から手を伸ばして、「その男を捕らえよ」と命じたが、その人に向かって伸ばした彼の手は萎えて戻すことができなかった。
13:5 神の人が主の言葉に従って与えたしるしが実現して、祭壇は裂け、その祭壇から脂肪の灰が散った。
13:6 王が神の人に、「どうか、あなたの神、主をなだめ、手が元に戻るようにわたしのために祈ってください」と言ったので、神の人が主をなだめると、王の手は元に戻って、前のようになった。
13:7 王は神の人に、「一緒に王宮に来て、一休みしてください。お礼を差し上げたい」と言ったが、
13:8 神の人は王に答えた。「たとえ王宮の半分をくださっても、わたしは一緒に参りません。ここではパンを食べず、水も飲みません。
13:9 主の言葉に従って、『パンを食べるな、水を飲むな、行くとき通った道に戻ってはならない』と戒められているのです。」
13:10 その人はベテルに来たとき通った道に戻ることなく、ほかの道を通って帰って行った。
1月末から2月初旬の2週間、2004年の解散以来疎遠になっていた旧日北米宣教協力会 (JNAC)関係諸教団をトロント、ニューヨーク等、何処へ行っても連日零下10度のなかを訪問して回った。此処では、関係者との旧交を温め何よりも3・11の東日本大震災への見舞いと協力への返礼、国内キリスト教学校と教会への各教団派遣の宣教師41名と教団から関係教会への派遣宣教師7名等、更なる相互の関係強化の 確認、後藤健二さんへの弔意を受けたことへのお礼を申し述べた。
この公式訪問の動機となった「アジア太平洋フォーラム」(APF)は、マンハッタンにある国連関係チャーチセンターで行われた。テーマは、今や先進諸国共通の使命「青年伝道」であり、最近目立つ教会青年の自殺問題等も取り上げられた。1970年代終盤、JNACに在日大韓基督教会も参入した前後、NYのストーニーポイントに出席したことがある。あの時代の教会と今は何が変わったか。NYリバーサイド475のクリスチャンセンターは、出入りのチェックがいやに厳しいばかりか、其処にあった北米教派本部のほとんどが地方に移ってしまった。当時はまだ残っていた「WASP」の空気は遠く、教会の主力は低所得者層やアフリカ系等多民族の人々でなっていると。それにどのデノミネーションをとって見ても、韓国系教会が勢いを増しているのは目を見張るばかりだ。元来多民族国家であるカナダ合同メソジスト教会では「エスニック」問題を扱っていた。教会にもある深い差別問題が感じとられた。(教団総幹事 長崎哲夫)
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