19:32 ギレアド人バルジライはヨルダン川で王を見送るためにロゲリムから下り、王と共にヨルダン川まで来ていた。
19:33 バルジライは高齢で八十歳になっていた。彼は大層裕福で、マハナイム滞在中の王の生活を支えていた。
19:34 王はバルジライに言った。「わたしと共に来てくれないか。エルサレムのわたしのもとであなたの面倒を見よう。」
19:35 バルジライは王に答えた。「王のお供をしてエルサレムに上りましても、わたしはあと何年生きられましょう。
19:36 わたしはもう八十歳になります。善悪の区別も知りません。この僕は何を食べ何を飲んでも味がなく、男女の歌い手の声も聞こえないのです。どうしてこの上主君、王の重荷になれましょう。
19:37 わたしにはお供をしてヨルダン川を渡ることさえほとんどできません。王はそれほどにお報いくださることはございません。
19:38 どうか僕が帰って行くのをお許しください。父や母の墓のあるわたしの町で死にたいのです。ここにあなたの僕キムハムがおります。これに主君、王のお供をさせますから、どうかあなたの目に良いと映るままにお使いください。」
19:39 王は言った。「キムハムにわたしと共に来てもらおう。キムハムには、お前の目に良いと映るとおりにしよう。お前にはお前の選ぶとおりにしよう。」
19:40 兵士全体がヨルダン川を渡り、王も渡った。王はバルジライに口づけして彼を祝福した。バルジライは自分の町に帰って行った。
19:41 王はギルガルへ進んだ。キムハムも共に行き、ユダの全兵士もイスラエルの兵士の半分も王と共に進んだ。
19:42 イスラエルの人々は皆、王のもとに来て、王に言った。「なぜ我々の兄弟のユダの人々があなたを奪い取り、王と御家族が直属の兵と共にヨルダン川を渡るのを助けたのですか。」
19:43 ユダの人々はイスラエルの人々に答えた。「王はわたしたちの近親だからだ。なぜこの事で腹を立てるのだ。我々が王の食物を食べ、贈り物をもらっているとでも言うのか。」
19:44 イスラエルの人々はユダの人々に言い返した。「王のことに関して、わたしたちには十の持ち分がある。ダビデ王に対してもお前たちより多くの分がある。なぜわたしたちをないがしろにするのだ。わたしたちの王を呼び戻そうと言ったのはわたしたちが先ではないか。」しかし、ユダの人々の言葉はイスラエルの人々の言葉よりも激しかった。
19:16 王は帰途につき、ヨルダン川まで来た。ユダの人々は王を迎え、ヨルダン川を渡るのを助けようとして、ギルガルまで来ていた。
19:17 バフリム出身のあのベニヤミン人、ゲラの子シムイもユダの人々と共にダビデ王を迎えようと急いで下って来た。
19:18 シムイはベニヤミン族の千人を率いていた。サウル家の従者であったツィバは、十五人の息子と二十人の召し使いを率い、ヨルダン川を渡って、王の前に出た。
19:19 彼が渡し場を渡ったのは、王の目にかなうよう、渡るときに王家の人々を助けて川を渡らせるためであった。ゲラの子シムイは、王がヨルダン川を渡ろうとするとき、王の前にひれ伏し、
19:20 王に言った。「どうか、主君がわたしを有罪とお考えにならず、主君、王がエルサレムを出られた日にこの僕の犯した悪をお忘れください。心にお留めになりませんように。
19:21 わたしは自分の犯した罪をよく存じています。ですから、本日ヨセフの家のだれよりも早く主君、王をお迎えしようと下って参りました。」
19:22 ツェルヤの子アビシャイが答えた。「シムイが死なずに済むものでしょうか。主が油を注がれた方をののしったのです。」
19:23 だがダビデは言った。「ツェルヤの息子たちよ、ほうっておいてくれ。お前たちは今日わたしに敵対するつもりか。今日、イスラエル人が死刑にされてよいものだろうか。今日わたしがイスラエルの王であることを、わたし自身が知らないと思うのか。」
19:24 それからシムイに向かって、「お前を死刑にすることはない」と誓った。
19:25 サウルの孫メフィボシェトも王を迎えに下って来た。彼は、王が去った日から無事にエルサレムに帰還する日まで、足も洗わず、ひげもそらず、衣服も洗わなかった。
19:26 彼が王を迎えに出ると、王は、「メフィボシェトよ、なぜお前はわたしに従って来なかったのか」と尋ねた。
19:27 彼は言った。「主君、王よ、僕に欺かれたのです。わたしは足が不自由ですから、ろばに鞍を置き、それに乗って王様に従って行こうと考えておりました。
19:28 ところがあの僕が主君、王にわたしのことを中傷したのです。しかし、主君、王は神の御使いのような方です。王の目に良いと映ることをなさってください。
19:29 父の家の者は皆、主君、王にとって死に値する者ばかりですのに、この僕を王の食卓に並ばせてくださったのです。この上、どのような権利があって王に助けを求めることができましょうか。」
19:30 王は言った。「もう自分のことを話す必要はない。わたしは命じる。お前とツィバで地所を分け合いなさい。」
19:31 メフィボシェトは王に言った。「主君、王が無事に王宮にお帰りになったのですから、すべてツィバのものとなってもかまいません。」
20:9 イエスは民衆にこのたとえを話し始められた。「ある人がぶどう園を作り、これを農夫たちに貸して長い旅に出た。
20:10 収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を納めさせるために、僕を農夫たちのところへ送った。ところが、農夫たちはこの僕を袋だたきにして、何も持たせないで追い返した。
20:11 そこでまた、ほかの僕を送ったが、農夫たちはこの僕をも袋だたきにし、侮辱して何も持たせないで追い返した。
20:12 更に三人目の僕を送ったが、これにも傷を負わせてほうり出した。
20:13 そこで、ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。』
20:14 農夫たちは息子を見て、互いに論じ合った。『これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』
20:15 そして、息子をぶどう園の外にほうり出して、殺してしまった。さて、ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか。
20:16 戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。」彼らはこれを聞いて、「そんなことがあってはなりません」と言った。
20:17 イエスは彼らを見つめて言われた。「それでは、こう書いてあるのは、何の意味か。『家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった。』
20:18 その石の上に落ちる者はだれでも打ち砕かれ、その石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」
20:19 そのとき、律法学者たちや祭司長たちは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスに手を下そうとしたが、民衆を恐れた。
さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。 そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」これに対してイエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。弟子たちは、「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」と言った。イエスは言われた。「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です。」そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じになった。 人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満腹した。そして、パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。 パンを食べた人は男が五千人であった。《マルコによる福音書6章30〜44節》
急ぎ走らずには
2011年3月11日午後2時46分から4年をむかえます。多くの祈りが集められたことをまず感謝します。しかし、この感謝に至るには、そんなに簡単に到達できたのではないことを、まず正直に、最初に申しあげておきます。
被災地である岩手県は、ほぼ四国教区の広さに匹敵します。そこをひたすら走り続けていますから、当初、何が何だか分からなくなったというと大げさに聞こえますが、ゆっくり座って考えるとかいうことはできていませんでした。起こり続ける事柄に即断すること、それがなにより第一のことです。車で走りながら2人と同時に電話(2台の携帯電話で)するなんてことを気付けばしていました。
このような中で、どう対応するかを奥羽教区常置委員会は、3月14~15日に開催し、緊急支援委員会を常置委員会の下に設置し、できる限り正確な情報を基に、被災10教会を確認し、緊急支援が全面的に必要な4教会(地震被災と津波被災)、応急処置でその後対応の必要な教会、小規模修繕で済む教会に分け救援に入りました。救援物資は奥羽教区事務所のある盛岡市で対応することとしました。その一つ一つは祈りの中で続けられました。
声を掛けられても
このたびの震災直後、いろいろな言葉を聞かされました。「あなたはこの事態で何を語りましたか」、「なぜとは言わない」、「主の警告だ」など、どれもこれもすぐさま慰めや励ましにはなりませんでした。多くは、口幅ったいものでしかありませんでした。
今、あの状況で、どんな御言を聞くことが出来たかを顧みると、もちろん石橋秀雄教団総会議長が提示された詩編124編8節「わたしたちの助けは天地を造られた主の御名にある」もありますが、そこに到達するには時間がかかりました。むしろ、ハバクク書1章2節以降「主よ、わたしが助けを求めて叫んでいるのにいつまで、あなたは聞いてくださらないのか。…」の預言者の嘆きが頭の中をぐるぐると駆け巡り、また呟くばかりでした。主は沈黙しておられるのかと思うようななかで、あの人この人、実に多くの人を用いて語っておられたのに、愚かさのゆえにそのことにすぐには気づきませんでした。
「あなたがたが彼らに」
当初、確かに、多くの人が飢えや苦しみ、悲しみを訴えて集まりました。私たちは、それこそ、どうすればいいのかわからず「群衆を解散させてください」という弟子たちの姿でした。しかし、そんな私たちに主イエスは「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とおっしゃっていることに打ちのめされ、初めて気づかせてくださるのです。もちろん、弟子たちのように「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません」と口ごもっている自分を知らされました。しかし、この愚かさを承知の上で主イエスはどのようにすべきかと方法すら提案されたのです。一度に見ると5千人、こりゃ無理と思うものを、対応可能な50人ぐらいずつ組にして分けそれぞれに対応することです。それでもなお、自分たちは小さくて何もなくて、当時は車を走らせるガソリンも入手困難な中で、なぜ、どうして、こんなのとてもとてもと口を突いて出しそうなその口を、主イエスは大きな手でふさいで「五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡して群衆に配らせた」と知らせてくださいました。
弟子たちに渡して
そうです。宮古、釜石、大船渡の津波被災地に働き人は多く集められました。教団救援対策本部をはじめとし、全国各教区、教会の方々、さらに在日大韓基督教会より特に関東地方会の方々、韓国より大韓イエス教長老会の方々、そしてYMCAの方々、淀川キリスト教病院の医師や看護師の方々、チャイルドファンドジャパンの方々、さらには酪農大学はじめとする各地の大学生や高校生までも集めてくださって、救援活動を展開してくださる主の恵みの数々を、今指折り数える時を与えられています。
被災地の所謂瓦礫は、片づけられました。仮設住宅の多くは校庭にあります。復興計画に基づいて、仮設住宅から復興住宅へと移らされる方々がおられます。その方々のところに出かけると、4年かけて築き上げた隣人関係が再びバラバラにされることを不安に思うことを口にする70・80代の女性の声を聴きます。見える形の復興は、日に日に続けられ進んでいます。その陰で不安になる方の声を聴き続ける時がますます続くことでしょう。
主イエスは「あなたがたが」と呼びかけておられます。この主の言葉に押し出されて主に用いられていることを感謝したいのです。
恵みを数えて
4年の恵みは、確かに、はっきりと見える形で表されています。千厩教会は新しい土地に移転し礼拝堂・牧師館を新築し、2013年8月献堂式を感謝のうちに奉げました。新生釜石教会は同地に礼拝堂・牧師館の修築工事を完了し2014年8月修築感謝礼拝を奉げました。大船渡教会は津波被災地での仮設住宅で支援(傾聴)活動を継続していきます。さらに、宮古教会は新しい土地を得て、幼稚園と共に新築工事を続けています。また応急の後、改めて計画に入った一関教会のリフォームと江刺教会の新築の工事が始まります。
この恵みの数々こそ、主イエスが「あなたがたが彼らに」とおっしゃった新たな召しとなりました。恐れや不安、愚痴や不平、しり込みする者をあえて選んでくださり、立たせてくださり、主イエスが先頭に立って賛美の祈りを唱えてくださっているのです。
「主よ、わたしが助けを求めて叫んでいるのにいつまで、あなたは聞いてくださらないのか。…」と呟く者にも「わたしたちの助けは天地を造られた主の御名にある」と感謝の祈りを口ずさむ時を与えられているのです。弟子たちを招き、共に歩まれた主イエス・キリストの御業の中に、「あなただからこそ選び出したよ」と呼びかけ招き続けておられます。
喜びに招かれ
私どもの差し出すものはパン5つなのかもしれません。魚2匹なのかもしれません。でも主の御業を進めるためには、この5つのパンと2匹の魚しかと嘆き呟く弟子の姿があって、初めて、主イエスの大きな業に用いられるのです。「すべての人が満腹した。そして残ったパンの屑を集めると、十二籠もあった」との喜びに今も、招かれています。(江刺教会牧師・奥羽教区総会議長)
第133回神奈川教区総会は、2月28日、清水ヶ丘教会で正議員233名中158名出席で開催された。
会議冒頭、議事日程承認前に、「議事執行に先立って、教団信仰告白をしたい」との動議が提出された。この動議は、教団常議員会で教職を立てる時には教団信仰告白をするという議案の可決が背景にあったため、平良愛香議長は、「常議員会からは、今年になって通達され、常置委員会として対応を話し合っている。今回、議案として教区総会に提出することも話したが、あまりにも急であると判断した」と応答。賛成、反対意見が多数寄せられる中、160名中53名で、今総会での告白は否決された。
准允、按手礼執行議案に関しては、慣例として議長が議案可決前に行なってきた「教師検定試験が神奈川教区から見て不当であるとまでは言えない」との採決をしないでほしいとの動議が、志願者の所信表明への質疑応答途中で提出された。「この採決は、教団の試験を信用していないことになるのではないか」、「教師を立てないわけにはいかないが、教師検定試験が何の問題もないわけではないという教区の苦渋の表現であり、神奈川教区の常識」との意見の中で、平良議長は「教区形成基本方針検討委員会では、この採決方法も調査している」と答えた。この動議は、159名中52名で否決され、従来通りの方法で採決、2名の准允と4名の按手礼が執行された。
15年度教区活動計画議案では、議場から「活動基本方策の先頭に、『神奈川教区は教区を挙げて主キリストの福音を伝道する』という文言を追加したい」との動議が提出された。この動議に関しては、前年度にも活発に議論したものであったため、常置委員会でも審議を継続していることを三宅宣幸書記が報告した。それらを理解した上で賛成、反対の意見が寄せられたが、動議は、150名中66名で否決され、原案通り可決された。
教区予算は、第39回教団総会での「伝道資金」、「教団負担金の計算方法変更」を受けたものとなったが、予算編成に関しては、「伝道資金の審査基準などの過去の実績がなく、今後の変動を見定められないことから、3年間程度様子を見たいと考える」と説明があった。
その他、三役選挙は議長、副議長、書記とも再任。また、神奈川教区ホームページ開設議案が、ホームページ規則と共に可決され、過去数年にわたり選任されていなかった会計委員が教区規則に即して選任された。
三役選挙結果
【議長】平良愛香(三・一)、【副議長】古谷正仁(蒔田)、【書記】三宅宣幸(元住吉)
常置委員選挙結果
【教職】小宮山剛(逗子)、孫裕久(川崎戸手)、星野健(三田)、井殿準(翠ヶ丘)、金子信一(湯河原)、佐野匡(横浜本郷台)
【信徒】斉藤圭美(高座渋谷)、山崎輝幸(横浜指路)、中林克彦(鎌倉雪ノ下)、吉澤暢紘(横浜本牧)、武田利邦(横浜二ツ橋)、濱野一郎(横浜大岡)
(佐藤 進報)
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