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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4831号】委員会コラム 伝道委員会 御言葉の生命を証しできるように 成田いうし

2015年12月5日

 伝道委員会は委員7名と担当幹事で構成する。教規42条に基づく伝道委員会の働きは、農村・都市・産業伝道および開拓伝道など伝道の調査・企画を行い、伝道の進展に必要な会堂建築・土地購入のための資金援助(貸出を含む)を行うことである。また教団出版局の「こころの友」「信徒の友」文書伝道のため、日本基督教団教誨師会の働きのため、それぞれ委員を派遣している。さらに、37総会期常議員会の設置により発足した伝道推進室に委員を派遣し、伝道推進室と緊密な連携関係のもとに、当委員会に託されている使命を具体化することを目指す。一任期内において全教団規模の集会として「農村伝道に関する協議会」、「教区伝道委員長会議」を主催する。

 伝道委員会の使命は、我が国のプロテスタント伝道の現状を分析し、産業構造の変遷とともに伝道環境が変化してきた諸地域で将来、いかに伝道を前進できるか、また価値観の多様化した社会で主の十字架の福音を伝え、復活信仰を次代へ継承できるように教会が何をなすべきかを認識し、教団の全ての教会が御言葉の生命を証し続けられるよう目指すことであると考える。日本の教会の現状は伝道の幻の実現に様々な困難があるとも見えるが、2つのミレニアムを経た歴史的視野に立って、世界史の中で伝道する教団であることを自覚しつつ終末的希望のもとに教会共同体を建ててゆくことが、今日の伝道に遣わされている者の使命であると考える。(伝道委員長)

 11月10日から13日まで台中市南山教育センターを会場にして、台湾基督長老教会(以下PCT)とCoun-cil for World Mission(以下CWM)の共催、ACT Alliance(以下ACT)の後援により「Emerge-ncy Preparedness and Response」(緊急支援を要する災害への備えと応答)と題するワークショップが開催された。参加者は34名でインド、台湾、マレーシア、韓国、日本に加え、ニュージーランド、トンガ王国、バヌアツ、パプアニューギニアなどの太平洋諸国から、海外教会とのコミュニケーションを担当する者が主であった。

 会議はACT(Action by Churches Together)本部からの講師とCWMからの講師による講義と各教会の実際の災害対応例、聖書研究から組み立てられていた。教団事務局ではしばしばACTの名前は聞くが、その組織と働きについて時間をかけて紹介されたことは有益であった。特にその活動の根本に聖書の言葉があることが強調された。

 講義の中では応答として小グループに分けられ、講師からの異なる質問に限られた時間で協力して回答することが求められた。聖書研究は3回、午前中に行われた。講師はトンガ王国出身でオーストラリアの大学で旧約聖書を教えていることから、列王記のエリヤや詩編137編を災害の観点から取り上げ、しかも南太平洋諸国の植民地化歴史なども交えながらの講義であったため興味深かった。勿論ただ聞くだけでなく、小グループに分かれてのディスカッションと発表の機会が与えられた。

 2日目の午後はバスで1時間ほどの南投県竹山にある内政部消防署訓練センターに出かけた。ここは台湾全土から選りすぐられた消防士が1年間、あらゆる災害を想定した設備を用いて訓練を受ける施設である。そこで私たちは所長からまず映像で活動の紹介をされたが、驚くべきことに2009年の台風被害のNGOからの援助の代表として、PCTがいかに被災した原住民の代弁者となり支えとなったかが紹介されたのである。

 今回はPCTにおいても「災害」をテーマにした初めての国際的なワークショップだった。目的は同じキリストの体として共に痛みを覚え、連携して助け合う関係を作ることにある。(加藤 誠報)

池田 鮮氏(隠退教師)
 12年12月16日逝去、88歳。韓国生まれ。38年青山学院大学卒業。47年より早稲田教会を牧会し、日本基督教青年会同盟に務めた後、香港日本人フェローシップ、江古田教会を経て05年に隠退。
 遺族は娘・池田いずみさん。

 

大塚正行氏(生駒伝道所担任教師)
 14年12月逝去、53歳。93年大阪キリスト教短期大学卒業。同年より宮内、小阪、米沢中央、西九条教会、生駒伝道所を牧会。

 

松本瑞江氏(富士見台伝道所主任担任教師)
 15年2月24日逝去、80歳。97年に大阪キリスト教短大神学専攻科卒業。98年に受允、同年より富士見台伝道所を牧会。
 遺族は娘・ピーターソン深雪さん。

 

清水 昭氏(隠退教師)
 15年10月4日逝去、88歳。兵庫県生まれ。55年同志社大学大学院卒業。同年より神戸多聞、兵庫、熊本草葉町、洛陽、ハワイのヌアヌ組合教会を経て、89年に隠退。
 遺族は息・清水肇さん。

 

鈴木昭吾氏(隠退教師)
 15年10月22日逝去、85歳。宮城県生まれ。56年関東学院大学基督教研究所卒業。57年より日ノ本、神戸聖愛、龍野、芦屋岩園教会を経て、03年に隠退。
 遺族は息・鈴木義哉さん。

 

髙﨑裕士氏(隠退教師)
 15年11月8日逝去、84歳。韓国生まれ。61年関西学院大学卒業。65年より高砂、曽根、加古川東教会を経て、09年に隠退。
 遺族は妻・髙﨑陽子さん。

主に贖われた人々は帰って来る。とこしえの喜びを先頭に立てて 喜び歌いつつシオンに帰り着く。喜びと楽しみが彼らを迎え 嘆きと悲しみは逃げ去る。
〈イザヤ書35章10節、2013年12月1日(日)新会堂定礎式に与えられたみ言葉〉

 2011年3月11日(金)14時46分。私たちを突如襲った東日本大震災は、未曾有の被害をもたらしました。私は当時、神学生でした。震災当日の夜、不安の中で、学生寮からニュースで流れる映像を見ていたことを思い出します。

 比較的地震に強いと言われる群馬県もその影響は甚大でした。伊勢崎教会旧会堂は、震災後、屋根瓦の破損・剥離、内壁漆喰の離脱、支柱の傾きなどの被害を受けました。検査の結果、私たちは、74年間、この地に建ち続けた会堂を解体しなければならなくなりました。

 震災の翌年11月、私たちは涙を流しながら、解体式を行いました。私たちにそのとき与えられていたみ心は、会堂建築に歩め、というみ心でした。資金が十分にあったわけではありません。兄弟姉妹が祈り合い「新会堂建築献金」を始めました。その後、神様の導きの中で、総工費の半分は、日本基督教団東日本大震災救援募金から支援を受けることが決定しました。残りの半分は、教団からの貸付金と自らの建築献金を用い支払うことになりました。2013年12月1日新会堂定礎式の日より新しい会堂での礼拝が始まりました。現在は、貸付金の返済をしつつ、伝道の歩みを続けております。

 この2年間は、会堂が与えられたことに感謝し、教会員の方々と共に、毎週の礼拝を大切に歩んで来ました。2年間の間に、何年かぶりに伝道集会を行うこともできました。地区の集会も、震災後久しぶりに、私たちの教会で行うことができました。先日は、会堂が与えられて初めて、床のワックスがけを皆で行いました。少しずつ、新会堂にも愛着が湧いてきたように感じます。本当に、恵みに溢れた歩みを続けさせていただいております。

 神様はどんなときにでも、私たちと共にいてくださる。私は、教会員の方々との歩みの中で、そのことを心から教えられました。私が神学校を卒業し、赴任したころは何もなかったその場所に、今では大きな会堂が与えられています。私が来る前は無牧でもありました。会堂がない、牧師がいない。しかし、神様は私たち伊勢崎教会を、今日この日まで導いてくださいました。神様の不思議な導きを思わずにはいられません。

 もちろん、教会としての課題は多くあります。しかし、課題もまた、神様が私たちに与えてくださったものだと信じています。真に小さな私たちですが、今日も一人一人が神様を信じ、主イエス・キリストの十字架の罪の赦しに生きる群れでありたいと思います。神様は必ず、私たちと共にいてくださる。伊勢崎教会だけではなく、すべての教会と共に、主は共にいてくださっています。私たちが経験した通り、苦難は必ず喜びに変わります。私たちはそのことの証人として、この伊勢崎という地において、主イエス・キリストその方を宣べ伝えています。

 皆様の上に主イエス・キリストの恵みが豊かに満ち溢れますように。ただ神にのみ栄光がありますように。(伊勢崎教会伝道師)

 教団部落解放センター主催「部落解放沖縄キャラバン2015」は「いちゃりばちょーでー(一度会ったら皆兄弟姉妹)」をテーマに10月13日~22日、延べ335名の参加を得て開催した。

 首里教会での出発式に始まり、通常の集会や礼拝での説教、そして志真志伝道所での完走式まで16回の集会を持った。教団以外にも沖縄バプテスト連盟、日本バプテスト連盟、聖公会、ローマ・カトリックそして真宗大谷派など宗派を超えて幅広い参加があった。

 集会はまず、キャラバンメンバー(東谷誠・有住航・後藤慧)の自己紹介と趣旨説明に始まり、テーマソング「走れ幸せ者」や讃美歌を参加者と共に歌った。次に発題では、各メンバーが部落差別についてそれぞれの視点で作成したスライドを用いた。当初は一方的な伝達になりがちだったが、回を重ねる毎に参加者からの応答を受ける余裕も出てきて、その後の質疑も含め非常に内容の濃い集会へと変化していった。

 集会の間には読谷村、辺野古、高江、石垣島、宮古島でのフィールドワークを行った。読谷には沖縄戦末期、住民が逃れた2つのガマ(洞窟)がある。皇民化教育によって国に殉じるよう洗脳されていた時代、一方では開明的な人の説得で全員が助かり、もう一方では大半が集団自決へと追いこまれた。天皇を中心とする国体護持のため、差別され捨石にされてきた歴史である。また、辺野古や高江、宮古島では現在進行形で今基地が拡張強化されている。沖縄は再び「本土」防衛の要として虐げられ利用されようとしている。

 今キャラバンでは、双方が抱えている差別について膝を突き合わせて語ることができた。沖縄側の実行委員は「今回はきっかけであり、ここからだ」とメンバーを労ってくださった。センターはこれからも被差別状態に置かれている沖縄に対し主体的に関わっていきたいと考えている。その一歩として「いちゃりばちょーでー」精神のもと、幅広い出会いと気づき学びを得た2週間であった。(後藤 慧報)

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