さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。 そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」これに対してイエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。弟子たちは、「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」と言った。イエスは言われた。「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です。」そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じになった。 人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満腹した。そして、パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。 パンを食べた人は男が五千人であった。《マルコによる福音書6章30〜44節》
急ぎ走らずには
2011年3月11日午後2時46分から4年をむかえます。多くの祈りが集められたことをまず感謝します。しかし、この感謝に至るには、そんなに簡単に到達できたのではないことを、まず正直に、最初に申しあげておきます。
被災地である岩手県は、ほぼ四国教区の広さに匹敵します。そこをひたすら走り続けていますから、当初、何が何だか分からなくなったというと大げさに聞こえますが、ゆっくり座って考えるとかいうことはできていませんでした。起こり続ける事柄に即断すること、それがなにより第一のことです。車で走りながら2人と同時に電話(2台の携帯電話で)するなんてことを気付けばしていました。
このような中で、どう対応するかを奥羽教区常置委員会は、3月14~15日に開催し、緊急支援委員会を常置委員会の下に設置し、できる限り正確な情報を基に、被災10教会を確認し、緊急支援が全面的に必要な4教会(地震被災と津波被災)、応急処置でその後対応の必要な教会、小規模修繕で済む教会に分け救援に入りました。救援物資は奥羽教区事務所のある盛岡市で対応することとしました。その一つ一つは祈りの中で続けられました。
声を掛けられても
このたびの震災直後、いろいろな言葉を聞かされました。「あなたはこの事態で何を語りましたか」、「なぜとは言わない」、「主の警告だ」など、どれもこれもすぐさま慰めや励ましにはなりませんでした。多くは、口幅ったいものでしかありませんでした。
今、あの状況で、どんな御言を聞くことが出来たかを顧みると、もちろん石橋秀雄教団総会議長が提示された詩編124編8節「わたしたちの助けは天地を造られた主の御名にある」もありますが、そこに到達するには時間がかかりました。むしろ、ハバクク書1章2節以降「主よ、わたしが助けを求めて叫んでいるのにいつまで、あなたは聞いてくださらないのか。…」の預言者の嘆きが頭の中をぐるぐると駆け巡り、また呟くばかりでした。主は沈黙しておられるのかと思うようななかで、あの人この人、実に多くの人を用いて語っておられたのに、愚かさのゆえにそのことにすぐには気づきませんでした。
「あなたがたが彼らに」
当初、確かに、多くの人が飢えや苦しみ、悲しみを訴えて集まりました。私たちは、それこそ、どうすればいいのかわからず「群衆を解散させてください」という弟子たちの姿でした。しかし、そんな私たちに主イエスは「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とおっしゃっていることに打ちのめされ、初めて気づかせてくださるのです。もちろん、弟子たちのように「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません」と口ごもっている自分を知らされました。しかし、この愚かさを承知の上で主イエスはどのようにすべきかと方法すら提案されたのです。一度に見ると5千人、こりゃ無理と思うものを、対応可能な50人ぐらいずつ組にして分けそれぞれに対応することです。それでもなお、自分たちは小さくて何もなくて、当時は車を走らせるガソリンも入手困難な中で、なぜ、どうして、こんなのとてもとてもと口を突いて出しそうなその口を、主イエスは大きな手でふさいで「五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡して群衆に配らせた」と知らせてくださいました。
弟子たちに渡して
そうです。宮古、釜石、大船渡の津波被災地に働き人は多く集められました。教団救援対策本部をはじめとし、全国各教区、教会の方々、さらに在日大韓基督教会より特に関東地方会の方々、韓国より大韓イエス教長老会の方々、そしてYMCAの方々、淀川キリスト教病院の医師や看護師の方々、チャイルドファンドジャパンの方々、さらには酪農大学はじめとする各地の大学生や高校生までも集めてくださって、救援活動を展開してくださる主の恵みの数々を、今指折り数える時を与えられています。
被災地の所謂瓦礫は、片づけられました。仮設住宅の多くは校庭にあります。復興計画に基づいて、仮設住宅から復興住宅へと移らされる方々がおられます。その方々のところに出かけると、4年かけて築き上げた隣人関係が再びバラバラにされることを不安に思うことを口にする70・80代の女性の声を聴きます。見える形の復興は、日に日に続けられ進んでいます。その陰で不安になる方の声を聴き続ける時がますます続くことでしょう。
主イエスは「あなたがたが」と呼びかけておられます。この主の言葉に押し出されて主に用いられていることを感謝したいのです。
恵みを数えて
4年の恵みは、確かに、はっきりと見える形で表されています。千厩教会は新しい土地に移転し礼拝堂・牧師館を新築し、2013年8月献堂式を感謝のうちに奉げました。新生釜石教会は同地に礼拝堂・牧師館の修築工事を完了し2014年8月修築感謝礼拝を奉げました。大船渡教会は津波被災地での仮設住宅で支援(傾聴)活動を継続していきます。さらに、宮古教会は新しい土地を得て、幼稚園と共に新築工事を続けています。また応急の後、改めて計画に入った一関教会のリフォームと江刺教会の新築の工事が始まります。
この恵みの数々こそ、主イエスが「あなたがたが彼らに」とおっしゃった新たな召しとなりました。恐れや不安、愚痴や不平、しり込みする者をあえて選んでくださり、立たせてくださり、主イエスが先頭に立って賛美の祈りを唱えてくださっているのです。
「主よ、わたしが助けを求めて叫んでいるのにいつまで、あなたは聞いてくださらないのか。…」と呟く者にも「わたしたちの助けは天地を造られた主の御名にある」と感謝の祈りを口ずさむ時を与えられているのです。弟子たちを招き、共に歩まれた主イエス・キリストの御業の中に、「あなただからこそ選び出したよ」と呼びかけ招き続けておられます。
喜びに招かれ
私どもの差し出すものはパン5つなのかもしれません。魚2匹なのかもしれません。でも主の御業を進めるためには、この5つのパンと2匹の魚しかと嘆き呟く弟子の姿があって、初めて、主イエスの大きな業に用いられるのです。「すべての人が満腹した。そして残ったパンの屑を集めると、十二籠もあった」との喜びに今も、招かれています。(江刺教会牧師・奥羽教区総会議長)
第133回神奈川教区総会は、2月28日、清水ヶ丘教会で正議員233名中158名出席で開催された。
会議冒頭、議事日程承認前に、「議事執行に先立って、教団信仰告白をしたい」との動議が提出された。この動議は、教団常議員会で教職を立てる時には教団信仰告白をするという議案の可決が背景にあったため、平良愛香議長は、「常議員会からは、今年になって通達され、常置委員会として対応を話し合っている。今回、議案として教区総会に提出することも話したが、あまりにも急であると判断した」と応答。賛成、反対意見が多数寄せられる中、160名中53名で、今総会での告白は否決された。
准允、按手礼執行議案に関しては、慣例として議長が議案可決前に行なってきた「教師検定試験が神奈川教区から見て不当であるとまでは言えない」との採決をしないでほしいとの動議が、志願者の所信表明への質疑応答途中で提出された。「この採決は、教団の試験を信用していないことになるのではないか」、「教師を立てないわけにはいかないが、教師検定試験が何の問題もないわけではないという教区の苦渋の表現であり、神奈川教区の常識」との意見の中で、平良議長は「教区形成基本方針検討委員会では、この採決方法も調査している」と答えた。この動議は、159名中52名で否決され、従来通りの方法で採決、2名の准允と4名の按手礼が執行された。
15年度教区活動計画議案では、議場から「活動基本方策の先頭に、『神奈川教区は教区を挙げて主キリストの福音を伝道する』という文言を追加したい」との動議が提出された。この動議に関しては、前年度にも活発に議論したものであったため、常置委員会でも審議を継続していることを三宅宣幸書記が報告した。それらを理解した上で賛成、反対の意見が寄せられたが、動議は、150名中66名で否決され、原案通り可決された。
教区予算は、第39回教団総会での「伝道資金」、「教団負担金の計算方法変更」を受けたものとなったが、予算編成に関しては、「伝道資金の審査基準などの過去の実績がなく、今後の変動を見定められないことから、3年間程度様子を見たいと考える」と説明があった。
その他、三役選挙は議長、副議長、書記とも再任。また、神奈川教区ホームページ開設議案が、ホームページ規則と共に可決され、過去数年にわたり選任されていなかった会計委員が教区規則に即して選任された。
三役選挙結果
【議長】平良愛香(三・一)、【副議長】古谷正仁(蒔田)、【書記】三宅宣幸(元住吉)
常置委員選挙結果
【教職】小宮山剛(逗子)、孫裕久(川崎戸手)、星野健(三田)、井殿準(翠ヶ丘)、金子信一(湯河原)、佐野匡(横浜本郷台)
【信徒】斉藤圭美(高座渋谷)、山崎輝幸(横浜指路)、中林克彦(鎌倉雪ノ下)、吉澤暢紘(横浜本牧)、武田利邦(横浜二ツ橋)、濱野一郎(横浜大岡)
(佐藤 進報)
第39総会期第1回社会委員会が2月23日~24日、教団会議室で開催された。
開会礼拝の後、組織会を行い、互選により、委員長に芳澤信、書記に加藤孔二を選任。委員は押川幸男、勇文人、森下耕、高承和、原田史郎(日本キリスト教社会事業同盟より派遣)である。
諸報告がされ、特記すべきことは、ACTの要請に応え募っていたセルビア・ボスニア・ヘルツェゴビナ洪水被災者救援募金が送金されたこと、教団救援対策本部会議報告において、2015年3月31日で国内募金が終了、教団としての救援活動は2017年3月31日で終了することの2点である。
今期委員会の方針と計画が協議され、前期申し送り事項に基づいて、フィールドワークと作業のバランスをとりながら行うこと、社会的課題を委員一人ひとり学習することを確認した。
今年11月に在日大韓基督教会が主催で開催される「マイノリティー国際会議」の支援について協議し、200万円の全国募金を依頼することを決定した。
関係委員会への派遣については、宣教委員会に委員長を送るほか、日本キリスト教社会事業同盟、日本キリスト教保育所同盟に各1名理事を送っている。日本キリスト教社会事業同盟からは1名の委員の受け入れを行っている。これからも各団体との関係を保ち、深めていきたいと願っている。社会委員会通信を発行し、フィールドワーク等で得られた事柄を、教団全体に発信していきたい。クリスマス献金をもとに実施している社会福祉施設への援助については、各教区より推薦された6施設に各12万円を送ることを決めた。
第39総会期の活動日程を決めた。全国社会委員長会議は、2016年6月13日~14日に東京での開催を予定している。
その他、社会委員会の使命に関わる事柄について協議し、意見を交換した。
次回委員会は6月15日~17日に北海道で開催予定。(加藤孔二報)
第39総会期第2回の教師養成制度検討委員会が、2月12日、教団会議室で行われた。当委員会は第39総会期第1回常議員会にて議長提案に基づき設置された委員会である。38総会期に議長の諮問に応えて教師養成制度検討会議より答申書が出され、常議員会での検討を経て、当委員会が設置された。委員長=石橋秀雄、書記=菅原力、委員=岡本知之、佐々木美知夫、東野尚志。
今回の委員会では、前回委員会で出された当委員会の担うべき事柄について協議検討した。今総会期、当委員会は大きく3つの課題を担う。
⑴神学校との協議。答申書が出され、今後はこれをもとに、東京神学大学をはじめ、教団の教師養成を担う認可神学校との意見交換がなされていく必要がある。また今後の神学校と教団の関係についても、協議を積み重ねていく必要がある。
⑵教師検定に関して。答申書には教師検定の現行制度の諸問題について提言がなされているが、これを受け、整備に取り組む。特に召命の確認、正規の手続き等、現行制度の課題を踏まえた実務の形成に取り組んでいく。
⑶生涯教育。教師養成は神学校だけの課題ではない。教師が生涯にわたって学び続け、研鑽し続けていけるシステムや環境整備が今後の大きな課題である。すでに各教区や支区分区で行われ、各神学校で行われている継続教育をさらに豊かなものとしていく一方で、教団としての生涯教育制度の構築が求められている。
以上3つの事柄について確認し、今後の進め方等について検討した。次回委員会は4月20日の予定。(菅原 力報)
「聖書があれば、何時でも、何処でも話せる」。洗礼を授けくれた師がよく言っていた言葉である。事実、師は自転車であちらこちらを訪ねて聖書の話を語って聞かせた。▼しかし、神学生の頃、ほんとうにそうだろうか、聖書のことを話すのはなかなか難しいのではないか、と思えた。聖書さえあれば、と心が定まるまで少し時間を要した。確かに、かの師も神学校で四苦八苦しながら聖書に取組んだことをよく話してくれた。その困難と取組みがあっての「何時でも、何処でも」の言葉だったのだ、と思う。▼先日、幼稚園の園児に呼び止められ、神さまはどこにいるのか、と実にまっすぐな質問を受けた。聖書の話、礼拝の話をよく聞いている子だった。神さまは、目に見えないので心配になったのだ、と言う。言葉をいくつかやりとりして、最後に、神さまは、あなたと、いつでも、どこにでもいっしょにいてくださるよ、と告げた。後日、母親から、その子が家に帰って、神さまはいつも、どこでもいっしょにいてくれるんだって、と報告したことを聞いた。▼キリストを告げることができるように備えていなくてはならない。何時、如何なることで、どのような人たちが、それによって、主にお出会いするか、わたしたちには計り知れないからだ。
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