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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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マタイによる福音書11・25~30

2014年1月29日

11:25 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。
11:26 そうです、父よ、これは御心に適うことでした。
11:27 すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。
11:28 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
11:29 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
11:30 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

2014年1月28日

11:16 今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。
11:17 『笛を吹いたのに、/踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、/悲しんでくれなかった。』
11:18 ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、
11:19 人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」
11:20 それからイエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。
11:21 「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。
11:22 しかし、言っておく。裁きの日にはティルスやシドンの方が、お前たちよりまだ軽い罰で済む。
11:23 また、カファルナウム、お前は、/天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。
11:24 しかし、言っておく。裁きの日にはソドムの地の方が、お前よりまだ軽い罰で済むのである。」

2014年1月27日

11:2 ヨハネは牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。そこで、自分の弟子たちを送って、
11:3 尋ねさせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」
11:4 イエスはお答えになった。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。
11:5 目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。
11:6 わたしにつまずかない人は幸いである。」
11:7 ヨハネの弟子たちが帰ると、イエスは群衆にヨハネについて話し始められた。「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。
11:8 では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。しなやかな服を着た人なら王宮にいる。
11:9 では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ。言っておく。預言者以上の者である。
11:10 『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの前に道を準備させよう』/と書いてあるのは、この人のことだ。
11:11 はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。
11:12 彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。
11:13 すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである。
11:14 あなたがたが認めようとすれば分かることだが、実は、彼は現れるはずのエリヤである。
11:15 耳のある者は聞きなさい。

2014年1月26日

1:21 一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。
1:22 人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。
1:23 そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。
1:24 「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」
1:25 イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、
1:26 汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。
1:27 人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」
1:28 イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。

2014年1月25日

見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。初めからのことを思い起こす者はない。それはだれの心にも上ることはない。
代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。わたしは創造する。見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとして その民を喜び楽しむものとして、創造する。《イザヤ書65:17~18》

極めて良かった

 新しい年の歩みが始まった。この新しい年の初めに「見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する」(イザヤ書65章17節)との御言葉が示される。

 創世記1章で神の「天地創造」の業がなされたところで「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」(創世記1章31節)と、このように記されている。「極めて良かった」天と地がなぜ再創造されなくてはならなかったのか。

 それは、私たちが神の前に生きる存在であることを忘れ、自分の喜び、自分の楽しみのみを求める存在になってしまったからだ。

 人間が求める喜びと楽しみの極限は「神の座」に座り、神のごとくふるまうことだ。「さあ、天にまで届く塔のある町を建て、有名になろう」と言ってバベルの塔をつくった。

 人間が自分の喜びと楽しみを追い求め、神の領域に踏み込んでしまった時、滅びの危機の中に沈むことになる。

 

神の領域に踏み込む

 2012年ノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学山中伸弥教授のiPS細胞の開発は、人間の細胞から精子や卵子を、豚の体内で人間の臓器を作ることができる。山中教授は「神の領域に踏み込んでしまった。神を恐れる心を持つことが必要だ」と語ったということを耳にした。人間の科学技術は神の領域に踏み込んでしまった。人間の喜びと楽しみを追い求め、神が喜ばれることを忘れ、神を恐れる心を失い、神の領域に踏み込んでしまった結果、世界滅亡の危機の始まりを意識せざるを得ない時代となってしまった。

 日本における原子力発電所の事故の深刻さは、その事実を知れば知るほど深刻な事態であることが明らかになった。使用済み核燃料を最終的に処理する技術を人間は、現在持っていない。この核のゴミが放射能を出さなくなるまでには10万年かかると言われている。この核のゴミが世界に増え続けている。

 「神が創造された世界を見て、極めて良かった」この神の創造の世界が破壊され、子どもたちの未来を奪う事態になりかねない。

 

山河が奪われても 唯一の支え

 国破れて山河あり」と言われる。戦争に負け、国が滅び、凄まじい破壊と全てを奪い尽くした戦争の悲惨の中にあっても、しかし、希望があった。山があり河がある、実りをもたらす自然がある、だから希望があると歌われる。

 しかし、原発事故は、この最後の希望である「山河」を奪う。命を支える空気と水と土地を放射能で汚染し命を脅かす。

 空気と水と土地が放射能汚染されたら命あるものは存在できない。

 日本の原発事故で示されることは、有史以来の危機、世界存続の危機である。

 この世界は新しく創造される以外に明日に希望を持ち得ない。

 自分の喜びと楽しみのみを追い求め、命よりも経済を最優先し、神の領域に入り込み、他者の命を犠牲にしても自分の喜びと楽しみを追い求め、罪の中に沈んでしまった。

 この底知れぬ罪の深みにある世界と私の罪の中に、この人類滅亡の危機の中に、希望の言葉が響く。

 「わたしに尋ねようとしない者にも わたしは、尋ね出される者となり わたしを求めようとしない者にも 見いだされる者となった。わたしの名を呼ばない民にも わたしはここにいる、ここにいると言った」(イザヤ書65章1節)。

 神は底知れぬ人間の罪と罪の故に未来が閉ざされる世界とわたしたちの危機に無関心な神ではあられない。

 この危機の中にいる人間に「わたしはここにいる。ここにいるのだ」と主は繰り返し語りかけ、大いなる救いと希望の道を示してくださった。

 

新しい世界と人間の創造

 見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する」(イザヤ書65章17節)。罪の深みに落ちた人間世界を「新しく創造する」との御言葉が響き渡る。

 そして、「わたしの喜びとわたしの楽しみ」を求めることを第一とし、「神の前」に生きていることを忘れ、神との関係を破壊した結果、本当の喜びを見失い罪の中に沈む私たちを新しく創造すると宣言される。

 「代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。…その民を喜び楽しむものとして、創造する」(18節)。

 パウロは主の十字架と復活によって「新しい人を造り上げて平和を実現し敵意を十字架にかけて滅ぼされた」と語る。私たちは主の十字架と復活によって罪が赦され、新しい世界に、神の国に生きるものとして新しく造り変えられた。だから「喜び躍れ」と御言葉に示される。私たちは、主の十字架と復活によって「自分の喜び、自分の楽しみ」を追い求める者から「神に喜ばれる者、神に楽しまれる者」に創造された。

 人間が危機から救われて平和の中に生きる世界は、神の創造された新しい世界を知り、その世界に生きることによってもたらされることを尊い御言葉から教えられる。
(第38総会期教団総会議長・越谷教会牧師)

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