1977年11月13日、ボン大学神学部学生寮の一室で、私たちの教会は第一回目の礼拝を行いました。創世記12章より取り次がれたアブラハムの旅立ちは、新しい教会のスタートを切るに最もふさわしい御言葉でした。こうして「ボン日本人聖書集会」は産声をあげました。
約2年のボン集会を経て、1980年より、ボンより約30㎞北にあるケルンに移転し、「ケルン・ボン日本人キリスト教会(のちに日本語キリスト教会)」と改称し、今日に至っています。その間、この地に遣わされた牧師は現任者である私を含めて11名。そのほとんどが日本基督教団からの派遣宣教師でした。
短期間に交代するという牧師側の環境と、短期間にこの地で暮らすメンバーが目まぐるしく変化する信徒側の環境が交差しながら、私たちの教会は歩んでまいりました。「じっくりと」「腰を据えて」教会形成に取り組むことが難しい状況の中で、どのようにキリストの体である教会が育てられていくかが常なる課題として与えられています。
そのことを踏まえて考えれば、教会を支える中心となるのは、この地に永住するメンバーということになります。私たちの教会の場合、その多くはドイツ人と国際結婚をし、ドイツ人社会の中で生活しながらも、日本語で福音を聴きたいという願いをもった方々です。そして、これらの方々のライフスタイルが、教会生活にも大きく影響します。
ドイツ人の大半にとって、日曜日は家族と共に過ごすための一日です。レジャーを楽しみ、友人たちと語らいの時をもちます。残念ながらその中に、礼拝への出席が含まれることはなかなかありません。たとえ礼拝に出席したとしても、それは朝の短時間の出来事として捉えられているのが現状です。
また、ドイツの場合「教会税」という制度は、教会の支え方にも大きな影響を与えています。歴史的に国家と深い関係にある領邦教会に所属している信徒は、教会の財源が税金として、所得の一部(約2%)から自動的に徴収されます。つまり、教会財源の確保と維持のために、各個教会に集められた信徒が努力するといった、日本の教会にみられる姿が無ければ、その必要性もありません。
このような教会生活をめぐる、ドイツ的常識が土台にある環境の中で、この地にある日本語教会がどのような根拠を持って立ち、教会形成をめざしていくか、そこには大きなチャレンジがともないます。日本基督教団との協力関係によって、約30年に亘って行われたドイツの教会による経済援助も一昨春に終了しました。確実に迫り来る財政的困難の中で、20名足らずの会員が教会を愛する信仰によって生き、教会を支えることにおいて、主にある一致のもとに歩み始めようとしています。
それはあたかも、37年前に最初の礼拝で語られたアブラハムの心境に重なります。故郷を離れて未開の地に歩み出したアブラハムとその家族は、ただ神による祝福の約束だけを信じて旅立ちました。立ちはだかる障壁は大きくとも、それを乗り越える力を与えてくださる方を絶対に信頼しつつ。
日本キリスト教団部落解放センター主催「第17回部落解放青年ゼミナール」は「人間(じんかん)に光あれ ~怒りから光へ」というテーマのもと、8月26日~29日広島県広島市・呉市・福山市にて開催された。開催地のみならず全国各地から他教派から、部分参加も含め50名近い参加者となった。
具体的な活動としては、部落解放の基礎を学ぶ入門講座や狭山事件についての発題、また被差別部落内で牛の育成から屠畜・精肉販売までを担ってきた一家のドキュメンタリー「ある精肉店のはなし」上映会、被差別部落を巡りその歩みを伺うフィールドワークなど、4日間の内に様々な課題が詰め込まれた。もちろん、これらをフォローするために毎夜話し合いが持たれ、活発な意見交換がなされた。
参加者は、長く部落解放へ向き合ってきた者から、全くの初心者まで様々であったが、自分自身の持てる言葉で今の思いを表現し、だれも疎外されるような思いをせずにそこに加わっていた。この空気感が青年ゼミの良さの一つと言えるだろう。
さて、広島での開催は今回が初めてだ。今ゼミの募集文には「これまで長く関西で開かれてきた中で、ある意味そこに安住している状態から一度抜け出し、新しい人々との出会いの中で、寝ている私たちが起こされに行こうではないか」と記してある。これは、全く違う場所に住み課題に向き合っている方々の間(人間・じんかん)から私たちが新たに気づくことがきっとあるだろう、という準備委員会内での意見を文章化したものだ。
実際にゼミを終えて思うには、この願いはおおむね達成されたということだ。参加者にとっても、スタッフにとっても、現地である西中国教区の人々にとっても、この開催は一陣の風、眠りからたたき起こされる体験だった。このゼミを一つの起点として、今心の中に吹いている風を凪にすることなく、いよいよ課題に向き合っていって欲しい。(後藤 慧報)
國吉さんは牧師の家庭に生まれ、「教会の子ども」として宇都宮で、小・中・高時代を過ごした。その後東京の大学に進学し、1967年から学生運動、労働組合運動に加わった。教会生活から離れた、空白の十数年だったという。
この間に、同世代の学生や活動家の死に直面、命を与えてくださった神、育んでくれた教会への応答として教会生活に復帰した。学生時代に知り合った真理子さんと結婚。宇都宮上町教会で式を挙げた。真理子さんも洗礼を受け、それ以来40年、教会員、教会学校奉仕、現在は教会附属の学校法人みふみ学院理事長、みふみ幼稚園園長を務めている。
「教会は立ち帰る場所」であり、教会の先輩たちから、「人生をやり直せ」と励まされ、34歳から役員を務めた。
高齢の教会員の送迎、みふみ幼稚園の総務としての幼稚園送迎バスの運転も担当、やがて関東教区常置委員に選出された。
2011年東日本大震災で教会堂が被災したため、毎月第4主日はカレー食堂のシェフを担い、売り上げを会堂建築資金に充てるようになった。また、教会学校や幼稚園のイベントの時は喜んで手伝うようにしている。「民が心を込めて働いた」(ネヘミヤ記4・6、口語訳)をモットーに「主のために働いて捧げる物を捧げよう。教会は主への喜びをお返しする所。皆に均等に接したい。美味しいものを食べてもらいたい。皆で楽しめるよう配慮している。喜びを共有することが楽しい」と語る。
宇都宮上町教会は現在地域に進出している企業の方々、外国の人や若い方々が礼拝に集うようになった。みふみ幼稚園ヘルパー、教諭、子どもの両親、幼稚園関係者で洗礼を受ける人が次々起こされている。
國吉さんは、「地域に開かれて、だれでも、いつでも来たくなるような教会になってほしい」と、新会堂建築の夢を語った。
栃木県生まれ、関東教区常置委員、宇都宮上町教会員。
教団が西早稲田の「日本キリスト教会館」に居を構えた時は、1970年秋。折しも、大阪万博にキリスト教館出展問題を契機として教会、神学校・関係学校・施設など教団の全領域にわたり、ついに部分的には暴力問題にまで発展して教団は揉めに揉めていた。前年1969年夏鈴木正久議長の死後4年間で三議長が変わった教団史最悪の混乱期であった。だから多くの人が、「日本キリスト教会館」の献堂の目的とか意義について関心を持ち、周知する余裕はなかったと言える。しかし、そんな中でも会館建設への計画は粛々と進められていた。1970年11月5日の献堂式の経過報告には、「1949年以来教文館に借家住まいを続けてきたキリスト教諸団体では、借家期限1969年までは自らの会館をもちたいとの動きがあった」とあり、日本キリスト教協議会(大村勇議長)が、これらの計画を知り、日本におけるキリスト教諸教派・諸団体の協力と一致の精神の具体化を願い、広く諸団体にエキュメニカルセンター建設を呼びかけ(中略)、やがて「日本キリスト教会館建設委員会」が組織されるに至ったのである。それから45年、幾多の災害がこの国を襲った。その度に建築基準法も変わり、実際この建物の耐震性の危険が判明し急遽教団は西早稲田から大久保通りの建物に一時避難し、事務局・出版局・年金局の教団三局で働く約70名の命の安全をはかった。現在、会館問題特別委員会が今後の方向を鋭意検討し、よい結果を出そうとしている。
(教団総幹事 長崎哲夫)
15:1 徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。
15:2 すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。
15:3 そこで、イエスは次のたとえを話された。
15:4 「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。
15:5 そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、
15:6 家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。
15:7 言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」
15:8 「あるいは、ドラクメ銀貨を十枚持っている女がいて、その一枚を無くしたとすれば、ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れて捜さないだろうか。
15:9 そして、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、『無くした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください』と言うであろう。
15:10 言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」
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