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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4797・98号】教務教師神学教師からの声 教会から生まれたキリスト教学校

2014年5月10日

川俣  茂
(清教学園中学校宗教主事)

 「キリスト教学校の教務教師となるからは、開拓伝道に携わる心持ちで!」。教会担任教師からキリスト教学校の聖書科教諭に転任する際、ベテラン教務教師から贈られた言葉です。それからはや8年が過ぎ、教務教師としては9年目となりました。

 「聖書科教員って堅苦しい」という先入観がどこかにあるのでしょうか。着任する際、「まずは職員室に常駐してほしい。職員室にいるのが仕事だ」と強く要望されました。長い間「専任」という形で、そして「教務教師」が存在していなかったこともあってのことでしょう。着任2年目にはクラス担任を経験しましたが、他の教科の先生方と同じ土俵で、「同じ労苦を味わってほしい」というのが理事長や校長の思いだったようです。教科指導だけではなく、学級運営・特別活動運営などなど、他の先生方と同じように扱っていただき、とりあえず「同労者の一人」として認めていただけたのかな?と思っています。他の先生方からは(いい意味で)「本当に聖書科、教務教師ですか?」と問われるくらいになりましたから…。その問いに対する答えは生徒の方がよくわかっているでしょう。

 ところで、勤務校の源流となるのは、日本基督教団大阪長野教会(現・河内長野教会)であり、その日曜学校から生まれた「清教塾」です。その中からキリスト教を基とした学校が必要だとの声があがり、塾生(中学生)自身が学校設立のための募金活動に立ち上がりました。1949年12月には「すくどかき(落葉拾い)」が行われ、塾生から初穂となる770円が献げられました。幾多の困難がありましたが、1951年4月6日、清教学園中学校が開校しました。従って学校と教会の関係を考える際、他のキリスト教学校とはちょっと違った、「学校と一教会」という関係、「教会立学校」とでも言った方がいいでしょうか、それがあらゆる場面でベースになっているともいえます。

 学園の卒業生名簿を見ていると、伝道者を多く生み出していることに気づかされます。学園がさまざまな形で、折に触れ「福音」を語り続けてきた結果であると思います。私個人としては、生徒や教職員の中から洗礼を受ける人が一人でも多く起こされてほしいとも思いますが、それ以上に伝道献身者が起こされてほしいと願い続けています。それが教会に対する一つの「協力」であると思うからです。

 私自身は2年前からは学校での職務に加えて、教会の代務者も兼ねることとなりました。それまで主日礼拝に出席しても「一礼拝者」としていることができたのですが、そうもいかなくなりました。教会の主日礼拝説教準備や役員会準備、教会の諸手続きなど、学校での繁雑な業務に加えた形で入ってきました。「強いられた恩寵」とはよく言ったものですが、御言葉と教会に仕える喜びも同時に経験させていただいていることは感謝です。

 最後に。教会の皆さんは、地域にあるキリスト教学校のことをどれだけ知っていてくださるでしょうか(地域にない場合は申し訳ありません)。ぜひ知って支えてください。私たちも教会のことをできる限り支えたいと願っています。「教会とキリスト教学校は車の両輪」、その仲介をするのが教務教師だと思うと同時に、「教会立学校」はその証しを神から求められていると思う今日この頃です。

 第27回神学校等人権教育懇談会が3 月24日午後から25日午前まで、姫路教会と日本基督教団部落解放センターを会場に開催された。教団の部落解放センターと5神学校からの参加者及びスタッフ合わせて14人が参加した。

 開会礼拝説教は会場提供をしてくれた姫路教会の山口義人牧師が担当。東日本大震災での人の死と今なお続く避難生活者に触れ、他者の痛みや悲しみを自分の内面で受け止めることが差別を乗り越えていく原動力になると力強く語った。

 その後、ある政治家の出自調査を某新聞社系週刊誌が行い、そのことで部落差別を助長させたことについてOさん(部落解放同盟)から詳しい説明があった。特に印象に残ったことは、人間の社会流動性が顕著な現代において、「自分の先祖をたどっていくならば、被差別部落との関わりがあっても不思議ではない」というOさんの指摘でした。自分を聖なる存在として特別視する傾向が宗教には生まれやすいが、そういう意識の陥穽を指摘された気がした。キリスト教も含めて宗教には聖性を追求する側面があるが、それが無自覚なままだと差別を生み出したり黙認する危険性がある。

 その具体例として、兵庫県宍粟市で秋祭りの神事に参加させない神社の部落差別現場をフィールドワークした。その秋祭りでは4台のヤタイ(大きな神輿のようなもの)がお祓い、お旅時、ヨセ(ヤタイ同士のぶつかりあい)などを行うが、被差別部落と言われる地域から参加しているヤタイは清めの儀式中は境内に入らないで校庭などで待機する。それでもその地域の人たちの大多数は、秋祭りに参加できることを良しとして受容しているという。内面化してしまった差別意識に関わる難しさを感じた。

 翌日はセンターにおいて講演とフィールドワークの振り返りがあり、センターの諸活動の説明が東谷誠運営委員長からなされた。また、全国の教会・伝道所向けに映画「SAYAMA」の無料貸し出しを9月末まで行っているので、上映会実施のアピールがあった。次回の神学校等人権教育懇談会は15年3月24日に東京浅草で行う。
(高橋克樹報)

 吉村愛子さんが初めて萩教会の礼拝に出席したのは、1960年の6月、偶然ある人に誘われて行ってみた礼拝。そこで歌われていた讃美歌が、女学校時代に聞いた思い出の曲だった。歌が大好きで、思わず大きな声で歌った。この出来事がなかったら礼拝に出席し続けることも、信仰をもつこともなかったと言う。

 半年後のクリスマスに洗礼を受けた。教会の交わりは、この世の交わりとは何かが違うと思った。キリストの愛を感じ取ったのである。

 すぐに教会学校の奉仕者に抜擢され、以来30年間務めた。この務めを通して得た聖書の学びや信仰の糧の豊かさが吉村さんにとって大きな賜物となったと振り返る。

 役員としての働きは22年に及ぶが、役員を退いても、尚、奉仕しているのが毎週の週報の原稿作成である。教会が代務者を必要とした時期から、着任したばかりの若い教師を助けるために始めた奉仕が今も続き、26年間に亘る。教会で分からないことがあると、吉村さんの誠実に整理された資料と確かな記憶が助けとなる。

 吉村さんは主の日の礼拝を心から大事にしている。会衆が讃美歌を歌う時に、どことなくアルトの美しい声が聞こえてくる。吉村さんである。

 実は、その吉村さんの讃美歌の裏表紙には密かに、一枚の写真がはさんである。それは69年前に戦死した大切な人の写真。吉村さんは礼拝には必ずその写真を持参する。その人と共に礼拝を守るためである。

 毎晩、その人のために執りなしの祈りをする。自分が礼拝を休まないことが、この人も礼拝を休まないことになると。神様は必ずこの人も救って下さると信じ、天国での再会を楽しみにしている。

 吉村さんは、心から平和を愛し、教会を愛している。その信仰者としての姿は凛としてキリストの愛の香りを放つ。

1924年韓国馬山生れ。終戦後、両親と山口県萩市に帰る。萩教会員。趣味・星空観察。

 ひかり幼稚舎(保育園)の理事会に出席し聞いた。この幼稚舎の理事長は他に2園の幼稚園を経営している。その一つ、ひかり幼稚園の5歳児が東日本大震災に540円を献金したということだ。

 草加教会の関係幼稚園であるひかり幼稚園(谷脇純子園長)で3月11日を覚えて、全園児家庭に献金依頼の文書を出し、さらに園で園児たちにも話をした。

 これを聞いた5歳児が、540円を献金したのだ。

 この家庭では、子どもがお風呂の掃除をすると10円あげることにしていた。この5歳児は54日働いてもらった540円の全てを献金した。

 「自分で決めて、献金するという行動をとってくれました。他の人の痛みが分かり、自分はどうしたら良いかを考え、行動することが出来るということは、豊かな心が育っていることだと思います」(谷脇園長)。

 キリスト教の幼稚園でこのような感性が育っているということは大変嬉しいことだ。

 5歳児は本気だ。自分の持っているもの全てを献金した。

 他者の痛みに、心動かされて本気で、真剣に向かって行く。この5歳に感動し励まされた。

 幼稚園で他の人の悲しみに本気で真剣に向かう園児の姿を、日常の保育の世界で見て、感動させられる。

 この子どもたちのように生きられたらといつも考えさせられている。(教団総会議長 石橋秀雄)

4:13 兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。
4:14 イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。
4:15 主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。
4:16 すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、
4:17 それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。
4:18 ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい。

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