13:31 さて、ユダが出て行くと、イエスは言われた。「今や、人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった。
13:32 神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐにお与えになる。
13:33 子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。あなたがたはわたしを捜すだろう。『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』とユダヤ人たちに言ったように、今、あなたがたにも同じことを言っておく。
13:34 あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
13:35 互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」
さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。 そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」 《マタイによる福音書28章16節~20節》
疑う者もいた
弟子たちは、復活の主に命じられた通りにガリラヤへ行き、指示されていた山に登り、そこで主イエスにお目にかかってひれ伏しました。ただしこの期に及んでまだ「しかし、疑う者もいた」と17節に記されるような状況でありました。何を疑っていたのでしょう。書いていないだけに含みがあります。
ヨハネによる福音書によれば、主イエスの十字架の死という大きな衝撃ののち、恐れと後悔に心が折れて、引きこもってしまった弟子たちのところに、復活された主は幾度も現れました。ある時は鍵をかけた扉をものともせずに彼らの只中に現れ、平安と祝福をお与えになったと言います。一度ならずそのようなことがあった。それなのになお疑う者がいた。信じ切れない者たちがいたのです。純度100パーセントではないのです。このことは疑いや不安のない者たちでなければ伝道のために働けないのではない、ということです。逆なのです。このように疑う者をも用いて働かれるのが神さまの業なのです。
思えば十二弟子の中には裏切り者がいました。本当のことを言うと皆、裏切り者であったのです。そのことはユダや、ペテロならずとも皆よく知っていたでしょう。最後の晩餐の席上で、主イエスが裏切り者の存在を指摘したとき、「まさかわたしのことでは」と代わる代わる聞いたというのは、皆がその可能性があることを否定できなかったということです。疑う心や、ついていけるだろうか、という思いが誰の中にもあった。わたしたちは人間なのですから、決意はあってもそれを決定にすることのできるような全能の存在ではありません。有限の存在であるがゆえに、死を恐れ、暴力を恐れ、反対を恐れ、孤立を恐れて裏切り、立ち止まり、知らぬふりをしてしまうような弱さや、疑いの心、つぶやく心を誰しもが持っているのです。
わたしの外へ、主の約束のうちに
復活の記事や、使徒言行録を読みますと、弟子たちは信仰の鉄人になったわけではありません。その後も疑いがあり、判断に間違いもあり、それでも、しかし、その後は、もうイエスを主と証しすることを止めることはなかった。それは彼らが「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」と仰られる方の「世の終わりまであなたがたと共にいる」という言葉を支えとしたからです。
よみがえられた主は、この世の終わりまで、すべてのことを支配されるという、そのことを彼らはまだはっきりと確信することはできなかったけれども、時が来て、聖霊が送られたときに、この消息が彼らの腹の中に座った、腑に落ちた。そのことを信じて、自分の存在を賭けて生きることの出来る者とされたということです。この恵みです。
イエスを主と告白して生きる者は、自分のうちにある確かさに立つのではない。自分の中には疑いがある。いや不信仰しかないのです。だから、わたしの外へ、主の約束のうちに立つのです。恵みによって立たせていただくのです。
ユダのように、あまりに早く自分で自分を裁いてしまうこともしないのです。わたしは主の僕なのですから、わたしの生殺与奪の権は、わたしのうちにはなく、主の御手の中にあるのです。わたしの主が、わたしに下される判決を、わたしは受け入れるのであって、自分で自分を勝手に裁いてはならないのです。最後の言葉はいつも主に取っておかなければならない。こうして不信仰なわたしをも用い、御業をなして行かれる方の手にゆだねて、わたしたちは働きます。遣わされてゆきます。
疑う者たちが、わたしたちの中からいなくなることはありません。誰と書いていないのは、次の瞬間には、わたしが疑う者になっているからです。しかし、それが問題なのではありません。主イエスの命令に従ってガリラヤまでやって来て、山に登り、ひれ伏す。そこまでした者たちもまだ疑い、迷いから自由ではなかった。しかし、そうした弱いわたしたちが、なお伝道に用いられるということが神さまの業なのです。
つくづく信仰というのは、人間業ではなく神業であると思わされます。人間の弱さが、わたしたちの意志や努力により克服されて伝道が進むというのではなくて、むしろ上からの力によってわたしたちが用いられてゆく、誤解を恐れずにいうならば、むしろ、砕かれたわたしたちを通して、福音の真髄が広められるといったほうがよいでしょう。
人間の立派さが褒め称えられるのではなくて、なきに等しいものを用いられることによって、その業が人間から出たものではなく、神さまから出たものであることがわかる、そのような不思議な働きによって神さまの真実は証しされてきたのです。
そしてこれからもそうでしょう。この信仰の理(ことわり)をわきまえておきたいと思うのです。
主の委託を受けて
主イエスは、わたしたちがどのような生き方をすることによって、この派遣の委託をまっとうすることになるかを具体的にお示しになっておられます。
それは「すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」という命令です。これは互いに愛しあい、重荷を負いあい、主を仰いで生きる民となるようにとの招きです。
そこにすべての者たちが調和と一致を保って生きることの出来る道、赦しと和解の、平和の道が備えられているからです。主イエス・キリストを通して、神さまがわたしたちに示された救いの道です。
こうして弟子たちは、山を降りてゆきます。主の委託を受けて派遣されてゆきます。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」という約束と励ましを受けて、聖霊の風にのせて送り出されていくのです。
失敗を恐れる必要はありません。疑う心があることを恥じる必要もありません。むしろ、主の憐れみと慈しみは、わたしたちの、その弱さにこそ向けられています。
十字架の愛がどのような時にもわたしたちに注がれていることを、そしてこの方の愛はわたしたちから離れ去ることも、取り去られることもない永遠の決定であることをわきまえて、それぞれの伝道の持ち場へ遣わされたいと願うものです。(半田教会牧師)
3局一時移転先決定、2年以内目途に
臨時常議員会が、4月21日午後、教団会議室で、30人中28人が出席して開催された。
当日の議案は、「第4回常議員会(3月)での議決を踏まえ、教団事務局・出版局・年金局を一時移転する。移転先はアサヒニューシティビル(新宿区大久保)。本年5月から2年間。費用は初年度5438万8000円、2年度2481万円」(提案者・石橋秀雄議長)で、「会館問題特別委員会、会館管理組合などとの協議を踏まえ、常議員会での審議を経た上で、教団としての方向性を明確にして行く」とした。
まず、長崎哲夫総幹事は、「5つの物件を検討したが、月額172万9000円、坪単価9500円という賃料の安さ。JR・地下鉄4駅に近い交通の便、出版局在庫で現会館を使用するため、会館から近いという利便性から選んだ」と説明し、愛澤豊重予算決算委員長は、「現在、教団が使える塩漬け財源は3億5671万円だが、初年度分は固定資産の運用基金引当預金(7084万円)を充当する」と報告した。
これに対して北紀吉常議員は、「始めは補強と言っていたのに、何故『建て替えありき』となったのか。減築して、出版局が3階に移れば、仕事が続けられる筈だが、そうした議論がなされていない」と疑問を呈し、菅原力常議員は、「今回初めて2年間という数字が出て来た。移転2年間の根拠は何か」と質問した。長崎総幹事は、「専門家によれば、補強工事、減築、改築いずれにしても、工事期間中は退去しなければならない。現会館の新築工事は1年間だった。どの場合も2年あれば充分足りると判断した」と答えた。
そして岡本知之常議員は、「議案は、教団3局の移転としながら、移転費用は事務局分しか記していない」と議案不備を指摘し、北紀吉常議員が、「補強なら1年で終わる。予算は1年で良い筈」と述べるなど平行線を辿ったことから、執行部は小憩中に議案の一部手直しに応じた。
再開後、移転先との契約期間を「5月から2年以内を目途」とし、移転等費用は2年度分を削り、初年度5897万6880円、事務局5434万円、出版局140万円、年金局322万円の3局負担明細を付記した修正議案を提案した。これにより全員賛成で可決された。
(永井清陽報)
《一時移転先物件詳細》
アサヒニューシティビル(新宿区大久保1-7-8)、鉄骨鉄筋コンクリート造、地上9階建て、敷地面積999,25㎡の4階(182坪)。
JR山手線「新大久保」駅徒歩6分、東京メトロ副都心線「東新宿」駅徒歩4分、都営大江戸線『東新宿』駅徒歩5分、JR総武線『大久保』駅徒歩9分、西武新宿線『西武新宿』駅徒歩9分。
当該ビルは新耐震基準に合格し、Is値0.6以上、かつCD値0.3を満たしており、適法に竣工されたものである。旧基準は「震度5程度の地震に対して、即座に建物が崩壊しないこと」が前提となっていたが、新基準は、1978年宮城県沖地震での甚大な被害発生を機に、「頻繁におこる大きさの地震(震度5程度)に対しては建物の構造に損害がないようにする」、また「滅多に起こらないが大きな地震(6強~7程度)に対しては、致命的な損害を回避し人命を保護するようにする」との目的で定められた。(嶋田恵悟報)
震災3年に向けキャラバン実施
3月8日~11日、伝道推進室の主催で「宮城・山形伝道キャラバン」が実施された。この伝道プログラムは、東日本大震災を特別に覚える時期にあって東日本大震災3周年記念礼拝と国際会議の日程に合わせて企画されたものであった。
伝道キャラバンの受け入れ教会は、山形本町教会(石井佑二牧師・石井美琴牧師)、山形六日町教会(代務・北垣俊一牧師)、泉高森教会(清野久貴牧師)、名取教会(荒井偉作牧師)、石巻山城町教会(関川祐一郎牧師)の5教会。メンバーは、神学生7名・青年2名、伝道推進室室長・委員・協力委員の教師5名、総勢14名であった。
東北教区との連携を整えることなどの点で、伝道推進室の準備は充分なものではなかった。しかし主の祝福と導きのもと、受け入れ教会の配慮によって、全ての旅程と奉仕が豊かに守られ、御言葉に聴き祈る交わりが与えられた。
大震災発生から3年経った今も、深い嘆き悲しみは癒えず、課題や問題が沢山ある中で、御言葉に従い、伝道の業に励む思いをひとつとすることができたことは、何より素晴らしい実りであった。
8日、キャラバンメンバーは、正午に祈りをもって東京の集合場所から車に乗り合わせ出発した。途中で、石巻、仙台、山形のグループに分かれて目的地へ向かい、その夜は各地で宿泊した。
9日、各教会の主日礼拝に2~3人で訪問し、礼拝説教・伝道講演・神学生や青年の証し、特別讃美などの奉仕をした。各教会への訪問メンバーは、山形本町教会へ、石橋秀雄牧師(説教者・講師)、瀧山喜与実(神学生)、山田美穂(神学生)。山形六日町教会へ、山畑謙牧師(説教者・講師)、石澤麻希子(神学生)、野川祈(青年)。泉高森教会へ、北紀吉牧師(説教者・講師)、酒井麻利(神学生)。名取教会へ、清藤淳牧師(説教者)、長倉基(神学生)、北浦圭佑(神学生)。石巻山城町教会へ、岩田昌路牧師(説教者)、和泉景太(神学生)、清水義尋(青年)であった。
9日夕方、各教会の奉仕を終えて、メンバーは仙台の宿泊所に再集合した。夜は、訪問先の教会における主日礼拝や午後の集会で与えられた恵みを各自がじっくりと報告し合った。2時間に及ぶ夜の集いとなった。共に主を讃美し祈りを合わせつつ、伝道への献身の志を新たにした。
10日午前中に、仙台の若林区荒浜を訪れた。激しい風の中であったが、石橋秀雄室長の導きによって、全員で輪になって主に讃美し祈りを捧げた。
10日午後と11日午前は、東北学院大学に赴き、国際会議の準備の手伝いをした。配布物の準備、パネル展示、テント張り、会場案内などを担当した。全ての奉仕を終えて、東日本大震災3周年記念礼拝を捧げ、国際会議初日の姜尚中氏の特別講演会に出席した。これも、神学生・青年たちにとって貴重な経験となったはずである。
最後に、今回の企画は、協力委員の山元克之牧師(東北教区センター主事)の尽力に負ったことを合わせて報告しておきたい。また伝道推進室を支え下さる全ての皆様の祈りと献金にも、この場を借りて心からの感謝を表したい。(岩田昌路報)
9月、全国交流会を開催
第3回「障がい」を考える小委員会が、3月19~20日、磐城教会において開催された。最初に、加藤幹夫委員長より宣教委員会の報告として、宣教委員の全国交流会協力と本小委員会の組織継続について確認された。
次に、2014年9月2~3日開催の《第4回「障がい」を考える全国交流会、牧会者ならびにその家族の精神的なケアを考える》の準備を行った。講師に藤掛明氏(聖学院大学大学院)を迎え、「牧会者のストレスとメンタルヘルス」の主題を中心に、2日目には「教会とパーソナリティ障害」等、学びを深める。
続いて、本委員会ホームページの記載内容と問い合わせについて検討した。「軽度発達障がい」の記載で、「軽度」という表記が障がいについて誤解を招くとの指摘を受け、「発達障がい」の表記に改めることとした。また、森田恭一郎委員執筆のエッセイを読み合わせ、ホームページを更新することとした。 ( http://uccj-j.org/)。
「障がい」の表記について、「障害」や「障碍」という表記への本委員会の見解を問う質問があった。資料をもとに、それぞれの表記についての異なる立場を確認。本委員会ではより一般的な「障がい」という表記を採用するが、これを他に押しつけるものではないとの回答。さらに、教団行事暦の「障害者週間」(11月第2主日から)が、国の「障害者週間」(12月3日から)と異なることへの質問があった。国の「障害者週間」が2004年6月に制定され、NCCは1979年3月に制定された。教団はNCCに加盟しており、これに合わせているとの回答。最後に、上竹裕子委員が「障がい者と共にある教会」と題し、震災後のいわきにおける牧会から発題した。
2日目は、津波の被災地域を視察後、社会福祉法人いわき福音協会を訪ねた。海野洋理事長は創設から震災に至るまでの法人の歩みと使命を語った。教会と施設の課題について意見交換し、祈りを合わせた後、施設を見学した。
次回委員会は、9月2日、全国交流会前に開催する。
(上竹裕子報)
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18-31
Copyright (c) 2007-2025
The United Church of Christ in Japan






