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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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マタイによる福音書5・17~20

2013年1月27日

5:17 「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。
5:18 はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。
5:19 だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。
5:20 言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」

2013年1月26日

第38回教団総会で総幹事に指名された翌週月曜日朝から、正式な就任式等ないまま、東京山手教会牧師として本年3月末までを続けることで西早稲田に通い始めた。
その日、朝9時より「信徒の友・週日聖書日課」による「祈りの教会」を覚えて献げる礼拝から始まった。この直後、事務局全職員の打合せを総幹事室で行い、各自その週の仕事と予定を確認し合った。会社勤めや幼稚園等携わったことのない自分にはそれが実に新鮮であった。教団幹事との「幹事会」が、その後開かれているとのこと。慣例でそれも総幹事室で行われていた。だが、教団運営上これは極めて重要な会議であり、ソファーと応接用の低いテーブルですることではないとの判断から、会議室に移して行うことを提案し、了承された。これは、月一度教団三役と幹事会との合同会議である「役員打ち合わせ会」もそのようにして今日に至っている。
ところで総幹事室であるが、此処には古くは中嶋正昭氏ら歴代総幹事が残した書類が山と積まれており、幹事や職員と相談して整理し、早々に出来るだけ広く清楚な部屋として整え、内外の客人何時でもどなたも自由に来室を待つ願いから、多くの職員の協力を得てそれを実行した。
現在、教団は「3・11東日本大震災救援」に総力を挙げている。この間、総幹事就任とは別に「対策室室長」の役目も果たして来た。
災害に対する教団の対応は、1995年1月の兵庫県南部大地震以来本格化しているが、諸教会の深甚の祈りと募金がこれを支えている。
(教団総幹事 長崎哲夫)

1948年東京都生まれ。
ICU大学院・日本聖書神学校卒。豊島岡教会担任教師。

昨夏、仙台・石巻エマオに台湾から100人のボランティアがやって来た。4チームに分かれて奉仕したが、大工さんが加わっていたことから、引っ張りだこになった。このボランティアは、台湾で大きな関心を集め、1、000人もの応募者があったという。東日本大震災・海外募金の3割強が台湾からであることとあいまって、台湾諸教会の熱い支援の気持ちがよく伝わってくる。
本年3月の大震災2周年メモリアル・デーには、石橋秀雄・教団総会議長を招いて、記念集会が台湾で開催される。
昨年9月、救援対策幹事に就任した飯島さんは、都内の公立中学で31年間教鞭を執っていたが、「神様との約束を果たしていないことが心をよぎり」、53歳で日本聖書神学校に入学した。
14歳で受洗し、17歳で召命を感じた飯島さんは、高卒後、神学校入学を考えたが、「大学を出てから」と勧められ、国際基督教大学大学院を卒業後、教師となっていた。
飯島さんは、按手を受けた翌年、09年から1年間、NCC総幹事を務めていた。
被災教区では、会堂の復興・再建も始まった。だが、過去の災害に比べて余りにも規模も被害も甚大だっただけに、「教会、付属幼稚園の建物が復興しても、人が元通り戻るのか」を多くの人が懸念している。
担当幹事就任以来、飯島さんは被災地を駆け巡っているが、「仮設住宅は、時と共に忘れられ、取り壊される。仮設を出たくても出られない人たちが何処かに集められる。そうした人たちに教団がどう寄り添えるのか」と飯島さんは問う。
国内募金に比べ、海外募金は停滞気味だが、「海外献金は、これを機会に海外の諸教会とどういう関係を築いて行けるか考える重要なチャンス。私たちも、関心を薄らすことなく募金を続けて行けるのかを神様から問われている」と飯島幹事は語っている。

地域の声に聴く伝道

周船寺教会牧師 駒木 亮

初めに、東日本大震災で被災された方々、それに続く福島第一原子力発電所の事故によって今なお不安の中に置かれた方々に主の慰めをお祈りいたします。
私は2011年4月から福岡市の西端にある周船寺教会で奉仕させていただいています。周船寺は糸島半島の内陸部に位置する、南は脊振山地、北は玄界灘に挟まれた自然豊かな地域です。この地域は『魏志倭人伝』に出てくる「伊都国」(怡土)であると考えられています。
また地元の大学が学部移転を進めている新キャンパスが周船寺の北にあります。この地域は大学のキャンパス移転に伴って都市開発が進んでいる場所でもあり、人口流入の多い地域の一つです。
周船寺教会は設立当初(1946年)から「地域に仕える」教会を目指してきたと言えます。周船寺教会は草創期に付属の周船寺幼稚園を設立しました。これは周船寺教会を設立した初代牧師の当初の伝道方針とは異なっていたようです。しかし教会が「地域の声を聴く」という姿勢のもとで、初代牧師は自身の方針を翻意され、幼稚園が伝道の業として設立されました。
現在幼稚園は、一つの学校法人で二つの幼稚園(周船寺幼稚園・周船寺第二幼稚園)を有するに至っています。これは周船寺地域の都市化・人口増による園児数の増加の結果であり、さらに周船寺第二幼稚園では現在、既存の園舎に加えて新園舎を隣接地に建築中です。今日に至る幼稚園の歴史もまた、地域の人々の声を聴いてきた結果です。
周船寺教会の伝道の業とは何かを考える中で、二つの幼稚園との関わり方について、現在私は宗教主事という立場で、一人の牧師として両園に関わらせていただいています。
周船寺教会にとって幼稚園は重要な伝道の業であり、地域の中で主イエス・キリストの福音を具現化する場です。しかし教会に委ねられている伝道の業は、幼稚園がすべてではないことも確かです。もちろん幼稚園の存在やその歴史を軽視しようとは全く考えていません。ただ現在の教会と幼稚園の規模と関係性、そして過去の経緯と今後の歩みを考える中で、結果的に示された関わり方が宗教主事でした。
周船寺教会と幼稚園の歩みから言えることは、周船寺教会の伝道の業が、必ずしも自ら描いたものではないということです。教会の伝道の業は、教会が主体的に行うものであっても、教会が置かれている地域、接する隣人に聴くことから示される業、すなわち自らの内ではなく外から示される業(によって結果的に自らが決断する業)だと私は考えます。これは「しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」という主イエスの祈りそのものでしょう。
伝道は「主の福音を宣べ伝える」業ですから、つい「語る」ことばかりを強く意識しがちです。しかし「語る」前にまず「聴く」ことが教会(と私!)には求められているように感じます。
特に古くからの歴史や習俗に根差した人々と、新たな文化・人々が共に生きている周船寺にある教会にとっては、これからも地域の声を「聴く」ことによって、伝道の方向性が自ずと示されると信じています。
声を聴くことは、色々な人の中におられる主イエスの声を聴くことだと思います。

 

佐藤駿一郎氏(隠退教師)
12年10月25日逝去、83歳。 大分県に生まれる。’63年日本聖書神学校を卒業。同年江刺教会に赴任、花輪教会を経て’76年より04年まで瀬戸内教会を牧会し、隠退した。遺族は妻・佐藤鈴子さん。

片岡健吉氏(隠退教師)
12年11月13日逝去、83歳。滋賀県に生まれる。’59年日本聖書神学校を卒業。同年初芝教会に赴任、倉敷平和教会、琴平教会、阿漕教会、新丸子教会を経て、04年より09年までひの木教会を牧会し、隠退した。遺族は妻・片岡公子さん。

木村知己氏(隠退教師)
12年11月26日逝去、86歳。東京都に生まれる。’52年東京神学大学大学院を修了。同年高輪教会に赴任、行人坂教会、衣笠病院を経て、02年まで佐賀キリスト教事業団に勤め、城西教会、南久が原教会を代務し、07年隠退。遺族は息・木村良己さん。

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