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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4766号】人ひととき 竹澤知代志さん 出版局長に就任

2013年2月9日

雲然俊美教団書記は高校の後輩、高橋和人東北教区議長は同郷、邑原宗男奥羽教区議長は最初の赴任地の2代前の伝道師である。これからも東日本大震災のことを心に留めて、出来るだけのことはしたいと思っている。
献身のきっかけとなったのは、フランソワ・モーリアックの『イエスの生涯』を読んだこと。その日のうちに新約聖書を買いに行き、翌日、教会の門を叩いた。その年のクリスマスに受洗、年が明けたら神学校を受験していた。神学校を卒業してからは、大曲教会、白川教会、松江北堀教会を経て、現在、玉川教会を牧会している。
趣味は若い頃から続けている家庭菜園と読書。教会の庭では、薩摩芋、里芋、ピーナッツ等、地面の下に成るものを栽培している。読書は、中学3年生の頃から1日1冊を心がけて来た。新報主筆を担うようになってから、読書量は落ちたものの、今でも週に3冊程は読むようにしている。最も影響を受けた作家は、聖書やキリスト教信仰を題材にした作品も多い、シュテファン・ツヴァイク。『レゲンデ』、『昨日の世界』等は、若い牧師に是非読んでほしいと言う。
出版局は、本の虫のような人たちが働いていて、同類を得たような気持ちで、居心地が良い。全く新しい奉仕の場にあって五里霧中で何をしていいのか分からないといった感じであるが、その先に、ともし火のように、少し光が見えて来たところである。出版局の仕事は、全教団的に多くの人々の支援がなくては全うできない。11年間、教団新報に携わる中で、大勢の友人や後輩牧師たちに支えられて奉仕をし、様々な人と人間関係を築いて来た。そのことが出版局で役に立つかもしれない。有澤年前局長、理事たちは、財政面の立て直しに力を注いで来た。これからは、これまで以上に、良い本、教団に留まらず、幅広い人々に売れる本を、世に送り出して行くことが目標である。

1950年、秋田県横手市生まれ。玉川教会牧師。2002年〜2012年、教団新報主筆。

毎週の礼拝や特別な集会などに役立てていただきたいと思って作られました。
それぞれの教会で、このパンフレットに掲載された数々の工夫が役立つことを願っています。

《2012年10月31日発行》
《編集・デザイン/伝道アイデアパンフレット編集の会》
《印刷・製本/株式会社シャローム印刷》
《発行者/第37総会期日本基督教団伝道委員会》

《目次》
◆広告・宣伝
◆新来者への対応
◆集会
◆こども
◆バリアフリー
◆伝道力
◆伝道のビジョン

※1部200円の頒布額でお分けすることが出来ます。教団事務局にお問い合わせください。
※日本基督教団公式サイト(https://uccj.org/kyodan/)で関連データーのダウンロードや閲覧をすることができるようになる予定です。

伝道への熱意を受け継いで
橋本教会牧師 須田 拓

私の遣わされている橋本教会は、神奈川県北部の相模原市にあり、東京都との県境近くに位置する。この地で、戦後間もなくの1946年、2人の信徒によって家庭集会と日曜学校が始められた。
うち一人は、救世軍の士官として各地で伝道に当たり、やがて救世軍を離れて神学校に学んだ後、一信徒として教会を支えてゆく決断をされた方である。もう一人は、かつて新潟での集会でその方と知り合った方で、同じ市内に移り住んでいた2人が町でばったりと再会し、この地に福音をとの強い思いで意気投合したのである。
やがて、隣の相模原教会が設立されるとそれに合流したが、やはり橋本の地に教会をとの祈りから、1969年に橋本での開拓伝道を開始、7名が相模原教会から移籍し、1970年に橋本伝道所が開設された。
このように信徒の伝道への熱意によって橋本教会は始まり、まず駅から徒歩7分程の現在地に百坪の土地を買い、1977年には、将来50名で礼拝を守る日を望み見て会堂を献堂した。
50名礼拝の目標はなかなか実現しなかったが、1990年に京王相模原線が開通して橋本がその終着駅になると、急速に町の再開発が進み、高層マンションが建ち並んで人口は激増し、橋本の隣町で育った私が13年前に赴任した際に、かつてののどかな町の面影を見つけるのが困難であった程、町は変貌した。
それに伴って2000年頃から礼拝出席者も急増し、1999年に30名であった礼拝出席者は現在約80名に、36名であった現住陪餐会員は91名となった。
最近では礼拝出席者がしばしば100名を超えて、礼拝堂が非常に手狭になり、また予想以上の老朽化もあって、数年前より新会堂建築が喫緊の課題となった。
少なくとも通常時120名、拡張時150から200名の礼拝堂が必要と考えたが、比較的近年まで旧会堂と土地購入の返済が続いていたこともあって、すぐに建築に取りかかることは困難に思われた。
しかし、この更なる人口増加が見込まれる地域に主の福音が宣べ伝えられてゆくためにどうしても新会堂が必要との思いが強められ、主の助けと備えとを信じて精一杯のことをしようとの結論に至り、また全国の多くの教会や兄弟姉妹方の祈りと支えをいただいて、昨年11月に会堂を取り壊し、本年秋口の献堂を目指して建築に踏み切った。
11月の旧会堂最終礼拝では洗礼式と転入会式が執り行われたが、その後近隣の保育園ホールをお借りしてのクリスマス礼拝でも、「場所は関係ないので洗礼を受けたい」との思いを与えられた2名の洗礼式と1名の幼児洗礼式が執り行われた。
御子ご降誕の喜びと共に、場所に関係なく、私たちの思いを遙かに超えて働かれる神の恵みを思わされる時であった。
橋本は現在もマンションや住宅の建設が続き、さらに、リニア新幹線の駅が設置される見込みである。移り変わり行く中で、変わらぬ主の御言葉に聴き、救いの喜びに生かされつつ、主の十字架による救いを指し示し、一人でも多くの方が主に結ばれるよう、あの初めの頃の伝道への熱意を失わない教会であり続けたい。そして、新会堂がそのために豊かに用いられることを願うものである。

多田一三氏(隠退教師)
12年9月5日逝去、76歳。大阪府に生まれる。’66年関西学院大学大学院修了、’63年中津教会に赴任、’93年より12年まで九州キリスト教社会福祉事業団に勤め、隠退した。遺族は妻・多田玲子さん。

石川直一氏(隠退教師)
12年11月27日逝去、88歳。静岡県に生まれる。’57年農村伝道神学校を卒業、’58年興部教会に赴任、下川教会、藤崎教会を経て、’99年まで沼津岳南教会を牧会し、隠退した。遺族は妻・石川美佐子さん。

2・11は、国民の祝日に関する法律で『建国記念の日』とし、「建国を偲び、国を愛する心を養う」と規定されています。この日は神話上の人物である神武天皇が紀元前660年2月11日に橿原に宮を建て即位した日とされる日で、1874年以来『紀元節』として守られてきたものです。それを、1967年に『建国記念の日』とし、祝日とされました。
けれども、所詮神話です。紀元前660年2月11日が建国の日と考える人は、少なくとも日本の古代史の専門家の中にはいないでしょう。紀元前660年2月11日に、奈良の橿原に、強力な統一国家が建国され、天皇という祭祀と政治を司る大王が存在したと考えることは、通常できないからです。また、統一国家の形成や天皇制の確立、天皇という名称の使用は、紀元645年(一巳の変)から712年(日本書紀成立)の間に行われたと考えるのが一般的ですから、紀元前660年2月11日が歴史的に根拠のある日ではありません。所詮神話にすぎません。神話上の日にちと、神話上の人物を用いて、「建国を偲び、国を愛する心を養う」ことが求められた。これが、『建国記念の日』です。
それにもかかわらず注意を要するのは、神話がわたしたちの日常生活の中で語られ用いられようとする時には、何らかの意図が存在してしまうということです。その意図に賛同できるならば、その人にとってその意図は感謝と喜びとなるでしょう。しかし、その意図に違和感を感じるならば、その人にとってその意図は苦痛となるでしょう。
この国は、神武天皇によって建国されたわけでもなく、その日が紀元前660年2月11日であるわけでもない。けれどももし、「(神武天皇の)建国を偲び、(天皇を中心とした)国を愛する心を養う」という意図が、「公」によって行われるのであるならば、その意図に違和感を感じる者にとって、その日は苦痛の日となります。ましてや、その天皇が信仰の対象になったり、宗教的傾向を持つ祭儀を司るならば、なおさらです。
わたしたちは2・11を迎えるに当たって、教会の重要な課題、「信仰の自由」を高らかに宣言いたします。また、日本国憲法に保障された「信教の自由」が堅持されるよう祈り求めます。
各地の集会の上に、主なる神の祝福を祈ります。

(社会委員会 釜土達雄)

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