ドイツ、ベルリン。この東西分断を乗り越えた未曽有の歴史を持つヨーロッパの国際的大都市にも日本語教会があります。
80年代に日本人牧師の呼びかけで始まった日本語礼拝は、ささやかながらも主に守られ導かれて今日まで歩みを続けてきました。礼拝に集う人々は、在独数十年という方から留学生、ご家族の転勤に伴って、ワーキングホリデーの方、旅行者、日本語や文化に興味のある外国の方など実に様々です。
しかしながら大都市とはいえ邦人数は決して多くはなく、街中で日本人に出会うことは非常に稀です。そんな中いかに教会の存在を多くの人に知ってもらうか、試行錯誤しながら皆で心を砕く日々です。
言葉や食事、習慣、気候など海外生活は予想以上に不安や困難が多いものです。教会にも人とのコンタクトを切実に求めて来られる方や、疲れた日常の中ふと昔の教会学校を思い出して行ってみようと思って、という方も多くいます。この規模でほぼ毎回新来者があるのは驚きです。母国語で御言葉を共に聞き共に賛美することには、本当に深い慰めと励ましとがあるのだということを外国語教会の牧師としても痛感しています。
教会は、月2回の礼拝と聖書研究祈祷会などを軸に活動しています。信徒同士も情報交換を密に取り交わしつつ、助け合う良き交わりが続いています。
海外受洗者も多く、信仰背景は実に多様です。それゆえに教会形成の意識は希薄で教会理解も各自で全く捉え方が異なるため、これまで何度も教会の存在自体を揺るがすような事態もありましたが、その違いを神さまからの恵みとして活かしつつ、どう教会の群れとして歩んでいけるかが私たちの引き続きの課題といえるでしょう。
数年前から2度にわたり「教会とは何か」とのテーマで、礼拝や御言葉、奉仕、賛美、伝道などを学ぶ機会を与えられ、キリストを礎とする信仰共同体、礼拝共同体、宣教共同体として教会一同思いを確認できたことは主からの大きな祝福です。海外教会ゆえ流動性が高く、役員会など教会組織もなく礼拝出席平均も10名ほどの小さな群れですが、ここに教会があることの意味を喜びのうちに分かち合い、ここで私たちにしかできない証しをしていくことができれば素晴らしいと思います。
単なる教勢拡大という視点からは決して見えてこないであろう主の豊かな秘められたご計画が、今日まで変わらず続くこのベルリン日本語教会にはあると感じています。海外生活が続く中30年ぶりに日本語での聖餐に与ることができた、と喜ばれた女性、家族のような教会ですねと仰った求道者の方。こんなに私のために祈ってもらえたのはここが初めてです、と日本へ帰国していった方。主によって蒔かれた福音の種がこの地に育ち根付いていくよう願うばかりです。
小さな私たちの教会ですが、現地教会や外国語教会との豊かな交わりは尽きることなく与えられ本当に感謝です。エキュメニカルな視点を持つ現地教会は無償で礼拝場所を提供して下さり、合同礼拝やバザー、合同聖研祈祷会などは毎年恒例となりました。
また、私たちを覚え助けてくださるベルリン宣教局や東アジア伝道会の多くのドイツ牧師先生方は、実によく日本事情にも通じておられ、日本や日本語教会のため深く祈って下さいます。教会の規模ゆえどうしてもできることに限界がありますが、ベルリンに日本語教会がある、ということを現地教会、他の外国語教会がポジティブに受け止めて暖かい交わりに招いて下さることは大きな励ましです。20を超える教派や外国語教会で守るペンテコステ合同礼拝や韓中日合同礼拝など、これまでも様々に私たちも関わることができており、教会一同開かれた共同体としてよい刺激と交わり、学びの機会になっています。
ここにきて私も在独10年を迎えました。宣教師として派遣されて9年目。これから先どのような道を主が備えて下さっているか全く分かりませんが、主が用いてくださる限り、賜物を精一杯生かしてこの地での宣教に励みたいと日々思いを強くしています。
また、多くの日本の方々が世界宣教委員会発行の『共に仕えるために』や『信徒の友』、支援会を通してベルリン日本語教会のことを覚え祈り励まして支えて下さり心強い限りです。
「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」(ルカ12・32)との御言葉に押し出され、私たちが大胆に自由に歩むことができますよう、どうぞこれからもお祈りください。
(秋葉睦子報/ベルリン日本語教会牧師・日本基督教団派遣宣教師)
北海道函館市の西部地区元町において、昨年9月29日(土)午後、キリスト教各教派による合同企画、「元町・教会めぐり」が行われた。「一般市民に、音楽を通じてそれぞれの教会の伝統や特色に触れていただこう」という、一昨年に続く2回目の試みであった。
函館は、安政5カ国条約(1858年)における開港5港(箱館、新潟、神奈川、神戸、長崎)の一つであり、幕末から明治初めにかけて伝道を開始したキリスト教各派の会堂が、函館港に面する函館山の山裾斜面に集中的に存在する。その範囲は直線で3百メートル足らずである。こうした歴史的・地理的背景を利用して、それぞれの教会を順次訪ね、約30分ずつ各教会の特徴的な音楽に触れていただこうというのが企画の趣旨である。
土曜日の午後1時30分、いちばん坂下に位置する教団函館教会からツアーは始まった。参加者はほぼ170人、各教会で待機していた人々を加えると最終的には250人を越えたであろう。
函館教会の今年のテーマは、「讃美歌に聴く作曲者たちの祈り」。讃美歌のメロディーをとおして有名な作曲家の作品に出会うという趣旨である。教会沿革の簡単な紹介のあと、讃美歌2編95番『わがこころよ、いま』と、讃美歌30番『朝風、静かに吹きて』が取り上げられた。
2箇所目は、2百メートルほど坂を上ったカトリック元町教会で、教会所属聖チェチリア混声合唱団によってグレゴリオ聖歌、フランス聖歌、日本の典礼聖歌が演奏された。
次いで50メートルほどさらに上に位置する日本聖公会函館聖ヨハネ教会。ここではアングリカンチャントによる「夕べの祈り」がほとんど式文どおりにささげられた。
最後は、道を挟んで聖ヨハネ教会の西隣にある函館ハリストス正教会に移動し、「晩課」と呼ばれるロシア・ビザンチン聖歌による祈りに参加した。
幕末当時から函館の玄関口であった元町地区には、奉行所や各国領事館が置かれており、宣教師保護の上からこの地域に教会が集中した。1858年、ロシアから渡来した正教修道司祭フィラレートに始まり、翌1859年フランスからカトリックのメルメ・カション神父が、1874年には米国メソヂスト教会からメリマン・コリバート・ハリス監督、イギリス英国聖公会からウォルター・デニング司祭が相次いで来日し、文字通り東、西、北から世界のキリスト教各派が函館で出会ったのである。
4教会の会堂もそれぞれの伝統を背景にした特徴的な建築物である。ハリストス正教会の聖堂は1916年に建てられ、国の重要文化財に指定されている。カトリック元町教会の木彫の手彫り祭壇は、大火で消失した聖堂を1923年に再建した折に、時のローマ教皇ベネディクト15世から寄贈されたという稀有のものである。わが函館教会の会堂も1931年に建てられ、市の歴史的景観形成建築物に指定されている。
しかし、異国情緒あふれる街並みを形成するこれらの建築物も観光資源としての役割は果たしつつも、地域住民の間からは、「会堂内に入る機会も少なく、中に入ってよいのか、いつ入ったらよいかもわからない」「まだ一度も中を覗いたこともない」という声が聞かれることも多かった。そこで、観光客だけでなく地元の市民に呼びかけ、会堂の中に入っていただこうというのが、合同企画の出発点であった。
函館教会では、讃美歌の旋律の由来を紹介しながらブラームスの『コラール前奏曲第五番』(讃美歌2編95番の旋律を含む)をパイプオルガンで演奏したあと会衆賛美、メンデルスゾーンの『無言歌集第2巻第9番ホ長調』(讃美歌30番の旋律)のピアノ演奏後に、会衆賛美という内容。前者の歌詞では、「聖餐式」の意味、後者では作詞者のストウ夫人が祖母から受け継いだ信仰を紹介した。音楽愛好家だけではなく郷土の歴史に関心を寄せる人、教会を覗いてみたい人など広範囲の人々を対象にした欲張った解説であった。
教団函館教会以外はいずれも「国教会」の伝統を持つ教会である。国教会と言うと伝道はしない、と考える向きもあるが、伝道地日本における宣教師たちの命懸けの伝道の遺産は、信仰に基づく教育、医療、福祉の各分野に及び、人権意識の啓発、人格形成、世論形成等をとおして近代日本の文化形成に大きく寄与した。家族への信仰継承などは信仰が極端に個人化してしまった我々が失ったものを今なお保持している。
他教派信仰者・教職者との直接の触れ合いから受ける刺激には極めて大きいものがあった。
(松本紳一郎報/函館教会伝道師)
「あなたがたは、何を見に荒野へ行ったのか」。風にたおやかにそよぐ水辺の葦、着心地の良い服を着飾った高貴な人々だったか。主の問いかけにどう答えるであろうか▼荒野では熱風が吹きつければ、昨日咲いていた花も今日はもう枯れている。水の豊かな国に暮らす者には想像できない厳しさかもしれない。では、瑞々しさに満ちたこの国に荒野はないだろうか。わたしたちの間に殺伐とした荒野は、命を恐怖に陥れる脅威はないだろうか▼ひとりの教会員が、震災直後からこの2年に亘り、被災したひとつの地域に通い続けている。彼女は絵を描くことを生業としている。子どもたちを集めて絵を描かせている。色の乏しかった絵が少しずつ色を取り戻してきたそうだ▼震災で昨日まであった暮らしが一瞬で流されてしまった。すべてを流されてしまった地が麗しさを取り戻すことができるよう願う▼荒野にあったのは、声であり、預言者、いやそれ以上の者である。これが主のお答えだ。この声の主は、語る言葉の厳しさゆえ殺されたけれども、声は語ることを止めない。荒野がほんとうに麗しい地となるまで語ることを止めることはできない。教会がこの世界に置かれているのは、荒野においてほんとうの麗しさを取り戻して下さるお方がおられるからだ。
ルカによる福音書8章22〜25節
メッセージ 雲然俊美
主イエスの呼びかけ
「向こう岸に渡ろう」、主イエスは弟子たちに呼びかけられました。「向こう岸に渡ろう」、主イエスは私たちに呼びかけておられます。
弟子たちと同様に、私たちも主イエスの呼びかけに応えて、福音を宣べ伝えるために一歩を踏み出します。伝道は主の呼びかけを聞き、その促しに応え、主と共に出かけることです。
私たちはさまざまな理由(言い訳、口実)を上げて、なかなか一歩を踏み出そうとしないことがあります。そのような時にこそ、私たちは自分の思いにではなく、主のみ声に聞き従わなければなりません。
風と荒波の中で
弟子たちは船出しました。しかし、その舟路は決して楽なものではなく、風に悩まされ、荒波にもまれる旅路でありました(22~23節)。弟子たちの中には、かつてその湖で漁をすることによって生計を立てていた者もおりました。けれども、その彼らが、「先生、おぼれそうです」(24節)と慌てました。彼らのそれまでの「経験」はもはや頼りにならなかったのです。
思いがけない困難が襲う時、改めて私たちは、地図もなければ道案内もいない中で人生の旅路を歩んでいることを知らされます。そもそも目的地さえ定まっていないことに気づくのです。「人生の海の嵐」の中で、私たちは、「自分の経験では…」ということがもはや通用しない現実に直面します。
主イエスの平安
さて、弟子たちが舟の上で慌てふためいていた時、主イエスは、何と眠っておられました。弟子たちは主を起こさなければなりませんでした(23~24節)。この主の「眠り」は、主イエスの平安を意味しております。私たちはこの主イエスの眠りに、確かな平安を見るのです。
この世界に、あるいは、私たちの日常の生活の中に、神はおられないのではありません。また、私たちが困難の中で悩み、嘆き、苦しむ時、主イエスはのんきに眠っておられるのでもありません。この主イエスの眠りこそは、まことの平安のありかを示しているのです。
主イエスが弟子たちの叫びに応えて起き上がられ、風と荒波とをお叱りになると、それらは静まって凪になりました。そして、その主の平安の中で、主は、あらためて私たちの信仰を問われるのです(24~25節)。
主の十字架による救い
弟子たちは大変な思いをしつつも、主のみわざを目の当たりにし、ようやく「向こう岸」に着きました。
では、その「向こう岸」で、主イエスと弟子たちの働きは大きな実りとなったのでしょうか。そうではありませんでした。むしろ、そこでは、悪霊に取りつかれ、その地の人々から遠ざけられていた人と出会い、そのたった一人の人を救ったのみでありました(26節以下)。
さらに、そのことによって主イエスと弟子たちは、せっかくの思いで辿り着いた地を早々に引き上げなければならなくなったのです。
すなわち主イエスは、その一人の人を捜し出し、出会い、救うために出かけられたのです。主はその一人の人の命と人生を回復するために、風と荒波の中を突き進まれたのです。
まさにそのように、主は罪と悪の奴隷となっていた私たちを、十字架の死により、ご自分の命をもって救い出してくださいました。それは、愛に満ちた自己犠牲の行為ということに留まるものではなく、神に敵対する罪人であった私たちを神との和解に至らせる、まことに深い神の愛によるものでした(ローマ5・10)。
一人の人との出会いから
私たちの伝道もまた、多くの力を注ぎ、労苦をしても、なかなかその実りを得ることができない現実を抱えております。けれども、明らかに、そのような労苦の中で出会った一人からこそ、私たちがまったく予想もしなかった神のみわざを見させていただくのです。
私自身、伝道者として遣わされた当初、学生伝道や音楽伝道など、自分の計画やビジョンを持っていました。けれども結局それらは実現しませんでした。むしろ、それらにこだわってしまうあまり、焦りを覚えたり、人を裁いたりする思いがわき上がることさえありました。
そのような時に、私自身が、また教会が新たな方向に歩みを進めるきっかけとなったのは、まさに一人との出会いによってでありました。
それは、教会の近所の子どもとの出会いであったり、障がいを負っている方とその家族との出会いであったり、また、高齢の方との出会いといったことでした。そのような出会いに、とにかく真向かいに向かう中で、新たな道が開かれて行きました。
決して効率の良いことではありません。まさに、「一人の人」との出会いの積み重ねであります。けれども、その「一人」は、その存在をもって主なる神の恵みを証する、なくてはならない「一人」でありました。
主が共におられる礼拝
また、昨年、兼牧している下浜教会のクリスマス礼拝に向かう途中、雪道でスリップした車が道路をふさいだため、礼拝時間に30分も遅れて到着するということがありました。
その時教会で待っていたのは一組のご夫婦の教会員のみでした。礼拝の時間に遅れてしまい、気落ちしていた私に、そのご夫婦は、待っている間2人で讃美歌を歌うことができたと話し、そして、「夫婦2人で久しぶりにたくさん歌えてうれしかったです。神さまをたくさん賛美しました」と言われました。その言葉に、私はあらためて、この地で主なる神さまをほめたたえるために用いられる喜びに満たされました。
その日、3人でささげたクリスマス礼拝において、主のご臨在を深く覚える恵みの聖餐に共にあずかりました(マタイ18・20)。
主のみ声に聞き従って
主イエスは私たちに、「向こう岸に渡ろう」と促しておられます。主ご自身がそのようにおっしゃったのですから、その困難な旅路において、主は決して私たちから離れることなく、見捨てることもなさいません。
主に促されて出かけた地において、私たちは自分が思い描いていたのとはまったく違う現実に直面することもあると思います。けれどもそれこそが、主が私たちに出会わせようとしておられる出会いであります。
私たちは、行き詰まりを覚え、立ち止まり、うずくまる中でこそ、主のみ声に聞き従うことに集中するのです。共に、「向こう岸に渡ろう」との主のみ声に聞き従い、一歩を踏み出してまいりましょう。
( 第38総会期教団総会書記、秋田桜教会牧師)
22:1 イエスは、また、たとえを用いて語られた。
22:2 「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。
22:3 王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。
22:4 そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』
22:5 しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、
22:6 また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。
22:7 そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。
22:8 そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。
22:9 だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』
22:10 そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。
22:11 王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。
22:12 王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、
22:13 王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』
22:14 招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」
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