1971年の千葉YMCA(以下千葉Y)設立に参加し、2009年に千葉Y総主事代行に任命された。
広島の大学で助手として働いていた時代に、上司である教授の紹介で教会の門をくぐったのがキリスト教との初めての出会いであった。2年後に受洗、それ以来、所属教会が変わっても、教会生活が日常生活という生活は変わっていない。
広島から東京の大学に転勤。そこで学生紛争を経験する。当時の学生の様子を教員の立場から見つつ、果たして学生がこのままの状況でよいのだろうかと案じていたころ、千葉Y設立に参加する道が示され、大学で教員として働く傍ら、千葉Yでの活動に参加することになる。2007年に大学を定年退職した後も、千葉Yでの奉仕を辞めることはなかった。
今年で42年を迎える千葉Yであるが、これまでの歩みは決して順風満帆と言えるものではなかった。特に、同様のプログラムを展開する大手企業には簡単に太刀打ちできるものではなく、新たなプログラムを開発しつつ、時代のニーズに合わせながらYMCAの独自性をアピールし、プログラムを展開することは至難の業である。
それでも現在、青少年キャンプ、発達障がい児支援プログラム、通信制高校という3本柱を事業の中心として活動を展開している。
言うまでもなく、YMCAの働きはキリスト教が土台である。しかし、キリスト教を土台としている他の様々な社会的活動の昨今の状況と同じように、そのことを事あるごとに確認しなければならないほど、現場でいかにキリストの香りを放つかということに関して課題は大きいと考えている。
特に、参加者や職員等の人材に受洗者が与えられ、信仰者としてこの働きを担う者が多くなることを願っている。
そのためにも、教会との連携は必須事項である。
1936年、千葉県生まれ。新津田沼教会員。千葉YMCA総主事代行。
◎日 時 2013年7月20日(土)~30日(火)
◎受け入れ教会 第一シダーパーク合同メソジスト教会(テキサス州オースティン)
◎参加資格 15歳~22歳(未受洗者可)
◎費 用 10万円以内、渡航費の半額を日本基督教団が負担。日本国内の移動・宿泊費用は個人負担(但し、被災地、特に福島からの参加者の渡航費は別途補助)
◎必要書類 ①申し込み用紙 ②参加志望理由書(形式自由、A4用紙一枚程度、和文) ③牧師推薦状(形式自由、A4用紙一枚程度、和文) ④パスポートコピー ⑤保護者の同意書(18歳未満のみ)以上を郵送またはファックス送付
◎申込締切 2013年5月15日(水)必着
◎申し込み・問合せ先 伝道委員会・伝道推進室
(〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18-31 tel 03-3202-0544、 fax 03-3207-3918)
3月27日、東日本大震災救援キリスト者連絡会、聖学院大学総合研究所、東京基督教大学主催、フラー神学大学共催で、第2回東日本大震災国際神学シンポジウムがお茶の水クリスチャン・センターを会場に開催された。「苦難に寄り添い前に向かう教会」をテーマに、日米の神学者たちがこれから100年先の日本のキリスト教会のあり方を見据えつつ教会に仕え互いに励まし合いながら現在なさなければならない働きについて論じ合った。
阿久戸光晴牧師(聖学院大学学長・理事長)の開会祈祷、挨拶があり、続いてリチャード・J・マウ氏(フラー神学大学院学長)より「『神の忍耐の時』の中で、苦難の救い主に仕える」との主題講演がなされた。
2011年に日本が経験した破壊と苦難を生ける神への信仰の中でどのように認識すべきかを共に考え、このような困難な状況下でどのように主に仕えるかという計画を提案したいと述べ、「神が御子の受肉により、私たちの苦悩の中に入って来られたことを認識するということは慰めの源泉であり、キリスト者共同体にとっての行動の根拠となる」、「私たちが召されている忍耐は受け身的に待つことではなく、これから時が満ちて訪れる王国の到来を積極的に待ち望むこと。そして聖書は私たちに、この積極的に待ち望む姿勢の中に非常に広い任務を与えている」、「仕えるようにと主が私たちを召された場所で神の栄光をあらわす誉れある行いを遂行することによって試練や苦難の中にある人々に寄り添い、その場所のシャローム(平和、正義、公正、癒し)を求める」と語った。
パネル・ディスカッションは藤原淳賀氏(聖学院大学総合研究所教授)のコーディネートにより、伊藤悟氏(青山学院大学教授)「キリスト教大学の行うボランティアとは何か、直面する二つの問い」、岡村直樹氏(東京基督教大学教授)「震災ボランティア活動と若者の宗教心の発達」、幸田和生氏(カトリック東京教区補佐司教・カリタスジャパン担当司教)「カトリック教会の立場から」、藤掛明氏(聖学院大学准教授)「心理臨床家として考えさせられること」の各発表がなされた。
これを受けてマウ氏は「協力関係により問いを持っている多くの人々に福音を明確に語り、今、この時、希望を分かち合う必要がある」と述べた。
その後、11の分科会に分かれ、各発題、質疑応答がなされた。
閉会礼拝で東野尚志牧師(聖学院教会)が「嘆きの心に賛美の衣をまとって」(イザヤ書64章1~4節)と題し説教、人間の物語の中に神がいてくださるのではなく、神の物語に私たちが招き入れられている恵みが確認された。そしてキリストの中に生かされ、苦しみ嘆くところに賛美の衣なるキリストをまとい、共に立ち上がる希望が語られた。
参加者一同、讃美歌312「いつくしみ深き」を歌い、派遣された。
(松本のぞみ報)
東日本大震災で被災し東京教区で唯一教会を建て替えざるを得なかった安食教会(中村一義牧師)は、教団救援対策本部から総工費4千273万5800円の約5割の支援を受けて昨年末に会堂・牧師館が竣工された。
3月20日に献堂式を行い110名が集まった。
また献堂式の中では千葉支区主催の東日本大震災2周年の記念の祈りも持たれた。
利根川の支流長門川のふじみ橋を渡り川沿いの桜並木を右に曲がると白い外壁に十字架もくっきりと映えた美しい安食教会がある。
安食の伝道は1877年(明治10年)メソヂスト教会のジュリアス・ソーパー宣教師が大貫文七宅で初めて伝道集会を行い「安食メソジスト組会」を設立したことに始まる。メソヂスト教会が千葉県で最初に伝道したところである。
安食は当時の主要交通路である利根川水運の河口であり、人の往来も多い要衝の地であった。1878年に下総安食教会が発足。相原英賢が定住伝道し、対岸の茨城県にも多くの講義所が設けられ、県を跨ぐ広い伝道圏を持った安食教会は、常総メソヂスト教会とも呼ばれた。1907年安食講義所が設立されたが第二次世界大戦中に講義所が焼失した。信徒は佐原教会や他の地域で信仰の灯火を燈し続けた。
1985年、メソヂスト教会の伝統を受け継ぐ佐原教会・森野正男牧師が安食伝道を志し、1986年ペンテコステに伝道所を再開した。1998年5月に二種教会となった。
今回の大震災ではこの教会と牧師館が半壊し壊滅的状況となった。2度目の被災となったが、教会では、この地で伝道することを御心と受けとめ、この地に再建することに決めた。
新しい教会・牧師館は約60坪、境内地は約650坪である。駐車場の備えも充分と伺えた。また、礼拝堂と集会室の組み合わせが有機的で使いやすく出来ている。この地で伝道が発展していく器に相応しい形は整った。この器が伝道の前進に用いられることに多いに期待している。
教会ではまだ借入金がある。今後も支援を宜しくお願いしたい。
(奥山盾夫報)
3月22日、第26回神学校等人権教育懇談会が、日本基督教団いずみ教会(大阪府和泉市)にて開催された。神学校教員、部落解放センタースタッフなど12名が参加した。
まず全体の開会に先立って全員で水平社宣言を読み上げた。開会礼拝ではコロサイ書1・9〜20が読まれ、関西学院大学神学部の岩野祐介が、学問として神学を教える学校であることと、社会において行動する主体であることとは不可分であるが、それを本当に実行するのは困難であり、ともに祈りあう必要があるのではないか、とメッセージを述べた。
続いて参加者自己紹介の後、部落解放センターの運営委員長であり、いずみ教会教会員でもある講師の東谷誠さんから、和泉市の被差別部落とその歴史についてお聞きし、フィールドワークへと向かった。
フィールドワークでは、葛葉稲荷神社、聖神社、聖神社から排除された部落の人々が自分たちの神社として建てた八坂神社、水平社の支部が結成された場所である浄土真宗西教寺、かつて部落の境界線であった常夜灯跡、和泉市立人権文化センターを回った。街中の場所のそれぞれに、関わる人々の苦難の物語があることを聞くことができた。今度は我々がそれをさらに伝える番である。
その後いずみ教会に戻って、各自が感じたことや考えたことを述べ、意見を交換した。神学校のカリキュラムの中で現実の問題を学生に体験してもらうことの難しさと重要さ、学生のおかれた社会的状況の変化により、余裕のない学生が増えてきていて、社会的な問題を共有することが難しくなっているように思われること、しかしそうであるからこそ、学校が、学生の余裕のなさを、差別を生み出す構造の一部として捉え、学生にそれを伝え、共に問題と向き合う存在でなければならないこと、等が話し合われた。また東谷さんから、差別に苦しめられている人々と寄り添い、ともにあるものとしての牧師を育成してほしい、との要望があった。
このような貴重な機会を得られたことを感謝すると同時に、自らが所属する場でこの体験を活かしていきたいと考えている。
(岩野祐介報/関西学院大学神学部准教授)
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18-31
Copyright (c) 2007-2025
The United Church of Christ in Japan






