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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4756号】第5回宣教委員会 学校・社会事業の重要性を議論

2012年9月15日

 第37総会期第5回宣教委員会が、7月2~3日教団会議室にて開催された。白戸清委員司式による開会礼拝ではじめられた。
 最初に、常議員会の要請に基づき、「改訂宣教基礎理論」について関係委員会の意見を聞くために、宣教研究所から上田光正委員、長谷川洋介委員が陪席した。
 「(現)改訂宣教基礎理論」(1960年代初期)は「神との関係」と「礼拝」に弱さがある。改訂作業は不十分な部分を補うために行われているとの説明を受け、自由な懇談の時を持った。その中で、「宣教基礎理論」は教団の中での位置づけが必ずしも明確ではない、「まえがき」にその旨を記すこと、「宣教」のガイドラインとなるように、信徒に分かる言葉で記すことなどの意見が交された。
 その後、キリスト教主義学校、社会事業の重要性について、次のように活発な議論が行われた。議論は、教会の業としての「教育」をどう捉えるかにまで展開された。
 教会が生み出した幼稚園・保育園が教会から離れて行く現状がある。教会が積極的に幼児教育を行うというより、牧師の生活を支えるための保育園・幼稚園がある。そのことを否定的に捉えるわけではないが、近代日本に導入された幼児教育は、キリスト教からであったことを再確認し、本来の使命として教育の業を教会は見直す時を迎えているのではないか。純粋に幼児教育を目的とし、キリスト教の良さを生かして行く。キリスト教的人格形成の感化を通して伝道するという保育園・幼稚園のあり方をもっと積極的に推進して行くべきではないか。そのような声は、次期総会期申し送り事項に盛り込まれることとなった。
 続いて、張田眞委員長による発題「グローバル化と宣教」がなされた。
 また「障がい」を考える小委員会の継続が承認された。
 次回委員会の日程(10月1~3日)と開催場所(韓国ソウルの教会)を確認し、福井博文委員の閉会祈祷をもって会を終えた。
 通常の委員会後3~4日、「障がい」を考える小委員会が主催する「全国交流会」に合流した。被災地からの参加者を含む約40名の参加があり、実り豊かな交流会となった。
(具志堅篤報)

 7月18日、伝道方策検討委員会の主催により、教団4階会議室で伝道研修会が開かれた。
 テーマは「『子ども子育て新システム』とどう向き合うか …教会幼稚園・保育園のこれからを考える…」。全国の教会幼稚園・教会保育園から、59名が集まった。
 講師は、独立行政法人国立特別支援教育総合研究所の小田豊理事長。パネリストとして、保育所の立場から日本キリスト教保育所同盟の石井錦一牧師(松戸教会)、幼稚園の立場から羔幼稚園園長の岸憲秀牧師(千葉本町教会)、そして認定こども園の立場から認定こども園七尾幼稚園園長の釜土達雄牧師(七尾教会)が担当した。
 特に小田氏は文部科学省の元視学官で、幼稚園教育要領や保育所保育指針の策定に直接関わり、「幼保一体化ワーキングチーム」のメンバーとして、「子ども子育て新システム」策定の議論にも、直接関わった人である。
 おりしもこの会が開かれた7月18日は「税と社会保障一体改革関連法案」が、参議院の委員会で審議開始された日であった。小田氏は幼稚園保育園関連三法の答弁をアシストする役割を終えて、この研修会に駆けつけた。
 キリスト者として何を大事にしてきたのか。今起こっていることは、どのような流れで起こっているのか。自身の体験を交えながら語った。
 その中で「幼稚園には幼稚園の役割があり、保育園には保育園の役割がある。さらに認定こども園には認定こども園の役割がある」と述べ、「総合こども園という一つの制度ではなく、それぞれの制度が残る認定こども園法の改正が、審議されている」とした。その上で、各園が制度設計を学びながら、決断していくための情報が提供された。
 パネリストを交えた会場との質疑応答も活発になされ、教会幼稚園・教会保育園にとっては、タイムリーな研修会であった。
 日本基督教団が教会幼稚園・教会保育園に直接情報提供する機会は、ほとんどなかった。この試みは、教会と深く関わる教会関連施設をどのように支えたら良いのかを考える、良き試みであった。
(米倉美佐男報)

心の和(なご)きもの その人は地を嗣(つ)がむ 

《マタイによる福音書11章28~30節》

心和得天真

 以前会津若松で暮らしていた時に、会津の方にとって「この間の戦争」がイラク戦争でも太平洋戦争でもなく、未だに1868年の戊辰戦争を指すことが多いことに驚かされた。戊辰戦争時、会津藩は一か月の厳しい籠城戦の末に敗れた。白虎隊の悲劇が生まれたのもこの時だ。争いや対立がいかに大きな傷跡を残すかということを思う。
 さて、かつてこの会津若松に「心和得天真(こころわすればてんしんをう)」と「心の和きものその人は地を嗣がむ」の2つの書を残した女性がいた。この地が生まれ故郷の新島八重(1845〜1932)である。彼女は会津藩砲術師範の山本家の娘として生まれ、戊辰戦争時には断髪男装で銃を持ち勇ましく戦った。
 その後同志社を設立した新島襄と結婚しクリスチャンとなり男女平等の新しい夫婦像を世に示した。襄の死後はボランティアの看護師として日清・日露戦争に従軍し女性の社会貢献の道をしめし、また茶道師範として士族の男性のたしなみだった茶道を女性に広めた。
 太平洋戦争後すぐの1946年、会津若松で「会津三人遺墨展覧会」が開催された。3人の中の1人は八重であった。会津の人々が再び敗戦を経験した時に八重に注目したことは興味深い。
 いくつか出展された八重の書の中に「心和」と「心の和きもの」も含まれている。この2つの書は内容的に重なり合うものである。「心の和きもの」はマタイによる福音書5章5節にある主イエスの言葉で新共同訳では「柔和な人々は幸いである、その人たちは地を受け継ぐ」となっている。自らも銃を持ち戦った八重が故郷の人々にこれらの言葉を残したということが彼女の信仰の証であり、故郷の人々への祈りであるように感じられる。

忍耐すること許すこと

 では八重の信仰とはどのようなものだろう。実は八重は「会津のジャンヌ・ダルク」などと呼ばれる戊辰戦争時の活躍があまりにも印象的であるため、そこばかりが注目されがちだ。八重自身も亡くなる直前までたびたび籠城時の思い出を語り、日新館童子訓を暗唱できた。日新館童子訓とは会津の武士の心を子ども向けに簡単にしたものである。そのため八重はクリスチャンにはなったが信者の心よりも最後まで武士の心で生きたと考える人もいる。しかし彼女の人生を信仰ということに注目し丁寧にたどると、次第に信者の心が育っていったことがわかる。
 八重は新島襄と1876年30歳の時に結婚し14年間夫婦として共に歩んだ。そのため襄の信仰が八重の信仰に大きな影響を与えている。例えば襄が八重に出した手紙には「何卒、武士の心ばかりにては足らす、真の信者の心を以て主と共に日々御歩み被下度奉希候」(『新島襄全集』第3巻)とある。襄から見て八重はまだまだ武士の心ばかりが大きいと感じられたのかもしれない。
 そんな八重の信仰が大きく育ったのは襄の闘病生活と死を経験したことによると思われる。もともと襄は病弱だったが、1884年スイス山中で心臓発作を起こしてから1890年に亡くなるまで、教師や牧師の仕事も思うように出来なくなり体調は悪化する一方だった。最晩年のある日、襄は八重の手を固く握り「夫婦相愛の間柄とても永き月日の間には時に意見の相違は免れがたきものなれば今さらの事ではないが、お互いに心棒して忍耐の徳を養いたいものだ。其約束の固めとして茲(ここ)に握手を求めたのだ」(『追悼集』第6巻)と語った。この頃の襄は養生をして長らえるよりは「戦地にあって一歩も引かないのが戦士の心得」とキリスト教育と福音伝道のため邁進する覚悟だった。その一方で八重は襄が無理をしないように心を鬼にして見張っていた。襄は監視をする八重に、八重は隠れて手紙を書いたりする襄にいら立ったことだろう。この時襄はたとえ意見が合わないことがあってもお互いに忍耐すべきところは忍耐し、常に思いやりを持ち、残された夫婦の時間を心穏やかに仲良く過ごしていこうと約束したかったのかもしれない。
 八重はこの襄の信仰者として夫としての言葉と行為に強く心を揺さぶられた。八重はその日以来、襄との関係ではもちろん、他の人に対しても忍耐すること許すことを隣人愛の根本にあることとして大切に守り、心安らかに毎日を過ごすよう心掛けた。だからだろうか。八重はお正月に自宅に学生を招き、会津独特のかるた会を行うのが恒例だった。それまでは会津の学生ばかり呼んでいたが、襄が亡くなる直前、初めて薩長の学生を招いた。薩長といえば戊辰戦争時に会津が敗れた相手である。この時京都から遠く離れた神奈川県・大磯で闘病中だった襄はこのことをとても喜んだ。こうして八重は武士の心よりも大きな信者の心を持った。

心の和きもの

 「心和得天真」、実は襄も生前同じ言葉を書に残している。この言葉は李白の詩の一節で、クリスチャンとしては心を和やかにすれば神様の御心を知ることができると理解すべき言葉だ。75歳の八重は襄から受け継いだこの言葉を戊辰戦争の時の悲しみや悔しさをいまだに抱え続けているだろう故郷の人に送った。それが晩年の八重の信者としての実感だったからだろう。
 八重は襄との「心和」の約束を本当に亡くなるまで守り続けた。あわせて「心の和きもの」のみ言葉もたびたび思い起こしたことだろう。1932年、八重が86歳で亡くなった年のことである。八重は病床で看護師が上掛けを不注意に取り扱った際も小言を言うのではなく穏やかに接し、なんともいえない神様の与えて下さる平和を味わっていた。その頃八重を見舞った山室軍平は、八重がどれほど神の恵みが大きいかということを次々と語り「感謝」「感謝」と繰り返す姿を強く心にとどめている。
 東日本大震災後の痛みの中で、八重の生涯が今再び注目されている。激動の時代をたくましく生き抜いた八重。襄によって神と出会ったことがその生涯をより彼女らしく力強いものにしている。主イエスは「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」と語った。わたしたちもまた信仰に生きる者の幸いを改めて確認し、主イエスの教えと生き方に学び、この時代にあって憎しみや不安に飲み込まれることなく、常に和やかな心でそれぞれの使命を誠実に全うするものでありたいと願う。

 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。

3:1 預言者ハバククの祈り。シグヨノトの調べに合わせて。
3:2 主よ、あなたの名声をわたしは聞きました。主よ、わたしはあなたの御業に畏れを抱きます。数年のうちにも、それを生き返らせ/数年のうちにも、それを示してください。怒りのうちにも、憐れみを忘れないでください。
3:3 神はテマンから/聖なる方はパランの山から来られる。〔セラ/その威厳は天を覆い/威光は地に満ちる。
3:4 威光の輝きは日の光のようであり/そのきらめきは御手から射し出でる。御力はその中に隠されている。
3:5 疫病は御前に行き/熱病は御足に従う。
3:6 主は立って、大地を測り/見渡して、国々を駆り立てられる。とこしえの山々は砕かれ/永遠の丘は沈む。しかし、主の道は永遠に変わらない。
3:7 わたしは見た/クシャンの幕屋が災いに見舞われ/ミディアンの地の天幕が揺れ動くのを。
3:8 主よ、あなたが馬に乗り/勝利の戦車を駆って来られるのは/川に向かって怒りを燃やされるためか。怒りを川に向け/憤りを海に向けられるためか。
3:9 あなたは弓の覆いを取り払い/言葉の矢で誓いを果たされる。〔セラ/あなたは奔流を起こして地をえぐられる。
3:10 山々はあなたを見て震え/水は怒濤のように流れ/淵は叫び、その手を高く上げる。
3:11 あなたの矢の光が飛び/槍のきらめく輝きが走るとき/日と月はその高殿にとどまる。
3:12 あなたは、憤りをもって大地を歩み/怒りをもって国々を踏みつけられる。
3:13 あなたは御自分の民を救い/油注がれた者を救うために出て行かれた。あなたは神に逆らう者の家の屋根を砕き/基から頂に至るまでむき出しにされた。〔セラ
3:14 あなたは矢で敵の戦士の頭を貫き/彼らを嵐のように攻められた。彼らの喜びは、ひそかに貧しい者を食らうように/わたしを追い散らすことであった。
3:15 あなたは、あなたの馬に、海を/大水の逆巻くところを通って行かせられた。
3:16 それを聞いて、わたしの内臓は震え/その響きに、唇はわなないた。腐敗はわたしの骨に及び/わたしの立っているところは揺れ動いた。わたしは静かに待つ/我々に攻めかかる民に/苦しみの日が臨むのを。
3:17 いちじくの木に花は咲かず/ぶどうの枝は実をつけず/オリーブは収穫の期待を裏切り/田畑は食物を生ぜず/羊はおりから断たれ/牛舎には牛がいなくなる。
3:18 しかし、わたしは主によって喜び/わが救いの神のゆえに踊る。
3:19 わたしの主なる神は、わが力。わたしの足を雌鹿のようにし/聖なる高台を歩ませられる。指揮者によって、伴奏付き。

2012年9月14日

東日本大震災 日本基督教団救援対策本部 第14回会議 決議事項

日 時 2012年8月6日(月)午後1時30分~4時33分

会 場 教団会議室

出席者 委員 石橋秀雄、雲然俊美、北 紀吉、佐久間文雄、長崎哲夫、大村 栄、藤掛順一、稲松義人、

高橋和人

幹事 内藤留幸、藤盛勇紀、加藤 誠、大三島義孝、計良祐時、道家紀一、野村和正

欠席者 委員 岡本知之、嶋田順好、邑原宗男、秋山 徹

陪席者 飯塚拓也(関東教区副議長)、小宮山 剛(教師委員長)、飯島 信(救援対策担当幹事候補者)

開 会

Ⅰ.聖書 創世記1章21~22節  祈祷 石橋秀雄本部長

Ⅱ.議事日程承認の件

石橋本部長は別紙資料に基づいて議事を進めることを提案し、議場はこれを承認した。

Ⅲ.前回記録承認の件

別紙第13回会議(2012年6月29日開催)記録案を承認した。

議 事

Ⅰ.報告事項

1.募金関係報告

佐久間委員が、7月31日現在で、国内募金が3億8456万2600円、海外からの献金が2億2847万6685円となっていることを報告した。

2.救援対策室会議報告

長崎室長が別紙資料により、「会堂及び牧師館建築資金貸付申請書」記載内容の変更、石巻エマオ専従者選任(飯野久美子氏)、神奈川教区からの抗議への対応等を扱ったことを報告した。

3.教区報告

文書にて、奥羽、東北、関東の各教区からの報告を受けた。

Ⅱ.審議事項

1.救援対策担当幹事選出に関する件

飯島信教師を救援対策担当幹事とすることを承認し、第6回常任常議員会(9月7日)での承認を得た後、常議員会において報告承認とすることとした(任期は二年間)。また、加藤幹事との引き継ぎの期間を設けることを確認した。

2.救援対策室会議からの提案事項に関する件

(1)「会堂及び牧師館建築資金貸付申請書」の変更について

協議の後、変更事項を確定した。

なお、議場から、支援申請と貸付申請はセットで出されるべきものであるので、その手続きが遅くなることがないように教団として配慮すべきであるとの意見が出された。

(2) 「会堂及び牧師館建築資金貸付契約書」の変更について

協議の後、変更事項を確定した。

なお、議場から、全国募金が満たされた場合においてはできるだけ貸付金を支援金に回してほしいとの意見、また、そのことは全国募金の意欲にも影響すると思われるとの意見が出された。

3.会堂・牧師館再建復興支援に関する件

高橋和人東北教区議長が、別紙「第1回 東北教区 教会堂・牧師館再建・復興工事支援申請一覧(2012年8月2日現在)」に基づいて、8教会からの支援申請について説明し、協議の後、仙台ホサナ教会(教団からの支援金700万円、教団からの借入金700万円)と川俣教会(申請金額について、教団からの支援金2000万円を1500万円に、教団からの借入金500万円を1000万円に変更)への支援を決定し、その他は保留とすることとした。

なお、具体的な支援の実行にあたって、もう一度支援に関するルールを見直さなければならなくなったことから、長崎救援対策室長、佐久間財務担当委員、雲然書記で見直し案を検討することとした。

4.神奈川教区からの抗議に関する件

神奈川教区からの申請に関する救援対策室における検討内容を確認し、あらためて、保養キャンプなどの各教区からの申請については、主催は教団とし、教区が共催とすることや、教団と教区において事前に協議をすることが望ましいことなどを確認した。

その上で、神奈川教区からの抗議に関しては三役で対応することとした。

5.『東日本大震災救援対策本部ニュース』第6号発行の件

大村委員が、ニュース第6号を9月下旬に発行予定であることを報告し、内容としては、被災各教区における再建・復興の現状(トピカルな事柄)について各教区総会議長に執筆を依頼する(写真を付す)こととした。

6.「原子力に関する宗教者国際会議」に関する件

NCCから依頼があった、「原子力に関する宗教者国際会議」(2012年12月5~7日。会津若松ワシントンホテルにて。参加者80名)への教団の支援と参加呼びかけについては、本救援対策本部会議で扱うべき案件ではないことを確認した。

その上で、この件の扱いについては三役に一任することとした。

7.アジア学院からの支援依頼に関する件

アジア学院からの支援依頼については支援金が不足しているために正式な支援の決定ができないでいる状況を踏まえて、三役においてその対応について検討し、本救援対策本部会議に提案することとした。

Ⅲ.次回(第15回)会議開催予定

2012年8月24日(金)午後1時30分~5時、教団会議室にて開催する。

閉 会 祈祷 大村委員

※これは、教団救援対策本部会議の正式な議事録ということではありません。

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