主に思い起こしていただく役目の者よ 決して沈黙してはならない …イザヤ62:6
2011年のクリスマス、東日本大震災の被害を受けた諸教会は、どのようにこの時を過ごされているのかと、心配しないキリスト者はなかったと思う。教団新報では、紙面の都合もあり、この度は、福島県内の数教会を対象に、左記のように、簡単なアンケート調査を行って、近況をお知らせいただいた。
①2011年クリスマス礼拝での特徴的な出来事。②2011年クリスマス礼拝出席者について(人数を含め、構成等)。③「教団新報」を通じて、アピールしたいこと等。
回答を頂いた5教会のクリスマス模様を、報告する。
原町教会・朴貞蓮牧師
①特別に礼拝で特徴的と言えるようなことはありません。
例年通りのクリスマス礼拝を捧げることが出来たことが私たちには何よりすばらしい出来事でした。
礼拝を捧げ、愛餐会を行い、保育園の職員でクリスマスの賛美を2曲歌ってくれたのと、「感謝します」-リビングプレイズより-を賛美してくれたことはとても嬉しかったです。その歌詞に皆がシミジミと東京電力の原発事故後のことを思い巡らしていました。〝とても良い歌詞ですね〟と言っていました。
②29名(女性24名、男性4名、子ども1名)
教会員(16名)と保育園の職員(5名)、求道者(5名)、原町在住の警戒区域にあるバプテスト教会員(2名)、職員の子ども(1名)。
③まず、教団の諸教会の皆様に感謝を申し上げます。
当初は原発事故の収束が見通せない中でしたのでクリスマス礼拝を考える余裕もありませんでした。目の前の課題に心が重くなることもありましたが、皆様のお支えによりこの町でクリスマスを祝うことが出来ました。23日は「子どものクリスマス礼拝と祝会」があり、子ども7名、大人10名で行いました。24日の夜には「クリスマス・イブ賛美礼拝」を地域の方々、教会員の家族、保育園の職員の家族の参加もあり38名で行いました。
キリストの光がこの町にも照らされていることを深く味わうことが出来ました。
7月、8月は教会も保育園も「除染」のことで大いに悩まされ、疲れました。
原発から30km圏内あるということで、それまで遠慮していたボランティアをお願いしましたが、30km圏内にはボランティアを派遣できないということでした。
教会員と職員、地域の方、カンバーランド長老教会の先生方や東京にある目白教会の青年たちに助けられ第一次の除染をやっと終えました。その大変さを思うと2回目を考えるだけで気が遠くなりそうです。
「除染」のための国や東京電力、市からの補助は限りがあり、しかも現実に見合っていません。この町で生きる人たちがいることを引き続き覚えて頂ければ幸いです。
戻らざるを得ない人たち、残らざるを得ない人たちの現実があることを祈りの内にお覚え下さると大変心強く思います。
鹿島栄光教会・佐々木茂牧師
①②礼拝出席者は、普段から、4~6人、内4人は牧師と家族。特別なクリスマス礼拝を持つことはありません。
③教団議長の訪問をいただき、会堂建て直しの方針を確認できました。感謝。
クリスマス前の週報に、以下のようなことを記しました。思いを汲み取っていただければ幸いです。
《週報から》
12月4日
待降節の中で、年末年始を想う。
最近『悼む人(痛む人?)』という言葉に巡り逢ってこだわっています。[でくのぼう]のような気持ちで『悼む人(痛む人)』に[私もなりたい]と想っています。『3月11日』ゆえに?
にもかかわらず、ザカリヤやエリザベト等と共に「慰め」と「希望」とを受け伝えつづけたいと願っています。
12月11日
待降・降誕節(再臨待望節)の祈り。
主なる神さま、私たちの内においでくださり、御助けください。私たちは罪と弱さに妨げられて、苦しみます。
どうか、豊かな恵みをもって、速やかに私たちを救って下さい。
救主イエスさま、慈父なる神さまと聖霊なる神さまと共に、一体となってくださる御方として、私たちのところにきてください。
12月18日
降誕節に[人となられた救主イエス]を想う。
慰め主イエスは、「貧しさと弱さを感じ」「悲嘆の中にある者たちは幸い」等と何かにつけて言っておられました。
御自身が[ナザレという田舎町の石切り大工夫妻の子]として、[ごく普通の一人の人間として]『貧困・弱さ』等を知っておられたから…(マル6:3)
福島新町教会・瀧山勝子牧師
①毎年、CSの子供たちと合同クリスマスを行っていますが、学校が休みになり、すでに京都に避難し、クリスマスにも、子供(CS)は誰も出席しませんでした。ただ一つ、青年たちが聖歌隊を形成し讃美奉仕をしてくれ、皆が励まされました。
②男8女23(内赤ん坊1人)合計31名。この赤ちゃんは昨年教会で結婚式を挙げた方たちの(この方は避難しなかった)。いつもの祝会では、皆が一品料理を持ち寄りますが、放射線の関係で一品料理がとりやめになってしまいました。結局、サンドウィッチと紅茶とケーキの祝会としました。
③今年3・11の震災後、皆様の祈りと支えで、11月中旬礼拝堂の修復工事に入り、やっと3階の塔の屋根と十字架が取り付けられました。これから2階の屋根まわりに入る予定です。来年の4月頃には修復終了の予定です。教団、教区よりの沢山の献金、全国の方々のお祈りありがとうございます。御加祷下さい。
《クリスマスの週報から》
会堂修復工事が守られ、工事に携わる方々が事故無く、全ての必要が満たされますようにお祈り下さい。
常磐教会・武公子牧師
①半壊の会堂にて最後のクリスマス礼拝を守りました。
②教会員11名・来会者9名合計20名
③1、この度の原発事故の出来事には神さまからのメッセージがいっぱいつまっていると思います。多くのいのちをおびやかし、犠牲にし、人間の生活をおとしめる原発の即刻廃止を強く求めます。
2、この被災地で生活していかねばならない人たちが多勢います。それは教会の信徒とて同じです。会堂再建が可能なのか不安の中にある被災教会のため、これからもお祈りとご支援よろしくお願いいたします。
《週報の裏面から》
教会への招き…常磐教会では、毎日曜日、午前10時30分~11時30分まで礼拝を行っております。礼拝は讃美歌を歌い、聖書を朗読し、祈りを共にします。聖書を通じて、人間の生き方を考えると共に神の愛を知り、共に生きることの大切さを学びます。どなたでもご自由においで下さい。
郡山教会・丹羽利夫牧師
①聖餐式を執り行った他には、特別のことはありません。
②73名
③福島は放射線の問題を長期間抱え込むことになりますが、キリストの体なる教会の形成をめざしてがんばっています。
▼D.R.クーンツが、小説『オッド・トーマスの救済…ハヤカワ文庫』で、歌舞伎に触れている。…この場面は日本のきわめて様式化された演劇、カブキを思い起こさせた。現実離れしたセット、凝った衣装、大胆な化粧、かつら、大げさな感情表現、俳優たちのいかにも芝居がかった身振りなどは、アメリカのプロレスと同様、日本の伝統的演劇にも滑稽な印象を与えてしかるべきだろう。ところが、なんらかの神秘的な効果により、カブキは知識の豊富な観客にとって、親指をすぱっと切る剃刀(かみそり)のごとく現実的なものになるのだ…。▼歌舞伎の知識はほぼ皆無だし、クーンツがどれ程歌舞伎に通じているのかも知らない。しかし、この表現には惹かれるものがある。▼教会学校で聖劇が上演された。例年にない演出上の工夫もあったが、毎年似たようなものだ。観客は、筋書は勿論、この次、誰がどんな台詞を言うのかまでよくよく知っている。意外性は全くない。しかし、この聖劇は必ず観客に受け入れられる。クーンツの言う通り「なんらかの神秘的な効果により、(聖劇)は知識の豊富な観客にとって、…現実的なものになるのだ」。▼クリスマス礼拝そのものが、この通りだ。神の力が働かなければ、礼拝は礼拝ではない。神が共にいて下さることによって、礼拝は礼拝になる。一方「知識(むしろ信仰)の豊富な観客(教会員)」がいなければ礼拝は成り立たない。▼ところで、CS生徒が欠席し、ヨセフとマリヤは、急遽80歳近い実の夫婦が演じた。リアリティーがあった。
それでもあなたは
2012年新しい年の歩みが始まった。
わたしたちは、年の初めに、新しい一日の始めに、全ての業の始めに「わたしたちの助けは天地を造られた主の御名にある」(詩編124編8節)との御言葉が響きわたりその確信の中で歩みだすことが出来る。
3・11・246
この時を忘れることが出来ない。
あの巨大地震とその地震がもたらした凄まじい津波の破壊と二次災害としての福島原発の事故は、日本社会を揺り動かし続けている。
地震直後、被災地の教会を問安した後に教団議長声明を出した。その冒頭に掲げた御言葉が、詩編124編8節の御言葉である。
大船渡に住む越谷教会の信徒から津波の直後に電話をもらった。「神のなさることは凄まじい」と、すぐに「それでは何故、教会に行っていますか」と衝撃を受けている信徒に言ってしまった。
「神のなさることは凄まじい」すべては主の主権のもとにある。この信仰は正しい。しかし、この凄まじい破壊の現実の中で神を信じることができるのかと問われる。
写真家藤原新也さんがアエラの4月11日に東日本大災害の写真と言葉を記している。
津波の凄まじい破壊の写真に付されている言葉は「全土消滅、昭和消滅、神様消滅、独立独歩」とあり、
この地獄図の中で「人間の歴史の中で築かれた神の存在を今、疑う」と記し、「神という存在はなかった、ただそれだけのことだ」と結論づける。このような、神が否定される現実の中で、わたしたちの信仰が揺り動かされる。
この地獄図の中で「それでもあなたは神を信じますか」と問われる。この問いは旧約聖書の歴史、二千年の教会の歴史の中で、神を信じる者に常に問い続けられてきた問いである。
戦争と災害、すさまじい破壊と、破壊がもたらす悲劇を経験した信仰者が「それでも神を信じます」という断固たる確信とその信仰の告白が、詩編124編8節でなされている。
驕り高ぶる大水
わたしたちの教会で「もし主が味方でなかったら、とっくにわたしは死んでいました」という証しを聞くことがある。
124編の詩は、素朴な信仰が歌われ感動させられる。
「主がわたしたちの味方でなかったなら…そのとき、わたしたちは生きながら敵意の炎に呑み込まれていたであろう」(詩編124編1節~3節)
イスラエルの歴史は常に様々な危機に翻弄される歴史であった。
大国の圧倒的軍事力によって国が脅かされ、命が脅かされる危機の連続の中にある歴史だ。それ故「もし、主が味方でなかったなら…」と告白される。
さらに「主が味方でなかったなら」「大水がわたしたちを押し流し激流がわたしたちを越えて行ったであろう…驕り高ぶる大水が」(詩編124編4節、5節)と歌われる。
今、この信仰が問われる衝撃が信仰者を襲う。
「大水」に押し流されてしまったのだ。
「驕り高ぶる大水」が沢山の命を飲みつくしてしまった。大国の軍事力によって凄まじい破壊がなされ多くの命が呑み込まれイスラエルの国は滅ぼされてしまった。
多くのものがバビロン捕囚という苦難の道を歩まなければならなかった。
この時、「神の存在」が問われ、信仰が問われる。
「それでも、あなたは神を信じますか」
凄まじい津波の破壊を地元の報道機関は「さながら戦場のよう」と伝えた。
海に流れた重油と瓦礫によって火災が発生し火の津波が町を襲う、その跡はまさに「戦場」のようだと報道された。
イスラエルの歴史は、このような危機の連続の中で、「神の存在」が問われる歴史だ。
この現実の中で、この苦難の中で、イスラエルの信仰者は「それでも、わたしは 神を信じます」との、断固たる告白へと導かれる。
「主をたたえよ。主はわたしたちを敵の餌食になさらなかった。仕掛けられた網から逃れる鳥のようにわたしたちの魂は逃れ出た」(詩編124編6節、7節)と歌われる。
バビロン捕囚という苦難の中で、絶望の底で神に深く出会うという経験をした信仰者は断固たる告白(8節)に導かれる。
主の死を見つめる
東日本大震災と二次災害の福島原発の事故によって日本の国は揺り動かされ、また日本の教会も揺り動かされている。
凄まじい津波の破壊の只中に立って、「まさに戦場のよう」と報道された地に立ち、わたしの主の十字架の言葉を聞き、主の死を見続けてきた。
「『エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。』これは、『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』」(マルコ福音書15章34節)
わたしは、悲劇の地に立って、主イエスの十字架の言葉を聞き、主の死を見続けてきた。
「イエスは大声を出して息を引き取られた。すると神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた」(同37節、38節)
三位一体の子なる神の死である。人類の歴史の中で、神は死んだといわれる悲劇が、「驕り高ぶる大水」に呑み込まれる絶望を思い知る歴史が、繰り返されてきた。
まさに、この悲劇、絶望を三位一体の子なる神が、担ってくださり、十字架に死んでくださり、墓に納められた。
この墓から神の創造の業が強烈に示される、神は絶望の中に働く神であることが示される。主イエス・キリストの死を見つめ続ける時、復活の希望に導かれ、「わたしたちの助けは天地を造られた主の御名にある」(詩編124編8節)との告白へと導かれる。
東日本大震災への取り組みがこの詩編の言葉の確信から始められ、やがて断固たる確信に導かれることを信じて、その対策をなし、教団の歩み、教会の歩みをなしていきたい。
(教団総会議長・
越谷教会牧師)
51:12 わたし、わたしこそ神、あなたたちを慰めるもの。なぜ、あなたは恐れるのか/死ぬべき人、草にも等しい人の子を。
51:13 なぜ、あなたは自分の造り主を忘れ/天を広げ、地の基を据えられた主を忘れ/滅びに向かう者のように/苦痛を与える者の怒りを/常に恐れてやまないのか。苦痛を与える者の怒りはどこにあるのか。
51:14 かがみ込んでいる者は速やかに解き放たれ/もはや死ぬことも滅びることもなく/パンの欠けることもない。
51:15 わたしは主、あなたの神/海をかきたて、波を騒がせるもの/その御名は万軍の主。
51:16 わたしはあなたの口にわたしの言葉を入れ/わたしの手の陰であなたを覆う。わたしは天を延べ、地の基を据え/シオンよ、あなたはわたしの民、と言う。
51:17 目覚めよ、目覚めよ/立ち上がれ、エルサレム。主の手から憤りの杯を飲み/よろめかす大杯を飲み干した都よ。
51:18 彼女の産んだ子らは、だれも導き手とならず/育てた子らは、だれも彼女の手を取って支えない。
51:19 二組の災いがあなたを襲った。誰があなたのために嘆くであろうか。破壊と破滅、飢饉と剣。誰があなたを慰めるであろうか。
51:20 どの街角にもあなたの子らが力尽きて伏している/網にかかったかもしかのように。主の憤り、あなたの神のとがめに満たされて。
51:21 それゆえ、これを聞くがよい/酒によらずに酔い、苦しむ者よ。
51:22 あなたの主なる神/御自分の民の訴えを取り上げられる主は/こう言われる。見よ、よろめかす杯をあなたの手から取り去ろう。わたしの憤りの大杯を/あなたは再び飲むことはない。
51:23 あなたを責める者の手にわたしはそれを置く。彼らはあなたに言った。「ひれ伏せ、踏み越えて行くから」と。あなたは背中を地面のように、通りのようにして/踏み越える者にまかせた。
51:1 わたしに聞け、正しさを求める人/主を尋ね求める人よ。あなたたちが切り出されてきた元の岩/掘り出された岩穴に目を注げ。
51:2 あなたたちの父アブラハム/あなたたちを産んだ母サラに目を注げ。わたしはひとりであった彼を呼び/彼を祝福して子孫を増やした。
51:3 主はシオンを慰め/そのすべての廃虚を慰め/荒れ野をエデンの園とし/荒れ地を主の園とされる。そこには喜びと楽しみ、感謝の歌声が響く。
51:4 わたしの民よ、心してわたしに聞け。わたしの国よ、わたしに耳を向けよ。教えはわたしのもとから出る。わたしは瞬く間に/わたしの裁きをすべての人の光として輝かす。
51:5 わたしの正義は近く、わたしの救いは現れ/わたしの腕は諸国の民を裁く。島々はわたしに望みをおき/わたしの腕を待ち望む。
51:6 天に向かって目を上げ/下に広がる地を見渡せ。天が煙のように消え、地が衣のように朽ち/地に住む者もまた、ぶよのように死に果てても/わたしの救いはとこしえに続き/わたしの恵みの業が絶えることはない。
51:7 わたしに聞け/正しさを知り、わたしの教えを心におく民よ。人に嘲られることを恐れるな。ののしられてもおののくな。
51:8 彼らはしみに食われる衣/虫に食い尽くされる羊毛にすぎない。わたしの恵みの業はとこしえに続き/わたしの救いは代々に永らえる。
51:9 奮い立て、奮い立て/力をまとえ、主の御腕よ。奮い立て、代々とこしえに/遠い昔の日々のように。ラハブを切り裂き、竜を貫いたのは/あなたではなかったか。
51:10 海を、大いなる淵の水を、干上がらせ/深い海の底に道を開いて/贖われた人々を通らせたのは/あなたではなかったか。
51:11 主に贖われた人々は帰って来て/喜びの歌をうたいながらシオンに入る。頭にとこしえの喜びをいただき/喜びと楽しみを得/嘆きと悲しみは消え去る。
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18-31
Copyright (c) 2007-2025
The United Church of Christ in Japan






