1月27日、齋藤篤宣教師派遣式が、秋山徹牧師による司式、木下宣世世界宣教委員会委員長の、マタイ福音書11章25~30節に基づく説教によって、日本聖書神学校において執り行われた。
齋藤宣教師は、ドイツ、ケルン・ボン日本語キリスト教会に、林原泰樹宣教師の後任として、4月より赴任する。
同教会の前身は、1977年に歩み出した、ボン大学神学部の「ボン聖書集会」であり、後に礼拝場所をケルンに移し「ケルン・ボン教会」となった。2007年には創立30周年を迎えた。
1980年に、同教会は、日本基督教団と当時のドイツ福音主義合同教会(EKU)との協約に基づく教会となり、現在、リンデンタール地区にあるボンヘッファー教会で礼拝を持ち、デュッセルドルフ、ケルン、ボン近郊の日本人伝道を担っている。
これまで、日本基督教団とラインラント州教会が、同教会の財政を支援してきたが、昨今のドイツ教会に共通する財政逼迫により、宣教協力関係は保ちながらも、まさに、齋藤宣教師赴任直前の3月に、ドイツ側の支援終了が決定している。これまで以上の厳しい経済状況での働きとなる。
また、説教の中でも語られたが、前任者となる林原宣教師の二女玲羅さんの病気による死去と、前々任者の宣教師夫妻の病気療養のための中途帰国という、大きく深い傷を負った教会への齋藤宣教師の赴任は、だからこそ、大変に期待を持たれている。
木下委員長は説教の最後に「齋藤宣教師には、この傷ついている教会に赴き、包むような牧会をしていただきたい。私たちを招いてくださるイエス様のところに、皆さまをお連れするような姿勢で務めていだきたい」と結んだ。
齋藤宣教師は、派遣式当日に配布された『ごあいさつ』の文中で「与えられた課題に対して、遣わされる教会の皆様と共に、神の力によって大胆に挑戦し、神への信仰にしっかりと立つ教会の宣教の業に全力を持って働きたい」と力強く語っている。
(なお、夫人の齋藤朗子さんは、今春、日本聖書神学校を卒業し、試験、諸準備を終えた後、追ってドイツに渡り、共に宣教の業を担う予定である)。
(新報編集部報)
第37総会期、第3回台湾協約委員会が、2月26日(木)14時より、教団小会議室において行われた。
田中文宏委員長の開会祈祷の後、今回の主要課題である「台湾基督長老教会と日本基督教団との教会協議会」についての話し合いがなされた。
最初に、今協議会のテーマを、「震災の痛みの共有と、地域・教会の復興への歩み」とすることが確認された。
台湾基督長老教会(PCT)も、2009年に起きた大水害(八八水害)において大いなる痛みを負い、そこからの回復期にある。また教団にとって、台湾はこの度の東日本大震災における最大の支援国であり、PCTは最大の支援団体(献金総額約6、300万円)であることから、日本基督教団としても、今回の協議会において、最大級の謝意を示したいと願っている。
その後、協議会の具体的な内容について話し合われ、互いの震災とその対応についての発題に充分な時間を取ることとし、教団からは震災対応の概要、震災初期の現場の出来事、そして放射能の脅威とその対応について、3名が発題することとした。
また、台湾の八八水害における被災地の、フィールドワークも持つこととした。
上記のように今回の教会協議会は、日台の互いの災害の痛みを共有し、またその中にあっての教会の取り組みと回復とを分かち合うことから、互いに学び支え合えればと願っている。
その後、「I Love Tai-wan」公募に関して話し合われ、前回参加者を立てることができなかったことを反省し、広報の充実と参加費の減免などが決議された。
また教団教育委員会主催「台湾ユースミッション」に関しては、台湾協約委員会としても、できる限り協力することが確認され、李猛哲委員の祈祷をもって閉会した。
(野田沢報)
第127回神奈川教区総会が、2月25日(土)、清水ヶ丘教会を会場に、議員総数237名中、開会時の登録数173名をもって開催された。
議員点呼、開会宣言の前に、常置委員会推薦の北村慈郎議員の議席を巡って、異論があった。信徒議員扱いになっているが、正教師・正議員として認め、按手礼にも加わることが出来るようにすべき、教団による免職は誤りだとの意見が述べられた。これに対して岩﨑隆議長は、残念だがと前置きし、教団の手続きの現状について説明し、推薦議員としたのは教区としての配慮であると述べ、議員点呼と開会宣言を行った。
議案第1号の按手礼執行に関する件では、志願者6名全員によって所信表明がなされた。内5名が、明確に教憲・教規を遵守する意味のことを述べ、他の1名も、個人的には宗教改革の万人祭司の考え方に立つと言明した一方で、教団の決まりは大事にすると述べた。
議員から、教師免職問題や二種教職制についての見解を問う質問があり、個々にこれに答えた。それぞれの表現ながら、一様に、聖礼典を執行することに厳かなる畏れを抱くと言う意味のことが語られたのが印象的であった。
岩﨑議長は、教区の恒例となっている通りに、「教団の教師試験は不当であるとまでは思わない人は」と、議案への賛成を求め、多数を得た。
議案第2号の教区活動基本方策案については、議長が、特に東日本大震災に関係する2項目を、例年にない新しい事柄として上げ説明した。質疑の中で、特に、17の基地問題を取り上げた項目について、「さらに自衛隊の海外派兵に今後も反対する」という文言を、国連の決議に基づく平和維持を目的とした派遣にも反対するのか、削除すべきとの修正動議が出されたが、154中44票の少数賛成に留まり否決され、原案が可決された。
また一体に社会問題に傾き伝道に言及されていないとの意見も述べられた。
礼拝を守っていない教会はなく、従って伝道していない教会はないという反論も述べられた。この議論は、予算案審議を巡っても繰り返された。
議案第5号「脱原発に取り組む決議に関する件」では、時間が限られていたものの、活発な議論がなされた。大方が脱原発を目指す方向では一致していたが、主文の文言を巡って、多くの意見が述べられ、提案者が、この修正を容れようとし、何度も変更になり、文言詳細は不確定のままで、常置委員会付託にするという意見もあった。結局は、135中107票の賛成で、下記のように修正された上で決議された。
「神奈川教区は、すべての原発に反対し、原子力に依存しない社会のあり方を、今後の方向として位置づけることを決議する。神奈川教区は、神が創造されたすべての被造物、生命が大切にされる世界を求めて、すべての原発に反対し、原子力に依存しない活動を推進する」。
(新報編集部報)
▼「聖体拝領は、よい人たちにはさいわいとなるが、わるい者にはわざわいとなる。その結果として、地獄に堕ちるはずの者も天国にいるのだが、その者にとっては、天国は地獄である。『重力と恩寵…ちくま学芸文庫』」▼学生時代に夢中になって読んだシモーヌ・ヴェイユを、古本屋で見つけ、久し振りに読んだ。何十年も手にしなかった。昼食を抜いて買い求めた選集も処分した。▼最初の任地で、高校生相手に、聖書よりもシモーヌ・ヴェイユの話をしていた。その一人が、より深く学びたいから神学校へ進むと言い出したのを、反対して止めさせた。年齢的にも未だ本当には献身の覚悟が出来ていない、一般大学を出てからでも遅くはないと諭した。この娘は、大学一年で重大な病を発症し、亡くなった。▼本当に覚悟がなかったのは、この高校生ではなく、教師たる私の方だった。▼受洗志願はともかく、献身志願となると、責任が持てないと、躊躇う。伝道そのものも同じことだ。「伝道するとは、他人の価値観の変更を迫ることで、隣人を愛しなさいと言ったイエスの教えに反する」と言った牧師がいる。何のことはない、伝道するのに絶対に必要な覚悟・確信がないということだ。▼冒頭の引用は、聖体拝領の魔術的効果を前提にしていると解釈されるかも知れない。聖餐式とは区別されなければならないだろう。まして、牧師が信徒の行く先を決めて引導を渡すのではない。しかし、そのくらいの覚悟・確信が必要だ。
11年、3・11、その日に
「あなたは、あなたの馬に、海を大水の逆巻くところを通って行かせられた。それを聞いて、わたしの内臓は震え、その響きに、唇はわなないた」
(ハバクク3・15~16)
2011年3月11日は、2日前の9日から主の受難節に入ったばかりの日であった。東京は寒いが陽の光は春めき、木々は水気を含んで匂い立っていた。
その時、わたしは西早稲田の教団ビル5階東京教区事務所でその夕開催する常置委員会を準備していた。
地震、とは思ったが、それは意外に長引き、階下から轟音すら突き上げた。
棚上の荷物は落ち、目前のお茶がこぼれた時、初めて机の下へ潜れと叫びながら自分もそうした。
最早エレベーターは動かず、4階出版局は避難したのかいち早く戸閉め。3階事務局には2、3人残ってはいたものの、ミシミシ軋む第2震の中、耐震装置無き脆弱な階段を庭に降りた。
午後3時半。人々の慙愧の一切は、ほぼその同時刻に起っていた。大津波が、千葉から北の太平洋沿岸至る所の人と生活、農漁商工等産業、医療、介護、教育、福祉、公共等諸機関全体の拠点を襲い、全ては海に押し流されていた。
午後6時、場所は定かでないが、「海岸に千人以上の遺体が打ち上げられている」との速報に茫然自失。
頭上から言い知れぬ重いものがのしかかり、主の憐れみに縋るしかない己の悲惨にうちのめされた。
無念の人々を深く思う
「お前たちは、主の日の戦いに耐えるために、城壁の破れ口に上ろうとせず、イスラエルの家を守る石垣を築こうともしない」
(エゼキエル13・5)
その時すでに、原発の炉心溶融は進んでいたが、真実は蓋されていた。
翌日、国内外大半の人々が釘付けされたTVは、覆われていた格納容器爆発を目の当たりにさせた。
地震と津波との複合事故とは言え、放射能汚染は拡大し、空と海と山と町と人の全部を飲み込んだ。
地域の牧者から、「自分は此処にいるが、人がいなくて集まりは出来ない」との悲痛な叫びも飛び込む。
それは、色々なことを曖昧にしながら、その余禄のような贅と豊満とを、我が物とする都会人の高ぶりを、音立てて崩して行く力と化し、以来辺り一帯は其処から得ていた光を失った。
現地は更に深刻を究めた。今も35万人離散家族の帰宅と、除染の目処は立たない。
「人の子が現れる日にも、同じことが起る。その日には、屋上にいる者は、家の中に家財道具があっても、それを取り出そうとして下に降りてはならない。」(ルカ17・30~31)
松島から八戸までのリアス式海岸と山間の町や村をバスで旅したことがある。
豊かで美しい海辺に入る毎、否応なく目にした大きな看板の太文字は、この地の歴史を伝える知恵であろう、「津波の際は山へ逃げて下さい」だった。
人は常に御手の裁量に委ねられるべき存在。それに生きる者だが、あの合言葉は果たして誰に有効であったか。欲しても果たせなかった無念の人々を深く思う。まして、逃れることを促し続け、手を貸した義人たちが流れ去ったことを。
全てを流失した人、生かされても寒さに耐える人、帰る場所はあるのに、適わぬ人々の現実が身に迫る。
時が良くても悪くても
この事実の峻厳に真向かい、己が立ち位置と、想像不可能の、かの地の実状との乖離に立ち尽くすだけなのか。
何時の時代も牧者は、その境界線上の証しの台に立つべき者。彼は、そのマージナルな(境界線上の)地点にある苦しみのために召されている。
「あなたの重荷を主にゆだねよ 主はあなたを支えてくださる。主は従う者を支え とこしえに動揺しないように計らってくださる」
(詩編55・23)
6月、梅雨晴れの澄みきった空の青、深い森の濃い緑、清冽を究めた川の流れを抜けて被災地に入った。
津波は、港までのゆるやかで長い稜線全体を一気に襲ったのだ。その時から手つかずの跡地を辿る。
やがて、海底からめくり上げられて、流れよせたヘドロが家々の床下、その高さに及ぶ壁裏の全体にこびりつき、独特の湿気と匂いを発していることが分かる。
被災地の教会では、同様に会堂の壁や床下からヘドロをかき出す働き人と会う。
その町に百年以上も在り続けた群れは、この地で再建を果たすのか。それとも町ぐるみ波の来ない山裾に移してのことか。
長年の地域との行き交いは、何と濃密であったことか。此処でも教会は、主イエス・キリストの信仰の故に、人々の思惑との狭間で苦悶する。
「彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」(イザヤ53・5)
「わたしたちは羊の群れ」
(イザヤ53・6)
自らも傷つき、その弱さに耐えつつも、波を被ってがらんどうとなった商店街の、道行く人の憩い場となろうとして会堂前にテントを張った教会の優しい配慮と心意気に出くわす。
受けた打撃は余りにも激しいのに、牧師家族が、訪ねた者に昼食をもてなした。
網戸も張られているのを何処から入り込むのか、ハエが飛び交う中、涙を堪えつつも祈って食した。
見回せば、現状を呈する物何一つ無いまま、此処からキリストにある福音の輝きが減じはしない。
何故なら、主の教会は、あの方への忠実を、時が良くても悪くても、訥々として歩む所にのみ立つからである。
(長崎哲夫 東京山手教会牧師、
救援対策室室長)
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