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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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ヨハネによる福音書6・1~15

2012年2月19日

6:1 その後、イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。
6:2 大勢の群衆が後を追った。イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。
6:3 イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。
6:4 ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。
6:5 イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、
6:6 こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。
6:7 フィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた。
6:8 弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。
6:9 「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」
6:10 イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。
6:11 さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。
6:12 人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。
6:13 集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。
6:14 そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」と言った。
6:15 イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた。

2012年2月18日

日時 2012年3月5日(月)14:00~
6日(火)15:00
会場 鳥居坂教会
(東京都港区六本木5-6-15)
主題
《伝道と伝道協力》
〈副題:共通理解と協働を求めて〉
主題講演Ⅰ『伝道とは何か』
神代真砂実(東京神学大学)
主題講演Ⅱ『伝道と伝道協力』
平井 章(日本キリスト教
社会事業同盟)
発題
『伝道協力について』
宣教協力学校協議会、伝道方策検討委員会、東北教区、四国教区

日本基督教団宣教委員会委員長
張田 眞

鎌倉市生まれ。藤沢教会員。エマオのボランティアから2011年7月、救援対策本部スタッフ。

前北さんが東日本大震災に遭遇したのは、千葉・八千代台の自宅だった。
震度5強、家具が散乱する恐怖を味わった前北さんは、テレビの映像を見て凍りついた。海抜50㎝の江の島で生まれ、津波の恐怖を子どもの頃から感じて育ったからだった。
教会の祈祷会で「被災地のために私に出来ることがあれば」と祈って帰宅した前北さんに、教会から「東北教区のエマオ・センターがボランティアを求めている」との連絡が入り、即、参加を決断した。
4月、被災地入りして惨状を一目見た時、前北さんは、「定期的に何度も通おうと決意した」という。
ご本人の言葉を借りれば、「重度のエマオ病(リピーター)」となって被災地通いを繰り返すうち、災害担当の加藤誠幹事に見出されて、7月発足した教団救援対策本部のスタッフとなった。
ボランティアとして前北さんが主に取り組んだのは、床下の泥かきだった。再び住むには、床下の汚泥撤去は必須だが、体格の大きな男性には難しく、剣道で鍛えた体の柔軟性を活かして前北さんは、活躍した。
「石巻、七郷(仙台)の床下事情には詳しくなった」と屈託なく笑う。
エマオ・センター登録のボランティアは、いま1、568人。10代から60代(20代前半中心)、北海道から沖縄まで、一頃よりは減ったが、週末には20人近くのボランティアがやって来る。教会の集会室あるいは礼拝堂の椅子を並べて、寝袋で寝て、3キロ離れた公衆浴場に通う苛酷な条件下で奉仕している。
7割がノン・クリスチャンだが、初めて教会に足を踏み入れ、寝泊まりするうちに礼拝に出席する青年も現れ出した。
前北さんは、「私がもう10人いたら」と思う時もあるという。被災地のことを心から思い、痛みを分かち合える仲間が増えることを願っている。

語り続けよ。黙っているな。

東京信徒会講演会は、東京教区伝道委員長小橋孝一先生を講師に迎えて、2012年1月21日(土)富士見町教会で開催された。
冷え込んだ雨の日、会場は「伝道に熱くなる教団」さながら、熱心に聞き、祈り、語り合った。
講演中に2時46分を迎え、中断して東日本大震災を憶えて《11246の祈り》を捧げた。
講演は、パウロのコリント伝道の始まりから説き起こされた。伝道の幻を使徒たちの時代に遡って共有する想いで迫った。
あのパウロでさえ、「私は衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安であった」と書いている。
主は幻の中でパウロにいわれた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな」それは、「私があなたがたと共にいる」「だからあなたを襲って危害を加えるものはいない」「この町には、私の民が大勢いるからだ」。
「語り続けよ。黙っているな」これは、現代の私たちへの主のご命令である。
《教会は島である》
大海原の中にポツンと浮かび、波に脅かされているように見える。しかし、島は水面下に大きな裾野をもっていて、そこには、神が備えてくださる神の民が大勢いる。神の民が御言葉を聞き、島の民となっていくことが期待されている。
島は孤独ではない。見えない裾野で島と島は繋がっている。一つの島で起こったことは隣の島へ、すべての島に影響する。小さな島の活性化は全体の活性化につながる。
4年前、小橋先生自ら新島教会を受け持ち、8人の信徒が12人に恵まれている。島の牧会から滲み出た体験談とも言えよう。
我々は、主の道を倦まず弛まず前進する努力を止めてはならない。願うほどにうまく行かなくても、今日が昨日よりわずかでも勝っているならば、我々の業は失われてはいない。
この講演会は、常議員会での発言録「伝道の幻を語る」を共有しようとの願いから始まった。
講演結びの言葉は、「焦らず、諦めず、執念深く」あれ。主のご命令「語り続けよ。黙っているな」と、力強く結ばれた。
(鈴木功男報)

石橋由美子 (越谷教会員)

私のパートナーは牧師であり園長です。私の理想とする牧師像をことごとく打ち砕かれてきたので、42年目に回想することは意義深いと思い、筆をとりました。
1970年に、私たちは結婚し、鴻巣教会に着任。当時は、子育て真只中、6年目に義父の介護のため夫の両親と同居となりました。
二人して、日曜日は勿論ですが月曜日から土曜は附属幼稚園に出勤し、様々に、問題が起きれば、まず夫に相談しました。元来、結婚願望の無い私でしたが〝イエス様の喜ばれる生き方〟を切望していたので、全ては〝イエスのように〟と思い働きました。
1981年に夫は、越谷教会に招聘され、私も転会しました。そのうちに、持病の慢性中耳炎が悪化したため、手術をしましたが、回復せず両耳補聴器をつけて現在に至っております。
それにしても、しいられた恵みというべきか、キリスト教保育の業を通して幼子達から〝神の愛〟という恵みを数えることを教えられました。幼稚科の礼拝、CSの小学科の礼拝でのみ言葉を語るための苦しみも、用いられることによって喜びに変わりました。
夫については、突然「明日○○へ行くから君も行くように!」と言われます。毎度のことですが、いつもこの調子ですから私の対応もこの41年間で少しずつ上達してきました。
実は新婚時代〝私が夫を支えていこう〟と張り切っておりましたのに、耳の持病が悪化した頃からなぜか、保育終了後になると耳鼻科通いにつき合ってくれる夫がいました。なんと耳の不自由な妻の支えになってくれていたのです。
しかし、長女、次女と年子の娘たちの子育てに疲れ果てていた上に三女の出産の時、聖地旅行のチャプレンとして、イスラエルに旅立ってしまった夫、日常茶飯事に起る一コママンガのようなハプニングは妻のせいと言い放ち笑い話しにしてしまう夫、そういう夫は、言い訳が上手いのか、頭の回転が早いのか。結局そのような夫を理解しようと、努力して来ましたが疲れ果ててしまいました。
〝自分が変わらなければ〟と思い、「キリスト教カウンセリングセンター」の学びをしました。学んでいく内に課題は積もっていくのです。そんな中〝男女は協力し合えても、理解することは難しい〟(河合隼雄著、こころの処方箋)の言葉に納得し夫を理解することは止めました。夫と話し合い理解出来ないことを楽しむことにしました。夫は私のどのような怒りの言葉も笑い飛ばし楽しんでいます。そんな夫に私も呆れ果てて、遂にはその笑いに合わせてしまいます。
以前のことですが、当教会の女子青年の書いたカードに〝夢みるゆみ子さん〟と書いてあったのです。最近、「どんな感じだったの?」と伺ったら「パステルカラーで春のようでした!(冬なのに)」と懐しんで話して下さり、私は不思議と癒されたのです。
私は本当に欠けの多い者です。でも、毎週の礼拝で主のみ言葉を示されているのですから恐れることなく祈りつつ、兄弟姉妹と主にある交わりを重ねて歩んで行きたいと思います。
それが、今、夫と私に与えられている使命と思います。

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