The first Japanese Christian Family Camp in Asia was held Jan. 31-Feb. 2, 2011 at Inna Putri Bali Hotel in Bali, Indonesia, with 70 participants, 30 of whom were from Japan, including myself. At the same time last year, the first Missionary Work Forum in Asia was held in Hong Kong where, during prayers for preparation of a second forum, the plan for this Family Camp was proposed to the members, which led to its being held.
There was no need for any qualifications for participants, but I was a little surprised that some people there were from the “Non-church Movement (Mu-Kyokai).” The other 40 participants were mainly from Japanese Christian churches outside Japan, such as China, Korea, Taiwan, Hong Kong, Malaysia, Singapore, Thailand, and India. What drew my attention concerning the names of these churches are the letters “JCF,” as in Jakarta JCF and Singapore JCF. These letters stand for Japanese Christian Fellowship. Although called a “fellowship,” they are each formally recognized churches in their respective countries in Asia. Interestingly, no approval of the use of the term “JCF” is required from any denomination or group. Each JCF regards itself as an independent ecumenical church. The Kyodan has currently dispatched a missionary, Matsumoto Akihiro, to the Jakarta JCF in Indonesia. The plan and management of this Family Camp could not have been carried out without the selfless efforts of Matsumoto and the members of the Jakarta JCF.
Bali is famous as a tourist resort. The hotel was filled with tourists, and there was a beautiful beach 50 meters away. When I saw the program of the Family Camp, I realized that I had to discard my image of “camping.” With the exception of meal times, we were in some sort of conference from 7 a.m. to 10 p.m. For the first time in a long time, the term “working bee” came across my mind. The conference was rich in variety, with reports and discussions.
One of the most memorable things for me was a power point presentation on what was called the “Rembrandt Concert.” I heard that it was originally planned with the collaboration of a travel agency. The presentation is a practical model of missionary work intended for Japanese non-Christians, who are 99 percent of all Japanese, and provides an opportunity to come in contact with Rembrandt’s faith naturally by visiting the actual places depicted in his paintings and listening to a commentary on what is being portrayed. There was a report at the end of the Camp that a young Chinese woman from the church in Shanghai had decided to be baptized. Considering that the only non-Christian participant was led to baptism, I believe that the significance of this camp was enormous.
Needless to say, missionaries have strong relationships with the church that sent them. So far, however, Japanese Christian Churches in Asia have had a weak relationship with other Japanese churches or JCFs in other countries, even if the church itself uses “JCF” in its name. Perhaps due to the geographical situation, I think I was given the vision of the scattered Japanese Christian churches in each country teaming up to cast a net of our Lord Jesus’ salvation in Asia. This is because missionaries who have been given such visions are already at work. (Tr. SM)
–Kato Makoto, executive secretary
第37回総会期・第1回常議員会で設置が決定された『救援対策基金』に関する運用規定に従って、教団は、東北・関東大地震の翌日の3月12日に総幹事のもとに『救援対策委員会』を立ち上げ、早速活動を開始しました。
委員は災害対応担当の道家紀一幹事(書記)、社会委員長の釜土達雄牧師、ほか3名の計6名。第1回委員会で決定した主なことは次のとおり。
①被災地である奥羽・東北教区内にある教会の被災状況を調査するためのチームを派遣すること。(13日~16日の4日間、すでに実施。石橋秀雄議長をリーダーとして計4名が参加)
②教団内全教会に『緊急救援募金』への協力を依頼するはがきを出すこと。(すでに実施しました)(本格的な教会再建募金は常議員会の決定を経て行う)
③被災教会の現状を情報として適切に正確に知らせる。(新報、信徒の友、ホームページ・サイト等を用いて)
すでに阪神淡路震災第2次募金よりの6千万円と、中越沖地震被災支援募金の残金7百万円が繰り入れられてスタートした『救援対策基金』の活用は、教団の救援対策委員会が中核になって、現地である東北・奥羽教区などの救援委員会との連絡を密接にとりながら、また、地震被災教会の救援を経験した教区(兵庫・関東・中部など)の知恵を活かして、慎重に、しかし大胆にしたいと思っています。
(教団総幹事 内藤留幸)
神を畏れ人を愛する
’91年まで連続16年間、常議員を務めていた深谷さんが強調したのは、「神を畏れ人を愛する」ことだった。「近年、教会で人間主義が強くなって、神に対する畏れがなくなって来た。だから、怒号の中の礼拝が起きてくる」と深谷さんはいう。
金沢大学法学部長を務め、民法、家族法の著書を持つ深谷さんは、「教会法をしっかり確立すること」の重要性を指摘し、「教会が崩れたら、信仰が崩れる。だから、教会の秩序を保つことが何よりも大切」と力説する。最近の教団の現状を按ずる深谷さんは、今総会期、乞われて2度目の信仰職制委員に就任した。
教会の秩序が保てなくなった原因の一つとして、深谷さんは「役員(長老)会の力が弱くなった」からではないかとする。役員・長老の力量不足と人間主義。「日本は聖書クリスチャンが多い。本当に信仰に生きているのか」と問う。
金沢大学を辞した後、深谷さんは一昨年まで10年間、宮城学院長を務めた。小学校はなく、幼稚園、中学から大学まで持つ宮城学院は、近年の少子化による学生生徒漸減傾向の中で「公立志向の強い県なので、中学部は厳しい」ことを除けば恵まれているが、「キリスト教学校といっても、教師にキリスト者は少ないから、ノン・クリスチャンの教師にキリスト教主義教育を理解してもらうのは大変だった」と述懐する。
若者の礼拝出席者減少が、よく指摘されるが、「何かを求めている若者は決して少なくない。そこに、どういう火を点けるか。それが、牧師、キリスト教学校の役割」という深谷さんは、「キリスト教学校と建学の精神」(教団出版局)を上梓した。その中で「キリスト教学校が建学の精神を改めて確認し、キリスト教に基づく人間教育、人格教育を確立すること」を何よりも願っている。
2011年秋季教師検定試験を左記の要領で行います。
1、受験要綱の申し込み
受験要綱と教団指定の願書用紙は160円切手を同封し、正教師受験志願者か補教師(A、B、Cコースの別も)受験志願者かを明記した上、封書でお申し込みください。
2、受験願書の提出
受験願書と必要書類を整えて、受験料とともに所属教区に提出してください。
①教区締切 2011年6月3日(金)(教区により締切が異なりますので、教区事務所に確認してください。)
②教団締切 2011年6月30日(木)(各教区から教師検定委員会に提出する際の締切です。)
*受験料は正教師1万3千円、補教師1万円。
3、正教師「説教」「釈義」の課題テキスト
①旧約 詩編139編1~12節
②新約 ローマの信徒への手紙8章18~25節
4、正教師の「神学論文」の課題
『今日における宣教の課題』に、「特に~をめぐって」という副題をつけ、ご自分の伝道・牧会をふまえて神学的に論述してください。
5、正教師の「組織神学」の課題
万人祭司と教師職について、組織神学的に論述してください。
6、補教師「説教」「釈義」の課題テキスト
①旧約 イザヤ書42章1~4節
②新約 ルカによる福音書5章1~11節
*コースによって「説教」「釈義」の提出内容が異なりますので、必ず受験要綱でご確認ください。
7、補教師(CⅢコース)の牧会学の課題
『牧会とは何か』について神学的に論述してください。
8、提出物締切について
当委員会への提出締切日は、「説教」「釈義」「神学論文」「組織神学」「牧会学」全て2011年7月1日(金)必着です。
9、学科試験面接について
学科試験は9月13日(火)、面接は9月14日(水)、15日(木)に大阪クリスチャンセンターにおいて実施します。詳細は受験志願者に通知いたします。
不明な点は直接、当委員会へお問い合せください。
2011年4月1日
日本基督教団教師検定委員会
〒169-0051
東京都新宿区西早稲田2-3-18-31
電話 (03)3202-0546
主の恵みに支えられて 川染 三郎(高松教会牧師)
気がつけば、伝道43年、古希を迎えていました。この時、思いがけず「召命のとき」を思いめぐらすことになりました。牧師引退の準備をしているときでもあり、不思議な思いで召命のとき、献身の志を与えられたときのことを思いだしています。
献身の思いを家族に話したとき、大反対されました。その理由は、牧師にふさわしくない、つまり牧師の苦労に耐えられないとのことでした。そこで7日間の断食をして、聖書を読み、祈ることにしました。自分自身の志を確認し、家族に理解してもらうために、これしか思いつかなかったのです。
洗礼を受けたのは、父の戦死から12年後に戦死の公報が出て、教会で葬儀をしていただいたとき、父の死の不条理に憤りを感じつつも、主の愛の御手に守られてきたことを知らされたことがきっかけでした。父は39歳で満州の現地で召集を受け、3ヵ月後に敗戦をむかえ、家族の元に戻る途中、現地人に殺害されました。父は神を愛し、教会を愛し、家族を愛し、満州を愛し、そして神に愛され、多くの人に愛されて39年の生涯を生きました。残された家族も、万事を益としてくださる主の愛に守られて今あることを思いました。
高校卒業1年後、布団一つで富士見町教会の堂守の部屋に転がり込み、日本聖書神学校に入学、昼は日本キリスト教協議会に勤めました。質屋通いをしながら飢えをしのいでいましたが、見かねた島村亀鶴牧師の奥様が夜10時に帰って来るのに合わせて食事を作ってくださり健康が守られました。その時、神学校での出エジプトの学びにより、マナを降らせウズラを与えてくださる生ける神の愛の御働きに委ねることを学びました。
思いがけなく米国の教会から奨学金をいただけるようになり、東京神学大学に学ぶようになりました。それから後も生ける神の御手に守られ、万事を益としてくださる主に委ねる歩みとなりました。
兵庫教区のある教会に赴任したのですが、教団紛争に巻き込まれて、教区では教団の教師試験に推薦はできないと言われ、教会の命である聖礼典を教師に執行させないことに失望と怒りを感じて、八丈島中之郷伝道所の招聘を受けて赴任しました。この八丈島では、一途に伝道したいという志を支え、主の御計画に従うなら万事を益としてくださる神に委ねることを学びました。この伝道所では、かしらなるキリストが御働きになり、信徒がその救いの恵みにあずかっている姿に感動させられました。信徒の群れが主の恵みに満たされて生きている姿を見たのです。まさにキリスト体験です。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ18・20)との御言葉のとおり、主の御臨在とその恵みの御働きを体験することができました。
富士見町教会に在任中、東京教区東支区から三宅島伝道所の代務を命じられたときも、二人または三人が主の名の下に祈りを合わせるなら主の御臨在と御働きを見させていただけると信じて、島の伝道に携わりました。三宅島には鎌川文子姉一人がおられました。そのときは八丈島教会の佐藤浩之牧師と2人で島内を駆け巡りました。お訪ねした方の中には、協力してくださる方、献金をしてくださる方、お茶を出してくださる方、迷惑がる方、押し売りを断るようにはっきり断る方など様々でした。2年目の最後に、大島元村教会の相沢良一牧師を講師に迎えた伝道集会には三宅島島内の方10名が出席、祈って支えてくださった八丈島教会の信徒や東支区の方々が集って、主が御働きくださったことを感謝しました。
今、父も、私も洗礼を受けた母教会で牧師の任を終えようとしています。「神の召しにふさわしく応えて来たか」と言われると忸怩たる思いがあります。自分の思いに拘り、主の御意志を踏みつけにしたことを悔いています。「わたしは何と惨めな人間なのでしょう。しかし、主イエスの愛に支えられて来たことを感謝しています」と、そして最後まで、「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」と信じて、委ねきり、牧師の任を終わりたいと願っています。
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