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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4738・4739号】全教団的取り組みを推進すべく 教区議長会議開催

2011年12月20日

11月29日、教団会議室にて、第37総会期教区議長会議が開催された。出席者は、教団三役と各教区議長(またはその代理者)16名(沖縄教区は欠席)と、内藤留幸総幹事ほか幹事4名であった。
初めに、石橋秀雄議長が、本会議は教規39条(2)に基づいて開催したものであり、今期三役において本会議の開催を検討していたところ、東日本大震災が発生し、この度は主にその対応と今後の支援を協議し、全教団的取り組みを推進したいと願っていると述べた。
出席者が自己紹介をした後、まず東日本大震災による被害状況について被災三教区(奥羽、東北、関東)の各議長が報告した。
続いて、各教区における支援内容として、教区内に支援委員会を立ち上げて献金や物資支援の呼びかけをしたこと、ボランティアの派遣をしていること、被災教区の議長や教師を迎えて報告会を開催したこと、定期的に祈祷会をもっていること、被災教区との交流のための委員会を立ち上げて支援活動をしていること、震災対応の経験がある人員を派遣し、被災教区からの要望に基づいた支援をしていること、専用の献金袋を作製して教区内の全教会に配布していることなどが報告された。
次に、加藤誠幹事(教団震災対応担当)が、教団救援対策本部事務局活動報告として、仙台の「エマオ」、遠野の自殺防止センター、福島の子どもたちの短期保養プログラム等の報告をした。
また、国内および海外からの献金の状況、救援対策本部会計について資料により報告がなされ、確認した。
以上の報告の後、東日本大震災教団救援募金推進についての協議に入り、まず雲然俊美書記が、資料により震災による会堂等の被災状況の全体像を報告した。続いて岡本知之副議長が、教団からの支援額の決定方法の検討や、公平性を保つことなどのため、被災三教区の議長にも委員となっていただき、支援金の配分のあり方を検討するための話し合いをすでに始めていることを報告した。
なお、岡本副議長は、海外募金の状況に関して、海外メディアにおいて日本政府や東電の震災対応への批判(情報隠蔽、放射線による海洋汚染など)が強まっており、海外からの献金にも影響を与えるのではないかとの懸念があるので、そのためにも国内募金に全教団的に協力してほしいと述べた。
以上の報告を受けて協議に入った。協議においては、これまで教区に直接ささげられた献金を教団への募金として計上することについて意見交換をし、教区に直接ささげられた献金であっても、それを用いることにおいては、教団からの支援金と分けて扱うことは難しいので、ぜひ各教区にささげられた献金と、教団にささげられた献金とを合算してほしいとの意見や、被災教区に直接支援したものは教団への募金とは別にしたほうがよいとの意見も出された。
これらの意見を踏まえて、本会議においては、会計報告においては、各教区にささげられた献金(教区間支援分)と、教団にささげられたもの(全国募金分)とを分けて記載すること、全国募金においては、被災教会の会堂再建・補修支援分(国内募金目標10億円の内の5億円)はぜひ達成したいこと、全国募金で集まった分でしか被災教会に支援することはできないのであるから、教区毎に募金方法等を検討し、全教団的に国内募金の達成に努めることを確認した(被災教会から教団救援対策本部に報告のあった会堂再建のために必要な経費は、現時点で総額17億円に上っており、このうち5億円を国内募金から、また2億円を海外募金から支援したいと考えている)。
そのほか、『東日本大震災救援対策本部ニュース』に記載されている文言についての意見や、まず地域支援が必要であるとの意見、それに対して、実際の支援活動は地域支援となっているといった意見が出された。
また、同ニュースに掲載されている募金集計の各教区毎の比率は記載しない方がよいとの意見や、各教区でそれぞれの教区の実情に応じた募金目標を設定してもらうことが望ましいといった意見などが出された。
以上の後、教団の伝道に関する協議の時間をもった。
まず初めに、教団伝道方策検討委員会の北紀吉委員長が、同委員会では各委員に課題を割り振り、その発表を受けて、常議員会に提言するものをまとめる予定であること、伝道が具体的に進展するための提言をしたいこと、伝道の課題として教団ですべきことについて協議していることなどを報告した。
その具体的な内容としては、伝道委員会のもとに「伝道推進室」を設けて各個教会の伝道を支援したり、伝道資金を設けて各教区や各教会の伝道の活性化のために有効的に用いること、地方において、その地域での伝道を中心的に担っている教会がしっかりと立つことがその地域の伝道を支えることになること、伝道においては信徒の祈りが欠かせないものであり信徒の霊性が大事であること、信徒の霊性を養う集会の開催や霊的で敬虔な牧師の養成が必要であることなどを述べた。また、教会付属の幼稚園や保育園の今後のあり方についての研修の機会を設けたいこと、実際の伝道活動については教団内の自主的な活動と連携して行きたいこと、インターネットによる伝道の推進や教団内の関係諸団体との関係の強化を検討したいことなどを述べた。
これに対し、インターネット伝道の推進主体についての問いかけや、地域の中核的な教会の支援内容についての質問などが出された。
この後、岡本副議長が再度、国内募金の推進に関して、教団の全教会がこのことのためにささげ、努力をするためにぜひ協力をお願いしたいと述べ、最後に、教区における集会のアピールや報告、今後もこの会議の開催を望む意見などが出されて会議を終了した。
(雲然俊美報)

①東北教区被災者支援センター(通称・エマオ)有償ボランティア(要面談)
◎人数 1名
◎期間 1月10日~
3月31日
◎資格 教職(含む隠退教師)
*但し引継ぎ業務のため事前(年末)に5日程度現地に滞在できる方
②救援対策本部室(通称・11号室)有償ボランティア(要面談)
◎人数 1名
◎期間 1月10日~
3月31日
▼公募期間 ①②とも12月22日迄
▼申し込み先 海外献金プロジェクト小委員会救援対策本部(11号室)
担当/白鳥 ℡03-3205-6088
e-Mail kyuen11@uccj.org

場面ごとに聖書の言葉が

神よ、わたしたちを連れ帰り
御顔の光を輝かせ
わたしたちをお救いください。(詩編80編4節)

クリスマスをどのように迎えようとするのか、今年は特別の期待を抱きながら、しかし思いが定まらないままで迫っている。震災の日から、時も心も途切れ途切れに過ごすことばかりになってきてしまった。まとまったこと、積み重ねて筋道が立っていることより断片的なところに立たせられる。突然に表れる現状の重さ、思いもよらない変化、喪失と出会い。確信より、戸惑いの中で断片の生き方を重ねながら、今日の日にたどり着いているように思う。つなぎ目や脈絡ができていることは何かに包まれていてできたことのように思う。散乱した部屋で、なくしたものと、もう前とは同じように収まらないものを抱えて立ち尽くしているようである。
しかし、あの日から、場面ごとに与えられ、支えられた聖書の言葉があった。
停電し、まったく通信が途絶えた中で、震災の二日目の夜を迎えた。ラジオの語る、すぐ近くの圧倒的な破壊と被災の異様な報告におびえ、緊急地震情報に度々外に逃げ出していた。人間の営みが打ち砕かれていた。しかし、大空は自分を取り戻したかの様な星空であった。「あなたの天を、あなたの指の業を、わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。そのあなたが御心に留めてくださるとは、人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう、あなたが顧みてくださるとは」(詩編8編4・5節)。揺るぎのない天、そこにあるのは人間を顧み御心に留めてくださる神。この不安の中で人とは何ものかを問うならば、神が目を注いでいるところから、そのまなざしを向け、顧みておられるそこから始めねばならない。足元が揺るがされる中では上からのまなざしによって立つほかにない。しかし、「あなたが」そこに立たせてくださったところにやっと立つことができるのである。
3月13日の日曜日、余震の中避難してきた人々を含め礼拝を守ることができた。家族の消息もつかめないまま、長時間歩いて集まった。聖書箇所は「慰めよ、わたしの民を慰めよと、あなたたちの神は言われる。…草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」(イザヤ書40章1節、8節)であった。神の言葉が立っていることは慰めと切り離すことはできない。神の言葉の礼拝が慰めの基点となっている。教会と集う者が力づけられた。
翌日、わたしが訪ねた津波の被災地の一つは、驚くほど静かであった。山際まで泥が押し寄せ、針金のように曲がった線路、鉄橋の橋げたが上流にあるコンクリートの橋脚にひしゃげて巻き付いていた。川を上る津波の途方もない破壊力。それが、音のするものをなぎ払ってしまっていた。嘆きの声さえおおわれていると思うと痛ましい。嘆くこと、それは聞かれることに至る。「主はわたしの嘆きを聞き、主はわたしの祈りを受け入れてくださる」(詩編6編10節)。
嘆きとともに痛ましいことは、沈黙におかれることである。詩編は「わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。神にわたしの救いはある」(62編2節)と語る。しかし、そこにまでどのように心を向けることができるのだろうか。

決して小さなものではない

イザヤ書は主の僕の姿を「苦役を課せられて、かがみ込み、彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように、毛を切る者の前に物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった」(イザヤ書53章7節)と語った。
沈黙の中にかがみこみ、そのようにして嘆きを負う姿にこそ、沈黙を開き嘆きを投げかけることができるのではないか。「彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」(同5節)。傷ついて沈黙し、かがみこんでいる姿に慰めを得ること。それは心底弱ったものを受け入れるものになる。
福島県の果樹畑はいつも見事に手入れされている。しかし、今年目にした果樹畑は異様であった。赤茶けて、アメリカシロヒトリの巣の網が延々とかかっていた。収穫ができず手入れもなされない。廃墟のような恐ろしい畑となっていた。
放射能は見えない、しかしその影響はこのように見えるものとなっている。「なぜ、東北が。なぜこの弱いところに」と繰り返し問う思いがこみあげてくる。
「ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で、決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである」(マタイによる福音書2章6節)。これはミカ書「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者」(5章1節)を引用してのことである。そこでは「最も小さき者」が「決して小さなものではない」に変化している。それは、ご自分を小さな者として与えられた方がそこに誕生されたからである。
「神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました」(フィリピの信徒への手紙2章6節、7節)。小さなものが小さなものではないとされるのはご自分を無にされた方がそこにご自分を置き、お生まれになったからであった。それは小さいがゆえに目を留め、これを顧みられることが神のなされることだからである。
それゆえ、この頼りなさと心細さこそが、備えもおぼつかない中ただその方の到来を願い祈ることが、待望にふさわしいこととされているのではなかろうか。小さいものが小さいものではないといわれる。これは大きな希望である。

共におられることを貫いて

主イエスの降誕の出来事はイスラエルの歩みをつづり合わせ、今に至るまで「神は我々と共におられる」(マタイによる福音書1章23節)ことを貫いてくださることであった。断片となっているものがつづりあわされる、神はそれを一筋の光をもたらすという仕方で実現されたのである。「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった」(ヨハネによる福音書1章4節)。「光は暗闇の中で輝いている」(同5節)。それは、例年のように出来上がった備えよりも、ただ待望し祈ることが、主の待望にふさわしいと言える。今の時が厳しければそうであるほどそれは主の待望にふさわしい、光への思いが切実であることこそがクリスマスの備えにふさわしいと言えることになる。それならばわたしも自分がいつもよりも散らばった心の中で、むしろより強くはっきりと主の降誕を待ち望んでいるということができる。それゆえに心強くし、こう祈りたい。「神よ、わたしたちを連れ帰り、御顔の光を輝かせ、わたしたちをお救いください」(詩編80編4節)。主のもとに連れ帰られること、そこにわたしたちの復興がある。クリスマスの祈りは復興への祈りとなる。
(高橋和人 仙台東六番丁教会牧師)

29:13 主は言われた。「この民は、口でわたしに近づき/唇でわたしを敬うが/心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを畏れ敬うとしても/それは人間の戒めを覚え込んだからだ。
29:14 それゆえ、見よ、わたしは再び/驚くべき業を重ねて、この民を驚かす。賢者の知恵は滅び/聡明な者の分別は隠される。」
29:15 災いだ、主を避けてその謀を深く隠す者は。彼らの業は闇の中にある。彼らは言う。「誰が我らを見るものか/誰が我らに気づくものか」と。
29:16 お前たちはなんとゆがんでいることか。陶工が粘土と同じに見なされうるのか。造られた者が、造った者に言いうるのか/「彼がわたしを造ったのではない」と。陶器が、陶工に言いうるのか/「彼には分別がない」と。
29:17 なおしばらくの時がたてば/レバノンは再び園となり/園は森林としても数えられる。
29:18 その日には、耳の聞こえない者が/書物に書かれている言葉をすら聞き取り/盲人の目は暗黒と闇を解かれ、見えるようになる。
29:19 苦しんでいた人々は再び主にあって喜び祝い/貧しい人々は/イスラエルの聖なる方のゆえに喜び躍る。
29:20 暴虐な者はうせ、不遜な者は滅び/災いを待ち構える者は皆、断たれる。
29:21 彼らは言葉をもって人を罪に定め/町の門で弁護する者を罠にかけ/正しい者を不当に押しのける。
29:22 それゆえ、アブラハムを贖われた主は/ヤコブの家に向かって、こう言われる。「もはや、ヤコブは恥を受けることはない。もはや顔が青ざめることもない。」
29:23 彼はその子らと共に/民の内にわが手の業を見てわが名を聖とする。彼らはヤコブの聖なる者を聖とし/イスラエルの神を畏るべきものとする。
29:24 心の迷った者も知ることを得/つぶやく者も正しく語ることを学ぶ。

2011年12月19日

28:14 嘲る者らよ、主の言葉を聞け/エルサレムでこの民を治める者らよ。
28:15 お前たちは言った。「我々は死と契約を結び、陰府と協定している。洪水がみなぎり溢れても、我々には及ばない。我々は欺きを避け所とし、偽りを隠れがとする。」
28:16 それゆえ、主なる神はこう言われる。「わたしは一つの石をシオンに据える。これは試みを経た石/堅く据えられた礎の、貴い隅の石だ。信ずる者は慌てることはない。
28:17 わたしは正義を測り縄とし/恵みの業を分銅とする。雹は欺きという避け所を滅ぼし/水は隠れがを押し流す。
28:18 お前たちが死と結んだ契約は取り消され/陰府と定めた協定は実行されない。洪水がみなぎり、溢れるとき/お前たちは、それに踏みにじられる。」
28:19 洪水は溢れる度にお前たちを捕らえる。それは朝ごとに溢れ、昼も夜も溢れる。この御告げを説き明かせば/ただ恐怖でしかない。
28:20 寝床は短くて身を伸ばすことができず/覆いは狭くて身を覆うことができない。
28:21 主はペラツィム山のときのように立ち上がり/ギブオンの谷のときのように憤られる。それは御業を果たされるため。しかし、その御業は未知のもの。また、働きをされるため。しかし、その働きは敵意あるもの。
28:22 今、嘲ることをやめなければ/お前たちの縄目は厳しくなる。わたしは定められた滅びについて聞いた。それは万軍の主なる神から出て国全体に及ぶ。

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