「伝道推進基本方針」の具体的展開を求めて
石橋秀雄議長
「危機は好機」と言われるが、教団の危機が叫ばれる中で、対立の壁を越えて全教団的な議論がなされ、日本伝道の推進ということで一致し「教団伝道推進基本方針」が定められ、第41回総会期に教団の成すべきことが鮮明にされたことは感謝だ。
この「伝道推進基本方針」の具体的展開が求められている。
1.伝道推進信徒運動の展開
「聖書を読んで祈って伝道する」信徒運動によって教団の伝道を推進していきたい。
毎日熱心に聖書を読み、熱く祈り、献金を喜んで献げる信徒が1000人、3000人、5000人、1万人と膨らんでいったらどれほどの日本伝道の推進力になっていくだろうか。
伝道の恵みに与り、伝道を喜び、伝道を楽しむ伝道推進信徒運動を展開することができたら教団の明日が開かれる。
⑴拠点教会(その地にその教会しかない)のために祈り、支える。
⑵教区の伝道推進のために祈り、支える。
⑶神学校の献身者のために祈り、支える。
⑷学校伝道・青年伝道のために祈り、支える。
以上を中心にして、「伝道推進室」がこの運動に仕え、教区、教会についての伝道推進に仕える企画と具体的伝道協力を進める。
「伝道資金」の将来性を鑑み、教団の伝道を献金運動として展開して血の通う教団にする。
2.沖縄教区との関係の回復を図る
教団信仰告白で「教会は主キリストの体」と告白する。「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」(コリント一12・26)。
「沖縄の教会の主体の確立と教会性の回復のために産みの苦しみをしている」(平良修議長)。この産みの苦しみを共に苦しむ教団でありたいと願っている。「教団としての産みの苦しみをなす」ことから示されることは何かを真剣に祈り求めていきたい。
3.負の歴史の克服
ミナハサ福音キリスト教会との宣教協約を結ぶことが出来た。和解の福音に促された連帯の働きに確かな絆で結ばれたことを喜びたい。
主の御前に過去の戦争の罪を告白し、アジアの隣人の赦しを求め、教団として信仰告白を貫くことが出来ずにこの世の主に膝を屈した負の歴史をどのように克服するか、真剣な取り組みを始める機ともしたい。
地方の諸教会の課題、信仰の体験は教団の資産
久世そらち副議長
思いもよらず副議長に選出された議場で、当惑とおそれを覚えずにはいられませんでした。その後じわじわと使命の重さ厳しさを実感しています。負わされた期待の重さと自身の限界との狭間でもがく2年間を予感しています。
かえりみれば、生まれた時からずっと教団の教会に身を置いてきました。教団の課題と問題、責任と使命、そして可能性と希望とは、いつも目の前にありました。教団の現状への批判もあえてしながら、その形成にもいささか携わってきたつもりです。その道がとうとうここにまで至ってしまったということでしょうか。
さて、副議長のつとめについて、教規には「議長を補佐し、議長に事故あるときは、その職務を代理する」とあります。
かつて「副議長はキャッチャーか、リリーフのピッチャーか」という、なかなか秀逸なたとえがなされたこともあるようです。
このたとえにのっとるなら、まずは構えを低く、議長の投球をこぼさず受けとめ、状況をみきわめながらサインを交わし、フェアにゲームを作っていくことに意を用いるべきでしょう。
キャッチャーから発する「サイン」の根拠のひとつは、北海教区での経験です。地方社会に生きる諸教会が直面してきた課題と、積み重ねられてきた教会としての信仰の体験は、教団のこれからを考えるときの貴重な資産と信じます。
目を上げれば、時代の風は、教会への逆風として激しさをつのらせています。教団の課題も根深く深刻です。立ち向かわなければならない相手は強大で圧倒的です。
しかし、キャッチャーはピッチャーとは別の方向を向き、異なる視野を持っているからこそ見えてくるものもあるでしょう。それもまた「サイン」に乗せていかねばなりません。
石橋秀雄議長、雲然俊美書記とは、かつて教団伝道委員会で働きを共にしていました。それぞれの経験を経て再結成されたチームで、今度はどんなプレイをすることになるでしょうか。
つい先日、敬愛する先輩牧師からお手紙をいただきました。祈っています、との励ましと共に、「その人は、火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます」(コリント一3・15)と記してくださっていました。戒めと慰めの御言葉を心にかみしめています。
キリストの主権、神の栄光を現わす教会会議のため
雲然俊美書記
神の栄光を現わす会議
思ってもみなかったことですが、石橋秀雄議長と久世そらち副議長からの推薦、そして、議場の承認により、五期目となる教団書記の働きを担わせていただくことになりました。どうぞよろしくお願いいたします。
すでにこれまで何度も書いたり、話したりしていることですが、「書記は、議長のもとで会議の事務および議事の記録にあたる」(教規第15条)とある教団書記の務めを誠実に担って行きたいと思っております。
特に、その場合の「会議」とは、「イエス・キリストを首と仰ぐ公同教会」(教憲第1条)の会議であり、「会議制により」(同第4条)、主イエス・キリストの主権が明らかにされ、主なる神の栄光を現わすことを第一の目的としていることを常に覚えて、常議員会等の会議を整えて行きたいと思っています。
当然のことですが、会議において議論を丁寧に積み重ね、決議し、それを実行する教団でありたいと願っています。
共に伝道を担う教団
教団総会後、秋田県の秋南教会の伝道フェスティバルでメッセージの奉仕をしました。同教会は秋田県南の広い地域に伝道を展開し、7カ所で礼拝を守っています。近年は会員が高齢となり、各地の会堂の維持も困難な状況となっています。
そこで同教会では、そのような時であるからこそ、伝道の喜びを共に覚える時を持とうということで、韓国からプロの賛美シンガーを招いて開催しました。結果は、秋南教会のメンバーが祈って準備し、家族や友人を積極的に誘ったことにより、当日は大盛況でした。
その後、私は、「伊豆諸島伝道懇談会」において、「地の果てに至るまで、私の証人となる—島しょ伝道のビジョン」の主題で講演をしました。
その全体懇談において、現在、専任の牧師が不在で、噴火災害で会堂が焼失してしまった三宅島伝道所の活動を、東京教区東支区が支援しようということが話し合われました。その場で、「三宅島伝道所支援」ではあるけれども、「三宅島伝道を共に担う」との祈りをもってこのことをしようとの声があったことが心に残りました。
教団に所属する全教会・伝道所が、自らが立っている地域での伝道と共に、日本全国各地において進められている伝道の働きを共に担っていることを、お互いに覚え合い、祈り合い、支え合う教団であることを願います。
第16回台湾基督長老教会(PCT)と日本基督教団との教会協議会が、11月13日から15日まで、愛知県の邦和セミナープラザと南山教会を会場にして開催された。主題は「共に悩み、共に喜ぶ」(コリント一12・26、口語訳)、参加者はPCTから13名、教団からは30名であった。
教団参加者は協議会前に事前研修をおこない、霧社事件や2・28事件、高雄事件や中台関係などついて学んだ。開会礼拝では石橋秀雄総会議長が説教を担当し、久世そらち総会副議長の司会で歓迎夕食会が開かれ、懇談の時を持った。
二日目の協議では、PCTの林芳仲総幹事より、台湾が置かれている政治的状況についての報告があり、民衆と共に歩む「正義と平和」を求める教会の使命と挑戦についての発題があった。
さらにディバン・スクルマン宣教師の北海教区での働きと、高井ヘラー由紀宣教師の台南神学院での働きが報告され、PCTの林偉聯幹事が西日本豪雨災害における岡山でのボランティア活動報告をした。小笠原純大阪教区議長からは大阪北部地震の際のPCTからの支援に対する謝辞が述べられた。
午後は南山教会へ移動し、グループにわかれてシルバーホームまきばと愛知牧場、愛知国際病院、AHI(アジア保健研修所)、特別養護老人ホームのぞみを見学した。夕食は南山教会の方々が準備してくれた鍋料理とすき焼きを堪能し、交流を深めた。
三日目は青年たちによる台湾ユースミッション報告と、兵庫教区と高雄中会との宣教協約報告、東北教区と嘉義中会との宣教協約報告を聞き、両教団が様々な場で協力を深めていることを確認した。さらに共同声明文作成のための協議をおこなった。閉会礼拝ではPCTの薛伯讚議長が説教を担当し、最後は参加者全員で手をつないで「マリ・マリ・ティ・イエスさま」をパイワン語で賛美して協議会を終えた。(佐藤飛文報)
去る10月4~5日、「隠退教師を支える運動全教区推進協議会」が教団会議室において、29名の参加者により開催された。
協議会に先立ち、開会礼拝が捧げられ秋山徹総幹事より、エフェソ6章1~4節により「約束を伴う最初の掟」と題するメッセージにて、み言葉の恵みに押し出された。
はじめに総幹事より挨拶、森啓一委員長より今後の運動について、鈴木秀信事務局長より、17年度諸報告として新任推進員の紹介、献金状況、決算報告、新年度の目標等の説明があった。
特に今回の協議会は、支える運動設立より40年が経過した今日、参加教会・伝道所が50%の壁をなかなか超えることができないでいること、また4年連続して献金額が減少していることなどが焦点に挙げられ、熱心にそれらの課題と取り組むことができた。また今回は参加者全員が課題を共有したいと願い、分団協議方式を改め全体会方式を取り入れた。二日間の協議を通して次のような方向が与えられた。
①参加教会・伝道所を50%台より60%へと上昇させる努力をする。②運動を推進するには運動に対する牧師の理解が大切になる。③推進員個人の働きと、協力者を得て教区、地区、支区と共に推進していく。④近隣教会間の交わりを通し連帯を深める。⑤各自出来るところから具体的に始める。
二日目に、全体協議前に教団年金局・籔田安晴理事長より、年金制度概略説明および質疑応答の時間を持ち、教団年金制度の理解を深めた。
与えられた課題を共有し活動を進めていくことを確認、恵まれた協議会であった。この運動の底流にあるのは、隠退された教職及び現役の教職に対する感謝と信頼にある。その信頼関係を超えて神のご栄光を表す器としてこの運動が今後も用いられることを心より祈るものである。(鈴木秀信報)
その地に生きている人に出会うと、自ずとその地の課題にも出会う。その時、一牧師として、あるいは一キリスト者として、あるいは一教会として、その課題を共に担おうとする。そして、時に示しながら、時に示されながら、共に道を見出し歩もうとする。
言わずもがな伝道宣教の有り様であるが、こうした有り様は、全ての教会・キリスト者がイエス・キリストに従おうとする故に心がけ目指していることである。
西中国教区はそれを改めて言葉にしている。
「主イエス・キリストの恵みによって救われたわたしたちは、神を讃美し、この福音を宣べ伝えつつ、その招きに応えて生きる。わたしたちは、様々な重荷を負う人々との出会いを通して、つくり変えられ、世の諸々の力の支配から解放されてその人々と共に生きる」。
西中国教区宣教基本方針の一節である。
それは、言わずもがなとは言え、しばしば自己目的化してしまう宣教伝道の有り様を、改めて問う指針の役割を果たしている。
もっとも「教会」の維持運営をなおざりにしてよいということではなく、先ず求めるべきものは「神の国」と「神の義」であることを思い起こさせるという意味である。
しかし時に、一教会だけでは担いきれない課題に出会う。大規模な自然災害や、公権力—取り分け国の権力が立ちはだかる課題である。
そうした場合、その教会と共にある教区であることを目指してきたし、今も目指している。
しかし、一教区では担いきれない場合もある。その時、共に立つ日本基督教団であることを願っている。 (西中国教区議長)
今、国会で議論されている外国人労働者受け入れ拡充の動機は、その生産性に着目したものであるという。それだけの理由で受け入れの方向性を結論づけていこうとすることに驚きを隠せない。働くことは生きていくことであり、またその人の存在を受け入れていくことであるのに、これでは生産効率の良し悪しで人間を判定する風潮がますます蔓延していくのではないか。
重度の障がい者施設である止揚学園を9月に社会委員会として訪れ、園長の福井生(いくる)さんに話を聞いた。福井園長は生産性が議論に挙げられていることにとても深い憂慮をもっている。生産性を人間の価値判断の基準にしていこうとする時流となれば、それによって他者を切り捨てていく風潮が生まれてくるのではないか。話を伺って優性思想の危険性を考えさせられた。さらに福井園長は、障がいをもつ人たちと共に生活をしていく中で共感性を深めていくことには大きな喜びがあることも語った。そしてそれは共感性というよりは祈りだとも語られた。共に神様に生かされている喜びを感じ、そこにお互いの祈りが生まれる。そうした心として、このことを受け取らせていただいた。
介護や看護など、さまざまな福祉の現場に関わるすべての人々の働きには祈りがあると思う。そしてその働きの中に神様は心ふれあう喜びを用意されている。そのことによってまた新たな感謝の祈りへと導かれ、また新たな心ふれあいの時が与えられますようにとの祈りが生まれる。人と人との暖かい生きた関わりの中にあってこそ、私どもの世界は真実に神様に喜ばれるものとなるのではないか。
今年も12月第1主日の「キリスト教社会事業を覚えて祈る日」を迎えようとしている。
教育・医療・福祉などさまざまな分野における、キリスト教社会事業のこれまでの社会貢献に感謝をするとともに、これからの時代にいかに「心」を込めた務めが大切であるかを実践し、なおいっそうの手本となって示し続けていただきたいと願う。
キリスト教社会事業に関わるすべての方々の働きに共に祈りを合わせて行きたい。
2018年12月2日 第40総会期日本基督教団 社会委員会委員長
森下 耕
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18-31
Copyright (c) 2007-2025
The United Church of Christ in Japan






