教団出版局の財政危機と改善に向けて
日本キリスト教団出版局は、営利事業を行う教団の一部局ですが、信徒向けのキリスト教書や牧師や研究者のための神学書、讃美歌、「信徒の友」や「こころの友」などの定期刊行物の出版を通して、キリスト教出版業界の中心的な役割を担い、日本の社会全体にキリストの福音を伝える重要な働きを担っています。この出版局の財政状況が年々厳しさを増してきており、ここ数年間は赤字経営の状態が続いています。
出版局の売上高は2000年には7億1000万円余でしたが2015年には3億4000万円に半減し、2019年には3億1000万円余とさらに減少してこの傾向はとまりません。これに対して製造原価や人件費等は大幅な減少をはかることは容易ではなく、最近6年間の当期純利益は、2015年:−1218万6千円、2016年:−651万6千円、2017年:−2355万3千円、2018年:−3843万1千円、2019年:−1631万8千円と、大幅な赤字財政となっており、売れなければ廃物となってしまう3億円に及ぶ在庫のことを考えると深刻な状況であることは確かで、もはやこれは出版局の経営改善の努力の手に余り、SOSを出さざるを得ない状況になっています。
教団の監査委員会はこの状況について、「出版局からの銀行借入担保の承認要請は出版局の財政状況に対する明確な判断がなければ執行し得ない」とし、「出版局の財政を抜本的に改善する施策の速やかな執行を求めなければならない」との「緊急意見」を石橋秀雄教団総会議長宛に提出しました。出版局の財政赤字が教団本体の財政破綻を招く恐れがあるとの警告が出されたのです。これを深刻に受け止めて常議員会は審議を経て、常任常議員会、責任役員会、出版局理事会からなる「三者協議会」を2020年5月より発足させ、状況と問題の正確な把握と経営改善に向けて鋭意努力が続けられています。「三者協議会」は協議を重ねた上で、経営コンサルタントの加藤真澄氏(ICU教会員)、吉田直樹氏(聖ヶ丘教会員)を加えた「経営改善検討チーム」をつくり、出版局の経営状況についての抜本的な専門家の診断と分析、改善計画を2020年度末までに提案することとなり、現在急ピッチでその作業が進められ、黒字化をはかるための取り組みが続けられています。
教団出版局は、教団紛争の時期に教区よりの負担金が滞り教団が破綻状況にあったとき、出版局からの累計7億円の繰り出し金によって教団財政を支えた時期もありましたが、近年の出版業界全体の苦境に加え、キリスト教界の信徒数の大幅減少、高齢化、文字離れ、ネット直販などが進む状況から売上減少が続き、教団として出版局を抱えることが重荷になってきているのは否めません。しかし、讃美歌や「信徒の友」などの出版が止まり、これを失うことになれば、どれほどの大きな損失となるか、これを考えれば何とかして存続する道をはからなければなりません。出版事業を時代に即応する形で更に発展させるにあたっても専門性を身につけた出版局職員の保持を欠かすことは出来ません。キリスト教書や雑誌によって信仰を支えられてきた信徒と教会の存在、日本全国にキリスト教の福音を伝え浸透させるための道具として、教団が出版局を持っていることは大いなる資産です。出版局を用いていかに有効な働きを展開するか、まだまだ考えるべき道はあるはずです。何よりも、各信徒と教会、教団全体がこの出版局状況を理解して、支えて行くとの熱意と支援の輪が広がることに出版局の存続がかかっています。クリスマス前に出された山北宣久出版局理事長の「教団出版局からのSOS」をお読みくださり、「信徒の友」の定期購読や出版書物の購入など7項目のお願いに是非ご協力をお願いいたします(秋山徹総幹事)
待降節の礼拝を捧げた次の日から付属幼稚園では「ページェント礼拝」が始まる。練習ではなく「ページェント礼拝」を積み重ねてクリスマスを迎える。
最初の「ページェント礼拝」の日、幼稚園を休園せざるを得なかった。保健所から「家庭内感染者が出たのでPCR検査を」との連絡が入り、保護者、園児、保育者30名が検査を受けた。結果は全員陰性で翌日から通常保育、「ページェント礼拝」が始まった。
やりたい役をしながら、クリスマスの一週間前に役を固定する。この役決めが大変、やりたい役への思いが強い。ヨセフ役が案外不人気だ。ヨセフがいないと成り立たない。重苦しい時間が流れるが、保育者は子どもが真剣に考える時間を大切にしている。皆のために「僕がやる」と手を挙げる子が現れる。
「クリスマス・ページェント礼拝」が始まった。環境の変化に敏感なAちゃんは、「ページェント礼拝」では大きな声で泣いていたが、今日はニコニコしながら宿屋さんになっている。B君は集団行動が苦手だが、ニコニコしながら博士たちを導いた。感動した。保育者は否定語を語らない。馬小屋に、赤ちゃんを中心に全員が集まって「ハレルヤ・アーメン」を歌った。まるで天の軍勢が加わって一緒に賛美をしているようだった。
PCR検査の休園という衝撃から始まったが、励まされ感動した。最高の「ページェント礼拝」だった。この礼拝の場が心地よい。(教団議長 石橋秀雄)
「神の時」に生かされる
詩編90編9節〜12節
石橋秀雄(越谷教会牧師)
「人の時」に生きる者の虚しさ
新型コロナウイルスの感染拡大が深刻化し不安と恐れが膨らむ中で新しい年を迎えた。新年の挨拶も力が入らない。
越谷教会の新年最初の礼拝後、礼拝堂の真ん中の通路を挟んで向き合い新年の挨拶をするのが恒例となっている。今年は「主にあって新年おめでとうございます」と特に力を込めて挨拶をした。「主の時」、「神の時」の支配の中にある一年の歩みが始まるのだ。
新型コロナ感染の不安と恐れを吹き飛ばす希望が「神の時」に生きる者に示される。
神は時を超え、時を支配される永遠なる存在者だ。この神の前に人間は「塵」に過ぎない。神が人を塵に返し、「人の子よ、帰れ」(詩90・3)と仰せになったら、あっけなく死んでしまう存在だ。
神の「御顔の光」(8)の中に置かれたらその罪が暴露され、「わたしたちの生涯は御怒りに消え去り 人生はため息のように消えうせ」(9)る。
「人の時」に生きる者の虚しさ、儚さが記される。「人の時」は「得るところは労苦…瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去」(10)る。
「人の時」から「神の時」へ
詩編90編は葬儀の時によく読まれる。昨年の9月、越谷教会のある信徒が79歳で召された。葬儀の聖書の御言葉として「詩編90編9〜10節」をとの希望が出された。
彼の前半生は輝ける人生の歩みに見えた。
彼は山登りを趣味としていると聞いていた。しかし、彼の学生時代の写真を見て驚いた。その写真は絶壁でロープにぶら下がっている写真だった。学生時代からロッククライミングの部活に入り岩にハーケンを打ち付けて登って行く。強靭な肉体と精神力がなければできない命がけのスポーツに思える。
彼は、このロッククライミングのように命をかけて、その能力と精神力で絶壁を登るように人生を切り開いて来た。彼は、自信あふれる「彼の時」を生きていた。
新聞記者をしながら、司法試験に挑戦して合格。妻は越谷教会の長老で月報「みつばさ」の担当をしていた。新聞記者なので、「原稿の校正」を手伝ってくれたが、キリスト教は大嫌いだった。キリスト教が嫌いというより「神頼み」が大嫌いだった。自分の人生は自分の力で切り開くものと思っていた。
ところが、絶壁を登っていて、突然ロープが切れて真っ逆さまに転落するような絶望を味わった。1995年、腎がんに侵され「余命6カ月」と医師から宣告されたからだ。病室で同じ病気の患者と友達になった。この患者が自分の目の前で死んでいった。
彼は自分の心の中を隠さない、率直で純真なところがあった。牧師館に飛んできて私に言った。「牧師!死にたくない!恐ろしい!聖書を教えろ!」、強い言葉で訴えられた。この訴えは、ロープが切れて谷底に落ちて行く絶望の叫びに聞こえた。
「自分がこんなにだらしない人間だとは思わなかった」と自分の弱さに打ちのめされていた。彼を救ったのは、妻の祈りだった。妻に祈られると心が落ち着いた。毎朝、彼の妻は聖書を読み、祈って夫を会社に送り出した。彼の口から「感謝」という言葉が出た。「生きているのではなくて生かされている自分」に気づいたからだ。
彼は洗礼を受け、「神の時」に生きる者として導かれた。彼は会社を辞めて、司法書士事務所を東京に開設した。この時、第4腰椎にがんが転移した。このガンが転移する痛みの中で事務所を開設した。
自分の弱さを思い知った彼は、借金まみれになり人生に破綻した人々に寄り添う仕事を始めた。名古屋に住む借金まみれで行き詰まった人から電話の相談を受け、車で名古屋に行き、その人の生きる道を切り開き、越谷に帰ってきた話を聞いた。
十字架と復活によって
彼は自分に正直だ。心の中の葛藤を隠さない。1995年のことだ。土曜日、自宅で説教の準備をしていたら、「おい牧師はいるか」と、彼が酔っ払って家に上がりこんできた。「牧師、ビールを飲ませろ」、他のところで飲んできて、その勢いで私のところに来た。
居間に上げてビールを出した。「おい牧師、一緒に飲もう」と一緒に飲むのが当然という態度だ。彼は「おい牧師、俺は医者の話では、3年前にくたばっていたんだ。それが、まだ生きているぞ。俺は牧師の説教で生きている。明日シッカリ説教しろよ」とハッパをかけられた。
彼はガンが転移していく痛みと命の不安を隠さない。程よいところで彼の家に電話した。彼の妻が大慌てで迎えに来た。翌日の礼拝は妻に酷く叱られたらしく、シュンとしていた。
「余命6カ月」と宣告されて6年目に「6年生きてるぞ、牧師、俺がくたばったら頼むぞ」と私の家に上がり込んで話して言った。
その後、東京の事務所で仕事をするのが難しくなり、自宅に司法書士事務所を開設した。がんが転移して壮絶なガンの痛みと闘いながら、借金で人生を破綻した人の弱さに寄り添う仕事を最後までなし続けた。
「余命6カ月」が25年「神の時」に生かされた。歩ける時は聖書研究・祈祷会に夫婦でやってきて、会が盛り上がった。
彼は「分からないことは分からない。信じられないことは信じられない」と率直に発言する。そしてみんなで話し合う。最後には「分かった」と言って顔を輝かして帰る姿に励まされた。
「生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい」(一ペトロ2・2)。この御言葉は、彼が召された次の日曜日に与えられていた御言葉だった。
ガンが転移していくにしたがって信仰が純化していった。「混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい」との御言葉のごとく「混じりけのない霊の乳」をいただき、復活の命の世界につながる希望に生かされた。
「彼の時は余命6カ月」。「人の時は6カ月」、この「人の時」から「神の時」に生かされて25年生かされた。まさに奇跡だ。25年間生きたことが奇跡ではない、「神の時に生かされたこと」が奇跡だ。死の直前まで、人生が破綻した人の痛みに寄り添い、「知恵ある心」(12)をもって生き、召されていった。
主イエスの十字架と復活によって「人の時」が打ち破られて、罪が赦されて、神の時に招き入れられた。この「神の知恵」の内にあって、主の憐みに包まれた時に生かされることが奇跡だ。
身体はやせ衰えて行く。しかし、平安で包まれていた。「お風呂に入れた時に乳飲み子のように妻の支えの中で気持ちよさそうに浮いていた」と聞かされた。「乳飲み子のように」、復活の主に委ねきる平安に包まれていた。
新しい年の歩みは、社会が、私たちの生活が不安や恐れに包まれる状況にあっても、「神の時」に生かされる希望に満ちた歩みだ。
戦後の佐世保に繰り広げられた奉仕と伝道のわざ
ワールドミッションと光の子福祉会と東部伝道所
佐世保東部伝道所牧師 末瀬昌和
いろいろ問題を抱えながらも、戦後の佐世保の町はアメリカ海軍の佐世保基地とともに歩んできたといえるでしょう。1950年代に、休戦協定が結ばれて朝鮮戦争が一応の終結を見るとともに、町には帰還したアメリカ軍兵士があふれました。同時に、日本女性との間に子供がたくさん生まれたのです。
この状況を知ったアメリカの「ワールドミッション・トゥ・チルドレン」という宣教団体が、この子どもたちの養育とキリスト教伝道のために、宣教師を派遣してきました。
この活動は2001年まで続けられ、約100人に及ぶ子供たちを引き取って養育し、成人前に多くはアメリカの家庭に養子として送り出されました。また佐世保はもとより、周辺の町々、さらに佐賀、唐津、長崎などに伝道を展開し、教会を生み出しました。
ワールドミッションの母体となったアメリカの教会は、いわゆる福音派といわれるプロテスタント教会でした。日本基督教団などのNCC関係の教会とは一線を画し、独自の教会活動を繰り広げたのです。
やがて、子供たちも成長し、また日本社会も落ち着いてくるとともに、活動は徐々に縮小され、20年前に全活動を停止するに至りました。
今から50年近く前、ワールドミッションの成果の一つ、早岐キリスト福音教会の牧師であった河野敬一は、近くのパン工場でアルバイトをして資金を蓄え、自宅を購入して保育園を開きました。何か社会のニーズにこたえる道はないか、と模索を重ねたうえでの決断でした。ちょうど時は、第2次ベビーブーム下でした。
数年たったある夏休み、河野がアルバイトをしたあのパン工場の駐車場で、かくれんぼをしていた小学生たちが、逃げ込んだパンの配送車の中で熱死するという痛ましい事件が起こりました。あいにくその小学生は当保育園の卒園生でした。河野は、すぐに園の一角で学童保育を始めました。
1994年には学校法人を設立して幼稚園を、1997年には老人問題が次の大きな課題となることを見越して、ケアハウスを始めました。こうして今では乳児保育園から学童クラブ、認定こども園、ケアハウス、特別養護老人ホーム、グループホームなどを運営するようになりました。いずれも、町の人たちのニーズを聞いた結果です。
2018年5月の九州教区総会において、佐世保東部伝道所開設の議案が、全会一致で可決されました。これら信仰の証しとして続けられてきた社会福祉法人、学校法人の伝統を継承し、次の時代を担う人材を育てることが目的です。併せて佐世保市には教団の教会は2つありますが、いずれも旧市街に位置し、郊外地である当早岐地区には教会はありません。地域に立つ第3のローカルチャーチとして、地域に福音の種をまくことです。
ドイツを中心とした世界宣教団体「連帯福音宣教会」(EMS)の2年ごとの総会が11月12〜14日、オンライン会議で行われた。参加者はドイツの各州教会の代表者、アフリカ中近東、東南アジア、極東の代議員、バーゼルミッション(スイス)、ドイツ東亜ミッション(DOAM)などで70名程の会議となった。教団からの代議員として秋山が自宅から参加した。
会の始めに、セクシャルハラスメント防止のための行動規範が制定され、それに基づいてこの会議のためにオンブス・パーソンが2名決められた。
EMSの会合では期間中、基調講演や聖書の分かち合いの時が設けられている。今回はルカによる福音書4・18〜19を読み、それぞれが受け取ったこと、また参加者がおかれた状況、特にコロナ禍をどう受け止めているかについて分かち合った。
今総会の最大のテーマは、全世界に広がるコロナ禍にEMSはどのように対応し、福音宣教の連帯の働きを保持し継続させるかをめぐってであった。まず、オンライン会議の決議を公式なものとすることが出来るようにする規則改定案を決議した。更に、18・19年度の会計報告と21・22年度予算案と人材配置案、会費割り当てについての審議が行われた。EMSの主要な財政は、ドイツの州教会からの会費と募金に負うところが大きいが、教会税に依存するドイツ各州教会はコロナ禍により、収入の大幅な減収が見込まれる。人件費や運営費の大幅削減を図らなければならないという現実に直面しており、機構の改訂や他の団体との連携・合同などが必要になる。
このほか、EMSの向こう5年間の活動計画〝自由な将来に向かうために〟について、などの審議や、新規加入申し込みのあった北インド教会と、西スラウェシ福音教会(GKSB)の客員会員加入を承認した。
EMSは、現代世界から求められる宣教課題を、気候変動に対応するエコロジカルな持続性の確保、コロナ禍によって生じる経済的・社会的格差の広がり、民族、宗教間の紛争、国際関係の分極化に抗して経済的・社会的な公平性、安定性を確保することとし、特に、権力を持たない貧しい人々、周縁に押しやられている人々の権利を守るための援助活動に取り組むことに力を注いでいる。(秋山 徹報)
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