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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4971・72号】148回神奈川教区総会報告(2面)

2022年4月23日

教師検定試験「不当とまでは言えない」ことを確認

 第148回神奈川教区総会は、2022年2月26日、清水ヶ丘教会を会場に開催された。コロナ禍の中、特にオミクロン株による感染者増加状況の中で、教区常置委員会は開会礼拝及び組織会の後、按手礼執行に関する件のみを上程し、他の議案は書面決済による決議とすることを決断した。
 神奈川教区では准允、按手礼執行に関し、総会における丁寧な質疑の後に執行して来た歴史がある。そこで今回も、この伝統を踏まえ、按手礼執行は総会において、従来の手続きを踏襲して行われることとなった。また当日は会場教会担当者と感染予防対策を協議し総会に臨み、小林美恵子教師(横浜上倉田)司式のもと開会礼拝を行い、その後組織会に入り、出席正議員108名(定足数77名)で総会は成立した。
 副議長による「神奈川教区形成基本方針」朗読の後、議長は議案第1号「正教師の按手礼執行に関する件」を上程し、受領志願者である、川嶋章弘教師(横浜指路)、田中尚美教師(清水ヶ丘)、川浦弥生教師(林間つきみ野)の3名を議場に紹介し、3名の教師は誠実に所信を表明し、質問に答えた。
 その後の質疑を経て、3名共賛成多数で承認されたがその際、議長は「この3名の志願者が合格した教師検定試験が、神奈川教区から見て、不当とまでは言えないと思われる方は挙手を」と述べ、採決に先立ち議場の意思を確認した。
 そして議長の司式によって按手礼式は執行され、川浦教師の祝祷をもって終了し、藤掛順一議員(横浜指路)による感謝の祈りが捧げられた。その後議長は改めて3名の教師及び教会の方々を紹介し、議場は拍手でそれに応えた。
 続いて議案第2号「2022年度神奈川教区形成基本方針案および活動計画に関する件」、議案第3号「2022年度神奈川教区予算案および各教会負担金割当案に関する件」、議案第4号「第148回神奈川教区定期総会議事録承認に関する件」を書面決議とすることが述べられ、副議長による会場教会への謝辞と祈祷をもって総会は閉会した。

(古谷正仁報)

 

ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのが見えた。この弟子は、あの夕食のとき、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、裏切るのはだれですか」と言った人である。 ペトロは彼を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。 イエスは言われた。「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。」 それで、この弟子は死なないといううわさが兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスは、彼は死なないと言われたのではない。ただ、「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか」と言われたのである。
これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。
イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。

確かな約束 松下道成
コリントの信徒への手紙一13章13節


Mさんのこと

 Mさんのことから、主の復活のメッセージを語りたい。その年の棕櫚の主日の礼拝にMさんは歩いて来ることは出来ず、車椅子で来られた。「辛いようでしたら、無理なさらないで下さい」とお伝えすると「いえ、来週も、再来週も来るつもりですが」と、そんなことは当たり前ではないかという雰囲気で答えられた。

 礼拝、聖書研究や祈祷会に欠かさず出席し、30年近く教会役員をされた。教会員を訪問し、障がいのある子どもの送迎ボランティアもされていた。企業の退職後、特別養護施設の施設長を何年もされた。

 辛そうなMさんに何人もが声をかけられていた。教会の方が付き添い、抱えて階段を上り、家に送り届けてくれた。翌日、家にうかがった時には、もうずいぶん弱っておられ、最期の時であることは分かった。しかし、牧師が来ましたよと声をかけると、嬉しそうだった。一緒に讃美歌を歌い、お祈りをし、また讃美歌を歌う。もう話すことも出来ないその状況の中で、口はアーメンと動かし、そして驚くことに愛唱讃美歌の一節に口を動かし歌われた。こんなことがあるのかと驚かされた。そして、集まった家族一人一人に、体をさすられ、見守られ、そして上を見上げつつ、静かに、静かに神様の御許へと帰られた。そして私たちは「復活の時、また再会しましょう」、そう約束した。

信仰の奥義
 人は誰でも死ぬ。死に恐れおののき、寂しさにいたたまれない思いをする。そして残された者は、愛する者と一緒に死ぬことは許されず、残酷なことだが、この世をそれでも生きていかなければならない。

 Mさんは全てを知っていたようで、「この年のどこかでさよならです」と言われた。そして「キリスト教の本質を知ったんだよ、キリスト教がわかったんだよ」と語られた。それは、御子がこの世に来られたこと、十字架につかれたこと、復活されたこと。弱さの中に、人にとっての大切なこと、真の命が示されるのだろうか。それは信仰の奥義であり、それは「救われ、神の恵みを知る者とされる」こと。

信仰と希望と愛
「それゆえ、信仰と希望と愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは愛である」、Mさんが好きな聖句。

《信仰》
 残酷の極みである十字架。しかしこの十字架を通して神の救いは、具体的に、我々の現実の世界へと移される。十字架は、神が不在だと思われるところに立てられ、さらにこの衝撃的な出来事の第一の原因は「わたし」である。故にその十字架を礼拝することは、この世の現実を、我々がイエスの死を具体的に身に負って生きること。十字架は単なるシンボルではない。神が御自身を、私のために、あなたのために差し出して下さったこと。それはイエス・キリストがこの苦しみに突入してきて、同じようにこの痛みをもがき、うめき、共に苦しまれること。人は完全ではなく、誰も痛み悲しみを負わずに生きることはできない。それが土の器の人間であり、被造物だということ。しかし、そのような空しい者が御子の十字架を通して、希望を与えられる。それは生きていくための約束、真に生きることにおける役割。人は、これがなければ本当に生きていくことはできない。だから十字架は、人の力や思いを遥かに超えた、神の創造の恵みに結びついている。だからキリストの死に合わせられることは、キリストの復活に合わせられること。だから我々は、生きる希望を持つ。

《希望》
 それは単なるまやかしや現実逃避ではない。それは確かに我々に、信じがたいことが起こったのだということを自覚させる。人はいわば二つの世界に生きている。人は何が善で、何が尊いのかを知っているし、願い求めている。しかし、人間はやはり、残酷な現実に生きている。貧困と暴力と悪意と、病と差別が支配する。しかし使徒パウロは四方から苦しめられる世界に生きると同時に、見えない神の国に生きている。そしてこの見えない世界から、目に見える世界の苦難に打ち勝つ力を得ている。それは、あらゆる困難と苦しみにあって、神を思い、他者を大切にする心を持つこと、忍耐をもって歩み寄ることを続けること。人はこの目に見える世界で、目に見えない世界と共に、必ず生きていける。復活は、キリストがどうよみがえったのかを科学的に証明する話ではなく、この喜ばしい知らせに触れた私たちがどう生きるのかという問題だ。復活の主は今も生きておられる。それを信じるならば、Mさんは、主が私の内に生きて下さるように、私の中に生きている。だから我々はまだしなければならないことがある。それは「それでもまた人を愛していく」こと。たとえ、あなたが絶望の中にあっても、この希望を決して失うことはない。それが、主はよみがえられたということの本質。

《愛》
 人に愛されることを知り、そしてそれでも人を愛そうとしたMさんは実に満足そうだった。人は人生で、いろいろな人との出会いを与えられ、その中で神の愛を垣間見、教えられていくのだと、伝えてくれた。Mさんは「社会福祉の意味を再認識させられました。イエスは裏通りの、健康でなく、汚れた者が置かれている部分に入っていかれました。イエスの救いは、我々の習慣・決まり・常識を破った行為です。我々が持つ弱い者という認識は危険です。そこには、自分は強い者であるというおごりがあり、その気持ちは相手にすぐに伝わります」と言っていた。

伝えられ約束すること
 決して完全ではない我々、いやむしろ欠け多い土の器に過ぎない我々。しかし、神はその恵みの奥義を通して、つまりキリストの十字架と復活の信仰と希望を通して、その土の器に神の愛を注いで下さる。多くの人の交わりを通して、神の愛は、Mさんになみなみと、あふれんばかりに注がれた。そして「救われ、神の恵みを知る者」とされた。
 だから、Mさんが伝えてくれた信仰の奥義は、また、我々を通して隣人に受け継がれ、確かな希望として永遠に残り続ける。だから、私たちはまた約束する。「復活の時、また再会しましょう」と。(洛陽教会牧師)


それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。
コリントの信徒への手紙一13章13節

2022年4月22日

食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。 二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。 三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。 はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」 ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。

2面の宣教委員会 2段5行目「5月」を「4月」に、
3面の教区総会開催予定、中部教区日程「5/2」を「5/24」にお詫びして訂正いたします。

 

 

 

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