インスタグラムアイコンツイッターアイコンyoutubeアイコンメールアイコン
日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
calendar

エゼキエル書34・1~10

2023年7月3日

主の言葉がわたしに臨んだ。 「人の子よ、イスラエルの牧者たちに対して預言し、牧者である彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。災いだ、自分自身を養うイスラエルの牧者たちは。牧者は群れを養うべきではないか。 お前たちは乳を飲み、羊毛を身にまとい、肥えた動物を屠るが、群れを養おうとはしない。 お前たちは弱いものを強めず、病めるものをいやさず、傷ついたものを包んでやらなかった。また、追われたものを連れ戻さず、失われたものを探し求めず、かえって力ずくで、苛酷に群れを支配した。 彼らは飼う者がいないので散らされ、あらゆる野の獣の餌食となり、ちりぢりになった。 わたしの群れは、すべての山、すべての高い丘の上で迷う。また、わたしの群れは地の全面に散らされ、だれひとり、探す者もなく、尋ね求める者もない。 それゆえ、牧者たちよ。主の言葉を聞け。 わたしは生きている、と主なる神は言われる。まことに、わたしの群れは略奪にさらされ、わたしの群れは牧者がいないため、あらゆる野の獣の餌食になろうとしているのに、わたしの牧者たちは群れを探しもしない。牧者は群れを養わず、自分自身を養っている。それゆえ牧者たちよ、主の言葉を聞け。 主なる神はこう言われる。見よ、わたしは牧者たちに立ち向かう。わたしの群れを彼らの手から求め、彼らに群れを飼うことをやめさせる。牧者たちが、自分自身を養うことはもはやできない。わたしが彼らの口から群れを救い出し、彼らの餌食にはさせないからだ。

2023年7月2日

 そこで、ペトロは事の次第を順序正しく説明し始めた。 「わたしがヤッファの町にいて祈っていると、我を忘れたようになって幻を見ました。大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、天からわたしのところまで下りて来たのです。 その中をよく見ると、地上の獣、野獣、這うもの、空の鳥などが入っていました。 そして、『ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい』と言う声を聞きましたが、 わたしは言いました。『主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は口にしたことがありません。』 すると、『神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない』と、再び天から声が返って来ました。 こういうことが三度あって、また全部の物が天に引き上げられてしまいました。 そのとき、カイサリアからわたしのところに差し向けられた三人の人が、わたしたちのいた家に到着しました。 すると、“霊”がわたしに、『ためらわないで一緒に行きなさい』と言われました。ここにいる六人の兄弟も一緒に来て、わたしたちはその人の家に入ったのです。 彼は、自分の家に天使が立っているのを見たこと、また、その天使が、こう告げたことを話してくれました。『ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。 あなたと家族の者すべてを救う言葉をあなたに話してくれる。』

2023年7月1日

友として
――部落解放祈りの日に寄せて――

  さて、ペトロは相当の日々をヤッファにある革なめし職人シモンのもとに滞在したのであった。
(使徒言行録9章43節[私訳])

 冒頭の引用はペトロがタビタという女性弟子を甦らせた死者蘇生の奇跡物語(使徒言行録9章36−43節)を締め括る描写です。ペトロが奇跡を行った後に向かったのは皮なめし職人シモンの家でした。古代ユダヤ世界では「皮なめし」は動物の死と血に触れることや悪臭を放つことを理由に穢れた職業として差別の対象とされていました。時代や文化は異なりますが、ここには被差別部落の伝統的職業に対する差別と通底する問題があることに気づかされます(栗林輝夫)。ペトロがシモンのもとに滞在した期間を新共同訳聖書や協会共同訳聖書は「しばらくの間」と訳していますが、正確には私訳に示したように「相当の日々」ですので、長期間ペトロがシモンの家で過ごしたことがうかがわれます。つまり、ペトロが「相当の日々」をシモンの家で過ごしたという描写からは、ペトロとシモンが友としてゆっくり一緒に過ごしていた様子が浮かんでくるのです。7月9日に「部落解放祈りの日」を迎えます。ペトロとシモンのように、友として出会い、友として一緒に歩んでいくことによって、身近な生活から部落解放を求め続けていきたいのです。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任、デザイン宗利淳一

我々の捕囚の第十二年十月五日に、エルサレムから逃れた者がわたしのもとに来て言った。「都は陥落した」と。 その逃れた者が来る前の晩、主の手がわたしの上に置かれ、翌朝、彼がわたしのもとに来る前に、主はわたしの口を開かれた。口が開かれて、わたしはもはや黙していなかった。
 主の言葉がわたしに臨んで言った。 「人の子よ、イスラエルの土地のこれらの廃虚に住む者は言っている。『アブラハムはただひとりのとき、この土地を所有していた。我々の数は多い。我々にこの土地は所有として与えられている』と。 それゆえ、彼らに言いなさい。主なる神はこう言われる。お前たちは血のついたまま肉を食べ、偶像に向かって目を上げ、人の血を流している。それでも、お前たちはこの土地を所有できるのか。 お前たちは剣を頼みとし、忌まわしいことを行い、おのおの隣人の妻を犯している。それでも、お前たちはこの土地を所有できるのか。
 それゆえ、彼らにこう言いなさい。主なる神はこう言われる。わたしは生きている。廃虚にいる者たちは必ず剣に倒れる。野にいる者はすべて、獣に餌食として与え、砦と洞穴にいる者たちは疫病によって死ぬ。 わたしはこの土地を荒れ地とし、荒廃した土地とする。この土地が誇った力はうせ、イスラエルの山々は荒れ果て、そこを通る者はなくなる。 彼らが行ったすべての忌まわしいことのゆえに、わたしがこの土地を荒れ地とし、荒廃した地にするとき、彼らはわたしが主であることを知るようになる。
 人の子よ、あなたの同胞は城壁の傍らや家の戸口に立ってあなたのことを語り、互いに語り合っている。『さあ、行って、どんな言葉が主から出るのか、聞こうではないか』と。 そして、彼らはあなたのもとに来る。民は来て、あなたの前に座り、あなたの言葉を聞きはするが、それを行いはしない。彼らは口では好意を示すが、心は利益に向かっている。 見よ、あなたは彼らにとって、楽器にあわせて美しい声でうたうみだらな歌の歌い手のようだ。彼らはあなたの語ることを聞くが、それを行いはしない。 しかし、そのことが起こるとき――見よ、それは近づいている――彼らは自分たちの中に預言者がいたことを知るようになる。」

「命どぅ宝~人の世に熱あれ」

聖書個所:心の底から新たにされて、
エフェソの信徒への手紙4章23節
 動画はこちらから

日本基督教団 近江平安教会
牧師 鳥井新平

 滋賀県野洲市にあります近江平安教会の鳥井新平です。牧師になって2年目の新米です。
 私にはいくつかへんな癖があって、座右の書には自分で古着をリサイクルしてブックカバーを作るのです。この本は大事!!と思った本を、身近において愛読するために、手縫いのカバーで包むのです。
 最新作がこちらです。『日本におけるキリスト教フェミニスト運動史 1970年から2022年まで』富坂キリスト教センター[]。新教出版から最近出された本です。
 歴史それからキリスト教、フェミニスト、あらゆるこう人権に繋がるひとつの大きな仕事をされたなと思いました。 
 この中にある高里鈴代(たかざとすずよ)さんの「沖縄におけるキリスト者フェミニズムの視点」という文章を読んでいて、歌が1つ生まれました。少し歌ってみます。

 沖縄は ウチナー  ウチナーは琉球  海の中の架け橋  命のうたきこえる
♪♪軍は人を守らず 国は戦で亡ぶ 富は常に偏り 石は叫び続ける

 また一つ。心の底から新たにされる本の誕生をよろこびたいと思います。

 もう一つ、私の座右の書・手縫いブックカバーの1冊を紹介させていただくと、これです。
 栗林輝夫著『荊冠の神学 被差別部落解放とキリスト者』1991年 新教出版です。
 日本基督教団は教憲・教規の中に部落解放方針をもっています。私が一番好きな条文は

 4 部落外、被差別部落の両者が共に部落差別問題を担う という言葉です。

 私の叔父さんは、部落差別を加害者としてしまった後、精神に変調をきたし、40年間精神病院の閉鎖病棟の中でその一生を終えました。
 差別は人を殺します。差別された者も、差別する側も魂が殺されていく行為-それが差別だと思います。

 7月第二主日には「部落解放祈りの日」があります。これは、19757月の常議委員会で、部落解放の働きを正式にスタートさせたことを覚えて、制定されました。
 キリスト者だから差別をしないのではなく、教会だから差別がないのではなく、一般社会と同じように差別もあり、そしてキリスト者が差別をしてきた事例がたくさんあり、そのことが追及されたのでした。
 その当時それにあたった教団の副議長であった小野一郎牧師、そしてその運動を組織のないところから担っていた東岡山治牧師。90を超えてお二人とも先日天に召されました。
 私は30年ほど前、教団の部落解放センターの協力宣教師であったパトリシア・スピアさんのお家を尋ねました。アメリカ人の彼女の家には「心の底から新たにされて」とエフェソ書の言葉、毛筆の書が額装されて、掲示されていました。
 私はパウロさんあるいは、パウロを名乗る者がいうように情欲から遠ざかり、正しく清い生活のみが「心の底から新たにされる」唯一の道だとは思いません。差別や貧困や戦争に真摯に向き合い、闘い抜く中で「心の底から新たにされる」のではないかと考えています。それは、イエスが「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」と言っている言葉に通じます。

 海を超え、時を超え、壁を超えて、心の底から新たにされる人生を共にあゆみたいと願います。

 


*鳥井新平先生の歌をもっと聴きたい方はこちらもご視聴ください。 

PageTOP
日本基督教団 
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18-31
Copyright (c) 2007-2025
The United Church of Christ in Japan