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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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ヘブライ人への手紙12・3~13

2026年8月2日
あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。
あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。また、子供たちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。
「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。
主から懲らしめられても、
力を落としてはいけない。
なぜなら、主は愛する者を鍛え、
子として受け入れる者を皆、
鞭打たれるからである。」
あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。もしだれもが受ける鍛錬を受けていないとすれば、それこそ、あなたがたは庶子であって、実の子ではありません。更にまた、わたしたちには、鍛えてくれる肉の父があり、その父を尊敬していました。それなら、なおさら、霊の父に服従して生きるのが当然ではないでしょうか。肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。
だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい。また、足の不自由な人が踏み外すことなく、むしろいやされるように、自分の足でまっすぐな道を歩きなさい。
2026年8月1日

 

戦争責任の所在
――自己責任論と自己正当化の否定――

   41そして、彼〔=イエス〕が〔エルサレムに〕近づいたとき、彼はかの都を見て、それ〔=その都〕について悼んで42言った、「もしかの日にあなたが平和へと至る事柄を認識していたならば。だが、今それ〔=平和〕はあなたの目から隠された。43なぜなら、〔戦争の〕日々があなたの上に到来し、あなたの敵たちは砦柵(さいさく)をあなたに向けて巡らすように築き、あなたを包囲し、あなたをあらゆる方向から攻囲するようになるからである。44そして、彼らはあなたとあなたのなかにいるあなたの子らを地に打ち倒し、あなたのなかにあるひとつの石さえも〔ほかの〕石の上に残しておくことはないであろう。それはあなたがあなたの査察の時宜(とき)を認識しなかったからである」。

(ルカによる福音書19章41−44節[私訳])

 冒頭に引用したのは、エルサレムに入城したイエスがそれまで遠目に見えていたエルサレムの都を間近ではっきりと見たときに、将来エルサレムの都が廃墟と化してしまう運命を予見し、哀悼の言葉を発する場面です。聖書学の常識的判断では、これはイエスが実際に発した言葉ではなく、紀元70年のエルサレム崩壊を知るルカの視点から描かれていると見なされます。しかし、イエスが実際にエルサレムを訪れたときに、エルサレムから平和(構造的平和/積極的平和)が失われたことをイエスが嘆いたことくらいはあったと想定することも許されるのではないでしょうか。そのように考えると、この物語の背後には実際にイエスの発した言葉が核として残されており、その伝承(ルカ特殊資料)を知ったルカが自らの視点によって新たに物語化したと考えることも不可能ではないと思うのです。
 41節は物語の導入のための場面設定であり、42−44節がエルサレムの滅亡を悼むイエスの言葉として綴られています。42節でイエスがエルサレムに向かって「あなたが平和へと至る事柄を認識していたならば」と述べ、「今それ〔=平和〕はあなたの目から隠された」と重ねて強調しているのは、エルサレムという名に対するアイロニーが込められています(レオン・モリス)。というのは、ヘブライ語の「エルサレム」(イェルーシャーライーム)は「平和の所有」や「平和の基」を意味すると言われており、したがってイエスが批判しているのは「エルサレム」という名にはっきりと刻まれているはずの「平和(シャーローム)」(構造的平和/積極的平和)がこの都から隠されて見えなくなってしまったからです。このようなエルサレムに対する覚めた視座はイエスに遡るように思えるのです。
 しかし、それに対して43−44節はイエスに帰されるものではなく、42節の核となるイエス伝承から二次的に創作されたものであり、最終的にはルカに帰される内容だと考えられます。この部分は明瞭に70年のエルサレムの崩壊を過去の出来事として想起しつつ、そこにルカの視点からイエスを受け入れなかったエルサレムに対する裁き(審判預言)が語られているからです。ここでルカが未来の預言としてイエスに語らせているのは第一次ユダヤ戦争においてローマ軍によって壊滅させられたエルサレムとそこに暮らすエルサレムの民(「あなたの子ら」)が実際に被った凄惨な戦禍です。43節でルカが「砦柵(さいさく)をあなたに向けて巡らすように築き」「あなたを包囲し」「あなたをあらゆる方向から攻囲する」と三度繰り返し述べているのは、ローマの軍事的な包囲戦によるエルサレムの危機を預言者的な筆致によってほのめかしているものです(ハンス・クライン)。その戦禍の悲惨さは「彼らはあなたとあなたのなかにいるあなたの子らを地に打ち倒し、あなたのなかにあるひとつの石さえも〔ほかの〕石の上に残しておくことはないであろう」と言われるほどに壊滅的なものだったのです。
 このようにルカが預言者的な筆致によって描いているのは戦争の現実であることは確かです。しかし、ここに落とし穴があります。このようなルカの思想を肯定してしまうことが戦争の被害を被害者側に自己責任として押しつけ、戦争の正当化につながってしまうからです。そのことを如実に示しているのが44節の「それはあなたがあなたの査察の時宜(とき)を認識しなかったからである」という締め括りの言葉です。私訳で「査察」(田川建三訳、岩波訳=佐藤研訳)と訳したἐπισκοπή(エピスコペー)は、代表的な日本語訳聖書では「おとずれ/訪れ」(口語訳、新共同訳、新改訳2017、協会共同訳)と訳されていますが、これは「司教/監督」などと訳されるἐπίσκοπος(エピスコポス)と同根の名詞であり、「監督」という訳語からもうかがわれるように、「監視」「監察」「観察」「検討」などを意味します。したがって、英訳聖書の多くも「来訪/訪問」(coming/visit)ではなく、「視察」(visitation)と訳しています(KJV、RSV、NKJV、NRSV)。つまり、単に神やイエスが「来訪/訪問」すると言っているのではなく、イエスないし神による査察の結果、イエスを拒んだエルサレムに神罰が下り、エルサレムは崩壊したとルカは宣告しているということです。しかし、これはローマ軍によって壊滅させられたエルサレムに対して、戦争による被害を加害者側にではなく、被害者側に自己責任として押しつけ、侵略を正当化する論法でしかありません。
 現代世界で「査察」と聞くと、IAEA(国際原子力機関)によるイラン査察がすぐに思い浮かびますが、これまで核開発を好き勝手に行ってきた核を保有する側が核を持たない側に向かって、査察の受け入れの是非によって、また査察の結果として、経済制裁を加えるだけでは飽き足らず、戦争を仕掛けて、多大な被害を与えても、それを被害者側の自己責任だとうそぶくのも同じ構図です。そして、この構図はイランの核施設の攻撃にさいして「広島や長崎の例は使いたくないが、本質的に同じことがあの戦争を終わらせた」と発言したアメリカのトランプ大統領の発想にも典型的に現れています。言うことを聞かないイランが悪い、だから侵略しても構わない、アジア・太平洋地域を侵略した日本が悪い、だから原爆投下は正しいとはならないのです。なぜなら、このような発想は被害者側に被害を自己責任として押しつけるものであると同時に、自己正当化でもあるからです。
 もっとも、同様の問題は日本の侵略戦争をアジアの解放のためのものであったする日本の加害者性を認めない発想にも立ち現れています。このような日本の現状を思うと、わたしたちは日本がかつてアジア・太平洋地域を侵略し、アジア太平洋戦争という取り返しのつかない事態を引き起こした戦争責任を率直に認め、日本の侵略戦争をアジア・太平洋地域に改めて謝罪したいのです。そして、そのうえで広島と長崎の原爆の被害、沖縄戦の被害、日本各地の空襲の被害に思いを馳せたいのです。2026年8月に戦争責任の所在を改めて認め、新たな気持ちで平和な世界を求めます。

(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任、デザイン/宗利淳一)

 ※2026年7月28日の熊本地震に当たり、教団・教区の取り組みに協力したいと思います。

あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え、あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って、主に仕えなさい。もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」
民は答えた。
「主を捨てて、ほかの神々に仕えることなど、するはずがありません。わたしたちの神、主は、わたしたちとわたしたちの先祖を、奴隷にされていたエジプトの国から導き上り、わたしたちの目の前で数々の大きな奇跡を行い、わたしたちの行く先々で、またわたしたちが通って来たすべての民の中で、わたしたちを守ってくださった方です。主はまた、この土地に住んでいたアモリ人をはじめ、すべての民をわたしたちのために追い払ってくださいました。わたしたちも主に仕えます。この方こそ、わたしたちの神です。」
ヨシュアはしかし、民に言った。
「あなたたちは主に仕えることができないであろう。この方は聖なる神であり、熱情の神であって、あなたたちの背きと罪をお赦しにならないからである。もし、あなたたちが主を捨てて外国の神々に仕えるなら、あなたたちを幸せにした後でも、一転して災いをくだし、あなたたちを滅ぼし尽くされる。」
民がヨシュアに、「いいえ、わたしたちは主を礼拝します」と言うと、ヨシュアは民に言った。
「あなたたちが主を選び、主に仕えるということの証人はあなたたち自身である。」
彼らが、「そのとおり、わたしたちが証人です」と答えると、「それではあなたたちのもとにある外国の神々を取り除き、イスラエルの神、主に心を傾けなさい」と勧めた。
民はヨシュアに答えた。
「わたしたちの神、主にわたしたちは仕え、その声に聞き従います。」
その日、ヨシュアはシケムで民と契約を結び、彼らのために掟と法とを定めた。ヨシュアは、これらの言葉を神の教えの書に記し、次いで、大きな石を取り、主の聖所にあるテレビンの木のもとに立て、民全員に告げた。
「見よ、この石がわたしたちに対して証拠となる。この石は、わたしたちに語られた主の仰せをことごとく聞いているからである。この石は、あなたたちが神を欺くことのないように、あなたたちに対して証拠となる。」
ヨシュアはこうして、民をそれぞれの嗣業の土地に送り出した。
2026年7月31日

ヨシュアは、イスラエルの全部族をシケムに集め、イスラエルの長老、長、裁判人、役人を呼び寄せた。彼らが神の御前に進み出ると、ヨシュアは民全員に告げた。
「イスラエルの神、主はこう言われた。
『あなたたちの先祖は、アブラハムとナホルの父テラを含めて、昔ユーフラテス川の向こうに住み、他の神々を拝んでいた。しかし、わたしはあなたたちの先祖アブラハムを川向こうから連れ出してカナン全土を歩かせ、その子孫を増し加えた。彼にイサクを与え、イサクにはヤコブとエサウを与えた。エサウにはセイルの山地を与えたので、彼はそれを得たが、ヤコブとその子たちはエジプトに下って行った。
わたしはモーセとアロンを遣わし、エジプトに災いをくだしたが、それはわたしが彼らの中にくだしたことである。その後、わたしはあなたたちを導き出した。わたしがあなたたちの先祖をエジプトから導き出し、彼らが葦の海に着くころ、エジプト軍は戦車と騎兵を差し向け、後を追って来た。彼らが主に助けを求めて叫ぶと、主はエジプト軍との間を暗闇で隔て、海を彼らに襲いかからせて彼らを覆われた。わたしがエジプトに対して行ったことは、あなたたちがその目で見たとおりである。その後、長い間荒れ野に住んでいたあなたたちを、わたしは、ヨルダン川の向こう側の住民アモリ人の国に導き入れた。彼らは戦ったが、わたしが彼らをあなたたちの手に渡し、あなたたちのために彼らを滅ぼしたので、あなたたちは彼らの国を得た。
その後、モアブの王、ツィポルの子バラクが立ち上がりイスラエルに戦いを挑んだ。彼は使いを送って、ベオルの子バラムを呼び寄せ、あなたたちに呪いをかけようとしたが、わたしがバラムに聞こうとしなかったので、彼はあなたたちを祝福することとなった。わたしはこうして、あなたたちを彼の手から救い出した。
あなたたちがヨルダン川を渡り、エリコに達したとき、エリコの人々をはじめ、アモリ人、ペリジ人、カナン人、ヘト人、ギルガシ人、ヒビ人、エブス人があなたたちに戦いを挑んだが、わたしは彼らをあなたたちの手に渡した。わたしは、恐怖をあなたたちに先立たせ、剣にもよらず、弓にもよらず、彼らと二人のアモリ人の王をあなたたちのために追い払った。わたしは更に、あなたたちが自分で労せずして得た土地、自分で建てたのではない町を与えた。あなたたちはそこに住み、自分で植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑の果実を食べている。』

2026年7月30日
ヨルダン川の西側の山地、シェフェラ、レバノン山のふもとに至る大海の沿岸地方に住むヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の王たちは皆、このことを伝え聞くと、集結してヨシュアの率いるイスラエルと一致して戦おうとした。
ところがギブオンの住民は、ヨシュアがエリコとアイに対してしたことを聞き、賢く立ちまわった。彼らは使者を装い、古びた袋、使い古して繕ってあるぶどう酒の革袋をろばに負わせ、継ぎの当たった古靴を履き、着古した外套をまとい、食糧として干からびたぼろぼろのパンを携えた。彼らはギルガルの陣営に来てヨシュアとイスラエル人に、「わたしたちは遠い国から参りました。どうか今、わたしたちと協定を結んでください」と言うと、イスラエル人はそのヒビ人に言った。
「お前たちは、我々と共にここに住んでいるのだろう。どうして協定を結べようか。」
彼らはヨシュアに、「わたしたちはあなたの僕でございます」と言うと、ヨシュアは尋ねた。「あなたたちは何者か、どこから来たのか。」 彼らは言った。「僕どもはあなたの神、主の御名を慕ってはるかな遠い国から参りました。主がエジプトでなさった一切のことも、ヨルダン川の東側のアモリ人の二人の王、すなわちヘシュボンの王シホンとアシュタロトにいたバシャンの王オグになさったことも、ことごとく伝え聞きました。わたしたちの長老はじめ国の住民は皆、わたしたちに、『旅の食糧を手に携え、彼らに会って、わたしたちはあなたたちの僕です、どうか今、わたしたちと協定を結んでくださいと言いなさい』と申しました。御覧ください。これがわたしたちのパンです。ここに来ようと出発した日に、食糧として家から携え出たときにはまだ温かかったのが、今はすっかり干からびてぼろぼろです。このぶどう酒の革袋も酒を詰めたときは真新しかったのですが、御覧ください、破れてしまいました。わたしたちの外套も靴も、はるかな長旅のため、古びてしまいました。」
男たちは彼らの食糧を受け取ったが、主の指示を求めなかった。ヨシュアは彼らと和を講じ、命を保障する協定を結び、共同体の指導者たちもその誓いに加わった。
協定を結んでから三日後、彼らが近くの者で、自分たちのうちに住んでいることを聞くと、イスラエルの人々はそこをたって、三日目に彼らの町ギブオン、ケフィラ、ベエロト、キルヤト・エアリムに着いた。イスラエルの人々は、共同体の指導者たちがイスラエルの神、主にかけて誓いを立てていたので、彼らを攻撃はしなかったが、共同体全体は指導者たちに不平を鳴らした。指導者たちは皆、共同体全体に言った。
「我々はイスラエルの神、主にかけて彼らに誓った。今、彼らに手をつけることはできない。我々のなすべきことはこうである。彼らを生かしておこう。彼らに誓った誓いのゆえに、御怒りが我々に下ることはないだろう。」
指導者たちは続けた。「彼らを生かしておき、共同体全体のために柴刈りと水くみをさせよう。」彼らはこうして、指導者たちの告げたとおりになった。
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