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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4709号】東京教区の拠出は依然条件付き 2010年度教区活動連帯金配分協議会

2010年10月23日

 

2010年度教区活動連帯金配分協議会は、9月14日、教団会議室で開催された。

出席者は、各教区総会議長および財務委員長(東海教区、沖縄教区は欠席)、教団宣教委員長、予算決算委員長、総幹事、財務幹事。加えて今回は常議員会のもとに新たに設置された教区活動連帯金検討委員の陪席も得た。なお、教団伝道委員長は欠席であった。

教区活動連帯金配分検討委員会(以下、「検討委員会」)委員長である疋田國磨呂関東教区議長が議長となり、開会祈祷・挨拶を行い、内藤留幸総幹事の挨拶を受け、協議に入った。

前回記録の承認を巡り、前回同様、東海教区が脱退を表明しているのに記録に欠席者として記載されていることへの疑義が出された。協議会の本来の趣旨に鑑み欠席扱いとすることが確認され、前回記録は承認された。

前回はこの制度のあり方に関して多くの時間を割き、様々な意見が出されたが、今回はこの会に先立って開かれた全国財務委員長会議において協議の時間が設けられたこと、検討委員会が設置されたことなどから、若干の意見交換にとどまった。検討委員会において制度が整えられ機能していくことへの期待感の表れでもあろう。

検討委員会から全教区参加を前提とした2011年度配分案が提示され、各教区がそれについての意思を表明した。

その内容は、西東京教区、中部教区が持ち帰って検討、神奈川教区は拠出額450万円(提示額は495万円)として受け入れる、東京教区は兵庫教区から阪神淡路大震災二次募金の残金が教団に入金されたことを確認次第、喜んで拠出額を受け入れる、その他の教区は原案通り受け入れる、であった。

2010年度の検討委員には北海教区議長、東京教区議長、兵庫教区議長、東中国教区議長が選任された。この検討委員会で先の各教区の意思表明を反映させた形で2011年度配分額を決定することになる。

(柴田もゆる報)

 

第36総会期第6回教育委員会が、9月6日(月)~7日(火)、教団会議室で開催された。

報告事項として、2009年度のクリスマス献金に関して、教会学校応援セットを贈呈した教会への問安報告、2010年のクリスマス献金に関する協議事項、教会教育プログラム策定に関する事項などが挙げられるが、特に台湾基督長老教会との青年交流プロジェクトであるユースミッションについて感謝をもって報告がなされた。

委員会初日の夜、ユースミッションの報告会が同会議室で開催された。本年のユースミッションは、8月10日~23日まで、公募に応えた8名の青年に教育委員1名が引率して台湾を訪れ、台湾基督長老教会が準備した交流プログラムに参加した。参加した青年より多くの出会いと交わりをとおして豊かな恵みを受けたことが報告された。

また今後この交流プログラムの担い方について協議され、他の委員会との連携や青年専門の部門を設けて対応すること等を検討していく必要が確認された。

協議事項として、2010年クリスマス献金に関して協議され2010年クリスマス献金の送り先が、海外の台湾基督長老教会関係の児童施設と、南西ドイツ宣教会を通じてレバノンのシュネラースクールに、国内の栄光園(児童養護施設・大分県別府市)とカナンの園・奥中山学園(児童施設・岩手県一戸町)に決定された。

また教会学校応援セットも継続し、困難な中に教会教育の働きを押し進めようとする教会学校を共に覚えて応援するプログラムを実施する。

2011年度から3ヵ年の教会教育プログラムが決定され、はじめの年度である2011年度の教会教育プログラムが定められた。 新しい教会教育プログラムについて、教師の友編集委員会に黒田若雄委員長が出席して説明と協議の時がもたれ、これに伴う新たな企画が準備されていることが報告された。

第50回キリスト教教育主事認定試験を2011年3月11日に大阪クリスチャンセンターで実施することが決められた。

(山畑謙報)

 

第36総会期第6回伝道委員会が9月13日(月)~14日(火)西中国教区・呉平安教会で開催された。

前日の9月12日(日)には、教団伝道委員会による伝道応援が新たな形で実施され、米倉美佐男委員長が呉平安教会の特別伝道礼拝と伝道懇談を、竹井眞人委員が広島教会の主日礼拝を担当した。今総会期における一つの大きなチャレンジであったと言えよう。

開会礼拝では、岩田昌路委員からマルコ福音書1章21~28節より、キリストの驚くべき力に支えられる伝道について奨めがあった。

議事録承認のあと、業務報告、会計報告、第5回教団常議員会報告、「信徒の友」「こころの友」編集委員会報告、日本基督教団教誨師会運営委員会報告、第41回開拓伝道協議会報告が、各委員、担当幹事よりなされ、承認された。

今回委員会の協議事項は以下のものである。

○2010年度前期分貸出金申請の件では、東海教区の石和教会から申請があり書類審査の後に200万円の貸出が承認された。

プロテスタント日本伝道150年記念小冊子は10月初旬に日本キリスト教団出版局から発行されることが感謝の内に報告された。

伝道アイデアアンケートは、夏の実務作業が遅れていたが、アンケート内容を確定し、すぐに発送作業に入ることになった。回答内容を集計してパンフレットにまとめ、次期総会期の第1回伝道委員会の開催(2月)までに完成させたい。

第8回「農」に関する協議会は、2012年2月に開催することを確認し、開催候補地としては、四国、西中国、西東京の3教区が挙げられた。

前日の伝道応援については、米倉委員長、竹井委員から奉仕内容の報告がなされ、宿泊費のみ委員会負担としたことを確認した。

議事を終えて後、小林克哉牧師(委員)より、会場の呉平安教会の歴史について話を聞いた。さらに米倉委員長の奨励によって、教会員の方々と祈りを合わせる恵みが与えられた。

最後に第36総会期伝道委員会の活動が主に祝福されたことを覚えて心から感謝したい。

(岩田昌路報)

 

10月25日(月)に開催される第36総会期第6回常議員会、10月26日(火)~28日(木)に開催される第37回教団総会の報道の関係上、次号を4710・4711合併号とし、11月6日(土)に、4712号を総会報告号とし、12月4日(土)に発行致します。
総幹事 内藤留幸

 

創世記1章27節

 人間の聖なる像を自覚させる

20数年の牧師生活の中で読んだ本から、忘れ得ない幾つもの言葉をいただいてきましたが、その一つに次のようなものがあります。ユダヤ人思想家A・J・ヘシェルの「人間の聖なる像を自覚させる。おそらくこれが宗教教育における中心的課題であろう」という文章です。(『神と人間のあいだ』教文館、357頁)私は、「宗教教育」という言葉を礼拝とか信仰生活におきかえて、牧会の何よりもの課題を教示してくれる言葉としていつも心に刻んできました。

では、この人間の聖なる像とはどのようなものでしょうか。ヘシェルもそのところでふれていますし、すぐに私たちが思い至るのは、冒頭に掲げた創世記1章27節の御言葉です。いわゆる『神の似姿』と呼ばれるものですが、この内容を私は、創世記1章全体から次のようにとらえてきました。

創世記1章1節は、「初めに神は天地を創造された」と始まります。これは、神はいついかなるときにも創造者であって下さるとのことです。破壊者である人間や、様々な力を越えて、神は創造者であられるとは、何と慰め深いことでしょう。

またこの1章では、ご承知のように神の造られたものは良かったということが繰り返されています。

 

神が私たちに刻んだ聖なる像

こうした御言葉から、神が私たちに刻んだ聖なる像とは、私たちが良いもの・美しいものを創造することのできる力だということができます。ところで、創造性とはおのずと環境や周りの事物に積極的・主体的に係わり、物事を変革してゆくこととして現れます。そこで創世記1章28節では、「従わせよ、支配せよ」との祝福が与えられているのです。

このように聖なる像をとらえる所から、幾つかの洞察や慰め・励ましが与えられます。

まず第一には、この聖なる像は、永遠なる神様に由来する像であり、神様から授かった永遠の宝なのですから、どんなことがあっても損なわれたり喪失されるものではないということです。どこまでも私たち人間の中にあって、その輝きを失うことはないのです。パウロが言うように「このような宝を土の器の中に持っている」のです。

私たちはしばしば土の器たる心身の壊れや破れに左右されます。土の器を取り巻く社会的・経済的な事柄に支配されます。所詮は奴隷なのだ!と嘆きます。しかし私たちは土の器の中に決して損なわれ得ない宝を持っており、これを用い、それこそイエスさまがタラントのたとえ話で言われたように、『商売』をして利益を上げ、人生を新しく良いものに創造してゆけるものなのです。

 

我々でも別の人間になれる

これもまた、忘れることの出来ない文章の一つですが、自らがヒトラーの強制収容所を生き延び、長くアメリカで精神科医として活躍したⅤ・E・フランクルが、ある著作の中で次のようなことを書いていました(『宿命を越えて、自己を越えて』春秋社、12頁以下)。

重罪人ばかりを収容するサン・クエンテイン刑務所で講演したときのこと、囚人はこんな感想をもらしたそうです。「沢山の心理学者や精神科医が来て、あなたがたがこうなったのは、あなたがたのせいではなく、(あなたがた自身ではどうしようもない)過去や子供時代のせいだと言ってくれる」。

それは彼らを慰め力付けるために言うわけですがそういわれると、首に石臼をぶらさげられているかのように彼らは感じます。過去や子供時代に支配されるどうにもならない人生だと烙印を押されているように感じるわけです。

ところがフランクルは違いました。「我々でも、自分の運命を、曲がりなりにも手中におさめることができる。我々でも別の人間になれる、と言ってくれた」。

私はこの文章から、私たち人間がいかなる環境に置かれても、その人生を自らの主体性をもって創造してゆくことがどれほどかけがいのないものかを教えられました。

そしてその源は、私たち自身から来るものではなく神から授かったものだということを、聖書を通して示されました。

 

永遠の宝の誤用は永遠の被害を

さて第二の洞察は次のようなことです。これは第一のことと表裏一体をなす事柄だと言ってよいと思いますが、このような永遠の宝を預かっているとすれば、これをその本来の用途に用いず、誤った使用をしたときには、そこから生じる被害はまことに甚大なものとなるということです。永遠の宝の誤用は永遠の被害をもたらすのです。

創世記3章の物語は、まさに誤用する私たちの姿を描いたものと言うことができます。人類最初の結婚の直後この夫婦は、神から授かった宝を自らが神となり生死を支配し、限界を越えて主人公となることに用いました。それが今日まで私たちに及ぼしている災禍はどれほどのものでしょうか。

2年ほど前JRの駅構内で殺傷事件を起こした青年が、取調官にもらした言葉を新聞の記事から読んだのを忘れることができません。「おれは自由だ、すべてだ」という趣旨のことを語ったそうです。彼の言葉には、神が彼に授けた創造性や支配性がほとばしり出ています。それを何とかして発揮しようとしたうめきを感じます。しかし彼は決定的にそれを誤用したのです!

 

ただお一人の全き似姿

だからこそ第三に、私たちはこの宝を誤用することなく、本来の用途にこれを用いなくてはなりません。神が私たちに刻まれた聖なる像を、本当の意味で取り戻さなくてはなりません。そこに私たちがイエス・キリストとつなげていただく必然性と不可避性があるのです。

イエス・キリストとはどのようなお方でしょう。新約聖書全体が証しするのは、この方こそ、人間の中でただお一人の全き神の似姿であったということです。

初代教会で成立した最も早期の信仰告白の一つとされるピリピ2章6節以下は、次のように始まります。「キリストは神のかたちであられた」(協会訳)と。この「かたち」とは、創世記に言う「似姿」と同じ内容なのか神学的なことは私にはわかりませんが、私は同じ事柄と受け止めます。

キリストはその神の形・似姿を、私共とは正反対に十字架の死に至るまでご自分を空しくし、低くされることで現されました。私はそこにこそ、キリストの創造性があり主体性と支配性の発露があり、美しさまた良さがあると信じるのです。

だからこそ、このお方を信じ、洗礼を授けられてこの方につなげられ、この方の聖をいただくことこそが、私たちにとって聖なる像を回復するただ一つの手段なのだと思います。

(郡山教会牧師)

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