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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【5019号】事務局報(3・4面)

2024年6月22日

平松 潔(隠退教師)

 24年4月21日逝去、84歳。京都府生まれ。64年同志社大学大学院修了、69年より原市新生、新横浜伝道所、五泉、シロアム、大森めぐみ教会を牧会し、15年隠退。遺族は妻・平松洋子さん。

山根芳枝(隠退教師)

 24年4月24日逝去、94歳。島根県生まれ。71年受允、72年受按。71年より京都復興教会を牧会し、00年隠退。遺族は甥・山根康嗣さん。

木ノ脇悦郎(無任所教師)

 24年5月4日逝去、82歳。鹿児島県生まれ。68年関西学院大学大学院修了。同年より御影教会を牧会し、福岡女学院短大、関西学院大学、福岡女学院に15年まで務める。遺族は妻・木ノ脇廣子さん。

神山繁實(隠退教師)

 24年3月27日逝去、88歳。京都府生まれ。64年東京神学大学大学院修了、同年より沖縄キリスト教団宮古教会(現日本基督教団宮古島伝道所)、読谷教会を牧会し、沖縄キリスト教短大に務め、22年隠退。遺族は妻・神山美代子さん。

松島敬三(庄原教会主任担任教師)

 24年5月3日逝去、81歳。広島県生まれ。65年農村伝道神学校卒業。同年より浪江、庄原教会を牧会。遺族は妻・松島照美さん。

田村みや子(隠退教師)

 24年5月8日逝去、94歳。愛知県生まれ。68年関西学院大学大学院修了。同年より東梅田、三軒家伝道所を牧会し、19年隠退。遺族は姪・谷口ゆかりさん。

椿 信子(隠退教師)

 24年5月10日逝去、88歳。東京都生まれ。62年東京神学大学大学院修了。同年より横浜共立学園に務め、福生、武蔵野教会を牧会し、07年隠退。遺族は息・椿建志さん。


正教師登録

飯塚共生

(2024・5・3受按)

井殿 謙

(2024・5・13受按)

大垣友行、小林希恵

(2024・5・20受按)

梅原久美子

(2024・5・21受按)

 補教師登録

大串清子

(2024・4・22受允)

松本直也

(2024・4・30受允)

原田雅子、平松麻那、

松岡孝司

(2024・5・3受允)

金森一雄、草地賢太

(2024・5・6受允)

武田厚子、松井直樹

(2024・5・13受允)

赤岩英里香、徳田恵美奈

(2024・5・18受允)

大仁田空、小松栄子

(2024・5・20受允)

吉野美和、船津光國、

大塚 勁

(2024・5・21受允)


教師異動

ユーカリが丘

就(担)大串清子

八街西就(兼担)大串清子

酒田  辞(主)塚本恭子

米沢  辞(代)原  裕

 〃  就(主)塚本恭子

東北学院大学

辞(教)野村 信

仙台東 辞(主)西澤 献

須磨  就(担)西澤 献

広島府中辞(代)向井希夫

 〃  就(主)大月純子

下関彦島辞(代)加藤俊英

 〃 就(兼主)加藤俊英

小月  辞(代)小畑太作

 〃  就(代)加藤俊英

松永  辞(主)吉武真理

 〃  就(主)湯目瑞枝

名古屋西辞(主)川﨑信二

 〃  辞(担)川﨑理子

 〃  就(主)吉武真理

桜ヶ丘 辞(代)山本修一

 〃  就(主)川﨑信二

 〃  就(担)川﨑理子

沖縄キリスト教学院大学

辞(教)野間光顕

敬和学園高校

就(教)野間光顕

弓町本郷辞(担)尹 相優

兵庫教区辞(教)赤松真希

大牟田正山町

辞(代)筒井省行

 〃  就(主)赤松真希

周船寺就(代)村上満里子

前原  就(代)浅香拓也

杵築  辞(代)竹井真斉

 〃  就(主)金森一雄

三重 辞(代)日下部克彦

 〃  就(主)草地賢太

西都  辞(代)乾 元美

 〃  就(代)張 宇成

東梅田 就(担)松岡孝司

奈良  辞(代)宮川経宣

 〃  就(主)平松麻那

御所  辞(代)兼子洋介

 〃  就(主)原田雅子

埼玉中国語

就(代)田中かおる

千歳船橋辞(担)柳沼大輝

鎌倉雪ノ下

辞(担)中村慎太

 〃  辞(担)川﨑 恵 〃  就(担)柳沼大輝

中村町辞(兼主)小友 聡

 〃  就(主)中村慎太

横須賀学院

辞(教)二瓶淨幸

横浜英和学院

辞(教)磯貝曉成

湯河原 就(担)山﨑正幸

栗平  辞(主)髙橋圭子

 〃  就(主)大澤正芳

仙川  辞(代)大串 眞

 〃  就(主)髙橋圭子

坂出大浜辞(代)尾﨑公明

 〃 就(兼主)田尻真介

阿久根

就(兼主)戸田奈都子

新潟信濃町

辞(主)盛合尊至

 〃 就(代)菊地恵美香

飯田吾妻町

辞(主)守屋彰夫

 〃  辞(担)守屋靖代

 〃  就(主)盛合尊至

聖隷クリストファー大学

辞(教)永井英司

山梨英和大学

就(教)永井英司

板橋大山

就(主)大久保一秋

鶴川  辞(主)瀬戸英治

 〃  就(代)瀬戸英治

桜美林辞(担)村越ちはる

東京神学大学

辞(神)小友 聡

井原 辞(代)阪西恵理子

 〃  就(代)高津 俊

高屋 辞(代)阪西恵理子

 〃  就(代)高津 俊

東京神学大学

就(神)宮嵜 薫

千歳丘 就(担)武田厚子

祖師谷 就(担)松井直樹

京都復興

就(担)赤岩英里香

近江兄弟社中学・高校

就(教)徳田恵美奈

金剛  辞(主)藤井 敏

 〃  就(主)田中牧人

一関  辞(代)松浦裕介

 〃  就(主)吉野美和

秋南  辞(代)田谷元義

 〃  就(主)船津光國

塚口  就(担)大仁田空

西神戸 就(担)小松栄子

日進辞(兼主)田中真希子

南山  就(担)大塚 勁

北陸学院辞(教)楠本史郎

気賀  辞(代)西堀俊和

 〃  就(主)楠本史郎

新居浜梅香

就(代)村上貴志


教師隠退

佐藤幹雄、二瓶淨幸、

山本修一、上田光正


教師改姓

髙橋陽一→加藤陽一


教会解散

日進

 教会種別変更

戸畑

(第一種から第二種へ)

都城城南

(第一種から第二種へ)

忘れないよう「覚える」

 「元気だった?本当によかった。あの時から、こんなにうれしいのは初めてよ」。

 5月12日、輪島教会の駐車場にユニットハウスの仮礼拝堂が整えられました。その場において数名ではありましたが集まることのできた教会員が、互いに抱き合い目に涙し、右記の言葉を交わしておられたのが胸に残ります。小さなユニットハウスではありますが輪島の地に礼拝の場が整えられたこと、新藤豪牧師に安全な寝所が与えられたことに感謝したいと思います。

 しかしです。能登の地はうめいています。今まで派遣されてきた災害と何かが違う。未だに解体の重機の音一つせず、殆どの場所が手つかずなのです。「ここは冷凍保存されているみたい」、「忘れられてるんだな、と感じる」との言葉は、能登の教会の方々から実際に聞いた言葉です。どの災害も同じではなく個性がある。地域差もある。しかしこの能登の災害は、特に意識して忘れないよう「覚える」必要を感じています。そうしないと、彼の地とその痛みが、日本中から、教会から忘れられるような感すらする、回復など望めない現在までの5ヶ月が続いています。七尾教会の釜土達雄師夫妻は「こんなときだからこそ、祈りの手紙が嬉しいのだ」とおっしゃった。直後だけではなく、時を経たからこそ届く便りが、祈られている、忘れられていないとの証になると。

 長らく、この地において忍耐をもって進められてきた能登圏伝道の業を想います。能登に限ることなく、都市部では知ることのない厳しい地方伝道の業をも想います。北陸三圏において唯一のキリスト教学校の北陸学院の働きも、教会付帯の幼稚園の働きも覚えます。

 能登をはじめとする災害の痛みにある地とそこに建つ教会、教会員の生活と信仰のために、すべての教会で祈り続けたいと願います。

(野田 沢報/教団救援対策委員)

先達と同じように

郡中南教会(代務)牧師 堀川 賢二

 19世紀後半から20世紀初頭にかけて、未だ鉄道・道路が整備されていない四国での宣教の業は、海上交通により、港を起点とされることが多いと言われる。伊予郡内での宣教の働きも例に漏れない。1926年5月1日、当時の日本協同基督教会(現・日本アライアンス教団)のT・R・フランシス宣教師と姉のミス・フランシス、大江邦治、緒方繁造両師による、港近くでの八日間に及ぶ天幕伝道から、教会の歴史は始まった。

 集会期間中の5月7日、町内在住の中上悟師によって、郡中南教会が設立された。その後、ようやく1950年8月15日、教会は、信徒から献げられた122坪余りの土地に、念願の会堂・牧師館を建設した。そうして、1985年に、諸事情から現在地を取得し移転するまで、その地での歩みが続いた。

 さて、天幕伝道から3年後、隣の港町である現在の伊予郡松前町(まさきちょう)に新たに教会がたてられた。松山在住のミス・フランシスは翌1930年、そこで特別伝道集会を開催し、二つの教会の協力関係が確立した。その後、1966年まで、常に郡中南、松前両教会のいずれかの牧師が他方を兼任した。そして、朝夕の礼拝を交互に行うなど、二つにして一つの教会として、伝道牧会が行われた。当時の教会の歩みとして特筆すべきは、両教会のこの協力伝道であろう。

 戦後、アライアンス教団の多くの教会が教団を離脱する中、両教会は日本基督教団に留まり、現在もこの地域における教団の宣教の業を担っている。

 郡中南教会が現在地に移転した後、教会員数は次第に減少し、財政的な困難も招くようになった。しかしその後も、1年の例外を除き、2016年まで定住牧師を置くことができた。これは、四国教区の互助制度の、謝儀補助によって支えられたからである。この制度は、「自立連帯献金」という信徒運動によって、60年近く支えられており、今も教区負担金を越える額が献げられる。そのことを思うと、四国の兄弟姉妹の篤い思いに驚きは隠せず、主に対する感謝の思いに満たされる。

 無牧となった教会は、今、定住牧師を置くことを断念するか否かの瀬戸際に立たされている。その状況下で、分区の教会、牧師の支えを受けながら、隣の松前教会と宣教協力の体制に至った。前述のように、この姿勢は教会の揺籃期から数十年近く続いた姿と重なるのである。

 教会は嵐の中の小舟のように様々な課題に翻弄されている。それでも、一桁の出席ではあるが、一週も休むことなく朝の聖日礼拝を継続することができている。そのことを通して、わたしたちは今、改めて御声に耳を傾けている。それは、開拓時代の牧者や兄姉が行ってきたこと。つまり、隣の教会とも協力して、もう一度始めるという御旨である。そうして、遣わされているこの場所に種を蒔き、根を張るために、先達と同じように勇気を持って踏み出す。祈って、何度でも始める。それが郡中南教会に聞かされた御声だと信じます。道を示し、配慮してくださる神に感謝します。

 救世軍への弾圧を、憲兵隊長として指揮した、大谷敬二郎氏の随想録、『にくまれ憲兵』(日本週報社)の中に、「あと味の悪かった救世軍弾圧」という文章が収められている。▼英国の諜報活動を排することに躍起になる陸軍からの懇請がある中、容疑不十分との心証を抱きながらも検挙に踏み切り、救世軍の日本的教団化に関わった流れを詳細に記し、それを自らの歩みの、「たった一つの汚点」と振り返る。▼興味深いのは、「ひたかくしにしておいたことがある」と始まる文末の「付記」だ。そこでは、自身が若い頃、縁続きにあった山室軍平宅を訪ねたことがあり、「山室夫人には、何かと家庭の面倒も見てもらったことがあった」ことを記し、弾圧の際の複雑な感情を告白しつつ、そのことが自らの「汚点」を「いくらかでも薄めてくれるだろう」と結んでいる。▼人間の支配が生み出す混沌とした時代を終えた時、その支配の只中にいた人が自らを省みるに至った背後には、神の愛に生きる信仰者の証があったのではないだろうか。今、世界が混迷を深めつつある中、信教の自由が守られることを願うと共に、自らが神の愛に生かされているのかを顧みたい。

☆教会幼稚園・幼児施設融資金募集☆

 幼稚園・ 幼児施(認定こども園・保育園等の土地拡張、増改築、新築のため、幼稚園・幼児施設融資金2024年度分を次の要領で募集します。なお、2022年に「融資実施要綱」を改定しました。

◎金額 50万円〜300万円

◎返済期限 5年以内 

◎利子 期限内 年 0.5(1%より変更)

    期限後 年 1.0(2%より変更)

 2024年度は総額600万円を貸し出します。教区事務所を通して教団教育委員までお申し込み下さい。締め切りは8月31日です。融資実施要綱、申請書はこちらからダウンロード、または教育委員会まで(電話03-3202-0544)

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