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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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申命記4・1~14

2012年6月26日

4:1 イスラエルよ。今、わたしが教える掟と法を忠実に行いなさい。そうすればあなたたちは命を得、あなたたちの先祖の神、主が与えられる土地に入って、それを得ることができるであろう。
4:2 あなたたちはわたしが命じる言葉に何一つ加えることも、減らすこともしてはならない。わたしが命じるとおりにあなたたちの神、主の戒めを守りなさい。
4:3 あなたたちは、主がバアル・ペオルでなさったことをその目で見たではないか。あなたの神、主はペオルのバアルに従った者をすべてあなたの間から滅ぼされたが、
4:4 あなたたちの神、主につき従ったあなたたちは皆、今日も生きている。
4:5 見よ、わたしがわたしの神、主から命じられたとおり、あなたたちに掟と法を教えたのは、あなたたちがこれから入って行って得る土地でそれを行うためである。
4:6 あなたたちはそれを忠実に守りなさい。そうすれば、諸国の民にあなたたちの知恵と良識が示され、彼らがこれらすべての掟を聞くとき、「この大いなる国民は確かに知恵があり、賢明な民である」と言うであろう。
4:7 いつ呼び求めても、近くにおられる我々の神、主のような神を持つ大いなる国民がどこにあるだろうか。
4:8 またわたしが今日あなたたちに授けるこのすべての律法のように、正しい掟と法を持つ大いなる国民がどこにいるだろうか。
4:9 ただひたすら注意してあなた自身に十分気をつけ、目で見たことを忘れず、生涯心から離すことなく、子や孫たちにも語り伝えなさい。
4:10 あなたがホレブであなたの神、主の御前に立った日、主はわたしに言われた。「民をわたしのもとに集めなさい。わたしの言葉を彼らに聞かせ、彼らが地上に生きる限り、わたしを畏れることを学び、またそれを子らに教えることができるようにしよう。」
4:11 あなたたちが近づいて山のふもとに立つと、山は燃え上がり、火は中天に達し、黒雲と密雲が垂れこめていた。
4:12 主は火の中からあなたたちに語りかけられた。あなたたちは語りかけられる声を聞いたが、声のほかには何の形も見なかった。
4:13 主は契約を告げ示し、あなたたちが行うべきことを命じられた。それが十戒である。主はそれを二枚の石の板に書き記された。
4:14 主はそのとき、あなたたちが渡って行って得ようとしている土地で行うべき掟と法をあなたたちに教えるようにわたしに命じられた。

2012年6月25日

1:1 モーセはイスラエルのすべての人にこれらの言葉を告げた。それは、ヨルダン川の東側にある荒れ野で、一方にパラン、他方にトフェル、ラバン、ハツェロト、ディ・ザハブがあるスフに近いアラバにおいてであった。
1:2 ホレブからセイルの山地を通って、カデシュ・バルネアまでは十一日の道のりである。
1:3 第四十年の第十一の月の一日に、モーセは主が命じられたとおり、すべてのことをイスラエルの人々に告げた。
1:4 モーセがヘシュボンに住むアモリ人の王シホンを撃ち、アシュタロトに住むバシャンの王オグをエドレイで撃った後のことであった。
1:5 モーセは、ヨルダン川の東側にあるモアブ地方で、この律法の説き明かしに当たった。
1:6 我々の神、主はホレブで仰せになった。「あなたたちは既に久しくこの山にとどまっている。
1:7 向きを変えて出発し、アモリ人の山地に行き、更にその近隣地方、すなわちアラバ、山地、シェフェラ、ネゲブ、沿岸地方に行きなさい。更にカナン人の土地、レバノン山、大河ユーフラテスにまで行きなさい。
1:8 見よ、わたしはあなたたちにこの土地を与える。」あなたたちは行って、主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに、彼らとその子孫に与えると誓われた土地を取りなさい。

2012年6月24日

12:18‐19 あなたがたは手で触れることができるものや、燃える火、黒雲、暗闇、暴風、ラッパの音、更に、聞いた人々がこれ以上語ってもらいたくないと願ったような言葉の声に、近づいたのではありません。
12:20 彼らは、「たとえ獣でも、山に触れれば、石を投げつけて殺さなければならない」という命令に耐えられなかったのです。
12:21 また、その様子があまりにも恐ろしいものだったので、モーセすら、「わたしはおびえ、震えている」と言ったほどです。
12:22 しかし、あなたがたが近づいたのは、シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム、無数の天使たちの祝いの集まり、
12:23 天に登録されている長子たちの集会、すべての人の審判者である神、完全なものとされた正しい人たちの霊、
12:24 新しい契約の仲介者イエス、そして、アベルの血よりも立派に語る注がれた血です。
12:25 あなたがたは、語っている方を拒むことのないように気をつけなさい。もし、地上で神の御旨を告げる人を拒む者たちが、罰を逃れられなかったとするなら、天から御旨を告げる方に背を向けるわたしたちは、なおさらそうではありませんか。
12:26 あのときは、その御声が地を揺り動かしましたが、今は次のように約束しておられます。「わたしはもう一度、地だけではなく天をも揺り動かそう。」
12:27 この「もう一度」は、揺り動かされないものが存続するために、揺り動かされるものが、造られたものとして取り除かれることを示しています。
12:28 このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう。
12:29 実に、わたしたちの神は、焼き尽くす火です。

2012年6月23日

24:10 バラクはバラムに対して激しく怒り、手を打ち鳴らしながら、バラムに言った。「敵に呪いをかけるために招いたのに、見よ、お前は三度も祝福した。
24:11 自分の所に逃げ帰るがよい。お前を大いに優遇するつもりでいたが、主がそれを差し止められたのだ。」
24:12 バラムはバラクに言った。「あなたがわたしのもとに遣わした使者に対しても、わたしはこう言ったではありませんか。
24:13 『たとえバラクが、家に満ちる金銀を贈ってくれても、主の言葉に逆らっては、善にしろ悪にしろ、わたしの心のままにすることはできません。わたしは、主が告げられることを告げるだけです』と。
24:14 わたしは今、わたしの民のもとに帰ります。後の日にこの民があなたの民に対して何をするか、あなたに警告しておきます。」
24:15 そして彼はこの託宣を述べた。ベオルの子バラムの言葉。目の澄んだ者の言葉。
24:16 神の仰せを聞き、いと高き神の知識を持ち/全能者のお与えになる幻を見る者/倒れ伏し、目を開かれている者の言葉。
24:17 わたしには彼が見える。しかし、今はいない。彼を仰いでいる。しかし、間近にではない。ひとつの星がヤコブから進み出る。ひとつの笏がイスラエルから立ち上がり/モアブのこめかみを打ち砕き/シェトのすべての子らの頭の頂を砕く。
24:18 エドムはその継ぐべき地となり/敵対するセイルは継ぐべき地となり/イスラエルは力を示す。
24:19 ヤコブから支配する者が出て/残ったものを町から絶やす。
24:20 彼はアマレクを見渡して、この託宣を述べた。アマレクは諸国の民の頭/しかし、その末はとこしえの滅びに至る。
24:21 彼はカイン人を見渡して、この託宣を述べた。お前の住む所は確かであり/お前は巣(ケン)を岩の上に置く。
24:22 しかし、アシュルがお前をとりこにするとき/カインは必ず、焼き滅ぼされる。
24:23 彼はまたこの託宣を述べた。災いだ/北から軍団を組んで来る者よ
24:24 キティムから寄せ来る者よ。彼らはアシュルを苦しめ、エベルを苦しめるが/彼もまた、とこしえの滅びに至る。
24:25 バラムは立ち上がり、自分の所に帰って行った。バラクも自分の道を去って行った。

2012年6月22日

Within Kyodan churches, there is a strong trend in age
distribution towards the elderly, and so within this context,
the issue of “passing on the faith” becomes even more
important. If the present trend continues at the same pace,
within ten years the membership will decline by about half,
and the ability of the church to be in mission will radically
decrease. So what is the solution to this dilemma? How
can we pass on the faith to the next generation? I think that
one effective method is to promote the practice of infant
baptism.
“Passing on the faith” is fundamentally different from
passing on one’s property or money to one’s children. After
all, religious faith is a spiritual and mental thing —an issue
of the heart. One enters the faith by first encountering the
living Christ, placing one’s trust in him as savior, and then
living one’s life in view of that. So it is not something we
can inherit from our parents in the same way we can inherit
property. The only thing that parents can do is to pray for
their child to encounter the Lord Christ through his Word,
and that must not just be through lifting verbal prayers
alone but also through taking practical steps, such as
having that child baptized as a witness towards their future.
From its inception, the rite of baptism has been a spiritual
matter, symbolizing the receiving of eternal life as the
person who has accepted Christ as Savior receives the
blessings of the Triune God: Father, Son, and Holy Spirit.
From ancient times, this has been a solemn ceremony in
which the person confesses his or her sins and receives the
Lord’s forgiveness, and it was something that only persons
who confessed Christ as their Lord and Savior received
within the context of the church. However, when it came
to infant baptism, since small children could not do that
yet of their own accord, parents who had received baptism
themselves and were living a life of faith could stand in
place of their children to confess Christ on their behalf to
become members of the Body of Christ, the Church. This
practice was backed by the doctrine of “prevenient grace.”
Thus, the important and glorious task of raising that
child up to be a person of faith in their own right begins
as the parents, who have had their child baptized, work
together with the church that has received that child into
its fellowship. It is for this reason that the catechism was
developed, to serve as a means of faith education by which
the parents and the church community pray together and
work towards that goal from that child’s infancy. The
catechism is a powerful tool in faith education, and so the
Japanese church and laity need to become serious about
educating their children to take on the mantle of Christian
faith.
Parents who, with the concept of “freedom of religion,”
choose to let their children simply decide for themselves
when they become adults, often end up allowing them to
pass through their adolescent years idly, without sufficient
guidance. This should not be, and so as the people of God
joyously living out their faith throughout their earthly
journey, they should work together and pray to pass on
that most precious treasure of Christian faith to the next
generation of children and grandchildren. I am confident
that the Kyodan has a bright future if we increase the
numbers of children receiving baptism and if the church
puts its emphasis on faith education. (Tr. TB)
—Naito Tomeyuki, general secretary

「総幹事室より」ーー
「信仰の継承」をめぐって思う 高齢化の著しい教団の教会が取り組むべき課題の一つ に『信仰の継承』ということがある。現在のペースで高齢化が進むと10年後には信徒数半減し、教会の宣教力 は目に見えて衰えていく。ではその打開のために教会はどうすればよいのか。どのように次の世代に信仰を継承していったら よいのか。わたしはその打開策(あまり好きな言葉ではないが)の有力な一つが『幼児洗礼のすすめ』だと思っている。『信仰の継承』は土地財産とか金銭といった物を継承 することとは根本的に異なっている。そもそも神信仰は霊的・精神的な事柄であり、心の問題である。本人が生ける主キリス トと出会い、自らの責任において救い主を信じ、告白して生きるようになることなのである。そうであれば信仰の継承という ことは親が子に財産という物を残すというようなことではない。親ができるのは子どもが主キリストに出会うように聖書の導 きを絶えず祈るということだけである。それも、ただ口先だけで祈るのではなく、具体的に子どもの将来のために祈る証しと して幼児洗礼を受けさせることが大事なのである。

もともと洗礼は救い主キリストを信じ告白した者が、 父と子と聖霊なる三位一体の神の祝福を受け、主と一つに結ばれ永遠の命が与えられるという霊的な事柄である。昔から、教 会において罪をいい表し、罪を赦して下さる救い主を信じ告白した者のみに行われてきた厳粛な聖礼典があった。ところが幼 児洗礼の場合は幼児であるため、自らの責任において信仰告白をすることができない。そこで、すでに洗礼を受けて信仰に生 きている親が代わって信仰告白をし、キリストの体なる教会がそれを受け入れて幼児洗礼が行われた。それを『先行の恩寵 (めぐみ)』という教理が裏打ちしてきたのである。

そこで子どもに幼児洗礼を授けた親や幼児を受け入れ た教会は幼児を一人前の信仰者に育てていくという重いしかし光栄ある務めが生じる。そのために、親も教会も幼き日より熱 心に祈りつつ信仰教育を施してきたのである。そしてその信仰教育に用いたのがカテキズム(信仰問答書)である。この信仰 問答書は信仰教育にあずかって力がある。日本の教会も、信徒も本気になって自分の子ども達が真実なキリスト教信仰を継承 していくようになるため努めなければならないのである。

『信仰の自由』の名のもとに、信仰については本人が 大人になって、自分の責任において決めればよい、などとのんきなことを言って、子どもの成長期を無為に過ごさせてしまう ことは実は子に対して親として申し訳ないことである。自分が地上を旅する神の民として喜びをもって信仰の生涯を生きてい るのであれば、最も大切な宝とも言うべきキリスト信仰を、次世代を担っていく子や孫に与えるために、熱心に祈り、労すべ きなのである。今後幼児洗礼を受ける者が増し、教会が信仰教育に力を入れていくならば教団の将来に明るい光が刺してくる に違いないと思う。内藤留幸

 

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