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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4775号】人ひととき 西村 大吉さん

2013年6月15日

機動的にキリストに仕える

ジャケットの下にはタイトな黒いシャツ、足元は動きやすそうなスニーカー、何かあったら直ぐに駆けつけられそうな出立ちで教区総会に出席する西村大吉さんは、かつて機動隊員だった。愛媛県の久万で育ち、上京して警視庁で働いた。大学紛争があった時で、特別機動隊に配属され、成田や浅間山荘にも行った。現場に赴く時は、「やはり怖かった」という。逃げ遅れて命を落とした同僚もいる。部隊から外れないように必死だった。
教会と接点が無かった西村さんが信仰を与えられるきっかけとなったのは、熱心なクリスチャンである聖子さんと結婚したことだった。教会で、御言葉を聞き、衝撃を受けた。この世の法では、心に思うことは自由である。しかし聖書は、心に思うことも罪と言い、右目、右手を失ってでも、神の国に入る方が良いと語る。自らの罪を知らされると共に、キリストの愛を受け止めた。44歳の時、福音派の教会で受洗した。
受洗してからの西村さんの歩みは、平坦なものではなかった。キリスト者として、警察という組織で務めることに厳しさを感じることもあった。そのような中、西村さんは、主の道を歩むことにかけてみようという思いを与えられる。47歳で警察を辞め、教会付属の神学校に入学。ところが、2年間学びを続けた頃、妻の病という試練に遭う。学校を辞め、病院に通う生活が始まった。家族が苦しんでいる姿を見るのは辛かったが、教会の人々の祈りに励まされた。
妻の死を機に、56歳で生まれ故郷に帰り、一人での生活が始まる。元教団議長小島誠志牧師が牧会する久万教会に転会。教会では、週報作り、牧師の送り迎え、FEBCのための説教の録音…と役員として様々な奉仕を担う。教区総会の議員や地区の会計も引き受けている。牧師が留守の時には御言葉の奉仕を担当することもある。かつての機動隊員は、喜びに満たされて、機動的にキリストに仕える日々を送っている。

1949年生まれ。久万教会員。

関東・講演会》
◎日時 6月22日(土) 午後2時~4時30分
◎会場 日本基督教団 新栄教会(03-3713-9276)
◎講演 「ハンセン病療養所の今、そしてこれから」
◎講師 福西征子(ゆきこ)さん(国立療養所松丘保養園名誉園長)
◎協賛 日本基督教団東京教区南支区社会部

《関西・講演会》
◎日時 6月29日(土) 午後2時~4時30分
◎会場 日本キリスト教会 西宮中央教会(0798-67-4347)
◎講演 「わたしの歩んできた道」-ハンセン病回復者として-
◎講師 福仲 功さん(国立療養所星塚敬愛園入所者、園内単立キリスト教会恵生教会代表)
【問合せ先(主催)】 社団法人 好善社(http://www.kt.rim.or.jp/~kozensha/、tel 03-3712-3845、fax 03-3791-1150)

*聴講無料*

幼稚園の土地拡張、増改築、新築のため、幼稚園融資金2013年度分を次の要領で募集します。
◎金  額 50万円~300万円
◎返済期限 5年以内
◎利  子 期限内 年1%(東日本大震災関係は無利子〔最長10年〕)
期限後 年2%
2013年度は総額600万円を2~3の教会幼稚園に貸し出します。希望幼稚園は、教区事務所を通して教団教育委員会まで申し込んでください。
締切は8月31日。融資規定、申請書は教育委員会(☎03-3202-0544)へ。

御言葉の力を見せていただく歩み

愛南教会牧師 矢野 敬太

愛南教会は2007年に名称変更するまでは城辺教会(1930年創立)であった。愛媛県の最南端に位置し今も鉄道が通っていない。
代務の期間も多くあった83年間の歩み。転機が訪れたのは1992年、13年間、牧した大舘義夫牧師(故人)が隠退した時だった。代務者の脇坂恵子牧師(保内教会)は3年間ただ共に御言葉を語り続けた。脇坂牧師が代務者を辞任した後、分区・県境を越えて宿毛栄光教会の大串眞牧師(現・千葉北総教会)が代務者となった。また大串牧師に協力して芦名弘道牧師(近永教会)、黒田若雄牧師(須崎教会、現・高知教会)が説教の応援に来てくださった。
当時会員は6名。ある説教者は初めて城辺教会に説教に行った時の印象について「数は少ないが一致もない。この教会は無くなる、そう思った」と語った。この教会に牧師を招聘する。どう考えてもその幻すら描けない。牧師たちはただ御言葉に委ねるしかなかった。城辺教会の置かれた現実の中で共に歩みつつ御言葉に聴く。そこに徹すると言うか、それ以外になすすべは無い。
そしてそこから城辺教会は変わった。うつむいていた顔が上がり教師招聘への気運が盛り上がった。それは現実を見て躊躇する牧師たちを凌駕するものだったと言う。そこに私は招聘された。
当時城辺教会は会堂を失い、信徒の自宅で礼拝・諸集会を守り、私はアパート住まい。土地購入、会堂建築が急務。神学校新卒の私にはとうてい担えない課題。その時、代務時代に説教者を送ってくださった教会を中心に応援体制が作られた。城辺教会の牧師館(後には会堂・牧師館の借家)の家賃を支えてくれた。
そして最も大きかった支えは牧師同志の説教の学び。月に一度、説教の学びをした。年に一度、2泊3日の説教セミナーを行った。その支えがあって、私はこの現実の中ただ御言葉に聴くことが出来たと思う。
そしてある日、どうやっても、こうやっても前進できない壁が崩れた(土地・建物が与えられた)。「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」(ヨハネ11・40)。この御言葉に導かれて私を招聘した城辺教会。そして私自身が御言葉の力に打ち震えた瞬間だった。
私は何も出来なかった。ただ主ご自身が御言葉を通して生きて働かれた。教会はそういう場であることを、私も愛南教会の一人一人も痛感した出来事だった。
今も愛南教会は会員8名。その年齢をみてもこれからどうなるか分からない。でも、ここまでの歩みも人の力は通用しなかった。ただ主の御力によってのみ教会は立つ。この事実を信じて御言葉に聴くのみである。
そして今、愛南教会は私を宇和島中町教会の代務者に送り出している。代務者に支えられた教会が送り出す教会であること、感謝である。
代務となって3年、教会が牧師を迎えるという課題の大きさを思う。私の力では無理。改めて共に御言葉に聴くしかないところに追い詰められる。御言葉が語られ聴かれるところに主の教会は立つことを繰り返し痛感させられる日々である。
代務教会では本務教会には無い幼稚園で、子どもたちと共に御言葉に聴く喜びも与えられている。私の務めはただ聴くのみ。御言葉の力を見せていただく歩みである。

稲垣守臣氏(隠退教師)
13年3月3日逝去、101歳。長野県に生まれる。’39年同志社大学神学部を卒業。同年神戸教会に赴任、旭東教会、聖ヶ丘教会を経て、’88年まで筑波学園教会を牧会し、隠退した。遺族は息・稲垣壬午さん。

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